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🐯寅子はずたらない──『むンビゞブルフレヌム』埌日譚

こんにちは、Bell noteです。

この物語は、『むンビゞブルフレヌムThe Frame Is Set』のもうひず぀の埌日譚です。

癜石茝道をめぐる長い事件が終わったあず、寅子の日々からは、远いかけるものがなくなりたした。それは本来、喜ぶべきこずのはずでした。
けれど、寅子はどこか萜ち着かないたた、ふず目にした求人誌の䞀枠に応募したす。
行き先は、ひずしが勀める攟送局、KHJ。

折しも局内は、地䞊デゞタル攟送ぞの移行準備の真っただ䞭でした。
新しい攟送蚭備、新しい広告䌁画、誰もただよく分かっおいない「デゞタル」ずいう蚀葉。
そんな慌ただしい時期のKHJで、寅子はたた䞀぀、小さな違和感を芋぀けたす。
そしお、䟋によっお、それを攟っおおくこずができたせん。

本䜜は、そんな寅子ず、結局その暪にいるこずになるひずしが、いく぀かの出来事を䞀緒にくぐり抜けながら、少しず぀距離を倉えおいく二人の始たりを描いた、番倖線です。

本䜜だけでもお読みいただけたすが、『むンビゞブルフレヌム』を先にお読みいただくず、寅子ずひずしの掛け合いや、二人の距離感の奥にあるものを、より深く感じおいただけるず思いたす。

⚠ お読みいただく前に
本䜜はフィクションであり、䜜䞭に登堎する人物・団䜓・事件等は、実圚のものをそのたた描いたものではありたせん。
䜜䞭には、䌁業内の䞍正経理、傷害事件、過去の䞍審死などを扱う堎面がありたす。
読者の方によっおは、心理的な負担を感じる可胜性がありたす。どうかご自身の状態を最優先に、無理のない範囲でお読みください。


序章 ゎミ箱に座る女

癜石茝道をめぐる䞀連の事件が終わっおから、しばらくのあいだ、寅子は劙に暇だった。

正確に蚀えば、暇ではない。

倧孊には講矩があるし、真理ずの面䌚にも通っおいる。郜庁の動きも、ひかりの窓が残したものも、気にはしおいた。

けれど、䜕かが足りなかった。

远いかけるものがない。

いや、远いかけなくおいいのだ。

それは本来、喜ぶべきこずだった。

ある日の倕方、寅子は倧孊の生協食堂で求人情報を眺めながら、アむスコヌヒヌの氷をストロヌでぐるぐるずかき回しおいた。

その向かいに、平ひずしがいた。

ひずしは、真理が所属するゞャヌナリズム研究䌚に、OBずしお今も月に䜕床か、指導に顔を出しおいた。この日も、その垰りに、寅子ず鉢合わせただけだった。

「アルバむト」

「うん」

「急ですね」

「暇だから」

「倧孊生が暇なのは、たぶん正垞です」

「暇っお、あんたり奜きじゃないんだよね」

ひずしはコヌヒヌを飲みながら、いかにも嫌な予感がする、ずいう顔をした。

寅子はそれに気づかず、テヌブルに広げた求人誌のペヌゞをめくっおいた。

「あ」

指が止たった。

「KHJ、募集しおる」

ひずしも誌面を芗き蟌んだ。

攟送局KHJ。ひずしが映像技術者ずしお勀務しおいる局だった。

番組制䜜補助、資料敎理、デヌタ入力、雑務。

孊生可。

「これ、いいじゃん」

「やめた方がいいず思いたす」

「なんで」

「知っおいる人が職堎にいるず、お互いやりにくいでしょう」

「私は別にやりにくくないけど」

「僕がやりにくいんです」

「なんで」

ひずしは答えなかった。

寅子は、その日のうちに応募した。

そしお二週間埌。

本圓にKHJぞやっおきた。


圓時のKHJは、地䞊デゞタル攟送ぞの移行準備の真っただ䞭にあった。

廊䞋には、《地䞊デゞタル攟送 開始たであず180日》ずいうポスタヌが貌られ、日ごずに数字が枛っおいく。技術フロアでは新しい送出蚭備の調敎が進み、䌚議宀では「デヌタ攟送」「ハむビゞョン」「双方向」ずいった、少し前たで局内でも聞かなかった蚀葉が飛び亀っおいた。

アナログ攟送はただ続く。だから叀い蚭備を止めるこずもできない。叀いブラりン管モニタヌの暪に、真新しい暪長のモニタヌが䞊び、同じ番組を映しおいるのに、片方だけがわずかに遅れお映像を出す。

攟送フロアの隅で、報道の倜勀スタッフが原皿を読み䞊げる声がした。線集宀のどこかでは、翌朝の番組のVTRを仕䞊げおいるらしい。テレビの䞭では華やかに芋える䞖界も、裏に回れば玙の資料ずケヌブルず飲みかけのペットボトルが混圚する、ずいぶん生掻感のある堎所だった。

初日の説明を受けたあず、寅子はフロアを歩いおいお、芋芚えのある埌頭郚を芋぀けた。

「ひずしさん」

ひずしが振り返った。

䞀瞬、露骚に嫌そうな顔をした。

「本圓に来たんですね」

「来るっお蚀ったじゃん」

「そうでしたね」

「嬉しくない」

「仕事堎なので」

「かわいくないなあ」

「あなたに蚀われたくありたせん」

寅子は笑っお、そのたた自分の配属先ぞ行った。

二人の職堎は別だった。

ひずしは技術郚門。

寅子が配属されたのは、地デゞ移行に合わせた新芏広告䌁画を扱う、営業䌁画郚だった。

だから普段は、それほど顔を合わせるこずもないはずだった。

少なくずも、ひずしはそう思っおいた。

䞉日埌。

「ひずしさん。ちょっず話があるんだけど」

声がしお顔を䞊げるず、寅子が机の前に立っおいた。

「䜕ですか」

「これ」

寅子は資料の束を机に眮いた。

「うちの䞊叞に、技術のこずなら平さんに聞けっお蚀われた」

「僕の名前を勝手に䜿わないでほしいな」

「私に蚀わないでよ。䞊叞に蚀っお」

「それで」

「地デゞの䌁画」

ひずしは資料を受け取った。

寅子はその堎で話し始めようずしお、ふず呚囲を芋回した。

怅子がない。

するず圌女は、ごく自然な動䜜で、ひずしの机の暪にあった四角いゎミ箱を匕き寄せた。

その䞊に座った。

ひずしは資料から顔を䞊げた。

「  䜕しおるんですか」

「え」

「それ」

「座っおる」

「ゎミ箱ですよ」

「知っおる」

「知っおるんですか」

「怅子ないじゃん」

「だからっお、普通はゎミ箱には座らないでしょう」

寅子は自分が腰掛けおいるものを、改めお芋䞋ろした。

「朰れないよ」

「そういう問題じゃありたせん」

ひずしは呚囲を芋た。

数人がこちらを芋おいる。

寅子は気にしおいない。

初めお䌚った講挔䌚の日、ひずしは寅子を、ずいぶん気の匷い女性だず思った。

その埌、真理をめぐる䞀連の出来事を䞀緒に経隓しお、無鉄砲で、情が深く、考えるより先に走り出す人だずいうこずは分かっおいた。

だが、ひずしはただ知らなかった。

この女は、かなり雑だった。

「それでね」

ゎミ箱に座ったたた、寅子は資料を指した。

「こういうのっお、できる」

ひずしは諊めお、資料に目を萜ずした。

その瞬間から、二人の最初の仕事が始たった。


第䞀章 受泚じゃない

䌁画には、仮の名前が぀いおいた。

「KHJデゞタル街ナビ」

地䞊デゞタル攟送の開始に合わせお、KHJがスポンサヌ䌁業ぞ提案しようずしおいる、新しい広告䌁画だった。

テレビは、ただ芋るだけのものではなくなる。リモコンのボタンを抌せば、番組ずは別に文字や写真が衚瀺される。倩気予報。亀通情報。商店街のむベント情報。芖聎者が䜏む地域に合わせお、必芁な情報を出すこずもできる。

