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#225 今こそ!GLAYの全オリジナルアルバムのレビューとガチ解説をやりたい〜Part3 JUSTICE/GUILTYからBack To The Popsまで〜




2024年5月25日にデビュー30周年を迎えたGLAY。
そのアニバーサリーイヤーの活動も4月にベストアルバム「DRIVE 1993~2026 -GLAY complete BEST」が発売され、5月末から6月頭にかけて東京ドームと京セラドーム大阪で行われるドームツアーにて終了した。

思い返せば、今年で28歳になる私の音楽史はほぼGLAYで占められているし、人生自体がGLAYと共にあったとさえ言える。そう言い切っても大袈裟ではない。
幼少期、何かと車移動の多かった家族の車中で流れていたのはいつも親がファンだったGLAYであり、自分が初めて聴いた(と記憶している)音楽は3歳の時に聴いた「DRIVE-GLAY complete BEST」だった。よくよく考えたら幼稚園児のくせして子供向けアニメの曲とかではなく「Uh バイブル彼女の過激」なんて口ずさんでいた訳だから、実に嫌な幼稚園児である。何はともあれ、28歳にしてGLAYファン歴25年なのだ。これから歳を重ねるにつれ「人生の中でGLAYファンとして生きた時間」の割合はより増えていく。

GLAYに触れて25周年。まだ20代とて気が付けばアラサー。「うわ、TAKUROって今の自分の歳でpure soul書いたのかよ…」と思う年齢すら超えようとしている。
という訳で今回は(という訳でってなんだ)、ベストアルバムが出たからオリジナルアルバムについて触れていきたいという事で、インディーズ時代を含めてGLAYが過去に出したオリジナルアルバム18作のアルバムレビューというか、勝手な解説みたいなものを書いてみたいと思う。
Note上で3回に分けて更新していくので、是非お付き合い願いたい。


(ちなみに、私自身もちゃっかり客を作ったりアルバムを出したりしてみておりますので、もののついでに是非に)



11thアルバム

JUSTICE



12thアルバム

GUILTY

2013年1月23日発売

アルバムとしてはそれぞれ11th、12thと銘打たれているがこの2枚は同時リリースとなっており、それぞれコンセプトの異なる2枚組とも表現できる性質を持っている。その為、この2枚のレビューでは前作はGLAY、次作はMUSIC LIFEと統一して表記していく。
アルバムタイトルは基本的にTAKUROが決定しておりそれ自体は本作も同じだが、本作はHISASHIが新調した自身のギター2本に名付けた《JUSTICE》《GUILTY》の言葉を気に入ったTAKUROかまそのままアルバムタイトルに採用した。シンプルなデザインのジャケットはTERUが描いている。なおJUSTICEが11作目として発売されているが、制作時期は12作目のGUILTYの方が先である。

JUSTICEはGLAYとしては初のセルフプロデュースアルバムとなった。同時発売のGUILTYは佐久間正英氏、次作以降は亀田誠治氏がプロデューサーを務めており、インディーズとして発売した灰とダイヤモンドもセルフプロデュース名義でなあるが実質的にはYOSHIKIプロデュース作品だった為、GLAYのセルフプロデュースアルバムは2025年時点で事実上本作が唯一である。
前作が《GLAY》と冠した通りにザ・GLAYとなった作品の反動というよりも、前作を制作するに至る経緯自体が「新しいサウンドを探す前に"これぞGLAY"というものを取り戻す必要があった」とTAKUROが当時から語っているように、本作は"これまでのGLAYと違う事をやる"という事自体がテーマだったと言える。そこは当時のGLAYの環境がそうしたHEAVY GAUGEONE LOVEとも違い、或いは同じく異色作としてカテゴライズされるTAKUROの世界観にフォーカスしたUNITY ROOTS FAMILY&AWAYとも違う変化だろう。実際、本作は初のセルフプロデュースというよりもメジャーでは初めて佐久間氏がプロデュースしないアルバムとなっただけでなく、サウンドエンジニアも新たに小西康司氏を迎えて制作され、ドラムもこれまではTOSHIこと永井利光氏が原則として全て担っていたが、本作ではTOSHIをメインにしつつもピエール中野氏が3曲でドラムを叩いている。前述したように制作時期はGUILTYよりも後である為、前作及びGUILTYでGLAY×佐久間正英の制作活動に一つの区切りを打ち、本作は新たな模索と再構築というの毛色が強い。本作収録のHISASHI作曲の『JUSTICE [from] GUILTY』とJIRO作曲の『運命論』が両A面シングルとしてTAKURO以外の楽曲で初めてシングルA面となった事、アルバム収録曲の半分が非TAKURO曲となった事もそういう意図の表れだろう。
実際、これ以前これ以後の作品とは明らかに異色な仕上がりである為かファン人気も賛否がある一枚ではあるものの、そういう背景を踏まえて聴くと味わい深さがある。特に今回はセルフプロデュースゆえか、一定の粗さ、ラフ感を残す事で生々しくライブ感のある仕上がりになっているのは聴きどころの一つ。曲順にしても『WHO KILLED MY DIVA』がそのまま次の『ROUTE 5 BAYSHORE LINE』に繋がる流れだとか、唯一のバラードである『真昼の月の静けさに』を終えて不穏な空気を放つインスト曲『gestalt』を挟んで『JUSTICE [from] GUILTY』が幕を開けるなど、コンセプトアルバム的なまとまりと統一感は他のGLAY作品と比べても強いように思う。ちなみに『LOVE IMPOSSIBLE』は元々GLAY×EXILEの候補曲だったとの事だが、サビの一発目が「モロやんけ!!」って思うのでおすすめ。


