プロベーション・レポート ~新入社員の四カ月~ 第一章4
第一章 第四話「契約」
「おはようございます。」
元気が無い。
とてつもなく眠そうだ。
目の下のクマがこんなに浮き出た男ではない。
「おはよう。どうしたんだ。眠れなかったのか?」
「あ、はい昨日少し考え事してて。夜中の考え事ってすごい捗るんでつい。」
変わった男だ。
「そうか。無理はするなよ。いつものでいいか?」
「ありがとうございます。でもやっぱりできればブラックがいいですね。」
一通りの配送と指導を終え、俺はある場所に向かって車を走らせていた。
小林はと言うと眠そうではあるもののいつもと変わらずおかしな話をし続けて随分と救われた。
本心を言えば俺はこいつと仕事がしたい。
「着いたぞ。」
「おぉ!随分と風情のあるお店っすねぇ!ばぁちゃん家の近所にあったんすよーこういうお店!」
「ここは俺が会社に入って初めて新規契約を取れたお店でな。マスターも良くしてくれるから、ついつい時間が空くと立ち寄ってしまう。俺の隠れ家みたいなもんだ。」
「いいんすか?隠れ家なんてバラして。」
「ふっ、とりあえず入ろう。」
小林は俺の前に立たなかった。
「お世話になります。」
「おぉ!課長くん!」
「辞めてください、マスターに課長なんて呼ばれちゃうとなんかむず痒いですよ。」
「はっはっは!そうは言ってもなぁ!君が可愛い新人だった頃から知ってるんだ。
出世したってことが嬉しいんだよ!」
「随分前の話です。しかもうちの会社の出世なんてそう大したことでもありませんよ。」
「はは!そう謙遜するなよ!いつものでいいか?お!今日は若い子を連れているんだな!新人さんかい?」
「お世話になります!小林と申します!今後ともよろしくお願いします!」
「おぉ!元気のいい若者だ、課長君の若い頃もあんな感じだったんだぞ?」
「そんな、恥ずかしいですよ。」
「そう言うな。いつもの窓際は空いてるから。新人くんも俺からの就職祝いだ、なんかサンドイッチをサービスするよ!」
「いいんですか!?ご馳走になります!えーと、海老カツサンド以外なら大丈夫です!」
「お?海老が苦手なのかい?」
「いえ、アレルギーで食べられないんですよー。」
「おぉそうか、じゃあ普通のカツサンドを作ってやるから待っててくれ!」
「ありがとうございます!」
アイスコーヒー2つを注文し、席に着くと小林が口を開いた。
「良かったんすか?秘密の場所なんすよね?」
「ああ、お前なら教えてもいいと思ってな。」
「それは光栄っすね!でも改まってどうしたんすか?こないだの話の続きっすか?」
見透かされている。
俺はこの男に少しばかり恐怖を感じているのかもしれない。
「あ、いやあの時はすまん。つい口走ってしまった。朝が苦手と言っていたし、前の職場の話がとにかく楽しそうでな。辞めて欲しいわけではなくて、お前にはもっといい場所というか・・・
向いてる仕事があるんじゃないかって。」
「おぉ!ありがとうございますー!確かに飲食は今でも大好きですし、正直向いてる方だとは思いますよー。」
「そうだ。それを聞こうと思ったんだ。お前はなんで、好きで向いてる仕事を辞めたんだ?普通に考えれば、もったいないだろう。」
羨ましい・・・
俺には無い仕事への情熱というものが羨ましい。
なぜ俺がこの男にここまで言ってしまうのか?
それはその情熱が失われることが俺にとって耐え難い物のように思えたからだ。
「あー・・・そうすねぇ・・・僕ももったいないと思いましたけどー。どこから話をしたもんか。
長くなるかもしんないすけどいいすか?」
「構わんぞ、今日は急ぎで回って後は会社に戻るだけだ。」
「半年くらい前かな?彼女にプロポーズしたんすよ。そしたら『プロポーズは嬉しいけどあんたみたいな夜型生活の人間と家庭を作れる自信がない』って断られちゃいまして。
あ!別れたとかじゃないすよ?今も一緒に住んでますし。飲食やってる限り夜型生活じゃなくなるのは無理ですし、それで次の日にマネージャーに電話して退職したい旨を伝えました。
退職願はまだ作ってなかったんで、取り急ぎ電話だけでもと思ったら大騒ぎになっちゃって。」
今こいつは『次の日』と言ったか?馬鹿げている。
いくらプロポーズが断られたとて翌日に退職の連絡をしたということがわからない。
最近の若いやつはそんなもんなのか?
