ADHDの長男に疲れる理由を、ちゃんと考えてみた
実の息子と一緒にいるのが辛いなんて、
本当はあまり口にしたくない気持ちです。
それでも、ADHDの小4長男と過ごしていて疲れてしまう理由を整理してみました。
どうも、30代ワーママのbeko(べこ)です。
夫、小4の長男、年長の次男と暮らしています。
長男にはADHDの診断がつきました。
診断を受けた時の話はこちらからどうぞ。
毎日一緒に生活していて、成長を慈しみ、ちゃんと愛している。
それは間違いありません。
それでも、長男と長時間一緒にいると、イライラしたり、
心のどこかがすり減っていくような疲れを感じることがあります。
今日は、その「疲れ」がどこから来るのかを、
感情論だけで終わらせずに考えてみようと思います。
愛情と「しんどさ」は同時に存在する
まず最初に書いておきたいのは、
疲れる=嫌い、ではないということです。
可愛い、幸せになって欲しいと思う気持ちもある。
健やかに育って欲しい、笑顔を守りたい気持ちもある。
それでも、一緒にいるのがしんどい時がある。
この2つは、同時に存在できます。
「親なんだから」「理解してあげなきゃ」と思えば思うほど、
しんどさを感じてしまう自分を責めてしまいがちですが、
まずはそこを切り離して考えることにしました。
特に辛いのは「宿題」と「食事」の時間
長男と過ごす中で、最近は
特に疲れがどっと出るのがこの2つです。
宿題の時間
宿題に取りかかるまでが、とにかく長い。
声をかけても、別のことを始めてしまったり、
「あとで」「ちょっと休憩」と先延ばしにしたり。
ようやく始めたと思ったら、
集中力が続かず、すぐに休憩したがります。
夕飯の支度を止めて待っているこちらの都合はお構いなしで、
こちらがどれだけ時間を割いていても、
ペースはほとんど変わりません。
さらに辛いのが、
・文字が雑
・消しゴムがきちんとかかっていない
・読めるかどうかギリギリの字
時間を割いている私のことまで雑に扱われているように感じてしまうほど、
丁寧とは程遠い。
それでも「できた」と採点を求められる。
わかっています、ADHDには手先の不器用さもあることを。
保育園のビーズ通しはクラスで一番短かった。
今もハサミやカッターの扱いを見ていて、手を差し伸べそうになる時がある。
頑張ってもできないこと、不得意なことはある。
でも「流石に読めないからやり直して」と言えば不機嫌になり、
言わなければモヤモヤや今後の不安が残る。
このやりとりを何年も繰り返していることに、
正直、心が擦り切れます。
食事の時間
夕食の時間も、地味に消耗します。
「喋りすぎる」というと辛く聞こえないと思うけれど、
周りは基本無視で話題が次々に飛び、オチも脈絡もない。
会話のキャッチボールが成立しない。
突如会話に割り込んでくることもしょっちゅう。
こちらが返した言葉とは全然違う方向へ話が進み、
気づけばこちらは会話を成立させようと言う気持ちが萎えている。
それでも、無視するわけにもいかないので、
なんとか付き合う。
その間長男の食事は全然進まず。
「ゆっくり食べて」
「今は食事に集中して」
そう言う回数が増えるほど、
自分の声がだんだん荒くなっていくのがわかります。
「当たり前」だと思っていた前提が違うのかもしれない
ここまで考えて、一つの仮説に行き着きました。
私の中にある
・宿題は、やって当たり前
・食事は、会話を楽しむもの
という「当たり前」が、
長男にはそのまま当てはまらないのかもしれない、ということ。
宿題は、
「決められた時間に、ある程度の完成度で仕上げるもの」
食事は、
「場を共有しながら、会話のラリーを楽しむもの」
私が無意識に持っているこの前提が、
長男との間でズレている。
そのズレを、
言葉がけや根気で埋めようとしてきたから、
疲れてしまうのかもしれません。
何度言っても改善されない、という現実
もう一つ辛さの正体があります。
「何度言っても変わらない」こと。
やり方を変えても、
声かけを工夫しても、
一時的に良くなっても、
結局は元に戻る。
頭では「特性だ」と理解していても、
感情が追いつかない日もあります。
勝手に期待して、
やっぱり裏切られて、
がっかりして。
この小さな落胆の積み重ね、徒労感、賽の河原のように続く毎日が、
疲れとして溜まっていくのだと思います。
辛い気持ちは、どう消化すればいいんだろう
長男と離れたくて、もう話しかけてほしくなくて
たまらなくなることがあります。
こんなことを考えるなんて、母親なのに、と罪悪感も同時に襲ってきます。
正直なところ、どう向き合っていけばいいのか
まだ答えは出ていません。
ただ一つ言えるのは、そろそろ
「辛いと感じる自分を否定しない」ことから
始めてもいいのかな、ということ。
愛しているからこそ疲れる。
向き合っているからこそ消耗する。
それなら、
この疲れは「ダメな親の証拠」ではなく、
ちゃんと関わっている証拠なのかもしれません。
おわりに
ADHDの長男と過ごす日々は、
大変さと愛しさが常にセットです。
全部を前向きに受け止めるのは難しい。
でも、疲れている理由を言葉にしてみるだけで、
少しだけ自分を客観視できました。
同じように、
「ちゃんと愛しているのに、しんどい」と感じている方がいたら、
その気持ちは、きっと間違っていません。
今日も、正解のない子育ての途中です。

育児って、正解を探すより「回す」ことの方が大事な日も多い。
忙しい毎日をどうにか回している
リアルな試行錯誤を、
このマガジンにまとめています。
良かったらチェックしてみて下さいね。