GUILTYは佐久間氏をプロデューサーとした従来のGLAYチームとしての作品となっており、TAKUROも「GLAYにとっての佐久間ワークス及びTAKUROメロディーの集大成」と述べている。本作の10ヶ月後に発売されたシングルにして佐久間プロデュースの最終作品となった『DIAMOND SKIN』はセルフプロデュースと亀田氏のプロデュースを挟んで再び佐久間プロデュースとなった事から「再び佐久間氏をプロデューサーに迎え…」と書く媒体もあったが、元々は本作用に製作されたものを「アルバムの1曲として出すにはもったいない」との意向で発売を遅らせた経緯がある為、GLAYにとってこのGUILTYの制作がメジャーデビュー以降の全てを支えた佐久間氏との最後の仕事だったと思われる。
前作が音楽性としてのGLAYらしさを突き詰めたアルバムとするならば、本作はGLAYらしいアルバムとしての落ち着きがある。そこは佐久間ワークスの集大成と評される要因の一つであり、『Bible』など前作から本作に至るまでの活動のハイライトと呼べるような楽曲はGUILTYに収録されている。逆に言えば、シングルでトリッキーな曲が増えたここ数年ならともかく当時のGLAYが急にJUSTICEを出してくればファンはまあ面食らっただろうし、いわゆる安心安全のGLAYというか、言い方は悪いがGUILTYがGLAYファンにとって少なくとも外れる事はないアルバムに仕上がった事でJUSTICEというチャレンジに踏み切れた側面はあると思う。JUSTICEが楽曲自体はシンプルなものを用いてそこへのサウンドの拡がりと表現を模索するものなら、GUILTYは曲自体がドラマチックな展開になっているところをどう引き立たせるかという違いになっているところも2枚の違いが引き立つ部分と言える。

いずれにしても、この2枚はGLAYの中でターニングポイントでもあるアルバムだったし、メンバー側もその意識で制作していたように思う。TAKURO自身がこれまでのGLAY及びTAKURO楽曲の王道を前作及びGUILTYで出し切りにいくかのようなコメントを残しており、特に『Bible』に至っては「自分が思う音楽の頂点をこの曲で極めた」「Bibleの完成後、(自分のメロディーが)なだらかな下り坂になる予感があった」とまでコメントするほどだった。実際にGUILTY以降のTAKUROはGLAYの王道的な曲ではないものを中心に作りつつ自身もソロでジャズミュージックを始めるなど新しいフェーズを模索し始め、逆に2017年のSUMMERDELICSに代表されるように他の3人をメインステージに押し上げるようなスタイルが少なくとも2019年ごろまでは続く事になる。現にHISASHIとJIRO、翌年にはTERUが手掛けた楽曲がシングルA面となり、それまでは4曲入りシングルという意味合いでしかなかったG4シリーズがメンバーそれぞれが手がけた楽曲を収録するというスタイルで定着したのもこの時期である。プロデューサーの交代を含め、これ以降の活動を示唆する作品であった事は間違いない。


