再生エネルギーをめぐる 10年越しの雑感
2010年代前半の日本では、社会の既存需要がほぼ満たされ、製造業も概ね成熟して飽和状態に達していた。需要が頭打ちとなる中で、残された数少ないブルーオーシャンを求めて多くの企業がエネルギー・環境分野に進出し、多額の資金を投じる動きが加速していた。再生可能エネルギーの導入やレアメタルをめぐる資源確保の問題は社会的な関心を集め、国や大学・研究機関でもこの分野に関する研究が活発に進められていたように思う。
一方で、現在では破綻しつつあるムーアの法則も当時はまだ幅広い分野において技術革新の指標とされており、目指すべき開発スピードや技術水準、さらには国際競争力のビジョンを示す材料ともなっていた。これらの分野への注目の高まりは、新素材・代替材料の開発という技術課題に対応する形で半導体技術や材料設計技術の需要増を促し、さらには「計算科学」という一分野にも活気をもたらしていた。
余談だが、これらの分野で国際的に競争が激化していた当時、自分が片足を突っ込んでいた材料設計分野でもそれまでとは違った空気が漂っていたのを思い出すことがある。渋谷で開かれる月一の研究会に顔を出せば、決まって内輪で上がってくる話が「○○企業の◻︎◻︎さんところの誰々が韓国に行っちゃった」だとか「中国に行っちゃった」というものだった。さらには、一度韓国に転職した人がノウハウ的なところを引き出された末に国内に戻ってきたという生々しい話を聞いたかと思えば、一方では「韓国にいっちゃったあの人が、またうちの会社に戻りたいって言うんだヨ……」などという話まで飛び交うほどだったのだ。国境を越えた転職では漏洩リスクが一層深刻になることが予想され、当時の企業もこの問題には強い危機感を抱いていたように思う。
さて、この頃私が働いていた職場はどうだったかというと、例に漏れず猫も杓子も「再生可能エネルギー」と念仏のように唱えて予算獲得に勤しんでいた。当時の私もしっかりと念仏を唱え、今となっては珍しいタイプの太陽電池の開発に関わっていた。珍しいというか、多分今ではあまり一般に知られていない種類の太陽電池である。
”太陽電池”と一言で言っても種類は割と多く存在していて、当時は様々な太陽電池を対象に、発電効率が「上がった」「下がった」とよく社会的にも取り沙汰されていた。けれども、その裏で一つの疑問が頭を掠めていた現場担当者も、実は多かったのではないかと私は思ったりする。それは「たとえ発電効率が多少向上したとしても、もとの効率がこれほど低いのなら、現実的なエネルギー源として成立すると果たして本当に言えるのだろうか?」という疑問だ(私自身は感じたことがある)。
太陽電池は本来、種類によって環境適合性・効率性・経済性・安定性など長所と短所を持ち合わせるものだけど、当時は高くても軒並み20〜30%台、理論上も含めると高くて40%台くらいの発電効率に落ち着いていたと思う。それはつまり、私たちの“既存の生活水準を可能とするエネルギー源”として成立させるためには、非常に多くの数の太陽電池が必要になるということを意味していた。
その後も再生エネルギーに関連する別のデバイス開発に関わる機会があったのだけど、その際も必要設置数を試算すると「一体どれだけの土地をこれに費やしゃいいんだよ」という感じの数字になった記憶がある(何を計算したか忘れたが、東京ドーム〇面レベルだった気がする)。その時も、「非現実的であまりにも馬鹿げている」というのが社内の意見だった。それほどに、私たちの社会において現実的に"依存できる"エネルギー源として成立させるためには、デバイスそのものの効率やエネルギー密度が非常に重要になってくる。そして太陽電池の効率に関して言えば、資金を湯水のように注ぎ込んでいた10年前と現在を比較しても、状況が抜本的に変わったとは言い難いという悲しい現実があるのだ。
自然環境や景観への影響を伴う太陽電池の設置をめぐる昨今の国内状況を見ていると、かつて自分の脳裏をよぎったー「非現実的じゃん(爆)!」と皆で笑い転げていたーあの漫画のような風景がそっくりそのまま日本の現実となっていることに、苦々しい思いを抱かずにはいられない。この件は技術課題というより政治問題だと私は認識しているのだけど、政治はさておき、かつて環境負荷低減にささやかに取り組んだ一技術者として正直な感想を述べるなら、これほどの本末転倒は他にないと思う。
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