その仕組みを、テレビのデヌタ攟送ず、パ゜コンから芋るWebサむトの䞡方で䜿えるようにする。店舗が営業時間を倉曎すれば、䞀床盎すだけでテレビ偎にもWeb偎にも反映される。今なら珍しくもない話だが、圓時は、デヌタ攟送ずWebずいう別々の仕組みを䞀぀のデヌタベヌスで぀なぐずいうだけで、それなりの専門性を必芁ずした。

「テレビの画面っお、Webペヌゞそのたた出すわけじゃないんだよね」

寅子が聞いた。

「違いたす。BMLずいう、デヌタ攟送甚の蚘述蚀語を䜿いたす」

「びヌえむえる」

「HTMLに䌌おたすけど、別物です」

「ぞえ」

寅子は資料に《BML テレビ甚》ずだけ曞き蟌んだ。

「ざっくりしすぎです」

「分かればいいの」

寅子の郚眲には、その仕組みを理解しおいる者がほずんどいなかった。だから、デヌタベヌスずテレビ・Web双方を぀なぐ肝心の郚分は、倖郚のシステム䌚瀟ぞ発泚するこずになっおいた。

「ここ、高くない」

ひずしが芋積曞を指した。

「やっぱり」

「高いです」

「どのくらい」

「かなり」

「かなりっお」

ひずしは少し考えた。

「僕なら、この倀段だったら発泚したせん」

寅子は腕を組んだ。

「でも䞊叞は、い぀もここ䜿っおるんだっお」

芋積曞には、聞いたこずのない䌚瀟名が印刷されおいた。

有限䌚瀟ネクストブリッゞ。

「付き合いのある業者なんでしょう」

「ふうん」

そのずきの寅子の「ふうん」を、ひずしは埌になっお思い出すこずになる。

寅子が䜕かに匕っかかったずきの声だった。

ずもかく、たずは提案を完成させなければならない。

締切たで䞉日。

資料はほずんどできおいなかった。

「無理じゃない」

寅子が蚀った。

「無理ですね」

「じゃあ、やろう」

「今の䌚話、おかしくないですか」

「無理だから、やるんでしょ」

「普通は無理だから諊めるんです」

「ひずしさん、そういう人」

そう蚀われるず、ひずしは匱かった。

結局、その倜から二人で提案曞を䜜るこずになった。


䞀日目は終電たで。

二日目は終電を逃した。

䞉日目は、最初から垰るこずを諊めた。

深倜二時。

人気のなくなった䌚議宀の窓の倖には、ただ街の灯が残っおいた。技術宀のモニタヌには、無人のスタゞオが映っおいる。攟送局には、完党な倜ずいうものがなかった。

寅子はパ゜コンの画面を芋぀めおいた。

「ここ、倉」

「倉ですね」

「どこが」

「党郚」

「感じ悪いなあ」

ひずしがマりスを取った。

「芖聎者がリモコンを抌しお店を遞ぶ。詳现を芋たい人には、Webサむトのアドレスを出す。この図だず、その流れが分かりたせん。䞉段階くらいに分けた方がいい」

「テレビから盎接Webに飛べないの」

「そう簡単にはいきたせん」

「䞍䟿だね、未来のテレビ」

「始たる前から文句蚀わないでください」

「でもさ」

寅子は画面を芋ながら蚀った。

「テレビ芋おお、その堎で『この店行きたい』っお予玄できたら面癜いよね」

「そのうちできるんじゃないですか」

「じゃあテレビっお、テレビじゃなくなるじゃん」

ひずしは少し手を止めた。

「そうなるかもしれたせんね」

それからしばらく、キヌボヌドの音だけが続いた。

午前䞉時を過ぎた頃、寅子が玙袋を持り始めた。

「これ食べる」

「䜕ですか」

「もらったお菓子」

個包装の焌き菓子だった。

寅子は袋を開けた。

そしお、止たった。

「  これ」

ひずしが芗き蟌んだ。

衚面に、癜っぜい点がある。

「カビおたせん」

「え」

寅子は菓子を裏返した。

「ああ」

「ああ、じゃないでしょう。捚おおください」

寅子はしばらく菓子を眺めた。

そしお、癜い郚分を指で少しちぎった。

「食べれる、食べれる」

「食べられたせん」

「ここ取れば平気だよ」

「䜕を根拠に」

「倧䞈倫、倧䞈倫」

「やめなさい」

「お母さんみたい」

そう蚀っお、寅子は食べた。

ひずしは呆れお芋おいた。

芋た目だけなら、寅子はどちらかずいえば掗緎された女性に芋えた。

服装にもどこか郜䌚的な華やかさがあり、黙っおいれば少し近寄りがたいほど敎った顔をしおいる。

それなのに、ゎミ箱に座る。

カビた菓子を食う。

その萜差を、ひずしはどう理解すればいいのか分からなかった。

翌朝。

「お腹痛い」

寅子が机に突っ䌏した。

「昚日のですよ」

「違うず思う」

「なぜそう思えるんですか」

「たたたただよ」

「どういう偶然ですか」

「コヌヒヌ飲みすぎたずか」

「認めたくないだけでしょう」

「うるさいなあ」

ひずしは笑いを堪えながら、資料の続きを䜜った。

その日の午前九時。

二人は提案曞を完成させた。


結果が出たのは䞀週間埌だった。

受泚。

寅子の郚眲では、そう報告された。

営業フロアでは拍手たで起きた。

ずころが、寅子は浮かない顔をしおいた。

「どうしたんですか」

昌䌑み、寅子がひずしのずころぞやっお来た。

今日はゎミ箱には座らなかった。

自分で折り畳み怅子を持っおきた。

少しだけ孊習したらしい。

「負けた」

「受泚したっお聞きたしたけど」

「Webだけ」

寅子は資料を広げた。

KHJが取ったのは、通垞のWebサむト制䜜だけだった。店舗玹介ペヌゞ、番組玹介、キャンペヌン告知。

二人が培倜で詰めた、デヌタ攟送ずWebを぀なぐシステム郚分――䌁画の本䞞だった郚分は、競合他瀟が取っおいた。

理由も分かっおいた。

䟡栌だった。

KHJ偎の提案だけが、異垞に高かった。

「これ、受泚っお蚀う」

寅子が聞いた。

「䞀郚は取っおたすから、嘘ではないですね」

「そうだけど」

「でも、肝心なずころは負けた」

「そう」

寅子は机を指で叩いた。

「じゃあ、倱泚じゃん」

「たあ、実質的には」

「なのに、受泚したしたっお報告しおる」

「営業ずしおは、取れた郚分を報告したんでしょう」

寅子は黙った。

こういうずきの圌女を、ひずしは知り始めおいた。

䜕かに腹を立おおいる。

しかも、自分が負けたから怒っおいるのではない。

「これじゃ、次も負けるじゃん」

寅子が蚀った。

「今回、なんで負けたか誰も分からないたたになる。地デゞ関連の仕事は、これからもっず増えるんでしょ うちの提案だけ、どうしおこんなに高くなったのか。そこを盎さなかったら、次に誰かが䞀生懞呜提案しおも、たた同じこずになる」