13thアルバム

MUSIC LIFE

2014年11月5日発売

GLAY20周年記念アルバムとしてリリースされた一枚。前作が1月発売だったとはいえ、オリジナルアルバムを2年連続でリリースしたのは独立後初めて。本作以降、GLAYのアルバムは周年イヤーに一枚、周年と周年の中間に一枚という大体2〜3年に一枚アルバムを出すルーティーンがなんとなく確立され始めている。ジャケットはビートルズのリボルバーを想起させるデザインとなっているが、実際に同作のデザインを手がけたクラウス・フォアマンが描いた。なお、本作から村山☆潤氏が一部の曲でキーボードとして参加しており、当初はTERU楽曲に限定した参加だったが、後に編曲やサポートキーボーディストを務めるに至るなど深く関わっていく事になる。
まず本作最大の要素はデビューから19年間プロデューサーを務めた佐久間氏から亀田誠治氏へ変更した事である。佐久間氏は前作発売の3ヶ月後にスキルス胃がんと診断され2014年1月に亡くなっているが、佐久間氏の病により活動困難となった事でプロデューサーを変更したのか、前述の通り発売順とは違って佐久間氏との最後の作品となったGUILTYの後にセルフプロデュースのJUSTICEを作っていたという事もあり、佐久間氏の病のタイミングは偶然で元々佐久間氏との仕事はGUILTYを最後とするつもりだったのか、或いはGUILTYからは佐久間氏がエンジニアとしてクレジットされているように本人も編曲作業はある程度GLAYに任せて自身はエンジニアとしての作業に力を入れたい意向を持っていたのでそういう形での新体制にシフトしようとしていたのかは定かではない。ただいずれにしても、メンバー間でもし佐久間氏以外のプロデューサーと組むとしたら?という会話の中で亀田氏の名前は挙がっており、その旨自体は2008年の時点では伝えていたとの事で、JIROの「新しい人ともやりたいし、佐久間さんとやらない理由もない」というコメントが一番端的ではあるように思う。
《20周年記念アルバム》ではあるが、アルバム製作に於けるスタンスはJUSTICEがこれまでと違うサウンドを求めたものなら、本作は新しい可能性を模索する、新しい方向性を探るようなものだったと言える。そういう意味では2010年代にTAKUROが意識的に取り組んでいた「TAKURO以外の3人の楽曲をフィーチャーしつつ、TAKUROは王道パターンじゃないタイプの楽曲を制作する」という方向性の過程としてわかりやすいアルバムだと思う。実際、本作でGLAYのキャッチー感、ポップ感を押し出した楽曲はTERUが手掛けた『BLEEZE』『疾走れ!ミライ』が担っており、本作のラストナンバーもJIROの楽曲となり(作詞はTAKURO)、HISASHI楽曲も彼にしては稀有なメッセージ性強めな作品になっていた。一方でTAKURO楽曲は『Hospital pm9』のようならしいバラードもあるが傾向としてはルーツや本能に従って書いたような楽曲が多く、当時のテレビでインタビュアーに「TAKUROさんが自由に曲を作っている印象を受けた」と言われた際には「そこに気付いてもらえて本当に嬉しい」「それが今回一番やりたかった事」と答えていたので、ある意味では楽曲製作に於けるTERUとTAKUROの役割を交換したようなアルバムと言えるかもしれない。また、今でこそGLAYの製作に於ける亀田氏はほぼGLAYくらいの関わり方をしているが、当時は佐久間氏がほぼGLAY的なポジションだったので第三者視点で今のGLAYをジャッジしてほしいという意向をGLAYは亀田氏に示していた事からアルバム収録曲は亀田氏が決定権を持っており、TAKURO曰く「亀田さんに全部のデモを誰が作った曲かを伝えずに聴いてもらって、今のGLAYがやったら面白そうな曲を選んでもらった」との事。なお全員が自分の声で仮歌を入れていたのてで誰の曲か普通にバレたらしい。

なお本作は仮タイトルが「グレート・ドラマー・ハント」だった事が物語るように、サポートドラマーを務めるTOSHI以外にも松下敦、村石雅行、高橋まこと、中村達也がドラムで参加している。一枚のアルバムにここまで日本音楽界の著名なドラマーが多数参加するアルバムはそう多くないと思うので、GLAYファンという訳ではないけどドラムマニア…みたいな人にとっても面白いアルバムなのでは。


