人よ、花よ、(上)

著者
今村翔吾
出版社
朝日新聞出版
発行
2025年4月30日 第1刷発行
感想
手にしたきっかけ
今村作品に外れ無し。本書も以前から読みたいと思っていたのだが、なかなかタイミングが合わずにいた。
今回、「徳川最後の将軍 慶喜の本心」を読み終えて、丁度、読んでいる本が無くなった時に、本書を見つけたので「ここで逃す手は無い!」ということで手にすることにした。
実際、この数日後に「重力ピエロ」を入手したので、まさにタッチの差であった。(「重力ピエロ」については読了後にまた感想を書こうと思う。)
概要
本作の主人公は楠木正行。有名な楠木正成の長男である。
但し上巻である本書では正行ではなく幼名の多聞丸で語られており、青年期の物語である。よってここでは多聞丸とする。
正成、正行親子と言えばやはり「桜井の別れ」が有名である。死を覚悟して湊川(現在の神戸市中央区)に向かう正成が桜井の駅(現在の三島郡島本町)で当時11歳であった多聞丸を諭して故郷の河内へ帰らせ、後を託すという話である。
映画や歌舞伎の題材にもなっているし、私も吉川英治版の「太平記」などで読んだりもしている。
正成は湊川の戦いで奮戦するも、圧倒的大軍の前に力尽きて散ってしまう。
本書は河内へ帰った多聞丸が楠木家の家督を継いでからの物語である。
登場人物
今村作品の特徴に魅力的なキャラクターが多いということがあると個人的に思っている。
例えば「茜唄」の平教経や「くらまし屋稼業」シリーズの惣一郎、「イクサガミ」の貫地谷武骨などなど枚挙にいとまがない。私が好きな登場人物を並べているだけだが、読者それぞれにお気に入りの登場人物がいると思う。
そして本作である。本作でも青屋灰左、和田新発意などユニークな若手から大塚惟正、野田正周といった父、正成の頃から楠木家を支えてきたベテランまで志士済々である。
上巻ではまだ敵役は少ないが、それでも高師直が早くも登場しているし、金毘羅党の金毘羅義方や岩玄房も個性的である。
今村作品は意外な所で伏線を張っていて、「あ!あの時の場面がここに繋がるのか!」ということがよくあるが、岩玄房などは下巻でも意外な所で登場するのではないかと期待しているのだがどうだろうか。
親子の複雑な感情
正成は今でも大楠公として湊川神社に祀られているが、当時から既に河内の民に慕われ、足利尊氏率いる北朝を苦しめ、最後は後醍醐天皇に殉じたことから、偉大な人物として崇拝されていた。
そんな偉大な父を持つ息子の多聞丸には、当然、庶民のみならず楠木家の人々も大きな期待を寄せるのは仕方の無いことだろう。
父同様物流で河内国を豊かにし、湊川の戦いで失った力を七割方回復し、金毘羅党との戦いで見せた戦略家でもある多聞丸は、父親同様有能なな領主であったと言えるだろう。
誰もが足利尊氏を追いやり、南朝を復興させるのは多聞丸しかいないと思うのも仕方があるまい。
しかし正行の思いは他にあった。最初にその気持を表明した時は私でさえも「ウソやん!」と思った。そして史実と照らし合わせると、どこでどのようなきっかけで多聞丸の気持が変わるのか?今村省吾はこれをどう描くのかとても楽しみになった。
また多聞丸はどちらかというと父親の正成にではなく、母親である久子に複雑な感情を抱いていたのではないだろうか。
偉大な父、正成の後継者として多くの人々と同様に、自分に対して期待を抱く母親。自分の気持を早く久子に伝えないといけないと思いながら、なかなか打ち明けられず逡巡する多聞丸。
とは言え、打ち明けた時の久子の反応を見る限り、案外、久子は気付いていたのではないかなという気がした。
また朝廷(南朝)に対しても複雑な思いを抱えている。
正成が延元の乱で一度は尊氏を破り、九州に落ち延びた尊氏を討つことを当時の後醍醐天皇に進言するも受け入れられず、勢力を回復した尊氏が大軍で京に迫ると、一旦、京を撤退することを提案するもこれも拒否。最後は正成に尊氏討伐を命じ、死地へ赴くのも止めなかった帝を始めとする南朝の公家。「父を殺したのは南朝と思っている。」と弁内侍こと茅乃に言うあたりは史実に照らしても本当に多聞丸はそのように思っていたのではないかと思った。
伝説は作られる
この上巻で筆者が言いたいことは何なのだろう?とふと思った。
先にも述べた通り楠木正成という人物は現代までほとんど神として崇め奉られている。それを否定する気は無いし、名君の誉れ高かったことも事実だろうと思う。
桜井の別れの中で正成が「俺はきっと英傑にされてしまう。」というシーンがある。
これは実に意味深である。「されてしまう。」とはどういうことか?
現在の正成の本心がどうであれ、またそれを人に語ったところで、楠木正成という人物は今とは比べ物にならないくらい、英傑、英雄、忠臣と祀り上げられることになるだろうという。
確かに現代においても楠木正成という人物は英傑であり英雄であり忠臣であり、神でもある。
これは誰が悪いわけでもなく人の口から口に伝えられるたびに、時には無かったことが付け加えられ、小さなことが大きく語られ、人々が望む楠木正成が出来上がる。
そして人々は誰もがそれを真実と思い込む。身内であっても同様だという。むしろ身内の方がそれが強い。
多聞丸はそれを目の当たりにしている。それは「桜井の別れ」が当事者である自分の知らない話になっていることでも分かる。
弟の虎夜叉丸に本当の「桜井の別れ」のことを伝えた時の虎夜叉丸の反応は信じたくない気持ちがありありと現れていた。
私もこれまでに見たり読んだりしてきた「桜井の別れ」と違っていて戸惑ってしまったが、筆者のこういう見方もあるのかも知れないなと思った。
我々現代人も話をそのまま受け入れるのではなく、脚色や付け足しがあることも踏まえて、考えなければならない。そういうことを示唆しているように思った。
下巻に期待
さて、本書では高師直こそ登場したものの、足利尊氏やその弟足利直義は登場していない。
本書で尊氏はシンボルではあるものの実際の軍略や政務は直義や師直が担っている。そしてこの二人の間には亀裂が入っている。
このような北朝側に対して多聞丸はどのように戦っていくのか、そして多聞丸の心の変化は?下巻で今村省吾がどのように描くか楽しみにしている。