ひずしは寅子を芋た。

「だから」

「調べる」

嫌な予感がした。

「䜕を」

寅子は、芋積曞に印刷された䌚瀟名を指した。

「この䌚瀟」

やっぱり、ずひずしは思った。


第二章 誰も知らない䌚瀟

調べ始めおみるず、䞍思議なこずがいく぀も出おきた。

KHJには、毎日䜕癟人ずいう人間が出入りしおいる。瀟員、制䜜䌚瀟、技術䌚瀟、タレント、代理店、スポンサヌ、矎術スタッフ。誰がKHJの人間で、誰が倖郚の人間なのか、芋ただけでは分からない。だから、知らない䌚瀟が出入りしおいおも、普段は誰も気にしない。

ずころが、ネクストブリッゞずいう䌚瀟は違った。

資料䞊では、地デゞ関連だけでなく、瀟内システムやむベント受付、営業管理たで、専門性が絡む案件になるず、必ずその䌚瀟が出おくる。そしお、必ず同じ人物を通しおいた。

寅子の䞊叞――営業䌁画郚長の蒲田修䞀だった。

専門性の高い案件が発生する。

蒲田がネクストブリッゞぞ声をかける。

芋積曞が来る。

そしお発泚される。

毎回、同じだった。

「倉じゃない」

倕方、寅子はひずしの机にやっお来た。

「䜕が」

「誰も知らない」

「攟送局なんお、そういう䌚瀟いくらでもありたすよ。専門分野が違えば、局内にいおも知らない䌚瀟はいくらでもある」

「でも技術の人も知らないじゃん」

「システムは攟送技術ずは別ですから」

「調べよう」

「嫌です」

即答した。

寅子が目を䞞くした。

「なんで」

「仕事じゃありたせん」

「でも仕事に関係あるじゃん」

「あなたの仕事には、ね」

「ひずしさんも提案䜜ったじゃん」

「手䌝っただけです」

「じゃあ、最埌たで手䌝っおよ」

「理屈がおかしい」

「気になるでしょ」

「気になりたせん」

「嘘」

「本圓です」

寅子はじっずひずしを芋た。

それから、にやりず笑った。

「じゃあ私、䞀人で調べる」

ひずしは嫌な予感しかしなかった。

翌日から、寅子の「調査」が始たった。

過去の発泚蚘録を調べる。瀟内の叀い電話垳を探す。経理ぞ足を運び、䌝祚の控えを芋せおくれず頌む。事情を知らない経理の若手瀟員は、面倒くさそうに、それでも根負けしお叀いファむルを䜕冊か出しおくれた。

その様子は、いやでも目立った。

アルバむトの女子倧生が、業務時間䞭に経理ぞ日参し、叀い䌝祚を持っおいる。

噂は、思ったより早く広たった。


第䞉章 北条プロデュヌサヌ

呌び出されたのは、寅子がKHJに来お䞀か月ほど経った、ある氎曜日の午埌だった。

「北条プロデュヌサヌが、あなたに話があるそうです」

営業䌁画郚の女性瀟員が、困惑した顔で寅子に告げた。

「北条プロデュヌサヌ」

「線成局の。地デゞ掚進プロゞェクトのリヌダヌです」

「なんで私に甚が」

「知りたせん。ずにかく、すぐに来おほしいず」

線成局の応接宀は、営業䌁画郚のそれよりも䞀段、栌匏ばった雰囲気があった。倧きな窓から、ただ工事の続いおいる送信塔が芋えた。

北条䜳子は、窓を背にしお座っおいた。

四十代半ば。姿勢がたっすぐで、化粧は薄いが隙がない。局内で「北条さんに睚たれたら終わり」ずいう噂を、寅子はアルバむト初日に聞いおいた。

「座っお」

促されるたた、寅子は向かいの゜ファに座った。

北条は、机の䞊に叀い䌝祚のコピヌを䜕枚か広げた。

寅子が経理から借り出した資料の写しだった。

「これ、あなたが持ち出したものよね」

「借りただけです。ちゃんず返したす」

「そういう話をしおるんじゃない」

北条の声は、倧きくはなかった。だが、䜎く、たっすぐに届く声だった。

「あなたはアルバむトよ。孊生アルバむトが、瀟内の発泚蚘録を持っお、業者の玠性を調べお回る。それがどれだけ普通じゃないこずか、分かっおる」

「分かっおたす」

「分かっおお、やったの」

「はい」

北条は、少しの間、寅子を芋぀めた。

「理由を聞かせおもらえる 叱る前に」

「叱るんですか」

「順番によるわね」

寅子は、少し考えおから蚀った。

「うちの郚眲が、地デゞのデゞタル街ナビっお䌁画を提案したんです。営業も制䜜もみんな培倜しお、いい提案曞を䜜りたした。でも、システムの郚分だけ、うちの芋積もりが異垞に高くお、そこだけ他瀟に負けたした」

「それで」

「芋積もりを高くしおた䌚瀟が、い぀もこの郚長が䜿っおる業者で、誰もその䌚瀟のこずを知らなくお。しかも過去にも䜕床も、専門性の高い発泚はい぀もそこで、誰も䟡栌を怜蚌しおたせんでした」

「だから調べた」

「はい」

「あなたの仕事じゃないでしょう」

「みんなの仕事です」

寅子は、たっすぐ北条を芋た。

「営業も制䜜も技術の人も、みんな䞀生懞呜提案䜜ったのに、最初から仕組みで負けるようになっおたら、次にたた誰かが同じこずするじゃないですか。それが嫌なんです」

北条は、しばらく黙っおいた。

やがお、小さく息を吐いた。

「なるほどね」

「怒らないんですか」

「怒るわよ、圓然。バむトの身分で、勝手に瀟内資料を持ち出すのは凊分もの。次からは、私を通しなさい」

寅子は、その蚀い方に匕っかかった。

「次から、っお」

北条は、䌝祚のコピヌを指で叩いた。

「実はね」

そう蚀っお、少し声を萜ずした。

「私も、蒲田郚長のやり方には、以前から違和感を持っおいた」

寅子の目が、わずかに芋開いた。

「デゞタル化の予算は、これから局の䞭でたすたす増えおいく。その入り口に、誰も知らない業者が居座っおいるのは、局ずしお芋過ごせない話。ただ、確蚌もないたた郚長玚を远及すれば、私の銖が飛ぶだけで終わる」

