#09|寄り添うだけなら誰でもできる
※この記事の続きになります。
#08でも書いたように、私は寄り添い型の支援でここまでやってきた。
相手の話を聞く。
否定しない。
本人の気持ちを尊重する。
それが大切だと思っていた。
でも、このスタイルを続けてきて、気づいたことがある。
寄り添うだけなら、誰でもできる。
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「測定不能の血糖値」
近隣の方から、
「なんか体調が悪そうなんです」
と相談があった。
訪問すると、顔色の悪い本人が座っていた。
「具合が悪いんですか?」
そう聞くと、
「具合悪いってもんじゃないよ。死にそうだよ」
とのこと。
話を聞くと、痩せるのが嫌で糖尿病の薬を2週間以上、薬を飲んでいなかった。
まずはその場で薬を飲んでもらい、自己測定をしてもらった。
すると、
「測定不能」
と表示された。
測定不能?!
正直、焦った。
「測定不能」と表示される際の血糖値は600mg/dL以上。
これはもう、すぐに病院へ行ったほうがいい。
「救急車を呼ぶからね」
そう伝えると、
「それだけは勘弁して」
と言われた。
「まだやらなきゃいけない手続きがあるの。それを終わらせてからじゃないと……」
そんなことを言っている場合ではない。
いつ倒れてもおかしくない。
手続きを終わらせたとしても、その途中で倒れてしまったら元も子もない。
そう伝えた。
でも、本人の気持ちは変わらなかった。
「今日だけは病院には行けない」
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本人の気持ちを尊重する
30分以上話し合った。
それでも、救急車を呼ぶことには同意してもらえなかった。
薬を飲んでから1時間以上経ち、少し体調が落ち着いてきたようだった。
「明日、また来てほしい」
本人からそう言われた。
「もし明日、血糖値が下がっていなかったら、病院に行くって約束してもらえますか?」
そう聞くと、それだけはなんとか約束してくれた。
私はそのまま事務所に戻った。
でも、頭の中にはずっと、
「測定不能」
という文字が浮かんでいた。
本当に、帰ってきてよかったのか。
判断に悩んだ私は、先輩保健師に相談した。
そう。
この先輩こそ、#08で書いた「正論型支援」の先輩だ。
先輩は言った。
「そんな人、一晩放っておけるわけないでしょ」
そして、一緒にもう一度訪問してくれることになった。
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正論パンチ
先輩は、本人にはっきり伝えた。
「いつ倒れてもおかしくないよ」
「夜寝て、そのまま起きずに死んでる可能性だってあるよ」
いつもの正論パンチだった。
私は横で聞いていた。
やっぱり、はっきり言うんだな。
そう思った。
でも、その後だった。
先輩が本人にこう言った。
「明日も来てって〇〇くんに言ったみたいだけど」
「明日来て、あなたが倒れてた時の〇〇くんの気持ち、考えてみなよ」
「なんであの時、救急車を呼べなかったんだろう……って、ずっと後悔するんだよ?」
「〇〇くんのためにも、病院行ってあげてよ」
本人は、黙って聞いていた。
そして、その言葉が本人には響いたようだった。
その後、本人は救急車を呼ぶことに同意した。
そのまま入院となった。
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寄り添うだけでは足りない
私の説得では、本人は動かなかった。
でも、先輩の説得には応じた。
何が違ったんだろう。
私は、相手に寄り添うことばかりを考えていた。
本人が嫌だと言うなら、無理に進めない。
本人がそうしたいなら、できるだけその気持ちを尊重する。
それが支援だと思っていた。
でも、悪く言えば、
相手の言う通りにしているだけだったのかもしれない。
何か起きたとしても、
「本人の気持ちを尊重した結果だから仕方ない」
そうやって、自分を守ろうとしていたのかもしれない。
これなら、なんのための保健師なんだろう。
寄り添うだけなら、誰でもできる。
そんなことを思った経験だった。
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寄り添い型と正論型
今回の経験で、私が目指したい支援の形が少し見えた気がする。
ここまで話してきた「寄り添い型」と「正論型」
どちらが正しい、という話ではない。
どちらも必要なんだ。
相手の気持ちに寄り添いながら、必要なときには嫌われることを恐れず、はっきりと伝える。
そんな保健師が私の理想なんだと思う。
