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AI時代の創作メモ|すごい文章より、弱い私。人を惹きつけるのは「誠実さ」だった(#創作論 #note #エッセイ #メンタル #マインドセット #生成AI #画像生成AI)

こんにちは。こんばんは。
普段はラノベを書いている「うら表紙」と申します。

以前私は、自分の肩書をひっさげて満を持してnoteに参入し、
ちっともうまくいかなかったことを書いたことがあります。

今思えば、当たり前のことなんですが、
noteには驚くほど強い肩書や実績を持った人たちがゴロゴロいます。

そんな人たちを前に、
肩書を盾にして勝負を挑んだところで
最初から敵うはずがありませんでした。

肩書というものは、上には上がいます。
評価の軸が「誰かと競えるもの」である限り、
その勝負に永遠に勝ち続けることはできません。

一方で、noteには、
自分の不器用さや、
日々の生きづらさを発信している方をたくさん見かけます。

それは「実績」や「肩書」を担保にして語られるビジネス論とは真逆のベクトルですが、
そうした等身大の言葉もまた、
非常によく読まれ、愛されていると感じます。

そう、ここでは「弱さ」が強力な武器になっているのです。

武器といっても、もちろん誰かを傷つけるためのものではありません。
noteにおける「弱さの開示」は、
時にどんな実績や肩書よりも人の心を打つ、
強力なコンテンツになります。

しかし、だからと言って
「手当たり次第に弱さを開示すればいい」
というわけでもないのが難しいところです。

なぜなら、
「弱さ」には
“愛される弱さ”と“損をする弱さ”がある
からです。

あなたの周囲にこんな人はいませんか?

なぜかいろんな人から愛され、自然と助けてもらえる弱い人と、
人がスッと離れていってしまう弱い人。

私はその違いを、
「誠実な弱さ」と「不誠実な弱さ」の差だと思っています。

不誠実な弱さとは、一言で言えば
「自分を卑下することで、他人をコントロールしようとする弱さ」です。

「どうせ私はバカだから」
「私なんて、いないほうがいいんでしょ」

そんなふうに、あらかじめ自分の心に予防線を張り、
「そんなことないよ」「あなたがいることにも意味があるよ」という
慰めや賞賛の言葉を、相手から強制的に引き出そうとする態度です。

心理学などで「試し行動」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
相手の愛情や関心、許容範囲を間接的に確かめようとする行動のことです。

直接聞くのが怖くて、相手の反応で自分の価値を測ろうとしてしまうんですよね。

たとえば恋愛で、
他の異性の存在をちらつかせてわざと嫉妬を煽ったり、
「今すぐ会いたい」と無理な要求をして相手を困らせたり。

これは「フラれて傷つくのが怖い」という自分の弱さを、
変なプライドで防衛しようとするから起きてしまいます。

そして、その「試し行動」で思うような結果が得られないと、
SNSで病み投稿をして「あなたのせいでこんなに苦しんでいる」と暗にアピールし、
相手に罪悪感を抱かせてコントロールしようとしたりします。

なぜ私がこんなに詳しいのかって?
それは、私が過去にそういうことをしてきたからです。

そしてこれは、恋愛だけでなくビジネスの場でもよく起こります。

上司から怒られる前に、過剰に反省したフリをして相手に何も言わせなくしてしまう人。
自分を被害者のポジションに置くことで、周りに不必要な罪悪感を抱かせる人。
「このプロジェクトから降ります」と言って、引き止められるのを待つ人。

これらは全部、「弱さ」を盾に使っています。
でも悲しいことに、
こういう弱さからは、
確実に人が離れていってしまうのですよね。

理由はシンプルで、その弱さが「不誠実」だから。
自分の保身を最優先にした弱さは、
結果的に自分が一番損をしてしまいます。

ただ、一つだけ過去の自分も含めて弁明をさせてください。
こうした振る舞いをしてしまう人には、切実な背景があります。

自己肯定感があまりに低いために、
必要以上に自分を守ろうとしてしまうのです。

その結果、プライドだけが過剰に膨らみ、
承認を求める気持ちが抑えきれなくなってしまう。
傷つくことを恐れるあまり、
無意識に相手をコントロールしようとしたり、
勝手に拗ねて距離を置いたりしてしまう。

気づけば人が離れ、
最後には自分自身がそのツケを払うことになる──
私自身が、身に沁みるほど経験してきたことです。

そして、この心の動きはnoteの発信でも
全く同じだという気がしています。

一方で、
なぜかいろんな人から愛され、助けられる弱い人もいます。

noteで自然と応援が集まったり、
「スキ」や温かいコメントがたくさん寄せられたりしている人。

そういう人は例外なく、「誠実な弱さ」を開示しています。

誠実な弱さとは
「自分の怖さ、悔しさ、不器用さをありのままに差し出す態度」のことです。

「本当は嫉妬してしまう自分がいる」
「一人では抱えきれないから、助けてほしい」
「こうしたかったけど、自分にはできなかった」

こういう言葉は、自分の不完全さを他人のせいにせず、
等身大の自分をただ静かに映し出しています。

自分の内面を晒すことには、当然リスクが伴います。

けれど、そのリスクを自分で引き受けて書かれた言葉だからこそ、
読む側の心に深く刺さり、本物の共感を呼び起こすのです。

そこには、他人をコントロールしようという下心も、
「自分を認めさせたい」という承認欲求もありません。

本来、自分の弱さを認めるということは、
とても怖くて、ものすごく勇気のいることです。

自分の未熟さや不都合な現実に目隠しをせず、
その責任を自分で引き受ける覚悟が必要になるからです。

でも、そういう人の周りには、自然と応援が集まり、
不思議と温かい手が差し伸べられます。

なぜなら、その「リスクを引き受けて書かれた言葉」は、
画面の向こうで読んでいる誰かにとっても、
「私も同じように怖がりながら生きていいんだ」という深い救いになり、
明日を踏み出す勇気に変わるからです。

これこそが、スペックや肩書の勝負から降りた先にある、
何よりも価値のある表現なのだと思います。

私自身、かつては不誠実な弱さで人をコントロールしようとしては、
自分で自分を余計に生きづらくさせていました。

でも、
その重い鎧を少しずつ脱ぎ捨てて、
かっこ悪い等身大の自分を出すようになってから、
驚くほど楽になりました。

肩書や実績を競う勝負には、決して終わりはありません。

けれど、あなたが勇気を出して差し出した「誠実な弱さ」は、
誰とも競う必要のない、あなただけの唯一無二の表現になります。

その「傷つく覚悟」を持って書かれた不器用な一行が、
ここnoteでは、あなた自身を形づくる愛すべき“人柄”になる

私はそう思っています。


あとがき:
私はいつも、我が家の姫猫様に「傷付く覚悟」をもって接しています。姫なんて言っていますが、彼女の本性は野生です。しかも野良猫あがりの、生粋のサバイバーです。ディズニープリンセスで例えるなら、かなり強めのポカホンタス。想像してみてください。言葉の通じないかなり強めのポカホンタスが家にいる生活を。薬を飲ませるのもひと苦労。ましてや爪切りともなれば、こちらは決死の覚悟です。当然、私は腕も手も傷だらけになります。……なのに、すべてが終わったあと、傷付いた顔で私を睨んでくるのは、なぜかポカホンタスの方なんですよね。いや、物理で傷ついているのは私なんですが……。当然ながら、彼女にはチュールを献上して機嫌を直してもらいます。


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