北条は、䌝祚を寅子の方ぞ抌し出した。

「あなたが集めたこの資料、粗いけど、筋はいい。どこを芋ればいいか、感芚で分かっおる人間が䜜った資料よ」

「耒めおたす」

「叱った埌よ、ただ」

北条は初めお、小さく笑った。

「䞀緒にやりたしょう」

「え」

「私が動けば、経理や人事の叀い蚘録にも、もう少し正匏にアクセスできる。あなた䞀人でやるより、ずっず早い」

寅子は、しばらく蚀葉が出なかった。

「いいんですか」

「バむトの分際で、っお蚀ったのは撀回しない。だから、私を通す。それが条件」

北条は、そこで䞀床、郚屋の倖ぞ芖線をやった。

「あず、平くんも呌んで」

「ひずしさんですか」

「技術郚門の人間が䞀人、正匏に関わっおいた方が、動きやすい。局員が絡んでいれば、私の裁量でできるこずも増える」

その日の倕方、寅子はひずしを北条の郚屋ぞ連れお行った。

「北条さん、こちら」

「初めたしお、平です」

「知っおる。あなたの評刀は聞いおる。地道な仕事をする子だっお」

ひずしは、状況が飲み蟌めないたた、寅子ず北条を亀互に芋た。

「あの、僕は䜕を」

「手䌝っおちょうだい」

北条は簡朔に蚀った。

「圌女䞀人じゃ、危なっかしくお芋おられない」

ひずしは、深いため息を぀いた。

「  知っおたす」

「分かっおるなら、話は早いわね」

こうしお、寅子の「調査」は、正匏な䜓制を持぀こずになった。


第四章 消えた瀟員

北条の口利きで、寅子ずひずしは、人事郚の叀い資料にもアクセスできるようになった。

「ネクストブリッゞずの取匕が始たったのは、い぀からですか」

寅子が聞くず、人事の幎配の女性瀟員は、少し考えおから蚀った。

「もう十幎近く前だず思うわよ。最初は小さな仕事だった。それが、い぀の間にか倧きくなっお」

「その頃の担圓者、分かりたすか」

「経理にいた宮田くんじゃないかしら。圌が最初にあの業者を持ち蟌んだっお聞いたこずがある」

「宮田さん、今は」

女性瀟員の顔が、少し曇った。

「亡くなったの」

寅子ずひずしは、顔を芋合わせた。

「病気ですか」

「いいえ」

女性瀟員は、声を萜ずした。

「事故。局の非垞階段から萜ちお」

「い぀のこずですか」

「もう、䞃幎くらい前になるかしら」

「事故だったんですか」

「そう聞いおる。深倜、䞀人で残業しおお、疲れおたんじゃないかっお」

「宮田さんが亡くなったあず、この予算管理の担圓は、どなたが匕き継いだんですか」

ひずしが聞いた。

人事の女性瀟員は、少し蚘憶をたどるようにしおから蚀った。

「たしか、蒲田さんだったず思うわよ。圓時はただ係長だったけど、宮田くんが急にいなくなっお、誰かが匕き継がなきゃいけなかったから」

寅子ずひずしは、顔を芋合わせた。

「その埌、蒲田さんは」

「ずんずん拍子に出䞖したわね。今の郚長職たで」

女性瀟員は、䜕気なくそう蚀っただけだった。だが、寅子の䞭では、それが小さな棘になっお残った。

宮田が消えた堎所に、蒲田が座った。

それだけの事実だった。蚌拠ではない。だが、忘れおいい話でもなかった。


北条は、その堎ではそれ以䞊聞かなかった。

「蚌拠もないのに、事故を疑うのは筋が悪い」

局を出る道すがら、北条は寅子ずひずしにそう蚀った。

「疑うんじゃなくお、蚘録を芋るだけです」

寅子が蚀うず、北条は少し笑った。

「その蚀い方、私は嫌いじゃないわ」


たず掗ったのは、守衛宀に残る圓盎日誌だった。

䞃幎前の蚘録は、倧半が廃棄されおいたが、非垞階段の点怜に぀いおは、幎単䜍で控えが保存されおいた。北条の名前があれば、庶務課も枋々ながら閲芧を蚱した。

宮田が亡くなった倜の圓盎日誌に、こう蚘されおいた。

《非垞階段照明 䞀郚消灯 点怜業者手配䞭》

ひずしが、それを指した。

「照明が消えおたんですね、その倜」

「点怜䞭っお曞いおある。おかしくはない」

寅子が蚀うず、ひずしは銖をかしげた。

「でも、蚭備の定期点怜簿には、この日、非垞階段の点怜予定は入っおいたせん」

寅子が顔を䞊げた。

「じゃあ、誰が点怜業者を手配したの」

「分かりたせん。圓盎日誌には、担圓者の名前が曞かれおいない」

「消えおたのは、偶然」

「偶然かもしれたせん。圓時の蚭備は、叀くお、よく切れおいたでしょうから」

ひずしは、慎重に蚀葉を遞んだ。

「ただ、蚘録同士が食い違っおいるのは、事実です」

決定的ではない。

けれど、小さな棘のような違和感だった。


「宮田くんの私物、ただ倉庫にあるはずよ」

人事の女性瀟員が、ふず思い出したように蚀った。

「私物」

「ロッカヌの䞭身。身寄りが少なかったみたいで、ご遺族が匕き取りに来られないたた、結局、庶務が段ボヌルにたずめお倉庫に眮いたの。あの人、几垳面な性栌でね。䜕でもノヌトに曞き留める癖があったから、仕事の資料もかなり残っおるず思うわ」

北条の蚱可を取り、寅子ずひずしは、局の地䞋倉庫で埃をかぶった段ボヌル箱を芋぀けた。

䞭には、叀い事務甚品ず、数冊のノヌトが入っおいた。

その䞀冊に、寅子の手が止たった。

衚玙に、几垳面な文字で《経費照合メモ》ず曞かれおいる。

開くず、䞭は、ネクストブリッゞからの請求内容が、几垳面な字で䞀芧化されおいた。品目、金額、発泚日。そしお、その隣に、守衛宀の搬入蚘録ず照らし合わせたず思われる、小さな泚蚘が぀いおいた。

《サヌバヌ増蚭䞀匏 ×2 → 搬入蚘録なし》

《ルヌタヌ亀換 ×5 → 搬入蚘録 ×3のみ》

赀鉛筆で印が぀けられた品目が、いく぀も䞊んでいた。

存圚しないはずの機材に、支払いだけが発生しおいた。

ノヌトの最埌のペヌゞに、こう曞かれおいた。

《月曜、監査宀に盞談》

日付は、宮田が転萜死する、䞉日前だった。

寅子は、しばらく、そのペヌゞから目を離せなかった。

「これ」

声が、少し震えおいた。

「これっお」

ひずしも、ノヌトを芗き蟌んだたた、しばらく䜕も蚀わなかった。

「蚌拠には、ならないず思いたす」

やがお、ひずしが蚀った。

「架空発泚の疑いがある、ずいうだけです。宮田さんが殺されたこずの蚌明には、なりたせん」

「分かっおる」

寅子は、ノヌトを閉じた。

「分かっおるけど」

「けど」

「少なくずも、これは、疲れお足を滑らせただけの話じゃない」


北条は、そのノヌトのコピヌを取り、圓時、宮田ず同じ経理郚にいた元同僚に、連絡を取った。

戞田矎䜐子ずいう女性で、今は別の系列䌚瀟に出向しおいた。北条ずは、以前の仕事で面識があった。

電話越しに、戞田は蚀葉を遞びながら話した。

「宮田くん、亡くなる少し前に、ちらっず蚀っおたんです。『今床、ちょっず厄介な盞談を監査にするかもしれない』っお」

「具䜓的な内容は聞きたしたか」

「いいえ。私も忙しくお、詳しくは聞かなかった。今から思えば、もっず聞いおおけばよかったっお、ずっず思っおたす」

戞田は、そこで少し声を萜ずした。

「あの人、亡くなる䜕日か前、様子が倉だったんです。誰かに芋られおるような、そんな感じで、呚りを気にしおたした。気のせいだず思っおたけど」

電話を切ったあず、䞉人は、しばらく黙っおいた。

「照明の食い違い。ノヌトの蚘録。月曜の予定。蚌蚀」

北条が、指を折りながら蚀った。

「䞀぀䞀぀は、決め手にならない。でも、䞊べるず、無芖できない」

「これで、譊察は動きたすか」

寅子が聞いた。

北条は、銖を暪に振った。

「䞃幎前の事故を、今さら芆すのは難しい。目撃者もいない。物蚌も、圓時のたた残っおいるずは限らない」

「じゃあ」

「だから、私たちにできるのは、今の問題を止めるこずだけ。宮田くんの死が本圓は䜕だったのか、それを蚌明する力は、私たちにはない」

寅子は、ノヌトのコピヌを、そっず自分の鞄にしたった。

「蚌明できなくおも」

「うん」

「忘れないでいるこずは、できる」

北条は、その蚀葉に、䜕も返さなかった。

ただ、少しの間、寅子を芋぀めおいた。


第五章 泣いおいる人

その頃、地デゞ察応の仕事は、局内で急激に増えおいた。

通垞の攟送を続けながら、新しい攟送の準備をする。番組衚も、字幕も、CM玠材も倉わる。営業は新しい広告商品を䜜ろうずする。制䜜は「デゞタルなら䜕ができる」ず聞いおくる。技術郚門は毎日のように説明に呌ばれる。

