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「はじめてのnote」で躓いた僕たちへ

「はじめてのnote」は、スキ5だった

noteをはじめたとき、1本目に何を書くかは、けっこう考えた。

考えたわりに、出したのはポケカ投資の検証記事だった。有料noteを何本か買って、5弾ぶん自分で追いかけて、結局いつ買っていつ売れば良かったのかを数字で並べた、長いやつである。

自分ではよく書けたと思っていた。折角なのでリンクも貼っておこうと思う。ポケカにご興味のある方やお金がお好きな方には、是非お読みいただきたい。

結果はスキ0である。

そのときは、こんなものかと思った。はじめてだし、知り合いもいない。読まれないのがふつうだろう、と。

そのふつうが、ふつうではなかった。

隣を見たら、みんな500だった

しばらくして、「はじめてのnote」というカテゴリーらしきものがあることを知った。

自己紹介がずらりと並んでいる。そのなかに、スキが500とか700とか付いているものがあった。

いちばん上は1,937だった。

タイトルは「はじめてのnote 自己紹介」である。ひねりもなにもない。

私は0だった。

同じ言葉を題に置いて、片方は1,937で、片方は0である。

このとき、はじめて「あ、これは何かを間違えたな」と思った。

noteには、はじめてのnoteご祝儀相場がある。そして自分は、そのご祝儀を貰い損ねた。そう思って地団太を踏んだ。

しかし、地団太を踏んでいるだけでは、スキは増えない。地団太を踏みつつ、そっと記事に「#はじめてのnote」とハッシュタグを付けた。

どのくらい貰い損ねたのか

行動経済学に、損失回避という言葉がある。ダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーが1979年に発表した「プロスペクト理論」(Econometrica 47巻2号)で示されたもので、同じ大きさなら、得をした喜びより、損をした痛みのほうが大きいという話である。のちの研究では、その差は2倍強と見積もられている(トベルスキー&カーネマン、1992年)。

ここで効いてくるのは、どこを基準に置くかだ。

「はじめてのnoteにはご祝儀がある」と知ってしまった時点で、私の基準は「ご祝儀をもらった自分」のほうに移っていた。そうなると、もらえなかったことは、何も起きなかったのではなく、引かれたことになる。

だから私は、取り損ねた「はじめてのnote」のご祝儀がどのくらいだったのか、そればかりを考えるようになっていた。

そこで数えることにした。

noteの検索から、「はじめてのnote」を含む記事を新着順に1,000件、人気順に925件。合わせて2,000件近く。スキの数はそのまま取れる。

先に断っておくと、ここで出てくる数字はすべてスキである。読まれた証拠でも、買われた証拠でもない。それと新着のほうは公開して0日から3日のものなので、これから増える。全部、下限の数字として読んでほしい。

数えた結果はこうだった。

「はじめのnote」のスキの数

ふつうの「はじめてのnote」は、スキ10である。

新着1,000件の中央値が10。スキが1つも付かなかった記事は、たった1.1%しかない。5つ以上なら80%が届いている。

つまり「はじめてのnote」と名乗ると、ふつうに二桁のスキが付く。noteには、はじめた人を拾いあげる仕組みが、ちゃんとある。

ここで気づいたことがある。スキ0が1.1%しかないというのは、タグが付いている1,000件のなかの話である。タグを付けていなかった私の1本目は、この1,000件の外にいた。

0だったのは当然だった。私は、数えられてすらいなかった。

そして、そっと後から付けた「#はじめてのnote」は、その甲斐あってかスキを5まで連れてきてくれた。素直に嬉しかった。

そのうえで、自分の位置を見てみることにした。

スキ5。下から20%。

1,937と比べるまでもなかった。私は真ん中にも届いていなかった。

これは、なかなかこたえた。

こたえたけれど、同時に少し楽にもなった。1,937は遠すぎて手がかりにならないが、10なら手が届く距離である。落ち込む相手を間違えていたことが分かったからだ。

先達の教えは、タグのページに書いてあった

そもそも、なぜ1本目は誰にも届かなかったのか。

答えは、探すまでもないところにあった。

「#はじめてのnote」のタグのページに、note公式がこう書いている。

「最初に記事を公開するときは、『#はじめてのnote』をつけてみませんか。自己紹介や日記、好きなアーティストや作品のことなど、書きやすいテーマを選んでみましょう。」

