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私が「評価の場」を怖がりすぎていた、本当の理由


「いつか」という言葉で、挑戦を先延ばしにしていた日々

「まだ、その時じゃない」

そう自分に言い聞かせながら、私は10年以上もダンスを続けてきました。傍から見れば「熱心なダンサー」だったかもしれません。でも、心の奥底ではずっと、あることから逃げ続けていました。

それは、オーディションという「評価の場」です。

「もっと振付を覚えるのが早くなってから」
「もっと誰が見ても納得するような経歴ができてから」
「もっと、もっと……」

この「もっと」という言葉は、一見すると向上心のように聞こえます。
でも、当時の私にとっては、挑戦を先延ばしにするための、最高に都合の良い「隠れ蓑」でした。
準備が完璧に整う日なんて、一生来ないのに、気づかない振りをしていたのです。

私が勝手に作り上げていた、3つの「高いハードル」

オーディションは「ハードルが高いものである」という思い込みを支えていたのは以下の3つの壁でした。

  • スキルの壁: 完璧な振り覚えと、特別な「対策」があるという思い込み

  • 経歴の壁: 「報酬のある仕事」以外は書けないという、経歴欄への恐怖

  • 装備の壁: 数万円の写真とレオタード。挑戦を「コスト」で計算していた自分

スキルの壁
私は振り覚えが遅いとよく怒られていたので、もっと練習が必要だと信じていました。「オーディション=記憶力テストの場」と無意識のうちに信じていたことで、自分は土俵に上がれる立場ではないと思っていました。

経歴の壁
私は「専門学校卒ではない」、「代表的な舞台歴がない」、「報酬をもらったことがない」という状態でそれを負い目に感じていました。

この時の私は、経歴欄を「自分の価値を証明する証拠を書くもの」と捉えすぎてしまい、その価値がない自分は書類に書くことがないから応募しないという状況でした。

装備の壁
宣材写真を撮った経験がなく、「落ちた時にせっかく撮った写真代が無駄になる」という思考が強くありました。
この時、評価の本質とは無関係な「外装(写真など)」をハードルに据えることで、挑戦しないことへの「経済的・合理的な理由」を自分に与えていました。

居場所がなくなって、壁に向き合うとき

ある時、私が尊敬していた先生のレッスンが急遽クローズになってしまいました。
この出来事は、単なる場所の喪失ではなく、「準備中」というモラトリアム期間の喪失でもありました。

ただ、このピンチこそ、「次に進まざるを得ない」という、追い詰められたからこそ生まれた、諦めに似た覚悟を与えてくれるきっかけにもなりました。

オーディションに挑戦するきっかけが急に訪れたので、理想の装備(完璧な写真やレオタード)を揃える時間がなく、手持ちの武器だけで戦場に立つことになりました。
完璧な写真ではないし、経歴も十分ではないし、「どうせ書類で落とされるだろう」と 根拠のない確信を持って、半分は不合格を期待するような後ろ向きな気持ちで、最低限の体裁だけを整えたエントリーシートを送信しました。

ところが、返ってきた通知は私の予想を裏切る「通過」でした。
そして、重い足取りで向かった実技試験の会場。そこで私を待っていたのは、想像していた「峻烈な試験場」とは全く異なる、拍子抜けするほど見慣れた光景でした。

答え合わせ 審査員が本当に見ていたもの

会場の重い扉を開けた先にあったのは、私が10年間繰り返してきた「レッスンの風景」そのものでした。あんなに恐れていたオーディションの正体は、実はもっとシンプルな構造で成り立っていたのです。

服装の本質
「レオタード着用」という指定の裏にある真の目的は、「骨格と筋肉の動きを正確に把握すること」でした。体のラインが見えるタイトな練習着であれば、審査員にとって必要な「情報」はすべて揃います。実際は、レオタードが目的ではなく、体のラインという「情報」が欲しかっただけだったのです。

写真・経歴の本質
書類を出してみてわかったのは、華やかな舞台歴より、どんな環境で踊ってきたかという「継続の事実」を書けば十分だということでした。

審査員が経歴欄で確認したいのは「有名かどうか」ではなく、「この人は現場で通用する規律と基礎を、どこで、どれくらいの期間積み上げてきたか」という継続の事実だったと思われます。実績は「信頼の担保」でしかありませんでした。

写真も、必要なのは、過度なレタッチが施された「奇跡の一枚」ではなく、「本人と実物の乖離がない、照明の整ったクリアな近影」でした。機材が整っていれば、それが立派な写真館である必要すらなかったのです。

現場の解像度
実際の会場に行ってみてわかったのは、「厳格なテスト」ではなく、ただの「少し緊張感のあるレッスン」でした。
この気づきは、振付を覚える速さが全てだという恐怖の解消してくれました。
審査員は「マシンのような記憶力」を試しているのではなく、「新しい情報をどう受け取り、どう自分の体に落とし込むか」というプロセスを観察しているに過ぎなかったのです。

私たちは、勝手に「不合格」を自分に突きつけているかもしれない

オーディションを通じて、私はある一つの事実に打ちのめされました。それは、評価される前に、自分による「書類選考」で落ちていたということです。

準備が足りない、経歴がない、写真が完璧じゃない。そうやってエントリーボタンを押す前に、自分自身の頭の中で何度も「不合格」を出していました。

今回、完璧な装備(レオタードや高価な写真)を揃えられなかったからこそ、「自分の思い込み」に気づくことができました。

また、私自身、評価されることに恐怖を感じていたと気づきました。
評価の場だと思っていたものは、単なる「情報のマッチング」であり、日常の延長線上にある対話に過ぎず、自分を大きく見せる必要も、卑下する必要もありませんでした。

もしあなたが今、何かの「準備」を理由に足を止めているのなら、あなたに不合格を突きつけているのは、本当に「相手」でしょうか。

案外、世界はあなたが思うよりもずっと、不完全なままのあなたを待っているのかもしれません。


このnoteでは、オーディションや進路の中で私が迷いながら言語化してきた思考や判断の軸を継続して書いています。

もし、「選択に自信が持てない」「評価の場が怖くて逃げてしまう」と感じることがある方は、フォローして読んでいただけたら嬉しいです。

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