なぜnoteには「noteで稼ぐ方法」ばかり増えるのか
noteを見ていると、「noteで読まれる方法」「スキを増やす方法」「フォロワーを増やす方法」「noteで稼ぐ方法」といった記事が、かなり目につく。
もちろん、その中には本当に参考になるものもある。実際に多くの記事を書き、試行錯誤した人が、その経験を方法論として整理することには意味があると思う。
ただ、それとは少し違うものも大量に存在している。
さまざまなテーマについて発信した結果としてハウツーを書くのではなく、最初から最後まで、noteについてのハウツーだけを書き続けるアカウント。noteで発信するためのnote、noteで稼ぐためのnote、noteで伸びるためのnote。
見ているうちに、少し不思議な感覚になる。
そもそも、何のためにnoteを書いているのだろう。
「noteのためのnote」が増殖していく
本来、マーケティングは何かを届けるための手段だと思う。
伝えたいことがある。商品がある。サービスがある。経験がある。考えたことがある。
その価値をより多くの人へ届けるために、タイトルを工夫したり、発信方法を考えたり、導線を設計したりする。
しかし、noteの一部ではその順番が逆転しているように見える。
「読まれる方法」を書く。その記事が読まれる。その実績を使って、また「読まれる方法」を書く。
「稼ぐ方法」を売る。その記事が数百円売れる。その経験を使って、今度は「有料noteの売り方」を書く。
マーケティングを実践し、そのマーケティングの結果を再びマーケティングの教材にする。
そこでは、マーケティングが何かを届けるための手段ではなく、マーケティングそのものがコンテンツになり、さらにそれをマーケティングするという自己増殖が起きる。
noteのためのnoteが、noteの中を回遊し続ける。
なぜ市場の自己修正が働きにくいのか
普通のビジネスであれば、市場がコモディティ化すると、それなりの痛みが生まれる。
競合が増えれば価格が下がる。差別化できなければ売れなくなる。利益が出なければ事業を続けられない。固定費もあれば、人件費もあり、投資も必要になる。
PLもBSもある。
だから企業は市場を分析する。
競合と何が違うのか。顧客は本当に必要としているのか。市場はすでに飽和していないか。このポジショニングで戦えるのか。
考えなければ、普通に事業が続かなくなる。
一方、noteでは事情がかなり違う。
記事を書くための参入コストはほとんどない。在庫もいらない。設備投資もいらない。撤退コストもない。
さらにAIを使えば、文章を作るための限界コストはもっと下がる。
100円でも300円でも売れれば、それは基本的にプラスになる。売れなくても、数十のスキや閲覧数がつけば、「一定の反応があった」と感じることができる。
つまり、
低い参入コスト、低い撤退コスト、ほとんど存在しない赤字リスク、そして小さな金銭的・非金銭的リターン。
この組み合わせでは、市場から退出させる圧力がほとんど生まれない。
通常の市場なら、「この商品はもう差別化できていない」というシグナルが利益低下として返ってくる。
しかしnoteでは、コモディティ化した内容でも一定のビューがつき、スキがつき、場合によっては数百円売れる。
すると、市場が供給者に方向転換を迫るよりも、
「このまま続けてもいい」という弱い肯定を返し続ける。
市場の自己修正が働きにくい。
マーケティングを語る市場ほど、マーケティングされていない
ここには少し皮肉がある。
noteには、マーケティングを語る記事が大量に存在する。
差別化、ターゲティング、ポジショニング、ペルソナ、SEO、導線設計。
しかし、その市場全体を少し引いて見ると、同じテーマ、同じタイトル、同じ構成、同じ成功談が大量に並んでいる。
本当に市場分析をしているなら、
「このテーマはすでに供給過多ではないか」
「自分の記事は他と何が違うのか」
「なぜ自分から買う必要があるのか」
という問いが出てくるはずだ。
ところが実際には、「これが伸びるらしい」という成功形式そのものがコピーされ、再生産されていく。
マーケティングを語る人たちが集まる市場で、最も基本的な市場分析が十分に行われていない。
これはなかなか面白い逆説だと思う。
スキは「評価」なのか、「流通」なのか
もう一つ気になるのが、note内の評価の意味である。
本来、スキは「この記事が面白かった」「共感した」という反応のはずだ。
しかし、マーケティング手法としてスキやフォローが利用されるようになると、その意味は少し変わる。
相手に存在を知ってもらうためにスキをする。交流するためにコメントする。フォロー返しを期待してフォローする。
もちろん、すべてがそうだとは思わない。
ただ、そうした行動が一定数存在すると、スキという数字の中には、
