見出し画像

( )に触れる 02 | 探究の扉

気づけば、当たり前のように使っている括弧。
「( )を見つめる 02」に「社会的役割」という補助線を引いて、その記号に少しばかり近づいてみます。

括弧は、どことなく不思議な存在です。
括弧が見せる、中身を包み込む静けさと、外部と距離を取る冷静さ。
それはまるで抱擁のようでありながら、遮断にも見受けられます。

この相反する二つの顔をぼんやり眺めていると、
人々の社会での振る舞いとも、どこか重なって見えてきます。
人は、場や相手に応じて、さまざまな顔を使い分けますので、
その都度、どの部分を見せて、どこを括弧で囲っておくか、
無意識に調整しているのかもしれません。

そのような存在感を持つ括弧を見ていると、ふと思い出す概念があります。
社会学者アーヴィング・ゴフマンが語った「社会的役割(social roles)」という考え方です。

仕事ではひた隠しにしているその感情を、
親しい人にだけは少し甘えるように見せるあの人も。
子どもの前ではしっかりしているけれど、
実家に帰ると、親の役割を少しだけ脱ぐあの人も。
SNS上では言える本音も、実生活では見せないあの人も。
誰もが日々、見せる・見せないの小さな括弧の操作を重ねながら、
複数の社会的役割を生きています。

括弧もまた、場面ごとに複数の社会的役割を担っているように見えます。

括弧は、真正面からは言いにくいことを小声で語る「語り手」でありながら、
時に一歩引いた視点で本文に情報を添える「解説者」にもなり、
また、同じく一歩引いた視点から本文のことを冷静に分析する「観客」にもなります。
こうして、括弧はさまざまな声を抱き締めることができるのです。
どの声も存在していいのだと、そっと慈しむように。

この意味で、括弧は、ひとりの人間が複数の自分を生きることを手助けしてくれます。
括弧は仮面ではなく、そのどれもが、その場に応じた本当の顔です。
どれを今見せるかは、状況と周りからの見え方によって決まります。
それは振る舞いの選択であり、括弧を通して静かに社会と対話しているのかもしれません。

括弧とは、単なる記号ではなく、
文章と読み手のあいだに立ち、さまざまな役が舞台に立てるよう支えてくれる、
小さな演出家なのかもしれません。

皆さんは、どのような場面で括弧に支えてもらっているでしょうか。
いつかそのようなお話も、お伺いできたら嬉しく思います。



【原著紹介】※敬称略
Goffman, Erving. The Presentation of Self in Everyday Life. Doubleday: Garden City, New York, 1959. ※ Scotland, 1956版 ↓
https://monoskop.org/images/1/19/Goffman_Erving_The_Presentation_of_Self_in_Everyday_Life.pdf

[邦訳]
アーヴィング・ゴフマン著
『日常生活における自己呈示』
中河伸俊・小島奈名子訳、筑摩書房(ちくま学芸文庫)、2023年


いいなと思ったら応援しよう!