14thアルバム

SUMMERDELICS

2017年7月12日発売

まずもし、このNoteを読んで初めてSUMMERDELICSを聴くという方がいるとしたら先に言っておきたい。大丈夫、あなたの再生機器は正常です。


アルバム発売は10月〜3月の期間が通例となっているGLAYにとってpure soul以来19年ぶりに夏季に発売したアルバムであり、現時点で夏をアルバムテーマとして押し出した唯一の作品。ただしHISASHI曰く「夏の作品とは知らずに作っていた」と語っており、TAKUROはTAKUROで制作テーマというよりは「ある日突然思いついた」との事。とはいえ既にライブで披露されていた『あなたといきてゆく』はGLAYの王道バラードでありながら秋〜冬感が強く、尚且つ王道ゆえにバランスを整える形にしたくないという意向で外されるなど選曲はコンセプトを遵守している。前作に引き続き、TOSHIの他にも宮上元克、澤村小夜子、玉田豊夢、クハラカズユキと著名なドラマーが多数参加した。
2010年に発売されたアルバムのGLAY、2012年のGUILTYという王道GLAYと呼ぶべき作品を出した後から始まったTAKUROの構想に於ける集大成的な作品と言える。というのも、GUILTYの後に制作されたJUSTICEで実験的要素を多く加え、翌年からは新プロデューサーを迎えるなど多くの変化が起こっていた中で、本作発売前後にTAKUROは「自分以外の3人(特にHISASHI)の才能をメインストリームに出せる状況をマネジメントとして用意しなければならない」と度々語っており、現にJUSTICEから前作までの間にTAKURO以外の3人が手がけた楽曲がシングルA面となり、G4シリーズもメンバーそれぞれの作曲曲を収録するという流れが確立。ちょうど前作から本作までの間辺りから「インプットをGLAYに持ち帰る」という題目の下でメンバーのGLAY外での活動も活発となり、逆に言われる王道GLAYのようなTAKUROメロディーは発売から20年後に出す流れが定着したAnthologyシリーズが担保するようになった。その結果、TAKUROと HISASHIが4曲ずつ、TERUとJIROが3曲ずつ作曲したアルバムの完成に至ったのは2010年代のTAKUROの構想の到達点と呼ぶべきだろう。TAKUROの言う「そういう状況」が出来たから出した、という事である。

で、作品そのものについては…ある意味、ビートルズのホワイトアルバムやTHE BLUE HEARTSのPANのようなアルバムを、仲良しバンドが全員で協力して作るとこうなる、というアルバムでもあったように思う。また、メンバー4人の個性を押し出した点で異色作的なイメージを持たれているが、意図的に尖った楽曲を含めようとしていた節もあるJUSTICEやMUSIC LIFEと比較すると曲自体はポップなものが多く、メンバーも個々がポップな曲を作ろうとする事でメンバーごとの違いや個性が際立つ構成になっているとも言える。JIROは本作発売時のインタビューでメンバー4人それぞれの作風に対して「ポップである事は共通しているがベクトルが違う」と語っている事に代表されるように、特にTAKUROの『XYZ』『Supernova Express 2017』、HISASHIの『シン・ゾンビ』『超音速デスティニー』、TERUの『空が青空であるために』、JIROの『Scoop』辺りを聴き比べるとJIROの言う4人のベクトルの違いがわかりやすく見える。その違いを味わうのが本作の楽しみ方であり、前述した他バンドの2つと異なり仲の良いメンバーが密な協力体制で本作を完成させられる事がGLAYの魅力とも言えるだろう。


15thアルバム

NO DEMOCRACY

2019年10月2日発売

GLAY25周年に発売されたアルバム。GLAYの25周年は「バンドって民主主義だと思う」「ファンと共につくるアニバーサリー」という意味を込めた《DEMOCRACY》を活動コンセプトとして掲げており、同年の作品やイベントは2020年のREVIEW Ⅱを除けば全てに《DEMOCRACY》の名前が冠せられており、本作のタイトルやジャケットもそれを踏襲したものになっている。前作及び前々作では多数のドラマーが参加していたが、本作ではTOSHIで固定する形に戻している(前作の制作時点で完成していた『あなたといきてゆく』を除く)。
なお、本作はTAKURO自身がYouTube上で全曲解説動画を配信しているのでそちらも。

