人よ、花よ、(下)

著者
今村翔吾
出版社
朝日新聞出版
発行
2025年4月30日 第1刷発行
感想
吉野潜伏
本作の(上)を読み終えた時点で多聞丸こと楠木正行は何がきっかけで気持ちが変わるのか?今村省吾はどのように描くのか?と思った。
((上)では多聞丸で文章を書いたが、以降は正行で進める。)
そして下巻を読み始めると早々にその機会はやって来た。
帝(南朝)に対する複雑な思いを抱きながらも、足利直義(尊氏の弟)の暗殺計画から帝を守るために、朝廷に仕える公人に扮して南朝の本拠地、吉野に潜伏することになる。
実際には棟梁が直接吉野に潜伏するなどということは無かったと思うが、ここで公家の坊門親忠(父正成の意見を潰し、無謀な戦いに追いやったとされる坊門清忠の息子。)や実質的に南朝を支配している北畠親房、そして後村上天皇との邂逅の中で(実際に正行と帝が直接会ったことは無いと思うが。)気持ちに変化が現れる。
坊門親忠
正行が最初に出会うのは坊門親忠。
親忠の父、清忠は正行の父、正成と因縁がある。
九州に逃れた足利尊氏の追討を主張したが強硬に反対。
息を吹き返した尊氏が京に迫った時に守りにくい京を一旦、離れることを主張したが、これも強硬に反対。
結局、正成の意見を潰しておきながら、無謀な戦い(湊川の戦い)に正成を赴かせ、善戦はしたものの多勢に無勢、正成は戦死している。
正行はそのことを親忠にぶつける。意外なことに親忠はそれを真正面から受け止める。そして正行から見ると無謀な戦いも安全な所で、安穏と暮らしている連中から見ればそうでは無かったことを知る。
いつの世にも存在する立場の違いというものか…正行は上記二点の事実に加え、親忠から新たに次の二点を知ることになる。
清忠は真剣に「楠木正成なら必ず勝つ」と信じていた。それも清忠だけではなく京に居る公家のほとんどが。
清忠は当時の判断を悔やみながら生涯を終えた
正行は親忠を(人柄を見た上でではあるが)「遺恨はあるものの、それを子である親忠まで負う必要があるのか。であれば、自分も父、正成の全てを負う必要があることになってしまう。」と言って赦している。
この会話の時点では既に正行の気持は固まっているのだが、実際、正行は同じような思いを持っていたのだろうなと思った。
北畠親房
当時、南朝の実権を握っていた人物である。南朝が北朝に比べ明らかに戦力も士気も劣るにも関わらず、北朝を倒そうと楠木党に何度も参集を命じるも、正行はのらりくらりとかわしていた。
この人のタチの悪い所は、南朝が北朝に勝てるとは思っていないのに、北朝を攻めて玉砕しようと考えている所である。
そのために貴族から武士、農民、老若男女多くの人々を犠牲にしようとしている。そしてそれを仕方が無いと考えている所である。
これによって全国の武士の勤皇精神を呼び覚まそうということだが、何も知らず人身御供にされる方はたまったものではない。
この企みを知った正行は当然反発する。
正行が南朝側に付いたのはあくまでも犠牲者を少なく抑え、できるだけ南朝に良い条件で北朝と和議を結ぶことを目的としている。
玉砕を唱える親房と対立するのは当然であろう。
最初は帝を後ろ盾にした正行に、楠木党が動くまで動かないと約束するのだが…
後に親房は正行との約束を破って、京を奪還すべしという綸旨を出す。
正行が北朝の有力武将を破って、せっかくある程度、南朝にも悪くない条件で北朝の高師直と和議を進められる所まで漕ぎつけたのにである。
これで北朝は南朝を信用できなくなり、和議は無くなってしまう。
歴史にたらればは無いが、経緯はともかく南朝が北朝と戦ったのは史実である。もし、正行の思い通り(正行は玉砕派説と和議派説の両方の説があるようだが、本書は和議派を採っている。)和議が結ばれていたら、後の世も変わっていたかもしれないと思うと、ここも歴史の分水嶺の一つだと思う。
ただ、ここで親房を責めるのは簡単だが、私なりに少し考えてみた。
自分の息子、顕家が帝(後醍醐天皇)への忠義から、尊氏との戦いで戦死したことを悔いて、罪もない人々を道連れに玉砕しようなどと考えるのはけしからぬことである。
しかし、かつて坊門清忠が「楠木正成なら必ず勝つ」と信じてしまったように、もしかすると親房も正行の活躍を見て、当初は勝てないと思っていたのに、「楠木正行なら必ず勝つ」と信じこんでしまったのではないかと思った。
昔も今も人間は目先で有利なことがあると、浮かれてしまって後のことが見えなくなる(現実が見えなくなる。)傾向があるように思う。
当時、親房も同じような状況になったのではないだろうか。
後村上天皇
正行の気持が変わったのはこの人に出会ったからだ。
実際にはこのようなことは無かっただろうが、物語の上ではやはり後村上天皇と偶然、出会い、言葉を交わすことで自分と同じような境遇であることに共感を覚えたのだろうと思う。
民を救うために北朝に降ることも厭わないという、後村上天皇。後醍醐帝の息子というだけで南朝の帝にまつりあげられ、正当な天皇としての振る舞いを強いられる。
多くの公家が(自分たちにその気は無いくせに)帝の名のもとであれば、命を捨ててでも、忠義を尽くして働くのが当然と考えているのに、この人は「帝のために失っても良い命など無い。」と言い切っている。
正行もこの人の人柄を見て気持ちを変えたのは明らかである。これもたらればだが、もし後村上天皇がこのような人物でなく、他の公家と同じような人物であったら、どうだっただろう。
正行は北朝側に付いていただろうか?そうなれば歴史はどうなっていただろうか?と思う。
歴史の評価
史実では四条畷の戦いで楠木正行は高師直に敗れ、戦死している。
本書ではどうか?もちろん、正行が勝利するということは無い。
ただ、直義と師直の主導権争いが激化する北朝の中で師直が求心力を保てているのは、戦に強い(負け知らず)ためである。
師直は自分が敵に押されて後退することさえ許されないと考えている。(実際、ここまで無かった。)
しかし、正行はわずかな兵力で師直の本陣を蹂躙している。師直は踏みとどまろうとするが、家臣たちに守られて後退する。そして正行だけでなく、楠木党の主だった者全員が、笑みさえ浮かべながら戦っている。そこに悲壮感は感じられない。
確かに正行は戦場に散ったかも知れない。しかしこの後の歴史を見た時、観応の擾乱で師直が敗れ去ったのは、ここで求心力を失ったからだとしたら、正行が勝者と言ってもいいだろう。
判官びいき?
本書を読み終えて思ったことがある。最後の正行の姿、誰かに似ている気がした。ただし、父親である楠木正成ではない。
では誰か?真田幸村である。
同じ著者による「幸村を討て」で幸村はあと一歩の所まで家康を追い込んでいる。こちらも悲壮感は感じられない。そういう意味では幸村と正行の姿が重なって見える。どちらも父親が英雄視されている点も似ている。
裏を返せば、徳川家康と高師直がこれらの今村作品の中では重なって見えるということにもなるのだが。もしかすると今村省吾は判官びいきなのか?と思ったりもしたが、私は歴史上の敗者に何らかの輝きを見つけることに長けているのだと思っている。