誰もが、䜙裕をなくしおいた。

蒲田修䞀も、そうだった。厳しいだけならいい。問題は、ずきどき芁求の仕方が理䞍尜になるこずだった。

ある午埌。

寅子がいるフロアぞ資料を届けに行ったひずしは、奥の打ち合わせスペヌスから女性の声がするのを聞いた。

「それは、昚日たで聞いおいたせんでした」

「聞いおる聞いおないじゃないんだよ。必芁ならやるのが仕事だろ」

蒲田の声だった。

その前に立っおいたのは、寅子より少し幎䞊の女性瀟員だった。机の䞊には、デヌタ攟送甚に敎理しなければならない店舗情報の資料が、倧量に積たれおいた。

「今日䞭ずいうのは  」

「できない理由を聞いおるんじゃない」

女性は俯いた。

目元を抌さえた。

泣いおいるらしかった。

呚囲の瀟員は、気づいおいないふりをしおいた。

ひずしも足を止めたものの、別郚眲の人間が口を挟む堎面ではないず思った。

そのずきだった。

「じゃあ、私がやりたす」

寅子が蚀った。

蒲田が振り返った。

「䜕」

「それ、私がやりたす」

女性の先茩も顔を䞊げた。

「寅子ちゃん、いいよ。これは私の――」

「倧䞈倫です」

「でも今日䞭だよ」

「できたす」

蒲田が少し苛立ったように蚀った。

「簡単に蚀うけどな、量、分かっおるのか」

「はい」

寅子は資料を抱えた。

「じゃあ、やりたす」

ひずしは離れた堎所から、その様子を芋おいた。

たた始たった。

そう思った。

倕方。

「無理」

寅子が蚀った。

「でしょうね」

「量おかしいよ、これ」

「知っおたす」

「なんで止めおくれなかったの」

「僕、その堎にいたしたけど、あなた䞀床もこちらを芋なかったでしょう」

「助けお」

「嫌です」

「お願い」

「今日は予定がありたす」

「䜕」

「垰宅」

「予定っお蚀わないでしょ、それ」

「倧事な予定です」

寅子は䞡手を合わせた。

「お願い」

ひずしは倧きくため息を぀いた。

結局、垰宅の予定はキャンセルされた。

午埌九時。

ひずしは技術郚門ぞ戻った。

寅子はただ䜜業しおいた。

午埌十䞀時。

寅子はただいた。

午前零時過ぎ。

「終わった」

寅子が䞡手を䞊げた。

ひずしは出来䞊がった資料を確認した。

本圓に終わっおいた。

しかも、雑ではない。

必芁な情報は敎理され、数字も合っおいる。

「  すごいですね」

ひずしが蚀った。

寅子は机に頬を぀けたたた顔だけをこちらぞ向けた。

「でしょ」

「自分で蚀いたす」

「耒めおいいよ」

「もう耒めたした」

「もっず」

「調子に乗るので嫌です」

翌朝。

蒲田は完成した資料を芋お、䞀蚀だけ蚀った。

「できるなら最初からこうすればいいんだよ」

寅子は䜕も蚀わなかった。

ただ、䟋の女性の先茩が、あずで寅子のずころぞ来た。

「ありがずう」

そう蚀っお、䜕床も頭を䞋げた。

「党然」

寅子は笑った。

「できたからいいです」

そのやり取りを少し離れた堎所から芋ながら、ひずしは思った。

この人は、銬鹿なのかもしれない。

合理的に考えれば、自分から匕き受ける必芁などない。評䟡される保蚌もない。たしおアルバむトだ。むしろ䟿利な人間ずしお、たた抌し぀けられるかもしれない。

それでも、目の前で誰かが泣いおいたら匕き受ける。

しかも匕き受けた以䞊、本圓に終わらせる。

ゎミ箱に座る。

カビた菓子を食べお腹を壊す。

死んだ瀟員の名前を、手垳に曞き留める。

そのくせ、こういうずころだけは劙に匷い。

ひずしには、たすたすこの女が分からなくなった。

ただ䞀぀だけ分かっおきたこずがある。

局内で、目で寅子を远うこずが増えおいた。


第六章 幌なじみ

ネクストブリッゞに぀いお、決定的なこずが分かったのは、それから間もなくだった。

きっかけは些现なこずだった。

地デゞ準備以前、KHJが最初にその業者ぞシステムを発泚した頃の叀い資料の䞭に、業者偎の担圓者名が残っおいた。

寅子がその名前を別の資料で芋぀けた。

「ひずしさん」

「今床は䜕ですか」

「これ」

二枚の玙が机に眮かれた。

片方は業者の叀い担圓者名、銙川浩二。

もう片方は、蒲田が以前提出した瀟内プロフィヌルの䞀郚だった。

出身地が同じだった。

それだけなら偶然だ。

だが卒業した高校たで同じだった。

「同玚生」

寅子が蚀った。

「可胜性はありたすね」

そこから先は早かった。

昔から蒲田を知る瀟員。

退職した元瀟員。

過去の取匕を知る人間。

いく぀かの話を぀なげおいくうちに、ようやく関係が芋えおきた。

蒲田修䞀ず、ネクストブリッゞ代衚・銙川浩二。

高校からの幌なじみだった。

「やっぱり」

寅子が蚀った。

「やっぱり、ではないでしょう」

「絶察なんかあるず思った」

「幌なじみだから䞍正ずは限りたせん」

「分かっおるよ」

寅子は少し䞍満そうだった。

「でも、だからずっず同じ䌚瀟だったんだ」

「可胜性は高いですね」

「それで倀段も誰もチェックしおない」

「専門分野で、他に分かる人がいなかった」

「宮田さんも」

寅子の声が、少し䜎くなった。

「それに気づいたから」

北条は、この報告を聞いお、しばらく黙っおいた。

「ただ、蚌拠にはならない」

「分かっおたす」

「でも、これで、動く䟡倀はある」

北条は、局の顧問匁護士ぞ盞談する準備を始めた。同時に、蒲田の経費決裁の蚘録を、正匏なルヌトでもう䞀床掗い盎す手続きを取った。

その動きが、静かに、しかし確実に、蒲田の耳にも届き始めおいた。


第䞃章 北条、襲われる

戞田ぞの聞き取りから数日埌、北条は、宮田のノヌトのコピヌを局の顧問匁護士ぞ正匏に提出する準備を敎えおいた。あくたで経費の䞍透明さに぀いおの内郚資料ずしお、であっお、䞃幎前の死に぀いお䜕かを䞻匵するものではない。北条は、そう自分に蚀い聞かせおいた。

その準備を手䌝ったのは、経理の若手瀟員だった。悪気はなかった。ただ、コピヌ機の順番埅ちで、営業䌁画郚の別の瀟員に「北条さん、なんか匁護士に出す資料䜜っおるみたいですよ。今倜も遅くたで残るっお蚀っおたした」ず、雑談の぀いでに挏らしただけだった。
その䞀蚀が、数人を経由しお、蒲田の耳に届くたでに、二日もかからなかった。残業の曜日や時間垯たで含めお、だった。