内容への評価と、回遊のための行為が混在する。
そうなると、よく回遊している記事と、内容の強度が高い記事を数字だけで区別することは難しくなる。
流動性が高いことと、価値が高いことは同じではない。
しかしUI上では、その二つが同じ「人気」のような顔をして現れる。
プラットフォームにとっては、それでいい
ただし、これはnoteというプラットフォーム側から見れば、必ずしも問題ではないのだと思う。
投稿される。
スキがつく。
コメントされる。
フォローされる。
有料記事が買われる。
そしてまた投稿される。
ユーザーが活動し、回遊し、場合によっては決済も発生するのであれば、プラットフォームとしては健全な状態にも見える。
内容がオリジナルかどうか。
その文章が社会に新しい価値を生み出しているかどうか。
それは必ずしもプラットフォームの最優先事項ではない。
だからこそ、プラットフォームにとっての「活性化」と、一人のユーザーにとっての「良い文章に出会える」という体験は一致しない。
私が感じている違和感は、そこにもある。
大量にコンテンツが動いているのに、読みたいものが増えている感覚がない。
むしろ、似た記事が大量に表示されることで、心理的なノイズが増えていく。
価値ではなく、指標が生産される
この構造が進むと、少し奇妙なことが起きる。
記事そのものよりも、
ビュー数
スキ数
フォロワー数
売上
といった指標が成果として前面に出る。
すると、本来は価値の結果だったはずの数字が、目的へ変わっていく。
何か面白いことを書いた結果としてスキがつくのではなく、スキを得るために記事を書く。
伝えたいことがあった結果としてフォロワーが増えるのではなく、フォロワーを増やすためにテーマを選ぶ。
そうなると、作られているのは価値ではなく、評価指標そのものになってしまう。
そして、その指標を作るためのハウツーが、また新しいコンテンツになる。
この循環には終わりがない。
AI時代には、さらに再生産しやすくなる
この構造は、生成AIとの相性も非常に良い。
既存の記事を大量に読み込ませれば、頻出するテーマ、タイトル、構成、言い回しを抽出することができる。
そこから、
「note初心者が最初にやるべきこと」
「100スキを得るためにやったこと」
「フォロワーを増やす5つの方法」
といった記事を、ほとんど無限に生成できる。
もし価値の中心が文章の形式だけにあるのであれば、誰が書いても同じになっていく。
だからAI時代になるほど、逆に重要になるのは、文章そのものよりも、
なぜその人がそれを書くのか。
という部分なのかもしれない。
その人が経験したこと。
考えてきたこと。
違和感を持ったこと。
長い時間をかけて蓄積した知識。
誰かと話したことで初めて生まれた考え。
そうしたものは、単純な再生産とは少し違う。
私は、noteを自己表現の場として使いたい
私は別に、マーケティングを否定したいわけではない。
読んでもらうためにタイトルを工夫することも、届け方を考えることも、収益化することも悪いとは思わない。
ただ、その前に何かがあってほしい。
何を考えたのか。
何を表現したいのか。
自分の経験から何を見つけたのか。
他の人とは何が違うのか。
その一次的な価値を作ったうえで、どう届けるかを考える。
自己表現があり、その後にマーケティングがある。
その順番であれば、結果としてマネタイズにつながっても自然だと思う。
逆に、売れる型を探し、同じ形式を再生産し、その反応をまた次の記事の実績にする。
その循環だけが続いていく状態には、どうしても空虚さを感じてしまう。
そして、おそらくこの文章も、その循環から完全に自由ではない。
この記事を読まずにスキを押す人もいるかもしれない。
批判そのものが、またnote内での回遊やエンゲージメントを生む燃料になる可能性もある。
それは少し皮肉だ。
ただ、それも含めて、今のnoteという市場の一つの姿なのだと思う。
少なくとも私は、数字を積み上げるためだけに文章を書くよりも、何かを考えた痕跡を残すために書いていたい。
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市場構造の話を読む前に、なぜHow toを追い続けてしまうのかという読者側の心理はこちら。
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数字を追う市場の中で、自分の記事への評価まで揺れてしまう感覚を考えた記事です。
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市場に退出圧力がないとき、企業や市場をどう律するのか。ガバナンスまで広げたい方はこちら。
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