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京都国立近代美術館「コレクション展 生誕130年 甲斐庄楠音」展(2024-2025)

閲覧ありがとうございます。日本絵画一愛好家です。

昨年2024年12月6日から本年2025年3月9日まで、京都国立近代美術館(The National Museum of Modern Art, Kyoto, MoMAK)において、2024年度第4回コレクション展のテーマのひとつとして「生誕130年 甲斐庄楠音」が開催されていたそうです。

なんで「されていたそうです」と伝聞形式になっているかといいますと、弊方、本コレクション展「生誕130年 甲斐庄楠音」の開催について全く把握しておらず、終了してから、しかも比較的最近になって知ることになるという大失態を演じてしまったためです。

というとで、MoMAK のウェブサイトに、2024年度第4回コレクション展のページがアーカイブとして残されておりましたので、僭越ながらリンクを張らせて頂きます。

こちらのページにあります通り、2024年度第4回コレクション展では、テーマBとして「生誕130年 甲斐庄楠音」が含まれており、展示替えも含めて合計23作品が展示されていたそうです。

あぁぁぁ・・・、わてアホですわぁ~、なにボケとんねん~、ダメやねん~、あかんねん~、チッチキチー(by 大木こだま師匠)

こだま師匠の大流行りしたギャグをリスペクトさせて頂いたら、ひびき師匠のギャグもリスペクトさせて頂かんとあきませんですね。鼻のあたまを親指と人差し指で交互に弾きながら「ぷんぷんぷん」という例のアレです。あれ?! ご存知ない?! たいへん申し訳ございません。

それはともかく、お伺いできなかった展覧会/企画展の記事を何故に投稿させて頂くのかといいますと、本展「生誕130年 甲斐庄楠音」展を弊方が後から存じ上げることになった理由が、弊方個人的に非常に印象深い出来事であったためです。

本年初夏頃のことなのですが、たまたまとある事情で、初対面でお互いよく知らない方と二人で結構な時間待機するという特殊な状況に陥りました。

相手の方とは簡単な自己紹介をしただけで、お互いのことはほとんど分かりませんでしたので、お互いに非常に微妙で気まずいような状況でした。

最初は時候のあいさつから始まり、何とか共通の話題を捻り出そうと四苦八苦したのですが見つかりませんでした。見るからに相手の方もそんな感じでした。

近年は雑談の話題であってもいろいろ配慮せざるをえませんので、無難なところで関西万博関係になったのですが、双方とも万博にお伺いしておらず、メディア等で知り得た情報を断片的に口にする程度でしたので、すぐに会話が途切れてしまいました。

こういう状況でプライベートな話題をどこまで出してよいものやら、それでも何とか弊方から話題を持ち出してみようかと思っておりましたところ、先に、相手の方からプライベート的な話題が提示されました。

相手の方は関西在住ではないのですが、本年2025年の初春頃に、ちょっとした小旅行という感じでご夫婦で京都に来られて、京都市左京区岡崎公園の京都市京セラ美術館と MoMAK をハシゴされたそうです。

相手の方ご夫婦ともどもアートを好まれているとのことで、ちょうどその頃 MoMAK では「生誕120年 人間国宝 黒田辰秋 木と漆と螺鈿の旅」が開催されていたそうで、ご夫婦でそちらを拝覧された後、MoMAK のコレクション展を拝覧されたそうです。

このときのコレクション展の中に、くだんの「生誕130年 甲斐庄楠音」が含まれていたそうですが、相手の方ご夫婦、絵画関係は洋画や現代アート系が好みで日本画関係は興味がなく、楠音先生のことは全く存じ上げなかったそうです。

このような先入観? のない状況で、いきなりあのステキにインパクトの強烈な甲斐庄楠音先生の作品群を拝見されたそうですが、ところが、といってよいのかわかりませんが、相手の方ご夫婦お二人とも楠音先生にたいへん興味を持たれたそうでした。