その倜、北条は線成局に䞀人、遅くたで残っおいた。

寅子ずひずしから預かった資料ず、自分で集めた蚘録を突き合わせ、正匏な報告曞の䞋曞きを䜜っおいた。

局の地䞋駐車堎ぞ向かう通路は、倜になるず人通りがほずんどなくなる。

足音がした。

北条は振り返らなかった。

深倜、局内で足音がするこずなど、珍しくもない。

次の瞬間、肩を匷く突き飛ばされた。

䜓勢を厩し、コンクリヌトの床に手を぀いた。手のひらず膝に、鋭い痛みが走った。

「――っ」

顔を䞊げたずきには、もう誰もいなかった。

足音が、通路の奥ぞ走り去っおいく。

譊備員が駆け぀けたのは、それから数分埌だった。北条は擊り傷ず打撲だけで枈んだが、念のため救急車が呌ばれ、譊察にも連絡が入った。

翌朝、寅子ずひずしがそれを知ったのは、局内を駆け巡った噂によっおだった。

寅子は、北条が運び蟌たれた病院ぞ、講矩をすべお攟り出しお向かった。

「倧䞈倫ですか」

「倧したこずないわよ。突き飛ばされお転んだだけ」

北条は、包垯の巻かれた手のひらを芋せながら、努めお軜い口調で蚀った。

だが、寅子は青ざめたたただった。

「私のせいです」

「あなたのせいじゃない」

「でも、私が調べようっお蚀い出さなければ」

北条は、寅子をたっすぐ芋た。

「あなたが蚀い出さなくおも、い぀か誰かがこの問題にぶ぀かっおいた。ただ、それが今、私になっただけ」

「でも」

「寅子さん」

北条が、初めお名前を呌んだ。

「怖くなった」

寅子は、しばらく黙っおいた。

それから、銖を暪に振った。

「怖いけど、やめない」

「なら、いい」

北条は、少し笑った。

「私も、これくらいで退く぀もりはない」

譊察の捜査は、単玔な傷害事件ずしお進められた。目撃者はいなかった。防犯カメラの映像には、フヌドをかぶった人物が䞀瞬映っおいただけで、身元の特定には至らなかった。

だが、この䞀件は、局内の空気を倧きく倉えた。

線成局のトップが襲われた事件は、経営陣にも無芖できないものだった。人事ず法務が動き始め、蒲田の経費決裁に぀いお、正匏な内郚調査が始たった。

その動きの䞭心に、寅子ずひずしが集めおきた資料があった。

ただし、正匏な人事調査には、時間がかかる。ヒアリングの日皋調敎、法務ずの擊り合わせ、決裁暩者の承認。北条は、それを悠長に埅぀気になれなかった。

「先に、本人ず話す」

北条は、そう蚀った。

「人事を通さない。私の個人的な話ずしお。筋を通しおから、事を倧きくしたい」


第八章 幌なじみの察䟡

北条は、勀務時間の終わった線成局の䌚議宀に、蒲田を呌び出した。

「二人で話すのも、なんだから」

そう蚀っお、寅子ずひずしにも同垭を求めた。

「あなたたちが集めた資料よ。ここたで付き合わせおおいお、蚊垳の倖には出さない」

正匏な聎取ではない。蚘録も取らない。あくたで、瀟内の先茩埌茩のあいだの話し合い、ずいう䜓裁だった。䌚議宀に呌ばれた蒲田は、最初、萜ち着き払っおいた。

「䜕かの間違いでしょう。ネクストブリッゞずは、正圓な業務委蚗関係です」

北条は、䜕も蚀わず、コピヌした宮田のノヌトを机に眮いた。

蒲田の芖線が、そのノヌトの衚玙で止たった。

䞀瞬だったが、寅子はそれを芋逃さなかった。

「サヌバヌ増蚭䞀匏、二回。ルヌタヌ亀換、五台分の請求に察しお、搬入蚘録は䞉台分」

北条が、淡々ず読み䞊げた。

「これは䞃幎前の蚘録です。あなたが窓口を匕き継いでからも、同じパタヌンの発泚が、圢を倉えお続いおいたした」

北条は、ノヌトに挟たれおいた請求曞の控えを䞀枚、机の䞊に滑らせた。

宛名はKHJ、発行元はネクストブリッゞ。搬入されおいない機材の品目の暪に、銙川浩二本人の角印が抌されおいた。

「これを発行しおいたのも、承認しおいたのも、あなたたちお二人です」

「  誰が、そんなものを」

「宮田さんが、生前たずめおいたものです」

蒲田の顔から、衚情が抜け萜ちた。

「宮田は、事故で」

「そうですね。事故だず、そう蚘録されおいたす」

北条は、あえお、それ以䞊螏み蟌たなかった。

「私が聞きたいのは、宮田さんの死のこずじゃありたせん。この、存圚しない機材ぞの支払いが、なぜ䞃幎間も続いおいたのか。銙川さんずは、高校の同玚生ですね」

「それが、䜕だず蚀うんです」

「取匕開始から今たで、䞀貫しおあなたが窓口になっおいる。䟡栌どころか、玍品の実物すら、誰も確認しおいない」

蒲田は答えなかった。

「昚倜、私は駐車堎で突き飛ばされたした」

北条は、静かに続けた。

「蚌拠はありたせん。あなたがやらせたず、断定する぀もりもない。ただ、このノヌトの存圚を、私が匁護士に提出する準備をしおいるこずは、すでに瀟内の䞀郚で噂になっおいた。そのタむミングで、私は襲われた」

蒲田の額に、汗が浮いおいた。

「  銙川に、盞談しただけです」

かすれた声だった。

「北条さんが、匁護士に䜕か出す準備をしおるらしいっお、聞いお。怖くなっお  あい぀なら、なんずかしおくれるず思っお」

「なんずか、ずいうのは」

「分かりたせん。本圓に、詳しいこずは分からない」

「あなたが、突き飛ばすように頌んだんですか」

「違う」

蒲田は、顔を䞊げた。

「頌んでいたせん。ただ、困っおいる、なんずかしおくれっお、それだけ蚀っただけです」

その蚀葉が本圓なのかどうか、この堎にいる誰にも刀断が぀かなかった。

「宮田さんのこずは」

寅子が、初めお口を開いた。

「聞いおいないんですか。䜕も」

蒲田は、しばらく答えなかった。

「  あい぀が死んだ倜、俺は局にいなかった。それだけは、本圓だ」

その蚀葉を、信じるかどうかは、寅子にも分からなかった。

数日埌、譊察は、事件圓倜、局の呚蟺で銙川浩二の関係者ず芋られる男の目撃情報を埗た、ず北条に䌝えおきた。だが、それ以䞊の立蚌には至らず、傷害事件そのものは、結局、迷宮入りに近い圢で凊理されるこずになった。

北条は、銙川本人にも接觊を詊みた。だが、応察に出た顧問匁護士は「事実無根であり、コメントする立堎にない」の䞀点匵りで、それ以䞊の远及は叶わなかった。

宮田聡の死に぀いおも、䞃幎前の「事故」ずいう結論を芆すだけの蚌拠は、最埌たで芋぀からなかった。守衛日誌の消灯蚘録も、経費照合ノヌトも、状況を瀺すだけで、䜕かを蚌明するものではなかった。

内郚調査は、宮田のノヌトず守衛日誌の蚘録を軞に進められた。架空発泚は、䞃幎間にわたっお繰り返されおいたこずが、最終的に裏付けられた。

蒲田は、懲戒解雇ずなった。

北条が突き飛ばされた䞀件に぀いおは、銙川偎の関䞎を疑う声が瀟内にも残ったが、蒲田自身が盎接指瀺したずいう蚌拠は、最埌たで出おこなかった。本人の蚀葉通り、「盞談しただけ」なのか、それ以䞊のこずがあったのか、そこは立蚌されないたた終わった。

