当時のクリエイターと振り返る「ファンタジーゾーン」40周年記念企画! 前編
今回は、1986年に登場したアーケード版『ファンタジーゾーン』40周年記念ということで、本作のディレクターだった石井洋児氏、デザイナー・近藤正樹氏、そしてサウンドのHiro師匠という本作に携わった3名のクリエイターに当時のエピソードを振り返ってもらう企画を実施。さらに編集部&読者の方々、そして『ファンタジーゾーン』を愛してやまない有限会社エムツーの久保田和樹氏にもご参加いただき、『ファンタジーゾーン』についての多くの謎や質問について答えていただいた。
アーケード版『ファンタジーゾーン』を中心とした関連記事として、Beep21では以下の2本の記事、それに加えて当時の『セガサターンマガジン』にSEGA AGESの発売を記念した当時の記事に今回のお三方+プログラマーの片木秀一氏と本作のメインメンバーによる貴重な回顧録が収録されているので、本稿ではこれらの記事を前提とした内容になる。ぜひ参考にしていただきたい。



なお、本稿は40周年を記念してのオーラルヒストリーであり、当時の模様を振り返る内容ではありますが、2026年時点でのセガの公式見解ではないことはあらかじめご了承ください。
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今回の記事を読んだ感想や、「ファンタジーゾーン」への思い出などを以下のようにXで投稿してくれた方には、開発者のサイン入りCD「ファンタジーゾーン ウルトラスーパービッグマキシムグレートストロング・コンプリートアルバム」とあわせて、「Mega Drive Mini 2 - Multiverse Sound World」 「SEGA Archives - M2 Music Memorial -」を3点セットでプレゼントします!

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『ファンタジーゾーン』開発前夜
今回、Beep21では初登場となるデザイナーの近藤氏の入社時の状況からお話を伺った。御三方の入社から『ファンタジーゾーン』に至るまでのお話がメインとなる。

近藤 私は1985年入社で、入った時は石井さんがいらっしゃった企画セクションがあって、当時はソフト1課、2課、3課がありました。私はソフト1課で吉井さんが課長でした。
ソフト1課には、デザイナーとプログラマーが在籍していましたが、ソフト2課と3課のどっちかがアーケードで、どっちかが家庭用だったと思います。家庭用は確か青木さんか金成さんが課長さんだったかなと。
Hiro 当時、サウンドはハードの下についてましたね。

近藤 サウンドもどこかにあったんですけど、あまり記憶がない。筐体とハードはまた別組織で。
石井 メカは別だし、メカデザインは生産技術部だったから。

Hiro そうですね。
近藤 というような時期で、入社した当時はソフト1課の中にデザインチームみたいなのがあって、3人先輩方がいて、それにそれぞれ2〜3人ぐらい下について、そこに入りました。
当時は家庭用では1人でふたつプロジェクトを持って(担当して)いたり、アーケードは2、3人で(1タイトルを)やっていたんです。私は最初社内で“マーク2”と呼ばれていたSG-1000IIで2、3本やったけど、全部ポシャって。
あと、アーケードでは『チョップリフター』(1985年10月)とかをちょっと手伝ったぐらいで。同期で入った人たちは、わりとどんどん仕事を進めていましたね。例えば『スペースハリアー』(1985年12月)とか。
でも、自分が入ったプロジェクトはちょっと中止になったりとかが多くて……。そうしたら『グラディウス』キラーを目指した(※)横スクロールシューティングをやるよ、ということで、プランナーさんからお声がけをいただいて。
石井 誰が声をかけたの?
近藤 水本さん。ソフト(ゲームの内容)はよく覚えてないんですけども、水本さんと私で一生懸命スペースシューティングみたいなもののビジュアルを書いていました。その時は今の『ファンタジーゾーン』とは全く別で、本当にスペースシューティングのようなもので。水本さんがプランナーで私とふたりでビジュアルを一生懸命描いていて。でもそれがあまりうまくいかなくて、水本さんが抜けて石井さんが入って、そこからが本当に『ファンタジーゾーン』のスタートみたいな感じです。
Hiro ゲームの元があったということですか?
近藤 そうです。システム16のシューティングで。

石井 まるでグラディウスのようなスペースシューティングを作っていたよね。僕は傍で見て“これではダメだ”といっていて。当時のトップだった安田部長が“メンバーを全部一新する”って。企画も“石井やれ”と言われて(プロジェクトに)入って、若手の近藤くんを抜擢というか、デザインチームに入れて。水本君がやっていたときもソフト(プログラマー)に片木は入っていた?
近藤 そのときは……?
石井 石川さんだよ。ベテランの人。
近藤 私はそのまま引き続き(担当)でした。その当時は私はデジタイザーは使っていなくて、紙に一生懸命絵を描いていました。
石井 (スペースシューティングは)近藤が4月入社で3か月ぐらいやってたんだろ? そのあと8月から私たちが入ったからね。
近藤 思い出した。私の最初の仕事はトラックボールで遊ぶ野球ゲームでした。

久保田 『メジャーリーグ』(1986年1月)じゃないですか? システム16の第1弾ですね。

近藤 そのボールのグラフィックが私の初仕事でした。それが世に出た初めての仕事で。そこからSG-1000II(タイトル)をやって、しっかりプロジェクトに入って取り組んだのがスペースシューティング~『ファンタジーゾーン』でした。
──『ファンタジーゾーン』はシステム16の第2弾ですが、最初からこの基板でやろうという話だったんですか?
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