そして弊方、当然この話題にめちゃくちゃ驚いてしまいました。先ほどの通り「生誕130年 甲斐庄楠音」展のことは全く存じ上げなかったからです。

それゆえにヲタクの弊方、この話題にがっつり喰いついて、相手の方にいろいろお伺いさせて頂きました。

本展「生誕130年 甲斐庄楠音」は写真撮影可能であったそう、相手の方から、スマートフォン略するとなぜかスマホで撮影された展示作品の写真を見せて頂いてお話しを伺うことになり、おかげで双方ガードが緩んで会話が弾みました。

相手の方は、甲斐庄楠音先生のことに興味を持たれてインターネットでいろいろ調べられたそうです。

インターネットで得られる情報は微妙なので、「紙の本」の入手を検討されたそうですが、2023年に MoMAK と東京ステーションギャラリーに巡回した「甲斐荘楠音の全貌-絵画、演劇、映画を越境する個性」図録は売り切れだったそうです。

そこで気になったのが、現在でも入手可能な、求龍堂2009年刊、島田康寛先生監修の『甲斐庄楠音画集 ロマンチック・エロチスト』だったそうですが、結構いい感じのお値段ですので、相手の方は躊躇されていたそうです。

本記事、これといった写真がありませんので、見出し画像と被りますが、僭越ながら、弊方所持の『甲斐庄楠音画集 ロマンチック・エロチスト』を、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。

弊方としては『甲斐庄楠音画集 ロマンチック・エロチスト』は値段に見合っていると思いましたので、おススメしようと思ったところ、引き続いて相手の方から予想外のお言葉が出てきました。

相手の方、実は何と有機化学系を専門とする「化け屋」さんだそうで、かつては研究開発に携わっておられたそうなのです。

そして、「甲斐庄(荘)」という珍しい苗字から「高砂香料の創業者の甲斐荘楠香(かいのしょう・ただか)」を思い浮かべてしまい、調べてみると楠音の実兄だったことがわかった、という旨でした。

そうですわ!!! 東京証券取引所プライム市場の上場企業である高砂香料工業株式会社の創業者であり、日本の合成香料界の黎明期に活躍された「化学者」かつ「実業家」でいらっしゃった偉大な御方・甲斐荘楠香先生は、日本画家・甲斐庄楠音先生の実兄でいらっしゃるんですわ!!!

弊方も、へにょへにょではあるものの自称「化け屋」であることを相手の方に申し上げまして、ワテも知ってまんねん! 『甲斐庄楠音画集 ロマンチック・エロチスト』によれば楠音先生と楠香先生て仲がよかったらしいでっせ! みたいに調子に乗っていろいろお応えさせて頂き、さらに会話が弾みました。

高砂香料工業株式会社さまのウェブサイトには「創業者 甲斐荘楠香物語」というステキにして素晴らしいページがありましたので、僭越ながらリンクを張らせて頂きます。

こちらのページに紹介されておりますように、甲斐荘楠香先生は、京都でお生れになって、京都府立一中、第三高等学校を経て、京都帝国大学に入学されて有機化学を専攻され、さらに欧州に留学され、石鹸会社勤務を経て、高砂香料工業を起業されたそうです。

しかも、甲斐荘楠香先生が、これまでの研究開発の過程でしたためたノート、書簡などは、公益社団法人 日本化学会による「化学遺産」に認定されているそうです。

僭越ながら、公益社団法人 日本化学会ウェブサイトの「第13回化学遺産認定 第060号『日本の合成香料工業創世期の資料』」のページにリンクを張らせて頂きます。

ちなみに東京ステーションギャラリー開催の「甲斐荘楠音の全貌」展には、高砂香料工業株式会社さまも協賛されていたそうで、ニュースリリースのアーカイブが残っておりました。僭越ながらリンクを張らせて頂きます。

さて、弊方、改めて『甲斐庄楠音画集 ロマンチック・エロチスト』を確認すると、甲斐庄楠音先生も、実兄・楠香先生と同様に京都府立一中に進まれたそうですが、体調も含めて諸事情により退学されて、今の京都市立芸術大学の前身の学校に編入されたそうです。この点は「甲斐荘楠音の全貌」展図録末尾の「年譜」にも掲載されておりました。写真が少ないですので、弊方による全貌展図録の雑な写真を掲載させて頂きます。

