( )に触れる 04 | 探究の扉
気づけば、当たり前のように使っている括弧。
「( )に触れる 04」は「エポケー」という考え方を手に取り、この記号をもう一度見つめ直してみます。
括弧は、またしても不思議な存在です。
その中に身を置くと、肯定と否定の境目を漂いながら、
どちらにも近づかずにいられる余白が生まれます。
そうした括弧の空間を眺めていると、ふと思い出す概念があります。
哲学者エトムント・フッサールが語った「エポケー(epoche)」という捉え方です。
エポケーとは、何かをすぐに決めず、判断の手前でそっと立ち止まること。
遥か古代ギリシアの時代から息づくこの言葉。
当時は心の平穏を守るため、何も決めない静けさが求められていたのかもしれません。
決めないことで得られる安らぎ。
その心境は、今の時代にも寄り添ってくれます。
そして時を越えて2000年余り。
フッサールは、世界を新しく、曖昧なまま見つめてみるために「判断を停止する」ことを提唱しました。
今度は心の平穏というより、心の冒険のために、部屋の灯りを消すような気持ちで。
フッサールはまた、「括弧に入れる」という表現も残しています。
判断を否定せず、静かに一時停止することで、
対象と自分との間に、見つめ直すための温かな距離が生まれます。
さらに、すぐに再生や再開できる余地がいつも用意されているのです。
括弧は、ただの記号ではなく、
すぐにピントを合わせないまま景色を見つめるための、
曖昧で柔らかなファインダーなのかもしれません。
皆さんは、まだ答えを出したくない声を括弧に預けたことはあるでしょうか。
いつかそのようなお話も、お伺いできたら嬉しく思います。
【原著紹介】※敬称略
Edmund Husserl, Ideen zu einer reinen Phänomenologie und phänomenologischen Philosophie, 2009 (1913).
[邦訳]
エトムント・フッサール 著
『イデーン Ⅰ-Ⅰ』、渡辺二郎訳、1979年
『イデーン Ⅰ-Ⅱ』、渡辺二郎訳、1984年
ともに、みすず書房
