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私を守り続けた「エゴ」――育まれた「生存戦略」(池延郷 修業編②)





先日の 宇都宮(池延郷)での修行を


記録しています





連載形式となっています


今回で 2回目



前回記事は こちらです




▼静かにそこに立つ「エゴ」
  ――師匠の自省 と 気づけない私
  (池延郷 修業編①)




以下 本文です







心の " 濁り "――受け取ってしまう私たち





師匠は いいました



「患者さんの中には

 心の " 濁り " が

 溜まっていて



 触れることで

 それを 受け取ってしまう
 ことがわかる



 そういう 患者さん

 いますよね?


 " 濁り " を受け取ったときの
 あの感覚…

 大体の人は 経験されておられますよね?


 やっぱり 嫌ですよね? 笑


 そういう 患者さんが来られると


 まぁ 正直に言って


 あぁ…


 って 思いますよね?」




" 濁り " 

と 書きましたが


これは決して

特別な力 や 霊的な話 ではありません


ただ

「他者に触れる仕事」を続けていると

その人が 抱えてきた

心の疲れ や 重さ

こちらが 受け取り

沈み込むような 感覚がある――


その程度の

とても日常的な

「心の現象」のことです



「そういうものがある
 らしいな」


と 思っていただければ

十分です




わたしも 日々の臨床の中で


知らず知らずのうちに


" 濁り " を 受け取っています




スピリチュアルな話

ではありません


あくまでも

治療家が抱く

" 感覚 "

の話です





わたしは よく


神社に参拝します



参拝することもそうですが

その 参道や 周辺を


歩く


こともします



祈り

歩く


ことが


受け取ったものを


お返しする
(元の持ち主へはお返ししません)


ことに つながるからなのです





それは そうと


師匠は その後

こう

続けられました



「ですが

 最近はですね


 むしろ こっちから

 その " 濁り "

 受け取りに行こう

 と

 思うように なりましたね


 どちらにしても

 結局

 受け取ることには

 変わりは無いのですが



 最初から

 " 濁り " を受け取りに行く

 心持ちの方が


 いいこと あるようですね」



という お話でした


最後の

「いいこと」 とは

何なのかは わかりませんが



この話が


こころに 残りました







普段はメリット――治療ではデメリット




わたしは


" 濁り "

を 受け取ること


嫌だ

と 想ったこと

ありません



そもそも

自分を守ろうとする

エゴが

非常に 強く


受け取ること自体が

少ししかできない

のかもしれません



患者さんを目の前にし

" 濁り " に身構えた

経験は ありません




普通に生活する上では

善いこと


なのかもしれません




ですが


治療の場面では


そうでは ありません




治療の可能性を


狭めている


のです






不登校の子どもと " 濁り "――" 濁り " の中の かつての私





子どもは

" 濁り " を

受け取りやすい


存在です



不登校の子どもの中には

" 濁り "  を受け取りたくないため

学校という " 濁り " の中へ

行くことを

拒否している子どもも

含まれているはずです




わたしも


受け取りやすい
子ども


でした




学校には

行きたくありませんでした



しかし

当時のわたしには

その選択肢は

ありませんでした



そんな 時代でも

ありましたし



そんな 家庭でも

ありました



家庭の中にさえ

" 濁り "

が ありました




" 濁り " の中へ 通い

" 濁り " の中へ 帰る


そんな生活を送るうち



" 濁り " から


身を守るように なったのでしょう



学校生活 社会生活 は

それにより おくれるようにはなりますが



いま 治療家として

それに

ちょっと 困っております






" うまくできない " は OK――" うまくやろうとする " は NG






1.師匠が説明される

2.それを 皆で 実践

3.終わったら 師匠からのチェックをいただく




修業は


この繰り返しの 流れで


進んで行きます




わたしにとって これは


エゴ


との 戦いでも あります




師匠は 必ず最初に


注意されます



「なにも感じられなくても

 いいんですよ


 うまくいかなくても

 いいんですよ


 ですが


 うまくやろうとするのは


 NGです


 どうぞ みなさん


 楽しんでやってくださいね!」




とても やさしい

注意喚起

ですよね?


ですが



「うまくいかなくてもいい

 でも

 うまくやろうとしてはいけない」




これ

難しいんです



あなたは

どう ですか?


できそう ですか?




天真爛漫な 雰囲気の女性

上手に楽しまれるんですよね




男性でも

大御所さん達を見ていると


ご経験を積まれ

常識のフィルターを

上手に外し

感覚を解放されることで


このことが

できるように なっているのかな?


想像します





わたしも

かつては


何もわからず

ただ 言われたことを

素直に そのまま

やっていたため



ある程度 できていました


ビギナーズ・ラック


ですね





ですが



師匠の下で

いろいろ 学び

経験を重ねた

今の わたしには


これが


「課題」


と なっています




楽しむ なんて気持ち


なかなか なれません



まだまだ


修業中です






比較の中で生きてきて――越えづらい「得意と失意」






同じ 課題に 取り組む


としても


その 施術の在り方は


「人それぞれ 異なる」



師匠は 言われます



ですので


「他の人と 比べては

 いけません」



と 言われます




「治療とは

 人それぞれ 独特の性質を持ちます


 その 元をたどると


 その人本来の

 性質 や 性根

 に

 たどりつきます


 わたしたちの手 とは

 わたしたちの

 内面

 を 表す


 鏡


 なのですから」



ですから


比較しても 意味は無い


と いわれる 師匠




この言葉を聞くと


スクール生時代 を


想い出します





わたしは


同期に比べ

劣る自分に

苦しみました




もちろん

優れている 劣っている

という 世界で

修業をしているのではないので


「自分は劣っている」


と 感じること自体


間違っているのです



そのこと

" 頭では理解している "


のです




比べても意味は無い

" 頭では理解している "

のです



ですが これは



実際に こころの中で


他者と比べない


こととは



全く 別の問題 です







まさ(勝)っていたら

得意


劣っていたら

失意




わたしは ずっと

そういう 価値観の中で

生きてきました



「常に他者と比較する」


という こころ




表面上は ごまかせても

施術を行えば



わたしの その 内面は

明らか過ぎるほど

明らかに

現れるのです




そして


また


落ち込むのです




スクール生時代は

そんな 泥沼を

歩いていました




今は

どうなんでしょうね?



