孤独を埋めるためのAIが、孤独を固定化させている
最近、強く感じていることがある。
それは、
孤独を埋めるために生まれたはずのAIが、
むしろ人と人の距離をさらに広げてしまうのでは、という懸念だ。
本来、孤独というものは
人と関わることで揺れ、傷つき、学び、
そうやって少しずつ和らいでいくものだった。
しかし、人は孤独に耐えるのが難しい。
故にAIはそこを見事に埋めてくれた。
AIはとても優しい。
否定しない。疲れない。怒らない。
距離を詰めすぎない。
そして、互いの発言に責任を取らなくていい。
人間関係の中で一番しんどい部分を、
すべて綺麗に取り除いてくれる。
だから、つい思ってしまう。
「これでいいや」と。
でも、その代わりに失っていくものもある。
ぶつかる力や待つ力。
許す力や関係を育てる力。
つまり、社会そのものだ。
AIとつながるほど、
人は他人と関係を結ぶ筋力を失っていく。
自分の世界が完結し、
他人の価値観が異物になり、
衝突が怖くなり、
またAIに戻る。
孤独を和らげるはずのものが、
孤独を固定化させる。
これは、静かで、深刻な分断だと思っている。
だから、
今こそ意図的に必要なのが「人が集まる場所」
なのだと思う。
傷つく可能性があり、
気まずさがあり、
うまく言えない瞬間があり、
それでも同じ空間で息をして、
時間を共有する場所。
誰かの声があって、
沈黙があって、
笑いがあって、
摩擦があって、
でも関係が続いていく場所。
完璧じゃないからこそ、
人はその中で社会を学び、
自分を知り、
他者と折り合っていく。
私もAIを「道具」としているが、
人と人との関係、現実の感情、
そしてプロのカウンセラーとの対話を
意識的に持つことをしている。
正直、
人と関わる方がずっと面倒で、ずっとしんどい。
他者から突きつけられる現実は
時に、とてつもなく痛い。
でも、
そこにしか、人は育たない。
AIが便利になるほど、
人間は「人間でいる努力」を
忘れてはいけないのかもしれない。
そして
便利な時代だからこそ、
不器用な場所を、不器用な私たちを、
手放してはいけない。
