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なぜ若者の間で「アテンション・デトックス」が広まるのか。高まるAI依存の背景とは。

皆さん、こんばんは。蒼葉レイです。

普段は大学生の視点でお話するZ世代のSNS事情や、教育やメンタルの話を発信しています。

今日は若者の間で広まる「アテンション・デトックス」という言葉について考えてみようと思います。

SHIBUYA109 lab.が2026年のトレンド予測で掲げたキーワードで、SNSに向けている「注意(アテンション)」を意識的に手放していく動きを指す言葉です。

調査によれば、SNS利用時間を減らしたいと考えるZ世代は67%にのぼります。

実際にスマホから距離を置く行動を、7割以上がすでに実践しているといいます。

SNSをみていると、誰かの無責任な言葉や悪意で、誰かを誹謗中傷する言説が跋扈しています。

実社会では、「ハラスメント」が意識される時代とはなりましたが、SNS社会における「誹謗中傷」は問題視される傾向にあっても、改善されているとは言い難い現状にあります。

現代における「SNSハラスメント」は、「見なければよい」という問題でもありません。

SNSは、注意(アテンション)を引くために、敢えて過激な投稿や論争のあるコンテンツがおすすめされやすい仕組みになっています。

プラットフォームを運営する企業の多くが、その構造によって恩恵を受けているがゆえに、根本的な対策を十分に進めているとはいえません。

 そうした現状を前に、私自身、こんな感情を抱くようになりました。

この世界のどこかに「聖域」があってほしい、という思いです。

雑音のない、自分だけの時間。

誰かの悪意にも、過剰な刺激にも触れずに済む場所。

実際にそんな場所が社会にあるのかは分かりません。

それでも、そういう時間を求める気持ちが、あの疲弊の中でどんどん強くなっていきました。

 なぜ、今度はAIに時間を使うようになったのか

興味深いことは、多くの人がSNSから距離を置こうとしている一方で、生成AIに向ける時間はものすごい勢いで増えていることです。

ある大学の2026年8月の調査では、大学生の生成AI継続利用率が前年の57.7%から84.5%へと急上昇しました。

週1回以上使う学生は8割を超えています。

「AIが使えなくなると困る」と答えた学生も8割を超えました。

僕はこの数字を、ネガティブな依存としてだけ見るべきではないと思っています。

人はレポート作成や情報整理といった、答えのある単純作業に時間を奪われることに、もともと疲弊していました。

そこをAIが肩代わりしてくれることで、本来もっと時間をかけたかった「自分の頭で考える部分」に、時間と体力を再配分できるようになった。

これは、SNSに奪われていたアテンションを取り戻そうとする動きと、実は同じ方向を向いているのではないかと思うのです。

もちろんリスクもあります。

約半数の学生が「頼りすぎて思考力や文章力が落ちる」という葛藤を自覚しながら使っているというデータもあります。

AIに「丸投げ」してしまえば、思考力は確かに落ちます。

ただそれは、AIそのものの問題というより、使い方の設計の問題だと思います。

 歴史は繰り返すのか──19世紀の「神経衰弱」パニック

実は、この手の不安は今回が初めてではありません。

19世紀後半、電信と新聞というテクノロジーが世界を急速につなぎ始めた時代がありました。

欧米では「神経衰弱(ニューラスセニア)」という言葉が広く語られるようになりました。

電信によって遠くの出来事が瞬時に届き、新聞は日々大量の情報を人々に浴びせます。

当時の知識人たちは、この「情報の速度と量の急増」こそが、現代人特有の神経の疲弊を生み出していると本気で論じていたのです。

日本でも20世紀初頭、新聞というマスメディアの拡大とともに、神経衰弱についての言説が社会現象として大量に語られるようになった記録が残っています。

でも、歴史を少し先まで見てみると、面白いことが分かります。

電信も新聞も、結局は淘汰されることなく、人類が使いこなす方向へと進化していきました。

電信網は大英帝国の情報インフラとなり、世界を一つに結びつけるグローバル化の基盤になりました。

新聞は、教養主義を支えるメディアの一つとして、むしろ知的な文化を広げる装置にもなっていきました。

「新しい技術が人間を壊す」という不安言説は、その時代ごとに繰り返し語られてきました。

でも後から振り返れば、その技術を恐れて遠ざけた人よりも、早く使いこなす作法を身につけた人の方が、恩恵を大きく受けてきたのだと思います。

AIも、同じ構造の中にあるのではないでしょうか。

丸投げにすれば思考力は落ちる。

でも、自分の考えをまずぶつけてみて、AIに検証させたり、視点を広げてもらったりする「壁打ち相手」として使えばどうでしょうか。

むしろ自分一人では届かなかった解像度まで、思考を深めることができるはずです。

歴史が教えてくれるのは、新しい技術を恐れて距離を置くことではありません。

その技術と自分との関係を、自分の意志で設計し直すことの大切さなのだと思います。

注意をどこに向けるか、自分で決める

僕自身、SNSを完全にやめたかったわけではなく、自分の強みが活きる場所、自分の消耗が最小限で済む場所を、探し続けていたんだと思います。

AIとの付き合い方も、きっと同じです。

時間を奪われる相手としてではなく、自分の思考を広げてくれる相棒として位置づけられるかどうか。

それは、結局のところ自分の設計次第なのだと思います。

「聖域」は、どこか遠くにあるものではありません。

自分がどこにどれだけ注意を向けるかを選び直すことで、少しずつ作れるものなのかもしれません。

皆さんは今、自分の「アテンション」を、そして自分の「思考」を、どこに、どのように向けていますか。


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