2019年の活動コンセプト自体に明確なテーマがあった影響か、或いは本作がそういうテーマで作られていたからそう言う活動コンセプトになったのかの順番はわからないが、GLAYの中では最もコンセプトアルバムとしての毛色が強い作品であるように感じる。JUSTICE〜SUMMER DELICSまでの期間は活動自体が「これまでと違う角度の表現にトライする」「TAKURO以外の3人の作曲家としての個性を押し出す」という方向性があった中で、前作がその過程に於ける到達点のような作品となった。一方、本作は「TAKUROが言葉にこだわったアルバム」「詩の世界観を大事にしたアルバム」というコンセプトが掲げられており、それはタイトル発表前の時点から提示されており、4人全員の楽曲が含まれてはいるが久々にTAKURO色を強調したアルバムとも言えて、実際にJIROやHISASHIの作曲曲もアレンジの方向性をTAKUROが主導した辺りもそういうスタンスが色濃く出ている。TAKURO曰く、前作でJIROが書いた『lifetime』が触発される一つの動機になり、言葉のアルバムという大枠設定した中でTERUが『COLORS』を持ってきた事が要因として大きかったらしい。『あゝ、無常』『戦禍の子』『元号』などメッセージ性の強い楽曲が多いのも特徴だろう。
特徴として曲順は本作のコンセプト感を醸成するのに大きな役割を担っていると思う。前作から本作の間に既に発売された曲が複数あったが、本作では既発曲を9曲目以降に固めて、逆に初公開となる曲は8曲目までに全て出し切るという構成になっている。実際に1〜8曲目までは前述したような言葉の世界観を強調した楽曲や当時の世相に対するメッセージ性が込められたような楽曲が顔を並べ、8曲目までで唯一TAKURO以外が歌詞を書いた『My name is DATURA』(HISASHI)もそういう匂いを持つ楽曲となっている。一方、9曲目以降は既にシングルとして発売されているだけあってキャッチーかつ王道GLAYな手触りの曲が並んでおり、TERUが手掛けた『COLORS』『はじまりのうた』は象徴的な楽曲だろう。そういう意味では8曲目が見るからに歌詞の重い『戦禍の子』で、次の9曲目にTAKUROすら「(ツインギターの)ああいうキメをやりたいだけの曲」と言い切った底抜けに明るい『JUST FINE』が続く流れは最初に聴いた時はあまりにも温度差を感じたが、レコードで言うところの8曲目までをA面、9曲目以降をB面として考えるとコンセプトアルバムとしてすごくしっくりくるなあと思うようになった。

ちなみに『HOWEVER』や『誘惑』に代表されるようにGLAYは基本的にHISASHIがリードギター、TAKUROがリズムギターの役割分担となっていたが、前述のようにJUSTICEから前作までのいわば"GLAY改造期"を経た結果、本作以降はツインギターのアプローチが微妙に変化している。ソロでジャズのアルバムをリリースしたTAKUROがそのエッセンスをGLAYに持ち込むようになったのは本作以降であり、『氷の翼』で顕著なように、これまでギターソロでの主張は控えめだったTAKUROパートがフィーチャーされる事が多くなった。一方のHISASHIはむしろ少ない音数で印象を際立たせるというアプローチにこだわるようになっており、派手なギターソロというよりは短いフレーズを良いところに挿し込むアレンジが多くなった。一般的なイメージとは異なり、むしろTAKUROの方が自由寄り、HISASHIの方が規則的なギターアレンジになっていったのは本作以前と以後の大きな違いであり、既存曲のライブアレンジでもその毛色が如実に表れるようになる。


16thアルバム

FREEDOM ONLY

2021年10月6日発売

コロナ禍以降、最初に発売されたアルバム。アルバムタイトルはカーペンターズ『青春の輝き』の一節に由来している。本作収録のシングル曲は4曲となっているが『BAD APPLE』を除く3曲はいずれも配信シングルだった為、厳密なシングルとして発売されたのは1曲のみと灰とダイヤモンドを除けば最も少ない。
本作はGLAY公式ホームページにセルフライナーノーツというか、製作後記のようなものがまとめられているのでそちらも参照にされたい。