書きやすいテーマを、選んでみましょう。

私が出したのは、有料noteを買って5弾ぶん追いかけた投資の検証記事である。

正反対だった。

しかも私は、このページを一度も見ずに1本目を出し、後からタグを付けたときですら読んでいない。タグの名前だけ持って帰った。

ここで、白状しないといけないことがある。

その1本目のなかで、私は『徒然草』を引いている。仁和寺の法師の話だ。石清水八幡宮にお参りに行った坊主が、案内人を立てなかったせいで、麓の付属のお社だけ拝んで、肝心の本殿を拝まずに満足して帰ってくる。

先達はあらまほしきかな。

案内人はいたほうがいいですね、という結びである。それを引用した記事が、案内人の書いた一行を読まずに出されていた。

法師は山の上を拝まずに帰った。私はタグのページの一行を読まずに海へ出た。

同じことをやっている。しかも引用しながらやっている。我ながら絶望した。

眩しかった人の7割は、同期ではなかった

もうひとつ、勘違いしていたことがある。

人気順の上位60本について、それが本当にその人の1本目なのかを確かめた。noteは記事の一覧を古いほうまでたどれるので、いちばん古い記事とその記事が同じかどうかを見れば分かる。

結果はこうだった。

60本のうち、本当に1本目だったのは18本。残り42本は、1本目ではなかった。

7割が、すでにnoteを使っている人である。

なかには、フォロワーが15,000人を超えていて、記事を1,000本以上書いている人もいた。その人だけで、上位60本に5本入っていた。「はじめてのnote」を毎週のお題として使っているのだ。

これは悪いことではない。noteのお題はそういうものだし、上手い人の記事は読まれて当然である。

ただ、はじめて記事を出した日にそれを見て、「同じ日にはじめた人がこんなに凄い」と落ち込むのは、事実として間違っている。

私は間違っていた。眩しかった人の7割は、同期ではなかった。

スキ491で、フォロワー46人

ここからが、数えていていちばん驚いたところである。

「1本目だ」と確認できた18人について、その人のいまのフォロワー数を並べてみた。

スキが伸びた人のフォロワー数

まず、伸びた側から。

スキ659の人は、記事を1本しか書いていないのに、フォロワーが1,155人いる。スキ584の人も、1本だけで550人。

これが、私がずっと想像していた「スタートダッシュ」である。実在した。

ところが、同じ表にこういう人もいる。

スキ491で、フォロワーは46人。

スキ471で、53人。スキ502で、63人。

スキは1.4倍しか違わないのに、フォロワーは25倍違う。

ざっくり分けると、スキ580より上の8人はフォロワーの中央値が約690人。スキ550より下の9人は、約74人だった。

同じ「500スキの初投稿」を書いても、フォロワーが1,000人を超える人と、50人で止まる人がいる。

18人しか調べていないので、法則だと言い張るつもりはない。それと、noteはフォロワーが増えた日付を公開していないので、「その記事のおかげで増えた」ということ自体、外からは証明できない。ここは相関として読んでほしい。

