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第3章AUR7RA 第26話 Aサイド(ライズ視点)タイトル恋風さらり、とりあえず息を戻す

部屋に戻ると、空気清浄機の音だけがしていた。

無音みたいに静かな音。

それが、逆に安心した。

私の頭の中の方が、ずっとうるさい。

机の上には、さっきまで開いていたノート。

韻のページ。

優しいやつ。
尖ったやつ。
何も言えないまま残ったやつ。

昨日まで近くにあった言葉が、
今日だけで急に遠くへ置かれたみたいだった。

「……ライズ」

ミナが、私の背中に向かって言った。

声が低いわけじゃない。

でも、音が丸い。

耳が疲れない。

私は返事を探す前に、息だけ吐いた。

声にはならなかった。

短い空気だけが出た。

ミナは、それ以上言葉を足さない。

余計な言葉で押してこない。

でも、見逃しもしない。

机の端に置いたスマホを手に取る。

画面の光が、少し目に刺さった。

一度だけ目を細めて、指を動かす。

「……スイのやつ、聴く?」

私が言うと、ミナは一拍だけ置いて頷いた。

「うん。今、それがいい」

イヤホンを二股にして、片耳ずつ。

私が右。
ミナが左。


近い。

でも、近すぎない。

再生を押す。

最初に来たのは、音の“白さ”だった。

冷たいんじゃない。

さらっとしてるのに、芯がある白。

冬じゃなくて、春の終わりの白。

少し乾いた空気と、
夕方だけ残るやわらかさ。

そんな白。

「恋風さらり」。

スイの声は、誰かを殴らない。

でも、甘やかしもしない。

“大丈夫”って言うんじゃなくて、
大丈夫を置ける場所を、そっと作る。

私の中の尖っていたところが、
ほんの少し丸くなる。

ほどけるのが悔しい。

でも、少し気持ちいい。

それがまた、悔しい。

隣で、ミナの指が小さく動いた。

膝の上。

トントン、じゃない。

もっと静かな、
拍の数え方。


「……リズム取ってる?」

ミナは、少しだけ笑った。

「癖。落ち着くから」

癖。

その言葉だけ、やけに残った。

ミナは拍を取る。

私はズボンを握る。

形は違うのに、
同じところに触ってる気がした。

ズボンを握る代わりに、
拍を握ってるみたいだった。

曲がサビに入る少し前。

スイの声が、
ほんの少しだけ“濡れる”瞬間があった。

泣きそうな濡れじゃない。

情景が濡れる。

夜になる手前の風が、
肌にしっとり触れるみたいな濡れ。

その瞬間、
胸の奥が勝手に動いた。

——フロウ。

来い。

来いよ。

心の中でだけ言う。

でも、出てこない。

今日も、まだ出てこない。

出てこないと分かった瞬間、
焦りだけが先に戻ってきた。

焦ると、また崩れる。

分かってる。

分かってるのに、
焦る。

私はノートを開いた。

優しい韻。
尖った韻。
途中で止まった言葉。

目は追ってるのに、
頭には入ってこない。

代わりに浮かんだのは、
さっきスマホで見た文字だった。

未完成のまま(Draft 0)。

“ありがとう”と“頑張ろね”を、
言葉にしないで置いたやつ。

私とミナ宛の、
何も言わないメッセージ。

なのに今日。

シアの笑い声を思い出すだけで、
それまで急に“恥ずかしい”ものに見えてくる。

——女の子。

また刺さる。

あの言葉だけ、
私の中の柔らかいところを知ってるみたいだった。

そこを狙って言われたように感じてしまう。

本当にそうだったかなんて、分からない。

でも今の私には、
そう聞こえてしまう。

それも嫌だった。

私はノートを閉じた。

ぱたん。

小さな音なのに、
やけに大きく聞こえた。

しばらくして、
ミナが曲を聴いたまま言った。

「……この曲、呼吸が整うね」

私は「うん」と言う代わりに、
一度だけ目を閉じた。

——目を瞑るな。

さっきの言葉が、一瞬だけ戻ってくる。

でも。

今は違う。

逃げるためじゃない。

ここに戻るために、閉じる。

そう思って、
もう一度だけゆっくり息を吐いた。

ミナは何も言わなかった。

曲が終わる少し前。

私は、口の中だけで小さくリズムを刻んだ。

声にはしない。

ボイパもしない。

まだ、外には出さない。

喉の奥だけで、
拍を作る。

ひとつ。

もうひとつ。

——戻れ。

スイの声。

ミナの静かな呼吸。

私の中の、小さい拍。

三つが重なる。

すぐに何かが戻ったわけじゃない。

韻も出ない。

フロウも、まだ来ない。

それでも。

胸の奥だけが、
少しずつ“今日”に戻ってくる。

曲が終わった。

無音が来る。

でも、
さっきまでの無音とは違った。

怖くない無音。

何もないんじゃない。

次の音が入れる場所が、
ちゃんと残ってる。

私は下を見る。

いつの間にか、
またズボンを握っていた。

指に少し力が入っている。

それを見て、
ひとつずつ、ほどいた。

親指。

人差し指。

中指。

布から離れていく。

全部なくなったわけじゃない。

今だって、
握ろうと思えば握れる。

でも。

今は、握らない。

手のひらを膝の上に置く。

しばらく、そのままにした。

それから、やっと言った。

「……もう一回、聴こう」

ミナが頷く。

「うん。今は、それでいい」

私はもう一度、
再生を押した。

同じイントロが流れ始める。

さっきと同じ曲。

でも、
聴いている私は少しだけ違う。


——まだ未完成。

それでいい、とはまだ思えない。

でも。

未完成を守れるくらいの呼吸は、
ほんの少しだけ戻ってきた。

(つづく)


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第25話「DRAFT 0と、崩れはじめる呼吸」



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