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藪の中のLAメタル (2) ダイナソーミュージックの章:クワイエット・ライオット─火を消さなかった人たち ──『NÖTHIN’ BUT A GOOD TIME — THE UNCENSORED HISTORY OF THE ’80s HARD ROCK EXPLOSION』を読む

✳︎アイキャッチ画像出典:マクミラン社公式サイト

クワイエット・ライオットがいなければ、ヴァン・ヘイレンの時代は来なかった。いや、80年代のハードロックエクスプロージョンそのものが起きなかったかもしれない──この章を読んで、私は確信しました。
静かな悔しさのなかで火を守り続けた彼らの快進撃は、結果としてLAメタルの舞台を整えることになったのです。


🔷恐竜と呼ばれた音楽

1970年代末期になると、アメリカでもパンクやニューウェーブが台頭し、ハードロックは “ダイナソーミュージック”と揶揄されるようになりました。
次に引用するルディ・サーゾの証言は、当時の空気をそのまま感じることができます。

I saw Devo at their first show ever in L.A., at the Starwood. And I was blown away because they were so different. So outside the box, so original. And we were being told by all the local labels that Quiet Riot, basically what we were doing was dinosaur music. It was never going to come back.

RUDY SARZO (bassist,  Quiet Riot, Ozzy Osbourne / p.16) ペーパーバック版による

クワイエット・ライオットの牙城、スターウッドにもディーヴォというパンクバンドが入ってきた。これはもうスターウッドだ!ガザリズだ!とか言ってるレベルじゃないほど新しく異質な音楽だったでしょう。その新しい波に圧倒されそうになりながらも耐えた。

革新の波は激しく、レコード会社からは「その音はもう戻ってこない」と言われたのです。
まわりのハードロックバンドは次々と妥協していきました。けれどもクワイエット・ライオットは自分たちのスタイルを変えませんでした。
長髪のまま時代の逆風を正面から受け止めながら踏みとどまったのです。

クワイエット・ライオットはLAメタルムーブメントの前哨部隊だったのではないでしょうか。

🔷“ヘヴィ×キャッチー”の黄金比 ――クワイエット・ライオットが描いた青写真

クワイエット・ライオット は昔ながらのハードロックバンドだと思われがちです。
けれども実際の彼らは、ヘヴィなギターサウンドにポップなフックを掛け合わせるという方程式を確立していました。

以下に引用するのはジャーナリストのボブ・ナルバンディアンの証言です。この証言には、LAのラジオ局ではパンクバンドに混じってクワイエット・ライオットの「スリック・ブラック・キャデラック」 (=ぴかぴかの黒いキャデラック)を流していたという情景がありました。

But Quiet Riot, even though they had long hair and were kind of glammy-looking, they were also real poppy. They were one of those bands you heard on Rodney on  the ROQ[Bingenheimer’s show on L. A. radio station KROQ]next to, you know, the Adolescents or the Circle Jerks or whatever. Rodney would play “Slick Black Cadillac,” which was kind of a local hit back then. So that’s how I remember Quiet Riot. And then when Randy Rhoads joined Ozzy it was like, “Oh, that’s the dude from Quit Riot!”

BOB NALBANDIAN (journalist / p.17) ペーパーバック版による

そして注目したいのは、ナルバンディアンの指摘する “real poppy” というワードです。
「クワイエット・ライオットは長髪でグラムっぽい見た目をしていたけれども、とてもポップなバンドだった。」
ヘヴィさと歌えるメロディの幸福な両立──後続のLAメタルの象徴として広まっていくこの黄金比は、クワイエット・ライオットがすでに鳴らしていたのです。

初期クワイエット・ライオットの形成には、ランディ・ローズの存在が大きかったことは否定できません。
ただしここで強調しておきたいのは、このバンドの躍進を最終的に引き寄せた原動力はケヴィン・ダブロウの執念だったという点です。

🔷クワイエット・ライオットはどうして折れなかったのか ――ケヴィン・ダブロウという中心

ランディ・ローズの脱退と早すぎる死は、神話的な影をクワイエット・ライオットに落としました。
しかしこのバンドの成功そのものを運んだのは、何度倒れても立ち上がろうとしたヴォーカルのケヴィン・ダブロウでした。

  • レーベルに認められずアルバムも国内流通できない

  • 時代遅れと揶揄され続ける

  • メンバーの脱退と分裂

バンドが消えてしまってもおかしくない局面が何度もありました。
それでもケヴィンはクワイエット・ライオットという名前を捨てきれず、音楽性を捨てず、折れなかった。
『Metal Health』は、チャンスを与えられ続けた結果ではなく、執念の末にようやく訪れた1枚だったのだと思います。

ランディの兄ケル・ローズのこの言葉は、クワイエット・ライオットの物語をひとことで表現しています。

It took a while, but Kevin prevailed.

KELLE RHOADS (musician ; Randy Rhoads’ brother / p.19 )ペーパーバック版による

「時間はかかったけど──ケヴィンは勝ち取ったんだ。」



🔷タイムラインで見るクワイエット・ライオット

Wikipediaなどで調べた情報をもとに、下記に『Metal Health』がビルボード200で1位を獲得するまでの道のりを簡単にまとめてみました。

  • 1975〜
     ランディ・ローズを中心にクワイエット・ライオットが結成される。ケヴィン・ダブロウ加入。

  • 1978〜
     『静かなる暴動』、『暴動に明日はない』の2枚のアルバムを日本のCBSソニーからリリースするも米国内リリースに至らず不遇期。

  • 1980前後
     パンク、ニューウェーブが台頭。ハードロックは“ダイナソー”扱い。
     メンバー流動・解散状態へ。ランディ・ローズはオジー・オズボーンに加入。

  • 〜1982
     ケヴィン・ダブロウ中心にクワイエット・ライオット再起を模索。メンバー再編。

  • 1983
     『Metal Health』リリース → 全米アルバムチャートビルボード200で1位獲得。

こうして見ると、『Metal Health』は幸運でも偶然でもありません。
最も苦しい時代に火を守り続けた人たちが、最後にたどり着いた到達点だったのだとわかります。

私はこの本を読むまで、クワイエット・ライオットをそこまで重要なバンドだとは思っていませんでした。
しかしこの章を読み終えた今では、クワイエット・ライオットなしに LA メタル史を語ることは不可能だと感じています。

80年代ハードロックエクスプロージョンのその前に、誰よりも早く傷だらけになりながら踏ん張った“火を消さなかった人たち” ──その中心に立っていたのは、ケヴィン・ダブロウというひとりのシンガーでした。
彼の執念の価値は、後年どれほど人生が破綻しても揺らぐことはありません。

LAメタルは突然生まれたのではありません。
夜明け前の誰にも顧みられない場所で、火を守り続けたバンドがあった。
Quiet Riot(静かなる暴動)とは、その名前だったのです。

🎧 Quiet Riot – “Cum On Feel the Noize”

次回は“3. INTERVIEW : MICHAEL ANTHONY OF VAN HALEN”を読みます。もう少しお待ちください。

藪の中のLAメタル(1)ハリウッドの✖︎✖︎✖︎の巣窟の章はこちらです👉

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