見出し画像

トルコ旅⑤ 幻の鉄王国と民族の英雄

前回はこちらから。

みなさま、ご機嫌よう。目下勉強中につき、またも投稿期間が空いてしまった。いやはやこの歳で受験生とは嫌なものだ。さて、少し休憩がてら旅行記を更新してみる。では、早速本題へ。

ヒッタイトの古都ハットゥシャへ

二日間いたカッパドキアを去り、次に目指すのはハットゥシャという遺跡だ。ここは鉄の王国として知られる古代オリエントの盛国ヒッタイトの都であった場所である。古代史好きなら垂涎ものの土地で、その姿をその目で見るのは楽しみであった。

峻険な山々、遥かにわずかに霞むアララトを眺めながら、バスは凄まじいスピードで進んでいく。ここはトルコ、日本ではない大陸国家だ。制限速度も日本のそれより数十キロ上だ。それでもなお、本当に制限速度を守っているかは怪しいものだが。

神が怒りと共に人を滅ぼさんとした大洪水、俗にノアの方舟という逸話は聖書の中でも強烈な印象を残す場面である。最終的にその大水の中でもわずかに顔を出していたアララトに引っかかって船は泊まるわけだが、近年の研究ではその痕跡らしきものが発見されたという話もある。面白い冗談でしかないが。クリスチャンでない私にとって、それは単に胸躍らせる発見でしかないのだが、聖書を信じる人たちにとってはそれが飛び出す絵本になったことに感動もひとしおだろう。

冗談はさておき、そもそもこの逸話自体は、メソポタミア神話に原点を持つ。死から逃れようとする原初の英雄ギルガメシュ、そんな彼に不死の秘訣を語る老人こそが原典のノアことウトナピシュティムである。彼の名を取って、これら神の怒りによる生物粛清は「ウトナピシュティムの大海嘯」と呼ばれている。そもそも、このノアの方舟の逸話があったか否かを考える以前に、それが原初のお話でないことを認識するべきだろう。探すなら、イラクのニシル山にいくのが筋というものだ。

このような嫌味なことを考えながら、徐々に山がちになってきた景色を楽しむ。山といっても緑あふれる日本の山ではない。荒涼とした、もしくは単に禿山のような景色の中で、バスは進んでいくのだ。

ヒッタイト人たちの痕跡は、基本的に高所にある。岩がちな土地の間を縫うように、その遺構は佇んでいる。

ハットゥシャ近郊のヤズルカヤ遺跡

ヒッタイトというと、決まり文句で「鉄の王国」という表現をされるものだ。実際に、彼らが最初期に鉄器を作る技術を持ちたのはおそらく間違いのないことだ。しかし、実際に、「鉄の王国」と言えるほど、その鉄器の利用が盛んであったのかについては、近頃疑問符が付けられている。(詳しいことは津本英利先生の『ヒッタイト帝国 鉄の王国の実像』に詳しいので興味ある方は是非。)

地下12神
ヒッタイトの神々は、メソポタミア、カナーン、ウラルトゥ、フリュギアの要素を持つ
ヒッタイト王のレリーフ
これは当然レプリカ

岩に刻まれた神々。高く積み上げられた城壁。隕石を磨いたと伝えられる緑の石。残っているその遺跡たちは、もちろん何も語ってはくれないが、彼らの朴訥とした姿は虚飾で煌めく教科書の姿より、ずっとずっと美しかった。

名高いハットゥシャのライオン門
なお本物はドイツに
名高いハットゥシャのスフィンクス
本物は以下略
緑の石
嘘か真か、隕石を磨いて作られたという。
清々しい景色。
きっと彼らもこの景色が好きだったろう。

彼らがどうやって消えていったのかは、いまだにはっきりとは分かっていない。海の民によるものや、病気、不作による自然崩壊などその説は多岐にわたるが、あの空間を見る限り、恐るべき征服にあって滅んだようには見えない。緩やかな滅びが、必ずしも幸福とは言わないが、少なくとも血の海の中にいる終焉よりは良いだろう。彼らは国家ヒッタイトが滅んだ後は、シリアや上メソポタミア方面に散り散りになっていき、フルリ人やウラルトゥに同化していき消えていった。

歴史は彼らの終わりを記録できない。こういう緩やかな滅亡を迎えた民族の方が歴史の中には多いのだ。純粋な血族など、もうこの世には殆どいない。北センチネル島にでも行かない限りは外部と完全に接触を絶った民族など、存在しないのだ。純粋なアーリア人など幻想でしかない。大和民族も、アングロサクソンも。こういう簡単な理屈を、なぜか忘れてしまえる時代があったということは歴史を学ぶ上で忘れてはいけない。