この点に関して、『甲斐庄楠音画集 ロマンチック・エロチスト』に掲載される論文のうち、監修者でいらして MoMAK の学芸課長などを歴任された島田康寛先生の論文「甲斐庄楠音 大正期に噴き出したもう一つの日本美」から、僭越ながら下記の通り引用させて頂きます。

そんな父[引用者註・楠音の実父]が歿したのは明治40年(1907)10月のことで、楠音少年はすでに銅駝高等小学校を終え、春から京都古地京都第一中学校の一年生となっていた。しかし、同校は、一中(第一中学校)、三高(第三高等学校)、京大(京都帝国大学)へと進むエリート・コースの最初の段階であったから勉強は厳しく、生来喘息を抱えている病弱の楠音には体力的についていけず、一年終了後、知人を通じて、席が空いていた、一中の隣の京都市立美術工芸学校図案科に編入することになる。このことは楠音にとっては当然屈辱的な事件であったが、元来絵が好きであったから画家になること自体は嫌ではなく、この時から楠音の新しい人生が始まったといえるだろう。

『甲斐庄楠音画集 ロマンチック・エロチスト』第260ページ第20-28行

ちなみに「甲斐荘楠音の全貌」展図録の「年譜」にも記載がありますが、「甲斐荘家」は、もともと京都ではなく、江戸時代は4000石の江戸詰めの旗本家で、主な知行地は大阪府河内長野市だったそうです。

この点については、「南河内に何がある? いいとこ発見、南河内」というステキなウェブサイト中のページ「烏帽子形城城主の子孫はある上場企業の創業者だった・・・~河内長野市 アクセス 駐車場~」に、詳細でわかりやすい解説がありました。僭越ながらリンクを張らせて頂きます。

戦前の名門の「士族」のお家柄であれば、大学卒のエリートになることはステイタスであったように思われます。実際、実兄の楠香先生は先ほどの通り京都帝国大学卒業のエリートでいらしたわけです。そうするとエリートの道から外れてしまった楠音先生の挫折感は大きかったのではないか、と弊方も妄想しております。

ところで、相手の方がたいそう興味を示しておられたのが、かの有名な「穢い絵事件」でした。インターネットでは大した情報が得られないようで、『甲斐庄楠音画集 ロマンチック・エロチスト』にはこの点詳しく解説があるのか疑問だったようです。

『甲斐庄楠音画集 ロマンチック・エロチスト』には、岡山県笠岡市の笠岡市立竹喬美術館の元学芸員・館長でいらした、上薗四郎先生の論文が収録されており、こちらで詳しく解説されていたと記憶しておりましたので、その旨お応えしました。

ちなみに、甲斐庄楠音先生の最初の大規模な展覧会を開催されたのが、MoMAK と笠岡市立竹喬美術館だったそうです。弊方、竹喬美術館展の図録を、プレミアがついておりましたが古書で入手しました。上端が折れておりますがチラシ(フライヤー)も附属しておりました。僭越ながら弊方による雑な写真を掲載させて頂きます。

改めて上薗四郎先生の論文「自己陶酔のかなたに求めたもの 甲斐庄楠音の魅力」を確認すると、弊方の記憶通り詳細な解説がありました(同書第274ページ第35行-第277ページ第39行)。

こちらについては、ぜひ論文をお読み頂ければと思います。ちなみに「甲斐荘楠音の全貌」展図録には「穢い絵事件」に関しては、「年譜」の簡単な記載や、梶岡秀一先生の論文「肌香を聞く 甲斐荘楠音スケッチ群の楽しみ」に「麦僊が本当に「穢い絵」といったのかについては欠席裁判にならないように公平にみるべきであるが」(同図録第234ページ下段第6-7行)という簡単な記載がある程度で詳細な解説はありませんでした。

