プロベーション・レポート ~新入社員の四カ月~ 第一章1
第一章 第一話「営業二課長」
男はひどく疲れていた。
朝は早く夜は遅い。5時に起きては何時に帰れるのかもわからない。
土日返上で働くのも一体何週目だろうかとひとりごちるもやはり考えるのをやめた。
どうせ考えたところで何も変わりはしないのだ。
先日常務からうちに新人を配属するという通達があった。
なんでうちなんだ・・・
退職した若い社員の穴は、他部署からの応援でうまく回っている。
正直なところ、新人と応援の野村さんが交代して欲しいと思っているが、これもまた俺は口に出せないだろう。
俺の力不足もあるのはわかっているが、これまで何人もの部下が辞めていくのを見ていることしかできなかった。
その度に守ってやれなかった罪悪感と、会社に楯突くことのできない己の無力感に押しつぶされそうになる。
本音を言えばもう新人の配属などしないでほしい。
・・・気づけば煙草の火は消えていた。
(こんな労働時間はありえない!すいませんが今日で辞めさせていただきます!)
(急な話で申し訳ありませんがこれを・・・)
(こんなのは違法だ!必ず訴えてやるからな!)
かつての部下達の言い残した言葉の数々がフラッシュバックする。
そういえば訴えてやると息巻いていたあいつはちゃんと裁判したのだろうか?
いや、してはいないのだろうな・・・
してくれていたのなら少しはマシになったかもしれないのに・・・
と、自分の怠惰を棚に上げて煙草を吹かす自分にも嫌気がさした。
「おはようございます!小林と申します!本日からお世話になります、どうぞよろしくお願いします!」
眠そうな顔に似合わず元気な奴だ、と思った。
これが飲食店勤務ってやつなのか?
どうにもこいつの笑顔が張り付いたもののように見えるのは俺のせいか。
はたまた本当にそうなのか。
まあいい、どうせこの子もすぐに辞めるのだ。
「おはよう。すまんねこんな朝早くから来てもらって。今日は初日だから7時半にしたけれど申し訳ないが明日からは6時出社になる。大丈夫か?」
「はい!朝は苦手な方なんですが頑張ります!」
朝は苦手、か。
当たり前だ。6時に出社して長時間残業をする人間が朝が苦手でないわけがないのだから俺も同じことだ。
しかし随分と正直なやつだ。いきなり朝が苦手だと言ったぞ?
普通そこは言わなくてもいいことなんじゃないか?と思うと笑みがこぼれた。
なかなか面白いやつじゃないか。
「君は何か飲むか?」
「ありがとうございます!同じものでお願いします!」
お、わかってるじゃないか。朝といえばエメマンなのだ。
「ほい。君もエメラルドマウンテンが好きなのか?」
「ありがとうございます!はい、おばあちゃんが好きでよく飲んでいたので。あ、あとダイドーデミタスとかも飲んでましたね。」
懐かしい・・・デミタスコーヒーなど最近とんと見なくなったというのに。
ふふ、この男は俺が子供の頃の話でもしているのかと思うとあれほど面倒だった新人教育がなんだか楽しいものになるように思われた。
初日のOJTを終えて会社に戻るとちょうど20時を回ったところだった。
隣の新人くんが18時を回ったぐらいからそわそわし始めたことを知らないわけではないが残念だったな新人くん。
(これでも早い方なんだぞ?)
と内心ほくそ笑んだ。
「お疲れさまでした!明日は朝にお伺いした通り6時の出社で間違いありませんか?」
「そうだ。すまないが6時で頼む。朝が弱いと言っていたがよろしく頼むぞ。」
「ええ、なんとかします。まあ朝が苦手というか、6時出社って5時くらいに起きるじゃないですか?なんていうか、今まで寝てた時間に起きるってのがなんか変な感じです。」
ん?なにかこいつは変なことを言わなかったか?
5時に寝るなんて生活はいくらなんでもだらけすぎだろう。
まあいい。
朝起きれずに遅刻、という常習犯もうちの課には居るのだ。
今更考えたって仕方がない。
とりあえずこの新人くんが6時に来てくれるのを待つとしよう。
「一つ聞きたいんだが5時に寝ていたというのはいつもなのか?」
新人君は驚いたような顔をして
「ええ、だいたいいつもでしたね。あ!でも一昨日ぐらいからはちゃんと起きてますよ!」
と言った。
「そうか。悪かったな引き留めて。」
「お疲れ様です!お先に失礼します!」
「おう、おつかれ。」
さて、OJTに割いた時間を取り戻すとするか。今日の帰宅は何時になるやら・・・
事務所に戻る前にどうしても一服をしたい。
喫煙所に向かうと先客がいた。
同期であり、ライバルであり、憎たらしい悪友でもある男だ。
営業一課長、俺とは違い結果で全てをねじ伏せてきたような男だ。
俺は隣に並び煙草に火をつけた。
「おう、災難だったな新人なんて押し付けられて!いったいどんなやつなんだ?使えそうか?」
「馬鹿言え。使えるかどうかなんてたった一日でわかるもんか。とりあえず今日一緒に回った限りは礼儀正しい普通の若者だったよ。
というかお前の方こそこの半年で二人抜けたんじゃなかったのか?うちはまだ一人なんだからお前のほうに行くのが筋だろう。」
「はは!すまんねそれは俺が断ったからだしな!新人の教育なんてやってられるかよ。」
「そうは言っても人が足りなくて困るのはそっちだって同じだろう。」
「いいんだようちは。売上が足りねぇってんなら俺が立てるし、別に配送だって外部さんで十分回る。あとよ、わざわざ俺やお前を使ってまで新人の教育なんてしなくてもいいと思わんか?
課の連中に任せたって別に良かったろ。
どうしてお前が率先して新人教育をしてるのか、って方が俺にはわからんね。」
一課長が煙草を揉み消す。
「なんとでも言え。俺には俺のやり方ってもんがある。内心引き受けたくないとは思っていても任された以上は俺の責任だ。」
「どうせ辞めちゃうのに、若ぇ連中相手に律儀なもんですねぇ。頭が上がりませんなぁ!」
「茶化すな。もういい。」
「そうは言うが礼儀正しい普通の若者ってやつ?お前がいつも新人をそう言ってるのは知ってるが、いい加減そういう普通の連中ってのに裏切られるのもうんざりじゃないのか?俺はお前も心配なんだ。」
気分が悪い。
いやあいつも新人くんも悪くはない。
あいつだって俺を心配しているという言葉だけは本物なのだ。
決して新人を受け入れようとしないだけで。
まあいい。
明日も新人くんが来るのだ。
「火曜だからとんかつ屋だな。」