泥沼

抜け出ましたかね?



師匠にチェックを受けるとき


まだ


こころの中が


ドキドキ


しています



ドキドキが


ワクワク


になったら



いいのにな…







知識が " 広げる " 世界――知識が " 閉ざす " 世界







ここまで 書いてきて


ちょっと 気づいたのですが


これを 読まれている方の中には



師匠の言葉を



ご自身の お仕事と

比較したり

参考にされたり

している方も

いるかもしれませんね



そんな あなたに

ちょっと 質問を

させてください



こういうこと

ありませんか?




ある 仕事をします


仕事を覚えたての時は


「その仕事」


しか 見えていません



ですが 経験を重ねていくと


「その仕事」


に 関連する仕事が


見えてきます



関連する仕事が

数珠つなぎ

となり



広がっていきます



広く

見えれば

見えるほど




「その仕事」


の 質が


変わっていく…



そんなこと

ありませんか?






師匠の下で

わたしたちは

知識についても

勉強します



なぜ するのか?


それは


わたしたちの 治療 とは


「自分が知っている世界」


までしか


広がらない


からです




そして


知識で得た世界を


感じる


ことも


大切です




ですが



これが


なかなか


難しいのです







知識は

世界を


広げてくれますが




知識が


感覚を


阻害することも


多々あります




知識が


「思い込み」


となり



べったり 貼り付いていると


感じること



できません





それまでの


生き方


成育歴


により


与えられた 知識が


いつのまにか


「信念」


と なってしまい


世界を


閉ざしてしまうことも


あります




とても

よくあること

です






資格のメリット・デメリット――経験という「限界」




「え~ アルさんも

 理学療法士さん なんですか~?

 セミナーに参加する人

 治療するプロ
 ばっかりじゃないですかぁ~


 いいなぁ~



 あ~あ なんで あたし

 〇〇の仕事なんて 選んだんだろー」



休憩時間に


スクール生のある女性が


そう 言われました



「あたし こうやって 勉強しても

 ほんとうに お店開いて

 ほんとうに お客さんに

 治療ができるようになるのか

 すっごく ふあん(不安)です!


 その点

 理学療法士さんなら

 経験いっぱいあるから

 いいなー

 って 思う」



わたしも 師匠も


にこにこ します



わたしは

なんだか とても

懐かしい気持ちで

こう いいました




「わたしの同期の

 Yさん という女性も

 かつて 同じことを

 言っていましたよ


 大丈夫ですよ


 その Yさんも

 資格が無かった 他の同期たちも

 今ではちゃんと お店開いて

 治療されているそうですよ


 むしろ

 資格を持たない 彼女たちの方が

 いい治療を しているかもしれません


 ねぇ 先生?」



すると 師匠は


ふふふ


と 笑い



「資格があることは

 メリットでもあり

 デメリットでもあるかもしれません


 治療をたくさんする経験を持っていることは

 メリットでしょうね



 ですが

 治療の経験が

 その人の限界を

 つくってしまうことも

 あります



 アルさんの 同期で

 Aさんという 理学療法士の女性がいるのですが

 彼女は 素晴らしい感覚の持ち主なのに

 それを 感じられるようになるまで

 随分 かかりましたね


 理学療法士として 優秀な人ですから

 それが かえって

 障がいに なっていましたね」




ほんとうに 師匠のおっしゃる通りで


同期の Aさん と

わたしは


そこで 苦しみました



わたしは

まだまだ

苦労しています






生存戦略を脱げるか?――「恐怖心」の正体






以前

それに苦しむ わたしに

師匠は いわれました




「アルさんにとって

 それは

 生存戦略

 でもありました


 わたし も アルさんも

 そういう

 時代を

 生きてきたんです



 アルさんの

 感覚の世界が

 広がるためには



 その 生存戦略を

 制御しなくてはならない


 それは

 とても 難しいことです



 でも

 それを

 課題だと

 認識できただけでも

 1歩 進んだのですよ 笑」





わたしは

1歩は
進んだのだそうです



ですが


2歩


3歩 と



そのまま 進んだら



どのような 人間に


なっているのでしょう?



無意識で 大切にしてきた

その 生存戦略 を

脱いでいく…



想像すると


そこに


恐怖感


を 抱いていることに


気づきます




それが

生存戦略を


捨てられない


理由


なのでしょう




そして


それを


「エゴ」



呼ぶのでしょう




「エゴ」

わたしを

子どものころから

守ってくれていました




もう 必要としない

頭でわかっていても



実際

それを 捨てられるかは




また



別の問題です






(つづきます)





【ご注意】


 本文中の会話は 実際のやり取りをもとにしながら

 わたし自身の理解や解釈を通して整理したものです

 師匠の真意とは異なる部分があるかもしれません





私を守り続けた「エゴ」
 ――育まれた「生存戦略」
  (池延郷 修業編②)



UnsplashJulian Steenbergenが撮影した写真

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