『Beep21』佐々木建仁インタビュー 『セガハードヒストリア』コンプリート版
1995年2月にアーケードで登場し、2025年に30周年を迎えた「セガラリー・チャンピオンシップ」。ナムコで「リッジレーサー(1993年)」を手がけ、セガに移籍し「セガラリー」を生み出した経緯とその後について、『セガハードヒストリア』で掲載されたインタビューのコンプリート版でお届けする。
『Beep21』で開始予定の佐々木建仁氏の回顧録新連載コラム「佐々木建仁のゲェム放浪記」の前段としてご覧ください。

◆「2025年間購読版」でご覧いただくと、お得に1年分の記事を読み返すことができます。ぜひこちらからご覧ください!
※本記事はこちらからもお楽しみいただけます(※上記の「2025年間購読版」は購入後もずっと記事を保存できますのでおすすめです)。

最先端CGゲームの到来前夜
──まずは佐々木さんの学生時代をお伺いしたいのですが、この頃はどのような感じで過ごされていましたか?
佐々木 私は結構、変則的な経験を経てまして。学生時代は趣味でパソコンを使った3DCG作成や同人ゲーム開発なんかをしていたんですけど、社会人になってからはゲームとは全然関係のない業種で結構長いこと働いていました。最初は学校の先生というか専門学校の助手からスタートして、そこから家電メーカーさんとか、建設会社さんとか転々とした後にCG制作会社に入って、しばらくCGを作っていたんです。それが1980年代末くらいから1990年代に入ったばかりの頃ですかね。
──最初は結構ゲームと関係ないところから入られていたんですね。
佐々木 それでまだバブル絶頂期みたいな頃に、私が勤めていた会社が東京湾でクルーザーを借りていろいろな業界の方を招待して船上パーティーをやったんです。
──当時はそういうの、結構流行ってましたよね。
佐々木 ですよね(笑)。それでその時にセガの方も何名かゲストにお呼びしていて。
──その時にセガとの接点が?
佐々木 そうです。そこでセガの人に会って話が盛り上がって「じゃあ、うちに売り込みに来ない?」っていうお話をいただいて。社交辞令だったのかもしれませんが、デモ映像を持参してすぐに訪問したんです。
大鳥居(※当時のセガ本社)で、当時開発本部長だった鈴木久司さんに「セガの仕事、やりたいです!」っていう話をしたら、「じゃ、やりなよ」みたいな感じに言ってもらいました。
それで初めてセガで関わらせてもらったのが大型体感シミュレータのAS-1なんです。
AS-1は実験用の映像データ作成からはじまり、ロケテスト用のコンテンツ開発、最終的には唯一販売されたタイトルの開発まで担当させてもらいました。
この当時は長時間のCG映像をつくるノウハウはまだまだ途上だった時代だったので大変苦労しましたが、のびのびと自由にやらせていただいたおかげで本当に楽しい仕事でした。
ここから先は

『Beep21』2025年間購読版
伝説のゲーム誌『Beep』が2021年に21世紀仕様になって4年目に突入! 『Beep21』は他では読めない独自取材記事と当時の関係者によ…
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?