それでも、これだけは言えると思う。

スキとフォロワーは、別のものである。

スキは記事に付く。フォロワーは人に付く

数えたあとで、上位の記事のタイトルを眺めなおした。

「はじめてのnote 自己紹介」「はじめまして、◯◯です」「自己紹介|子どもが独立して夫と二人になった日」。

内容の話ではない。構えの話である。

彼らが書いていたのは記事ではなく、名乗りだった。

そう考えると、スキとフォロワーが別物なのも腑に落ちる。

スキは、記事に付く。 面白かった、役に立った、という反応である。読んだその場で終わってもいい。

フォロワーは、人に付く。 この人が次に何を書くか読みたい、という反応である。だから記事の出来だけでは決まらない。

私のポケカ記事は、たぶん記事としては悪くなかった。数字も自分で数えた。でもあれを読んでも、書いたやつが誰なのかは分からない。

次に何を書く人なのか、分からない。フォローする理由がない。

スキ5でフォロワー0は、そういう意味で、正しい結果だった。

ちなみにいま、私のnoteのフォロワーは11人である。記事は5本ある。

正直に言うと、この記事も混んだ棚に並んでいる

ここで、もう一つ白状しておくことがある。

前回の記事で、私はこう書いた。**「混んでいる棚に、混んでいるテーマで並ばない」**と。値段もテーマも他人と同じにするのは勝ち目がない、という話である。

今回、人気順を数えていて気づいた。

「伸びる『はじめてのnote』を分析して分かるnoteの闇」。スキ870。
「はじめてのnoteを書いて大きく変わりだした話」。688。
「スキが400超え|はじめてのnoteの書き方には法則があった?」。652。
「はじめてのnoteが伸びない」。578。

最後のやつ、ほぼ同じ題である。

前回「混んだ棚に並ぶな」と書いた本人が、その舌の根も乾かないうちに、混んだ棚へ自分から並びにいっている。ツルハシ売り場の話をしたばかりで、もうツルハシを持っている。

言い訳を2つだけさせてほしい。

ひとつ。先に並んでいる4本は、どれも伸びた側から書かれている。私は躓いた側で、しかも自分の数字を出せる。スキ5、下から20%、フォロワー11人。この立ち位置だけは、うまくいった人には書けない。

ふたつ。4本ともスキの話をしていて、フォロワーの話をしていない。スキ491でフォロワー46人、という数字はどこにも出てこなかった。ここだけは、数えた甲斐があったと思っている。

じゃあ、どうすればいいか

1本目を出してしまって、思ったより静かだったあなたへ。あるいは、これからはじめてのnoteを書こうとしているあなたへ。4つある。

ひとつめ。1本目を消さない。

消しても順位は戻らないし、書き直しても公開日は動かない。むしろ、あとで「ここで何を間違えたか」を書くときに、現物が要る。この記事も、消していなかったから書けている。

ふたつめ。落ち込む相手を選びなおす。

1,937と比べない。ふつうは10である。5だったなら、足りなかったのは5であって、1,932ではない。

みっつめ。眩しい人が同期かどうか、確かめる。

上位の7割は、はじめての人ではなかった。その人のいちばん古い記事を見にいけば、5秒で分かる。確かめずに落ち込むのは、いちばんもったいない。

よっつめ。スキではなく、人を出す。

これが本題である。1本目を書き直す必要はない。足せばいい。

自己紹介を1本、いま書く。何をやっている人で、なぜそれを書くのか、次に何を書くつもりなのか。それだけでいい。

スキが増えるかどうかは分からない。ただ、フォロワーが付くのは記事ではなく人のほうだというのが、18人を数えて出てきた答えである。だとすれば、人が見えていない状態でスキを追いかけても、たぶん回収できない。

スタートダッシュを決められなかった、というのは、スキを取り損ねたという意味だった。

でも、取り損ねたのがスキなら、失ったものは思っているより小さい。スキ500でフォロワー46人の人が、実際にいる。


先達はあらまほしきかな、と私は1本目に書いた。

書いておきながら、先達の一行を読まずに海へ出た。それで、ずいぶん静かなところに着いた。

ただ、仁和寺の法師と違うところがひとつだけある。

法師は、拝み忘れたことに気づかないまま帰ってきた。

こっちは、気づいた。

数えたから気づいた。ずいぶん遠回りをしたけれど、遠回りした話は、少なくとも書ける。

同じところで静かにしている人がいたら、まず自分の数字を出してみてください。ふつうは10です。それが分かるだけで、だいぶ息がしやすくなります。

そして最後にもう一つ。「#はじめてのnote」というタグは、それなりに力を持っている。

私の0は、後から付けただけで5になった。中央値が10で、スキ0が1.1%しかない棚である。はじめた人を見にくる人が、実際にそれなりの数いるということだ。理由までは数えていないので分からない。初心者を品定めしにくる古参がいるのか、単に新しいものが好きな人が多いのか、そこは分からない。ただ、カテゴリーがちゃんと用意されているということは、noteははじめた人にそれなりに優しいのだろう。

だから私は、そっともう一度、この記事にも「#はじめてのnote」を付けておくつもりだ。はじめてのnoteについて書いた記事なのだから、許してほしい。

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