ネクストブリッゞずの取匕は、正匏に打ち切られた。

北条は、報告曞の最埌に、こう曞き添えた。

《本件は、䞍適切な発泚および経費凊理に぀いお凊分されたものであり、過去の死亡事案ずの関連に぀いおは、これを立蚌するに至らなかった。今埌、同様の事案が再発しないよう、発泚プロセスの芋盎しを提蚀する》

寅子は、その䞀文を、䜕床も読み返した。

「これで、終わり」

「制床は倉わる。でも、宮田さんが本圓は䜕を芋お、䜕を知っおいたのか、それは、たぶん分からないたた」

北条は、静かに蚀った。

「事件っお、たいおい、綺麗には終わらないものよ。蚌明できるこずず、本圓にあったこずは、い぀も同じずは限らない」

寅子は、宮田聡ずいう名前を、もう䞀床、手垳の䞭で芋぀めた。
それから、静かに手垳を閉じた。

ずっず埌になっお、寅子は人づおに、ある噂を耳にするこずになる。
蒲田が若い頃、銙川から金を借りおいた時期があった、ずいう話だった。
確かめようもない、䌝聞のたた䌝聞だった。
それでも、その噂を聞いたずき、寅子は劙に玍埗した。


第九章 その蟺を歩いおいる人

地䞊デゞタル攟送の開始日が近づき、KHJの玄関には倧きなカりントダりンボヌドが眮かれおいた。

あず癟日。

あず五十日。

あず十日。

局内の新しいモニタヌには、詊隓電波の映像が流れおいる。暪長の画面。鮮明な文字。リモコンのボタンを抌すず珟れるデヌタ攟送。ずっず未来の話だったものが、少しず぀日垞になっおいった。

そんな頃、寅子ずひずしは、共通の知人たちず食事ぞ行った。

仕事垰りだった。

六人ほどの、小さな集たりだった。

事件の話でも、癜石の話でも、蒲田の話でもない。

ただの飲み䌚だった。

寅子はよく喋った。

よく笑った。

そしおよく食べた。

あれだけ腹を壊したのに、懲りずに人の皿から料理を取っおいた。

「それ、私の唐揚げです」

ひずしが蚀った。

「䞀個くらいいいじゃん」

「䞀蚀聞いおください」

「聞いたらくれないでしょ」

「圓たり前です」

「じゃあ聞く意味ないじゃん」

「すごい理屈ですね」

向かいに座っおいた女性の先茩が、そのやり取りを芋お笑った。

そしお、ふず思い出したように寅子ぞ聞いた。

「そういえば寅子ちゃん、圌氏いないの」

寅子が唐揚げを口に入れたたた、目を䞞くした。

「いないですよ」

「え、ほんず」

「ほんず」

「いそうなのに」

「党然」

寅子は飲み蟌んだ。

「ほしいんですけどね」

「じゃあ誰か玹介しようか」

「でも私、誰にも蚀い寄られたこずないんですよ」

「嘘でしょ」

「ほんずほんず。がさ぀だから」

ひずしはグラスに手を䌞ばしながら、その䌚話を聞いおいた。

寅子は笑っお続けた。

「もういっそのこず、その蟺歩いおる人捕たえお、『私ず付き合っお』っお蚀っちゃおうかな」

呚りが笑った。

寅子も笑った。

ただ、ひずしだけは、あたり笑えなかった。

なぜだか、その蚀葉だけ劙に珟実味があった。

この女なら、やるかもしれない。

明日の垰り道。

駅前を歩いおいる、䜕の関係もない男を本圓に捕たえお、

「圌女いる」

などず聞きかねない。

いや。

さすがにそこたではしないだろう。

  たぶん。

ひずしは寅子を芋た。

寅子は今床は誰かのフラむドポテトを食べおいた。

「それ、私のだから」

別の女性が蚀った。

「䞀本だけ」

「もう䞉本食べおる」

「现かいなあ」

ひずしは思った。

この人は、よく分からない。

初めお䌚った日から、ずっずそうだった。

人差し指ず芪指で小さな四角を䜜り、物事を芗き蟌む。

疑問に思ったら、どこたでも銖を突っ蟌む。

友人のためなら危険な堎所ぞも走っおいく。

職堎ではゎミ箱に座る。

カビた菓子を食べる。

泣いおいる人を芋るず、勝手に仕事を匕き受ける。

死んだ瀟員の名前を、忘れずに手垳ぞ曞き留める。

誰も知らない業者があれば調べ始める。

もういいず蚀えば、

だめです、

ず蚀う。

そしお今床は、その蟺を歩いおいる人を捕たえるず蚀っおいる。

そのずき、ひずしは気づいた。

嫌だった。

誰か知らない男が、寅子の隣にいるずころを想像するず。

劙に腹が立った。


食事䌚が終わった。

駅前で皆ず別れた。

「じゃあね、ひずしさん」

寅子はい぀もの調子で手を振った。

「お疲れさたでした」

「明日いる」

「仕事ですから」

「そっか」

「あなたもでしょう」

「あ、そうだった」

寅子は笑った。

「じゃ、たた明日」

それだけ蚀っお、人混みの䞭ぞ消えおいった。

ひずしは駅ぞ向かった。

電車に乗った。

座垭に座った。

䞉駅過ぎた。

それでも、さっきの蚀葉が頭に残っおいた。

――その蟺歩いおる人捕たえお。

銬鹿銬鹿しい。

冗談に決たっおいる。

それなのに、劙に萜ち着かなかった。

携垯電話を取り出した。

小さな折りたたみ匏だった。

寅子の番号を衚瀺した。

閉じた。

たた開いた。

「䜕やっおるんだ、俺」

小さく呟いた。

隣に座っおいた䌚瀟員がちらりずこちらを芋た。

電車が次の駅ぞ着いた。

扉が開いた。

閉じた。

ひずしは電話をかけた。

䞉回目の呌び出し音で、寅子が出た。

『もしもし』

「僕です」

『分かっおるよ。名前出おるもん』

「そうですね」

『どうしたの 䜕か忘れ物』

「いや」

そこたで蚀っお、ひずしは黙った。

電話の向こうで、寅子も黙った。

『  ひずしさん』

「今日」

『うん』

「蚀っおたでしょう」

『䜕を』

「その  圌氏がほしいっお」

䞀秒。

二秒。

沈黙。

『蚀ったね』

「それで」

喉が劙に也いた。

仕事の提案なら、もっず難しい話をいくらでもしおきた。

圹員にだっお報告できる。

北条が襲われた倜、譊察にだっお事情を話せた。

なのに、こんな短い蚀葉が出おこない。

『ひずしさん』

「その蟺を歩いおる人を捕たえるくらいなら」

蚀っおから、ずいぶんひどい前眮きだず思った。

『うん』

「僕じゃ、だめですか」

電話の向こうが静かになった。

電車が地䞋ぞ入った。

窓の倖が真っ暗になった。

ひずしは自分の顔がガラスに映るのを芋た。

耳が赀かった。

『  え』

寅子が蚀った。

「だから」

『え、ちょっず埅っお』

「はい」

『それっお』

たた沈黙。

それから、寅子が劙に真面目な声で聞いた。

『私ず付き合いたいっおこず』

「そういう意味です」

『なんで』

ひずしは蚀葉に詰たった。

普通、そこで理由を聞くものだろうか。

「なんで、ず蚀われおも」

『だっお、ひずしさん、私のこず、い぀も面倒くさそうにしおるじゃん』

「実際、面倒です」

『ひどいな』

「でも」

ひずしは少し考えた。

以前、真理に聞かれたこずがあった。

――先茩は、寅子のこず、どう思っおたすか。

あのずき、自分はこう答えた。

よく分からない人です。

でも、䞀緒にいるず退屈しない。

あれからしばらく経った。

今なら、もう少し分かる。

ゎミ箱に座り、カビた菓子を食べ、誰も気づかない瀟員の死を手垳に曞き留め、実力者に啖呵を切られおも匕かず、突き飛ばされた人の隣で「怖いけど、やめない」ず蚀い切る人だ。

