牛乳を買って #風まかせ文芸部
夕方のおふとんは朝よりも熱がこもる。それに耐えかね、むっくりとベッドからはい出す。いつの間にか近くの工事の音は止んでいて、外を急ぎ足で行くその音さえも心地よくにぎやかしい。水分不足による軽い頭の痛さと空腹が、かろうじて生きていることを知らせてくれる。
いまのわたしを充たしてくれそうなものは。ひとまず、テーブルの上のお煎餅をひとかじり。買いもの行く?行かない?やりくりすればさ、行かなくても。でもあとあと困るよねえ。それはそのときじゃない。けど気持ちが少しでもあるんなら行ってもいいでしょ。行かないでもいいでしょ。うだうだしちゃってるんなら行っちゃったほうがいいと思うよ。自分に軽く言い聞かせ、お財布だけを持って部屋を出る。でも牛乳、だけでいいよね。
牛乳を買うときは財布だけ。ポケットに入るから手ぶらということ。スーパーに着いて目的は牛乳だけなのに、ひと通り見てまわる。いちおう念のため。ふうん、なかなかの品ぞろえですこと、なんて思ってもないこと頭に浮かべながら。
牛乳を買って、それだけを手に持ってスーパーを出る、明日の朝のぶんがなくってさあ、ちょっと寝る前にねえ、来てみたの、みたいなふうを漂わせながら。
道ばたの草のあたりから、虫の声が流れてくる。やさしい夜風と相まって、夏の終わりを感じさせる。どの声がなんの虫かわかったらいいのになあ、毎年、思っていて調べないのはそのときだけのことにしてる証拠。名前がわからなくてもステキなことにかわりない、オーケストラだって、昔の歌謡曲だって。
冷えた牛乳が手に心地いい。
―だから牛乳買うときは手ぶらで行くようにしてんだあ
元彼のその習慣がいつの間にか自分のスタイルへと変わっている。アイツのために買っていた牛乳。そんなに好きじゃなかったけど、いまはないと困ってしまう。いまもわたしのなかにアイツが生きてるみたいで、それがわたしには、ひどく心地いい。
夏は終わるねえ。つぶやいてみても、その秋は駆けない。