JIROが当時のインタビューや自身のラジオで「みんなが待ってるGLAYのアルバムになっていると思う」「僕のイメージでは『BELOVED』に似ている」と語っていたように、実験的な作品が続いたここ数年の作品とは打って変わって王道サウンドの一枚となったが、それ以上に本作は大きく分けて3つの特徴を持っているように思う。
一つは未完成のまま放置していたデモテープを作品化する作業に取り組むようになった事。これは前作と本作の間にコロナ禍が発生して全ての作業やスケジュールがストップした事を契機にTAKUROが断片的なデモテープまで掘り起こして聴き直し「GLAYの今の演奏やアレンジの技術なら完成させられるのでは?」「当時できなかった事が今ならできるのでは?」という発想に至ったとの事で、例えば『FRIED GREEN TOMATOES』はpure soulの製作時には作られており、プレスリリースでも「1997年から2020年の楽曲を詰め込んだ」と記載されている。二つ目は、GLAYメンバーの年代は「邦楽世代の始まり」のような部分があり、いわゆる洋楽コンプレックスのようなものがなく、J-POPやJ-ROCKへの憧れで音楽を始める事になった最初の世代という側面があり、ルーツ的な音楽を現代のフィルターや自分達の解釈で再構築する事で反映する事で「ちょっとJロック、Jポップを背負ってみたい」「俺なりのトリビュート」という意図がTAKUROから語られていた。もう一つはこれまでは4人の個性を押し出す作品が続いていたが、本作はTAKURO中心の制作に戻した事。これまではメンバーからデモを集めて収録曲を選曲していく形が多かったが、本作ではTAKUROがアルバムの方向性と共に先に13〜14曲ほどのデモを提示してきたとの事で、実際に全楽曲の作詞作曲をTAKUROが務めているのはHEAVY GAUGEと本作のみである(ただし亀田誠治、HISASHIとの共作曲はある)。三つ目に関しては他の3人の曲がシングルA面になる機会も多いのでGLAYの活動がそういう方向にシフトした訳ではないが、一つ目と二つ目に関しては次作でもそのまま引き継がれるようなテーマになっており(なんなら次作はより二つ目の特徴を押し出している)、ある意味ではJUSTICE〜SUMMERDELICSまでの期間の模索の末に辿り着いた境地のようにも思う。
本作でアップテンポなナンバーは『Hypersonic』のみであり、前述したJIROのコメント通りというか、ある意味では"大人になったBELOVED"のような手触りのある作品だと思う。これは単に過去のヒット作をなぞったという訳ではなく、結局のところGLAYのオリジナリティが確立されたのがBELOVEDになってくると思うので、様々なアプローチを試した結果、いわば最後に"自分達が最も自信のある形"に帰結するのは自然な事なのかもしれない。『BETTY BLUE』『FRIED GREEN TOMATOES』『漂えど沈まず』『祝祭』といった楽曲は歌詞も含めて成熟したバンドだからこそ完成し得た佳作と呼ぶべきもので、前作から本作までの間に発表された『Into The Wild』を彷彿とさせるような『Tiny Soldier』『Holy Knight』のような挑戦的な楽曲が中間に挿し込まれているところもポイント。


前作から顕著になったメンバー3人のサウンドの変化も如実に活きており、ソロで目立つより合間を縫うようなHISASHIのギターや存在感を増すTAKUROのブルージーなフレーズ、そしてリズム感というよりも音の粒感が際立つようになったJIROのベースはそれぞれにフォーカスして聴き込む価値がある。確かな事は、暫くの間GLAYから離れていた人が戻ってくるとすれば最初に聴くべきアルバムだろう。




17thアルバム

Back To The Pops

2024年10月9日発売

GLAYのデビュー30周年を記念して発売されたアルバム。本作にかENHYPENのJAYとのコラボ曲『whodunit』が収録されているが、その他にもゲストを招いた楽曲が複数含まれており、アルバム全体のプロデューサーは亀田氏だが一部楽曲で外部アレンジャーも加わった楽曲、亀田氏が編曲に参加していない楽曲も存在している。なお、本作の曲順はくじ引きにより決められた。
本作はアルバム発売時にNoteでアルバムレビューを書いたので、そちらの方も是非読んでいただきたい。