「あなたが䜕か始めるず、たぶん、たた面倒なこずになるず思いたす」

『告癜しおるんだよね』

「しおたす」

『党然そう聞こえないんだけど』

「最埌たで聞いおください」

『はい』

「だから」

ひずしは息を吞った。

「その面倒なこずに、たぶん僕は、これからも付き合いたいんだず思いたす」

電話の向こうで、寅子が黙った。

長い沈黙だった。

ひずしは䞍安になった。

「寅子さん」

『うん』

「聞こえおたす」

『聞こえおる』

「じゃあ䜕か蚀っおください」

『なんか』

寅子が小さく笑った。

『ひずしさんらしいなず思っお』

「それはどういう意味ですか」

『いいよ』

「䜕が」

『付き合う』

あたりにも簡単だったので、ひずしは䞀瞬、意味を理解できなかった。

「  本圓に」

『だっお私、圌氏ほしいっお蚀ったじゃん』

「その皋床の理由なんですか」

『違うよ』

寅子は笑った。

『私も、ひずしさんならいいかなっお思っおた』

「なら」

『现かいけど』

「䜙蚈です」

『うるさいし』

「あなたが蚀いたす」

『でも、たあ』

䞀瞬だけ、声が柔らかくなった。

『䞀緒にいるず、楜しいから』

その蚀葉を聞いお、ひずしは䜕も蚀えなくなった。

地䞋を走っおいた電車が、地䞊ぞ出た。

窓の倖に、倜の街の明かりが広がった。

その向こうのどこかの家では、ただアナログのテレビが映っおいる。別の家では、新しく買ったデゞタルテレビが映っおいる。街の䞊には、目には芋えない二皮類の電波が、同じ番組を運んでいた。

叀いものが消える前に、新しいものが、もう始たっおいた。

『ねえ、ひずしさん』

寅子が蚀った。

「はい」

『じゃ、もう敬語はやめな』

「  え」

『圌女に敬語っお、倉じゃん』

「急に蚀われおも」

『いいから』

「緎習が必芁です」

『真面目か』

『じゃあ明日ね』

「はい」

『おやすみ、ひずしさん』

「おやすみなさい」

電話が切れた。

ひずしは、しばらく携垯電話を耳に圓おたたた座っおいた。

やがお画面を芋た。

通話時間は、䞃分にも満たなかった。

人生が倉わるには、ずいぶん短い時間だった。


終章 芋たいものだけが、真ん䞭にくる

翌朝。

KHJの玄関にあるカりントダりンボヌドの数字が、たた䞀぀枛っおいた。

地䞊デゞタル攟送開始たで。

あず、7日。

ひずしはい぀もより少し早く出瀟した。

自分でも理由は分からない。

フロアに入る。

寅子はただ来おいなかった。

仕事を始めた。

十分埌。

来ない。

二十分埌。

ただ来ない。

䞉十分埌。

「平さん」

同僚に呌ばれた。

「さっきから入口ばっかり芋おない」

「芋おたせん」

「誰か埅っおる」

「埅っおたせん」

そのずき。

「ひずし」

聞き慣れない呌び方がした。

振り返る。

寅子が立っおいた。

い぀もずたったく同じ顔で、呌び方だけが違った。

「おはよう」

「  おはよう」

蚀い慣れない敬語なしの返事が、少しぎこちなく出た。

寅子が、にやりず笑った。

「うたいじゃん」

「ただ慣れたせん」

「そういうずころも敬語じゃん」

「難しいんです、これは」

「ちょっず話があるんだけど」

「䜕ですか」

寅子はひずしの机の前たで来た。

呚囲を芋回した。

怅子はない。

そしお、昚日たでずたったく同じように、机の暪のゎミ箱ぞ手を䌞ばした。

「埅っお」

ひずしが止めた。

「䜕」

「そこに座るの、やめおください」

「なんで」

「なんでもです」

ひずしは立ち䞊がるず、少し離れた堎所から怅子を䞀脚持っおきた。

寅子の前に眮いた。

「どうぞ」

寅子は怅子を芋た。

それから、ひずしを芋た。

口元が、にやりず䞊がった。

「圌女だから」

「違いたす」

「昚日たでゎミ箱だったのに」

「前からやめおほしいず思っおたした」

「ふうん」

寅子は怅子に座った。

「で、話っお䜕ですか」

「別に」

「話があるっお蚀ったでしょう」

「顔芋に来ただけ」

ひずしは固たった。

寅子は笑った。

そのずき、ふず䞡手を䞊げた。

人差し指ず芪指で、小さな四角を぀くる。

祖父・久兵衛に教わった、昔からのおたじない。

芋たいものだけが、真ん䞭にくる。

四角の䞭に、ひずしの顔を入れた。

「䜕しおるんですか」

「芋おる」

「䜕を」

「その蟺を歩いおた人」

「僕は捕たったんですか」

「ううん」

寅子は指の四角を䞋ろした。

「自分から来た」

そう蚀っお、笑った。

ひずしは䜕も返せなかった。

その顔を芋お、寅子はたすたす楜しそうに笑った。

やがお遠くから、寅子を呌ぶ声がした。

「はヌい」

寅子は立ち䞊がった。

数歩歩いおから、振り返った。

「ひずしさん」

「はい」

「あ、たた敬語になっおる。たあいいや」

「今日、お昌䞀緒に食べよ」

「分かりたした」

「あず」

「䜕ですか」

「昚日の残りのお菓子あるよ」

「捚おおください」

「カビおない方」

「党郚捚おおください」

「もったいないなあ」

ぶ぀ぶ぀蚀いながら、寅子は自分の郚眲ぞ戻っおいった。

ひずしは、その背䞭を芋送った。

壁の向こうでは、地䞊デゞタル攟送の詊隓電波が、今日も静かに流れおいる。暪長の画面。新しい電波。リモコンを抌せば珟れる、今たでテレビにはなかった情報。攟送局の䞭では、誰もが未来のテレビに぀いお話しおいた。䜕ができる。䜕が倉わる。䜕が䟿利になる。

だが、ひずしにずっお、その頃KHJで始たった䞀番倧きな倉化は、地䞊デゞタル攟送ではなかった。

癜石茝道を远っおいた頃、寅子はい぀も䜕かを芋぀けおは走り出した。

誰かが止めおも、だいたい止たらなかった。

誰かが眮き去りにしたものを、最埌たで手攟さなかったように。

きっずこれからもそうなのだろう。

誰かが泣いおいれば銖を突っ蟌む。

おかしなものがあれば調べ始める。

攟っおおけば、その蟺を歩いおいる人たで捕たえかねない。

そしお自分はきっず、そのたびに蚀うのだ。

もういいんじゃないですか。

やめおおきたせんか。

危ないですよ。

無茶しないでください。

寅子はたぶん、そのたびに蚀う。

だめです。

そのあず、ひずしは倧きなため息を぀きながら、結局、圌女に぀いおいくのだろう。

このずきの二人は、ただ知らなかった。

この先、いく぀もの土地を䞀緒に旅するこずも。

そこでたた、いく぀もの䞍可解な出来事に出䌚うこずも。

寅子が䜕かを芋぀けるたびに、ひずしが巻き蟌たれおいくこずも。

そしおい぀か二人が、倫婊ず呌ばれるようになるこずも。

この朝には、ただ䜕も決たっおいなかった。

ただ䞀぀。

寅子が䜕かを芋぀けたずき。

その四角の䞭に、これからはもう䞀人、映り蟌む人間がいる。

それだけだった。


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