ちなみに、MoMAK 開催の「甲斐荘楠音の全貌」展に合わせて、2023年3月4日から4月1日まで、我らが偉大なる星野画廊さまにおいて「甲斐荘楠音の素顔 その知られざる素描世界の魅力」展が開催されており、弊方拝覧して雑な記事を投稿させて頂きました。この中で弊方「穢い絵事件」についてヲタトークいたしております。僭越ながらリンクを張らせて頂きます。

ちなみにこちらの素描展で展示されていた作品は星野画廊さま所蔵だそうで、これら「官能的」にして「刺激的?」な素描作品は、求龍堂刊のもうひとつの画集『甲斐荘楠音 知られざる名作-官能と素描』(2023年)に掲載されております。僭越ながら弊方による雑な写真を掲載させて頂きます。

相手の方には、この『甲斐荘楠音 知られざる名作-官能と素描』もおススメさせて頂きました。ただし、弊方が note でヲタトークを炸裂させていることについては一切申し上げておりません。

さらにちなみにですが、土田麦僊先生に「穢い絵」といわれたとされる作品「女と風船」は、実兄の楠香先生が買い上げたそうなのですが、関東大震災で焼失したと楠音先生がおっしゃっているそうです(『甲斐庄楠音画集 ロマンチック・エロチスト』第244ページ)。

それでも、知られざる「横櫛」が発見されて MoMAK の所蔵となったように(『甲斐庄楠音画集 ロマンチック・エロチスト』第268ページ参照)、知られざる「女と風船」が発見されるかもしれないと、弊方勝手に妄想しております。

それはともかく相手の方は、土田麦僊先生にあまりよい印象を持っておられないようでした。しかしながら、麦僊先生は、優れた画人であるだけでなく、多くの方々から信頼を置かれたらしい方ですので、弊方の記憶の範囲内でいろいろ申し上げさせて頂きました。

例えば、戦前から戦後にかけて日本画界で活躍された福田豊四郎先生は、師である土田麦僊先生を強く敬愛されていたそうです。福田豊四郎先生に関しては、京都府立堂本印象美術館で昨年2024年開催の「生誕120年記念 モダニスト福田豊四郎、秋田を描く」について、弊方雑な記事を投稿いたしておりますので、僭越ながらリンクを張らせて頂きます。

また、「品格のある女性画」で著名な北澤映月先生に関しても、弊方の記憶の範囲内で申し上げさせて頂きました。

より確実な情報としては、同じく堂本印象美術館にて2013年に開催された特別企画展「女性が描いた昭和のエレガンス-梶原緋佐子・広田多津・三谷十糸子・北沢映月」図録から、僭越ながら次の通り引用させて頂きます。

幼いころに父を亡くしたため、小学校を卒業した彼女は、自活のため画家になることを決め、上村松園の門下に入った。当時すでに高い実力で画壇に名を成していた松園のもとには、令嬢たちがお稽古事として絵を習いに集まっていたという。こうした華やかな場は、画家として生きていこうとする映月にとっては、方向性が異なったため、松園の紹介によって土田麦僊に師事した。

京都府立堂本印象美術館「女性が描いた昭和のエレガンス」図録第36ページ第26-31行

上村松園先生は、愛弟子であった北澤映月先生を託されるほど、麦僊先生をたいへん信頼されていたように弊方考えております。

ちなみに、平塚市美術館では、本年2025年10月11日から11月30日まで「没後35周年 北澤映月展」が開催されるそうです。僭越ながら平塚市美術館ウェブサイトにリンクを張らせて頂きます。ぜひお伺いしたのですが、神奈川県平塚市は関西からは遠いですわ。 

さて、相手の方によれば、本展「生誕130年 甲斐庄楠音」では、楠音先生が作品前で「女装」されてポーズを取られた参考写真も併せて掲示されていたそうです。

相手の方は、この楠音先生の「女装」にも興味を持たれたそうでした。しかしながら、弊方としては、甲斐庄楠音先生の「女装」に関して明確な記憶がなく、「役者」的な「扮装」の写真を拝見した記憶が残る程度でした。

改めて『甲斐庄楠音画集 ロマンチック・エロチスト』を弊方確認いたしました。先ほどの上薗四郎先生の論文「自己陶酔のかなたに求めたもの 甲斐庄楠音の魅力」に詳細な解説がありました(同書第272ページ第5行-第274ページ第26行)

