いまさら変えるのもなあ、なアイコンと名前のこと。
顔出しアイコン&ほぼ本名でnoteをやってることについて、ぼんやり考えていることをダラダラ書きたくなりました。好きにせえよ、と思いながら読んでくだされば嬉しいです。
・そもそも
このアカウントは対人支援の仕事の集客用として始めたので、必然、顔出し&ほぼ本名で登録した。エッセイの比率が高くなる前にアカ分けすればよかったなあ。初期の頃にフォローしてくださった方、全然気にしてないかもしれませんが申し訳ありません。
・ローマ字ってなんかなあ
ユーザーネームにセンスがある人に憧れる。
名前って大事じゃないですか。人格のコアというか。なんなら顔より大事なこともある。顔が花なら名前は根っこというか。
ちょっと前に、たまたま図書館で手に取った文芸誌『群像 2026年2月号』に「名付けの話。」という特集があって、そこに載っていた歌人の伊藤紺さんの名付けエピソードがたいへんよかった。
敬愛する吉本ばななさんを参考に、苗字そのまま、下の名前を何かしらの既存物にすることにした。(略)
ふと、色はどうだろうと思った。伊藤赤、伊藤青、(略)……伊藤紺!明るくないが、暗くもない。中性的で、かっこよくも、かわいくもある。美しすぎず、派手すぎず、地味すぎない。
めちゃくちゃよくないですか??
ひるがえって、自分。下の名前まんま。しかもローマ字にしたのは、かっこいい意図があったんじゃなくて実名をぼかしたかったから。ダサくてゾワゾワする。せめて漢字にすればいいのか。

・アイコンを変える理由がない
顔出しに踏み切るなら変える甲斐もありそうだけど、すでに顔出しなので変える理由がない。しいて言うなら、もう少しこう、実態に則したやつがいい。自分で言うのもアレだけど、なんかいい人っぽくてむず痒い。あとそろそろ年月が経ちすぎかもしれない。3年くらい?詐欺になりつつある。
ペン画似顔絵の方を見るといいなあって思うんだけど、そうするのもやはりいまさら感。
あとアイコンて色味の印象が結構強い。群青色とか青緑とか使ったアイコンにしたかった。
・顔出し&ほぼ本名だと、書きたいこと書けないときがある
たとえば💩トラブルの話とか。恥ずかしさが勝つ。でもそもそもあんまりおもしろく書ける自信ないな。ただただきったねー話になりそう。真面目なことしか書けないんだよなーちぇー。笑える文章書ける人ほんとうに尊敬してます。💩の話、すごく好きです。
あと毒。モヤモヤ、イライラ、ウジウジなどを吐きたいときがある。でも顔出し&ほぼ本名なので、迂闊には吐けない。でもこれは良いことかなと思っている。この状態でいかに納得のいく「毒吐き」ができるか格闘するのは、おもしろくはある。
たとえば先日アップしたタップダンスの話。
ありがたいことに「素敵」と言ってくださった方がたくさんいらして、とても嬉しかったです。ありがとうございます!
でも素敵に見える話のすぐ裏には、ヘドロみたいな感情やデカめの対人関係事故などがたくさんあった。ただ、それを書いても誰も幸せにならないしなと思って、詳細に書かなかった。しかしなんの障害もなかったことにしたらそれは嘘で、そういう改竄は私が許せん〜などの葛藤の末、ああなった。たいへんだったけど、納得のいくバランスをとるのは楽しかった。
恥ずかしい話やドロドロした気持ちを他人が読める状態にするには、ほんとうに高度な技術がいる。でも個人的に書きたいことってこういうネタが多いので、引き続き精進したい。そのとき顔出し&ほぼ本名はよい緊張感を与えてくれると思う。
・言うて誰も気にしない。自分以外は。
いろいろ考えてみるものの、いつも最終的には、別に変えようが変えまいが支障ないだろ、と思う。ちゃんとブランディングしてるなら慎重になるべきかもしれないけどしてないし。
フォロワーさんも気づくか否か、くらいの感じじゃないかなあ。私も気づくかわからないし、気づいても基本的に「お、変えたんだ〜」って思うくらいな気がする。でももしどんなご心境なのか語ってくださっていたら、すごく興味深く読むかもしれない。
noteのフォローはシンプルに、その人の作品に惹かれてしているので、アイコンや名前が変わっても離れる理由にはならない。読み逃されるかも、とかも気にする必要ないと思う。noteは必要な人には届くものな気がしているし、必要な人に届くように書かないと届かないものだと思っている。
結局、いちばん気にしてるのは自分自身。「この文章書いたのがこのアイコンのこの名前の人間ってなんかなー」という違和感が、更新のたび地味にわずらわしい。
でもアイコンも名前も、いま以上に実態に近づける以外にアイデアがない。そうする勇気はまだないんだよなあ〜情けない。別媒体ではもう名前も顔もさらしているので何をいまさらという気はするけど。あ〜エッセイ書くとき用の名前つけたかったなあ〜