「おい、お前は飲食を愛しているんじゃなかったのか?」
「え?ええ今でも大好きっすよ。だからここを選んだわけですし。飲食辞めても業界にはなんかしらの形で関わりたくてここに来ました。求人票では9時18時って書いてありましたしねー。
実際来てみたら時間長くて面食らいましたけど。」
「そうだな・・・すまない。」
「これじゃあ同じことなんすよねぇ。昨日彼女にも怒られましたけど。大好きな飲食を辞めてまで転職した意味がない。」
そりゃあそうだろう。
こいつは飲食に戻るべきだ。
「なんで課長には話しますけど、なんていうかみんな働いてる時間長すぎません?6時より早く来てる人もいれば22時以降も平然とみんな事務所にいますもん。」
図星ではある。
が、それは誰でもわかるだろう。
「昨日一昨日と松本くん野村さんに同行して思ったんですが、長時間労働なのを見越して昼寝や休憩めっちゃ取るんすよねー。どう考えても逆なのに、普通はそうする。
うまいことやって早く帰れば早く寝れるし、それならわざわざ3時間とか待機時間作ってまで昼寝する必要が無い。常務が前僕に帰らないのが美徳だー、なんてこと言ってましたけどみんなそこ気にしてるんすかね?話にならない。」
「いや・・・俺も何度も常務に進言したが断られたのが今だ。すまんが諦めた方が」
「そうですねぇ。
そうは言っても、僕は彼女にもう一度プロポーズするために、なんとしても定時に上がりたい。
そのためになんていうか色々すると思うんすけど課長に黙認してもらいたいんすよ。
まあそんな感じでいいっす。契約っていうか。」
契約?・・・なんだこの男は。
常務のことをなんとも思っていないことはわかるが・・・そんなことが出来るのか。
「なんとなくなんすけど上手いことやれば定時はやれると思うんすよねー。僕を適当にやらせるだけできっとそのうち課長だって帰れます。
まぁ、出来なきゃ諦めます。要は僕が定時で上がるのを止めないでくれればいいんすよ。後はこっちでやるんで。」
何を言ってる?俺が?無理だ。
「課長だってとうに帰れてない。息子さんと遊んだのが三ヶ月前ってドン引きっすもんね。確認ですが、僕を黙認するだけでいい。何もしないと言ってくれるだけでいい。単純でしょ?」
・・・こいつが何を考えてるのかは全くわからない。
だがこいつの言う通り俺にリスクは・・・無い。
常務に睨まれるのもこいつのはずだ・・・
いや・・・でも・・・俺が何もしなくてもいいのか?
「・・・お前の気持ちはわかった。・・・本当は帰るべきだ。家族と一緒にメシを食いたいし、子供達とも一緒にいたい。
嫁さんと・・・その・・・夜のというか・・・そういう生活をしたい。」
・・・俺は何を言わされた?
いつもの自分では無い気がする。
「ま、そんな大それた話でもないっす。
約束してくれってだけで。」
小林が笑顔で真っ直ぐにこちらを見ている。
断る理由が・・・無い。
「・・・好きにやれ。しかし定時上がりとなるとやっかみとか色々出てくるだろう・・・わかった。俺が出来る範囲で止めてやる。」
何が起きているのかわからないまま、そう口にした・・・
「マジすか!じゃあそれで行きましょう。」
気づけば小林はいまだかつて見たこともない表情で生き生きとしていたように思う。
何かを『得た』ような、そんな表情を。
ただ、よく見るとそれは達成感というよりは『段取りが一つ片付いた』ような表情にも見えた。
俺が何を契約させられたのかはわからない。
