ミラノのオリンピック選手村を訪問
いきさつは自分でもよく分からないのですが、2月14日にラトビアオリンピック連盟様から、ミラノのオリンピック選手村にご招待いただきました。
よく分からないとは書いたものの、推薦してくださったのは間違いなくわが推しのご両親です。ミラノのオリンピックを観戦する、わが推しのご両親のチケットやアパート手配、滞在中のアテンドをやって一緒に行動していたので、ご招待を受けたご両親が「彼女も一緒に」とお願いしてくださったのであろうと想像しています。
オリンピック村を訪問できることがわかったのは前日の午後。急いで私たち3人の身分証明書の写真を、ラトビア側の担当者マリカさんに送り、その後午後遅く「明朝9時に選手村に来てください」と言うコンファームをいただきました。
その日はわが推しも出場するフィギュアスケートの男子シングル、フリースケートの試合があり、アパートに戻るとほぼ真夜中。翌朝はアパートをチェックアウトしないといけない日で、11時の決まりなので念のためにオリンピック村に行く時点でチェックアウトし、荷物はアパートにあずかってもらおうと決め、アパートのオーナーにその旨連絡を入れ、彼女のアドバイスに従って翌朝のタクシーを手配しました(遅刻はできないアポだし、アパートをチェックアウトするのでそんなに早くは出かけられない)
当日朝は雨が降っていてタクシーを予約しておいてよかったです。約束の時間の5分前にはタクシーが来て、アパートの前の道で待機中。ご両親も協力してくれて、だいぶバタバタしましたが、無事アパートのチェックアウトもでき、タクシーで選手村に向かいました。

ミラノのオリンピック選手村は、元鉄道ハブの広大な敷地を長期間かけて再開発したもので、かなり街中にあります。オリンピック終了後は学生向けのアパートとして転用されることが決まっています。これはトリノオリンピック時に新設した選手村がその後再利用できずにさんざん批判されたことを受けてのプロジェクトと理解しました。
アパートから選手村まではタクシーで7・8分なのですが、周囲が交通規制されているために大回りしないといけなくて、もう少し時間がかかりました。そして入口に乗り付けることはできず、最も近い所で降ろしてくれました。とても人柄の良いタクシー運転手さんで助かりました!
小雨の中、傘も持ってきていないご両親と小走りに指定された入り口を入り、警備の方に「ラトビアオリンピック委員会のご招待ですが」と言いかけた所で、少し離れた所にわが推しが携帯をいじりながら待っている(深夜にメッセージを交わしてあったので、ご両親を待っていたと思います。)のが見えました。ドキュメンタリー用のTVカメラが密着する中、ご両親がやっと会えた一人息子と固いハグを交わしています。そしてカメラが撮影しているけれど、推しがご両親と私にスイスの板チョコをくれました(笑)。
わが推しは私たちを待っていただけではなく、ISUハウスのパネル出席のために、9時半に出るシャトルバスに乗らないといけないそうで、担当のマリカさんが来るまで私たちをアテンドしてくれました。まず、訪問者用のパスを発行してもらう仮設プレハブに入り、列に並んで、昨日既に写真を送ってあった身分証明書の実物を提出します。そこで担当のボランティアの若いイタリア人がリトアニア・レットニア?と聞き、隣にいた別の国籍の女性から、リトアニアは一つの国で、レットニアはまた別の国だと教えられていました(苦笑)イタリア語で発音するとかなり似通っているので、混乱するのでしょうか。
担当のマリカさんが来ないので、パスをもらってから推しがラトビアチームが滞在している建物まで案内してくれました。目の前に見えても入口はかなり遠く、そして雨のせいか、全く人が歩いていませんでした。わが推しも、3回滞在したオリンピック選手村の中で一番小さい(広域開催のため、選手は7か所に分散している)し、もう去った選手、これから来る選手の関係で、滞在人数が少ないと言っていました。(推しの選手村体験トップは、平昌だそうです。)

入ったところはなんだかすごくガランとしていました。ここで、推しがパスの横に下げていたコカコーラ様ロゴ入りプレートのようなものをかざして、コカコーラ様提供の自販機から、飲み物を一人1本ずつおごってくれました(無制限無料らしい)
そしてエレベーターに乗って推しが滞在している、ラトビア選手フロアーに行きました。エレベーターを待っているとき推しのパスにピンが一つもついていないのに気が付き「ピンは集めていないのね?」と聞いたら「いくつか持っているけれど、リボンには着けたくないだけ」と言って内ポケットに入っているピンを見せてくれ、選手が交換用に支給されているらしい、ラトビアオリンピック選手団のピンをご両親と私にくれました(余生の宝物にします!)