個人的にはアルバムの精神性というか、基本的な制作スタンスは前作を引き継いでいる部分が大きいように思う。アルバムとしてのコンセプト感は前作の方が徹底されていたように思うが、一方で前作で強調されていた「GLAYが憧れ辿ったルーツをGLAYなりに解釈した曲を作る」「当時は技量不足もあって完成できなかった過去のデモテープを今の技術で完成させる」という2つの軸は本作ではより徹底された印象である。後者に関しては、例えば『Romance Rose』はデビュー前から曲と1番の歌詞は完成していたとか、『whodunit』は元々別々に存在した断片的なデモテープを合体させる形で作ったが、サビだけ新しく作り直した結果『BRIGHTEN UP』にそのまま移植されたりだとか、そういうパズル的な作業も行われていたらしい。また、HISASHIとJIROの楽曲も含まれているが基本的にはTAKURO中心のアルバムとなっており、これはコロナ禍を経て「TAKUROが曲を作る→デモをHISASHIとJIROに投げる→HISASHIが全体的なアレンジ、JIROがベースラインを構築する→TERUの歌入れ」という分業体制が確立された、GLAYの中でそれがしっくりきた事の影響もありそうだが、むしろシングル曲は他の3人の楽曲がフィーチャーされていたので、最近は「シングルは非TAKURO曲主体、アルバムはTAKURO主体」的な方向なのかもしれない。本作の制作にあたって、TAKUROは「ちゃんと正しく、30年目のGLAYデビューアルバム」という言葉を強調していた。特にGLAYでは前作から本作までの間に発売された『Only One,Only You』や前々作のようにメッセージ性や時代性の強い作品が続いただけにその反動という側面もあるのだろう。

前述したNoteでレビューを書いた時に、私はサブタイトルに"GLAYの特異性とGLAYにしか赦されない「ルーツを辿る崇高なパロディ」"と書いたが、本作発売に際したTAKUROやHISASHIのインタビューを読むと、ある種の元ネタとして安全地帯、ZI:KILL、レベッカ、坂本龍一、B'z、ユニコーン、THE WILLARD、ZIGGY、Mr.Children、スピッツ、大沢誉志幸など実に多数のアーティストの名前が出てきている。実際には影響を受けていたとしても、メディアで元ネタをハッキリと明言するバンドもそうそういないと思う。結局のところ、GLAYというバンドは究極の雑食系バンドみたいなものであり、「育ってきた環境が違うから好き嫌いはイナメナイ」と言った山崎まさよしの歌詞に倣えば「同じところで育って、全部好き!」みたいな生き方をしてきたのがGLAYだった。

白でも黒でもなくGLAYという看板を掲げ、ビジュアル系の門を叩きながらもX JAPANやLUNA SEAほどその方向性には染まれず、かといって同世代のミスチルほどミディアム路線には振り切れない、でもそのどちらに対してもの憧憬も捨てられない……あれも好きでこれも好き、あれもやりたいしこれも捨てたくない、時にそれを中途半端やどっちつかずと捉える人もいるだろうが、それをオリジナリティに昇華させてトップアーティスト、レジェンドバンドの座に辿り着いたのがGLAYの30年だった。それが内外に認められているGLAYだからこそ、どちらかによつどちらかに寄って染まる事が求められがちな音楽界隈で全てを食べることを望み、それを自分達の解釈で昇華させる特異性を持つGLAYにのみ許された崇高なパロディアルバムと呼ぶべき象徴的な作品だったと思う。

それは自分が聴いてた音楽……最初の頃は、それこそビートルズが好きで、それと同時に松田聖子をはじめとするアイドルも好きで。そしてその松田聖子の後ろにいる作家たちの曲を……はっぴいえんどとかも掘り出して。で、のちにTHE BLUE HEARTSもBOØWYもレベッカもすべて自分の血となり肉となったし、だけど尾崎紀世彦の「また逢う日まで」も好きで聴いてたし。それこそオフコースもチューリップも、南こうせつも松山千春も聴いてるTAKURO少年としては、そのすべてが 歌謡曲やポップスというくくりだったんです。それはもう(ストリート・)スライダーズですら、ローリング・ストーンズですら(笑)。

<インタビュー>GLAY・TAKURO、3年ぶりアルバム『Back To The Pops』でルーツ回帰――「ゴールを目指すための手助けをするのは、ポップソングのある種の使命だと思う」

その精神性はTAKUROに限らず、多少の嗜好性の違いはあれども…おそらく必然的に寄らなければならなかった東京ではなく、当時は東京と比べれば情報が遮断されていた函館で育った彼らが共通して持ち合わせているルーツなのだろう。そう考えれば、このアルバムに《Back To The Pops》というタイトルを付けた事はあまりにも偉大なネーミングセンスだったと思う。



【Part1〜灰とダイヤモンドからHEAVY GAUGEまで〜から読む】

【Part2〜ONE LOVEからGLAYまで〜から読む】

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