弊方により雑に要約させていただくと、甲斐庄楠音先生は、たいへん芝居好きでいらして、さらに描きたい場面を自分自身も扮装して演じられ、それを写真撮影して作品制作に活用されることが多かったそうです。

そもそも、京都画壇の日本画家の先生方は芝居好きの方が多かったそうで、芝居を拝見されるだけでなく、扮装されて演ずることも多かったようです。

上薗四郎先生の論文「自己陶酔のかなたに求めたもの 甲斐庄楠音の魅力」の中には、あの竹内栖鳳先生が「太夫の姿」で女装された写真も掲載されておりました! うわぉ!! 弊方ぜんぜん気ぃついておりませんでしたわ!!!

ちなみに愛知県美術館では来る2025年7月4日から8月17日まで「近代日本画のトップランナー 竹内栖鳳」展が開催されます。僭越ながら、愛知県美術館ウェブサイトの同展紹介ページにリンクを張らせて頂きます。

ここで、京都画壇の画人の先生方の「扮装」は、基本的には「遊び」の範疇のようで、甲斐庄楠音先生のように、自身の扮装を作品制作に直接的に反映させることはなかったようです。上薗四郎先生の論文「自己陶酔のかなたに求めたもの 甲斐庄楠音の魅力」から、僭越ながら下記の通り引用させて頂きます。

 楠音の写真資料の中には、ちょうどこの大正4年に制作に着手したとされる《虹のかけ橋(七妍)》の屏風の前で襦袢姿の楠音が雛人形と遊ぶ姿など、ナルシスト楠音の20歳頃の女性がたびたび登場する。そして、本格的な女形となり絵専の友人を男役として芝居の一場面を演じる写真も含まれている。

『甲斐庄楠音画集 ロマンチック・エロチスト』第272ページ第27-29行

 このように楠音は、女形として美工や絵専の仲間と本格的に芝居を演じ、また友人にも女形の姿を演じさせ、さらには荒廃を半裸の若集像のモデルに仕立てることもあったが、最終的には自らの姿を理想化した女性像、つまり演じられた自画像として作品を完成していったのである。

『甲斐庄楠音画集 ロマンチック・エロチスト』第273ページ第43-46行

要すると、甲斐庄楠音先生は「女装」していたというより「芝居の役柄に扮装」されていたという感じであり、女性を画題とすることが多かったために「女装」趣味に見えるくらいの感じでしょうか。

「甲斐荘楠音の全貌」展図録に収録の太田梨紗子先生の論文「甲斐荘楠音の絵画と衣装について あらゆるさかいをまぎらわす」には、「女装姿の己を描いた画家として、日本美術史においては森村泰昌の先駆的存在であるといえよう。」とのご指摘がありましたが(同展図録第246ページ下段第1-2行)、弊方、言い得て妙だと思いました。

このような感じで『甲斐庄楠音画集 ロマンチック・エロチスト』を相手の方に「布教」させて頂いて、やっぱり電子書籍より「紙ベース」の方がよいですよねぇ、などとお互い共感しつつ、その流れで、株式会社化学同人発行の月刊「化学」の休刊についても話題になり、化学ネタがひとしきり出たところで、ちょうど時間となりまして、お互い分かれることになりました。

ちなみに月刊「化学」の休刊については、弊方たいがい愚痴らせて頂きましたので、僭越ながらリンクを張らせて頂きます。

初対面の方と会話が続いてよかったのですが、弊方個人的には『甲斐庄楠音画集 ロマンチック・エロチスト』の「布教」もできたっぽいと思いましたが、改めて冷静に考えると、なんで本展「生誕130年 甲斐庄楠音」の開催を見落としてしもうたんやぁぁぁ・・・という悔恨の念を強くしてしまった次第です。

これまで以上に MoMAK のコレクション展を注意してチェックしたいと反省しております。

あいかわらず長々となりましたが、最後まで閲覧頂きありがとうございました。

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