ラトビア選手団が滞在しているフロアの廊下には洗濯物を干したスタンドが出ていたり、生活感はあったのですが、人影は全くなかったです。推しの部屋は2人部屋(を結局1人で使っていた)で、真新しいけれど安めのビジネスホテル並みの広さ(つまり狭い)。推しはこのあとISUの会議に出て、その後サムスンの打ち合わせが終わったら拠点に戻る予定で、既に大量の荷物がほぼパッキング済みでした。
ここでやっと担当の女性、マリカさんが来てくださり、ラトビア選手用のラウンジに案内してくださいました。この時点でもう推しはシャトルバスに間に合わなかったので、そのままご両親とそこに留まり、ラウンジで少し話していました。お母様が推しの絶賛撮影会を始め、推しは最初やや抵抗したけれど、めったに会えない親子なので結局諦めて、撮られるがままになってました。私も便乗して1枚撮りましたが、やはりご両親といる時の表情は、リラックスしているな、と後で撮ったものを見て思いました。推しはご両親とはロシア語で会話するのですが、私がいるので英語も交え、そうするとお母様は理解できなくなるので、私の方から「ロシア語で話してあげて」とお願いしたりしました。

ラトビア選手団のラウンジで選手団の取りまとめをしているらしい男性とお会いして、少しすると見るからにお偉い方々とわかる一団の訪問がありました。どなたもラトビア式典用のウェアを身に付けています。お1人だけ式典用ではないもう少しカジュアルな服装をしている方は、元大統領だとすぐわかりました。皆さんがご両親と握手をして、私にもご挨拶してくださり、そこでわが推しとの会談が始まりました。

わが推しの母語はロシア語で、ラトビア語は学校で習った言語、日常的に使うことはないはずですが、このような公式の場でお偉い方々を前に、臆することなく立派に振舞っていて、感銘を受けました。このあとお偉い方々との記念撮影があり(写真を見かけないので、どこに出ているのか不明です)皆様を自室に案内して、自室でまたひとしきり話していました。(この時私たちの担当マリカさんが「話長いわよね」的な事をご両親に言っていて思わず笑ってしまいました。
また、ラトビアオリンピック委員長から直々に「デニス選手の応援ありがとうございます」とのお言葉を賜り、少しお話しできました。今回の成績は残念がっていたものの、人物としての彼への期待の大きさがうかがわれ、今後のセカンドキャリアについて、とても明るい展望を感じました。
ラトビアチーム滞在フロアーには専用の理学療法室があり、いつでもマッサージなどの手技が受けられるようになっていました。
皆さまが立ち去られた後、いよいよ推しはISUハウスに行かないといけないため、私たちも一緒にエレベーターで下に降りました。下で推しがまた自販機から飲み物をおごってくれ(2本目)マリカさんが合流し、外に出ました。ちょうど五輪シンボルの前を通ったので、推しがご両親と家族記念写真を撮りマリカさんが撮影していたのですが、推しが私も参加するように呼んでくれたので、せっかくなので1枚一緒に撮らせていただきました(でもその写真は届いていません)。
この後推しはタクシーを呼んでISUハウスに向かいました。一人っ子なのに年にほんの数回、わずか1時間足らずぐらいしかわが子と会えないご両親が、いつもながら可哀そうだなと思います。
マリカさんに選手村の中を案内していただき、ゲームやボードゲームなどが置いてあるレクリエーション棟、ラウンジ(コーヒースタンド、チーズスタンド、ヘアやメイクサロンなど)でまた別の飲み物をいただいてしまいました(3本目)。ラウンジの物も滞在者にはすべて無料で提供されているようです。その後ジム、マルチメディア室(PCなどが利用できる)小規模なオフィシャルショップ(到着した日からマスコットが全然買えなかったそうです)、瞑想やヨガなどのスペースが設けられた、リラクゼーション用の八角形でガラス張りのバーなどを見せていただきました。(Youtube動画を見ると様子がよく分かっていただけるかと)
この後マリカさんにお礼を言ってパスを発行してもらったプレハブに戻り、パスと引き換えに身分証明書(私の場合パスポート)を返してもらい、ご両親と一緒に選手村を出ました。
門を出たらすぐ斜め前がプラダ財団の建物で、この選手村の建設に当たり、プラダ財団が大きな役割を果たしたと言うニュースを思い出しました。
一般人として、オリンピックの選手村を訪問できる機会があるとは思ったこともありませんでしたので、今回このような経験をさせていただき、心から感謝しています。
