真説・セガハード─第2回 セガハード開発前夜─
当時のセガハード開発者が一堂に会し、複数の関係者の証言を超ロングインタビューによって、後世にできるだけ正確に遺していく企画として始まった「真説・セガハード」。
第1回はゲームギア35周年を記念して、セガのハード開発における技術レベルを多岐にわたり引き上げることになったゲームギア開発秘話を関係者の生の声でお届けしました。
今回はセガ家庭用ハード事業の立ち上げ時期からキーマンとして活躍していた水永雅敏氏がメディア初登場! セガが家庭用ゲーム機事業を立ち上げた経緯と立ち上げメンバーが集まってきた当時の様子が明かされます。
永久保存版の連載は、ぜひ最後までご覧ください。
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集まってきたセガ家庭用ゲーム機立ち上げメンバーたち
セガの家庭用ゲーム機の歴史を語る人として、そこには常に佐藤秀樹氏がいました。
SC-3000とSG-1000。これらのハードがセガから生み出された際にいた人として、水永雅敏氏の存在は、とても大きなものがありました。今回は水永氏をはじめ、当時の関係者たちの話やセガハード立ち上げ前後の頃を振り返り、セガが家庭用ゲーム機事業を立ち上げた経緯と足跡を辿っていきます。
水永さんのセガ入社経緯と当時のセガの開発部門の様子

佐藤 私の記憶だと、水永くんは元はセガのゲームセンターのサービスマンで、サービスマンなんだけど技術がわかるということで開発のほうに来た、っていうのを覚えてるんだけど。なんでそもそもセガに入ったんだっけ?

水永 私は大阪だったんですが、高専に行っていたんですね。その高専で一番最初に74シリーズICを用いて、電卓を作ったんですけど、まだこの頃は74シリーズが出始めた頃で、学校でトランジスタ回路を教えているレベルだったので、74シリーズのICの授業はなかった。
そのため、有志の集まりでIC回路を用いた計算機を作ろうという発想から始めました。だからIC回路は結構詳しくはなっていたんですね。それで夏にアルバイトでプールの監視員やってたんですけど、そのプールのロビーにゲーム機をセガが入れたんです。それがそもそもセガとの接点で。
──プールにセガのゲーム? プールにセガがゲーム機を入れていたというのは珍しい感じがしますが。
水永 そこはプールが2階にあって、1階のロビーにセガのゲーム機、フリッパーのマシーンとかが、だーっと30台から40台くらいかな、置いてあったの。
──30台から40台というと、結構な台数が入ってたんですね。
水永 今でいうゲーセン並みに入ってました。だけど、これがまあ、よく故障するんだわ(苦笑)。それで故障するたびに(セガの担当者に)電話をかけて、あーだこーだとやっていたら、向こうもいい加減嫌になってきて、「(ゲーム機の)カギを渡すから、お前がメンテナンスしてくれ」って話になって(笑)。
──プールの監視員がセガのゲーム機のメンテナンスを(笑)。
水永 じゃあって、(ゲーム機の)台を開けて、メンテナンスをやってたら、だいたい中身もわかるんで、これはここだな、これはこうだなって、セガに電話をかけて「この部品を持ってきて」「あの部品を持ってきて」ってやってたら、いつの間にか、自分で全部ガチャガチャと部品を取り替えたりして直すまでになっていたんです。
──「セガ」という会社の名前は、この時から水永さんはもう認識をしていたんですか?
水永 してない、してない(笑)。ただ、これはなんか面白いことやってるなとか、メンテナンスをしながら思ってて。(ゲーム機というのは)こんな動かし方をしてるんだ、とかいうのがわかって、「へぇ、面白いことやってる会社だな」とは思ってましたね。それで、プールの監視員のバイトやって、何年か経った頃に、もうぼちぼち就職活動をしないとならないな、という時期になって、何社か面接に行ったんですけど、工場ばっかりでね。工場はなんかつまんねーな、なんて思ってたところに、セガの担当者がそこの責任者みたいになってて「うち(セガ)に来るか?」って話してきたんですよ。それで「じゃあ行くわ」ってなって。
──最初はセガのどこの部署に?
水永 最初は、大阪の豊中にある大阪支店に入社することになったんですけど、何か知らないけど、そこの大阪支店へ行く前に、東京に行けって話になって。支店採用じゃなくて、急に本社採用になったんです。
──それで東京のセガ本社に?
水永 まあ、どこに行ってもやることは同じだろうということで、最初にやっていたのは、サービスマンですね。ゲームセンターを回ったりして、補修作業をやってて。入社して1年も経たないうちに、あそこへ行け、ここへ行け、向こうへ行けという感じで、出張だらけになって、中にはブロック崩しのゲームだったかな、ICボードの改良をさせられたりもしてましたね。
佐藤 水永君は何年生まれなの?
水永 1951年ですね。
佐藤 そうなんだ。私(※佐藤さんは1950年生まれ。セガ入社は1971年)と1年しか違わなかったんだ。
水永 ちょうどこの頃に「幹部候補生制度」っていうのができて、募集制度で幹部候補生になるか?って言われて。その話が出た頃は大阪に異動していたんですけど、幹部候補生の試験に受かったら、また東京に戻って来ることになったんです。
佐藤 幹部候補生の試験受けたんだ? で、受かったんだ? 大したもんだね、俺なんか、受からなかったもんな(笑)。行列式とかもわからなかったし、学校では全然勉強してなかったから、ものの見事に落ちたもんね(笑)。
奥成 幹部候補生の制度は1980年とかですか?
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真説・セガハード
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