残念なこともある。この都市のメインの一つライオン門は、いまだにレプリカであり、本物はベルリンにいるままだ。トルコの各地にある遺跡にはそういったことが腐るほどあるが、流石に辟易してくるものだ。返してやればいいのになあ。

商魂逞しいめんどい奴ら

どんな遺跡にも、恐るべき連中がいる。野犬か、猫か、いや違う。観光客に小物を売りつけんとする商人たちだ。売っているものは、ドラゴンキーホルダーみたいなもんだ。そんなに値の張るような物じゃない、はずだがやけに高いのが最大の特徴だ。挙句、写真を撮られるのを極端に避けたがるという特徴も持つ。

あまねくアッラーの御名において、恥ずかしいことすんなよ。まじで。こんな、いっちゃ何だがド田舎の遺跡にまでいるとは思わなんだ。別に危ないということもないのだが、面倒なことは面倒に違いない。結局、言い値の半分にすることを条件に、トルコ石の簡単なペンダントを購入した。400トルコリラ。縋り付いてまで本当に売りたかったのか、その思惑は何なのか、問い詰めたい気持ちになる。

購入したトルコ石のペンダント
本当にトルコ石?

首都アンカラへ

トルコの首都がイスタンブールではなくアンカラなのは、逆に常識になりつつある。オーストラリアの首都がシドニーではなくキャンベラのように、カナダの首都がバンクーバーでなくオタワのように。

あいも変わらず礫砂漠のなかをバスは進む。このルートだともしかしたら、ティムールが進軍に使った場所もあるかもしれないなどと思いながら車窓から物思いに耽るのも、もう板についてきた。歴史あるところはいい。妄想が捗る捗る。

アンカラは古代ではアンキュラと呼ばれている都市だった。フリュギア人が築き上げ、ヘレニズムの中で興隆し、ローマ帝国統治下においても繁栄していた。小アジアの中心地として、この土地は長年に亘り偉大な都市であり続けたのだ。だが、その影がどうしても薄いのは、やはり都市の女王のあまりに輝かしい威光のせいだろう。

だが、物事には道理や辿るべき筋道がある。トルコ共和国が現在アンカラを首都としているのにはやはり意味があるのだ。そのわけを知るには救国の英雄にしてテュルク民族の父と称号されたムスタファ・ケマルの話をしなくてはならない。

「瀕死の病人」、かつてローマ帝国に引導を渡し、東地中海を制覇した偉大な大帝国は近代化に適応できずそんな不名誉な名で呼称された。なんとか命脈を繋いできた帝国も、いよいよ第一次世界大戦の敗北によって消えようとしていたのだ。連合国によって次々と占領されていくオスマン帝国領、その食指は本拠地小アジアにも向けられたのだった。そんな中、いよいよ差し迫った状況の中で、トルコ人のための近代国家を建設すべくアンカラにて立ち上がった若き陸軍将校こそケマルである。

ケマル率いる新政府は、エネルギーに満ちていた。ギリシャに占領されていたエーゲ地域を奪還、アンカラに迫った連合国も撃退し、見事、敗戦時に締結したセーヴル条約を破棄、ローザンヌ条約を新たに締結することに成功したのだ。新たな時代を作るため、イスタンブールの皇帝一家を追放までした彼らは、見事それを成し遂げていくことになる。その萌芽を育み、近代からの脱却を示すためにも、その首都はアンカラなのだ。

ケマル廟に赴く

たなびく三日月旗

現代のトルコ人も多くがケマルに敬愛の念を持っているのは、ここまでの投稿を見てもらってもなんとなくお分かりだろう。未だに根強い人気のある彼だが、首都アンカラには彼の廟がある。美男子の軍人たちが神妙な面持ちで見守るそこは、トルコ人にとってのバチカンと言ってもいいかもしれない。

廟の広場
綺麗な大理石の空間
ケマルの棺
ここまでは撮影okです
陸海空がそれぞれいるが、やはり夏に映えるのは海軍
ケマル廟から眺める市街

残念ながら、廟内部や、接続している博物館は基本撮影禁止であったのは残念であった。だが、内部には皇族の方からの寄贈である日本刀などがあり、戦後より緊密なっていった日土の友情も感じることができた場所だ。ぜひ、アンカラへ赴くことがあれば足を運んでほしい。

アンカラ街散策

本当のことを言うと、ハットゥシャからアンカラへ行く際、赤き川クズルウルマクへ訪れた。だが現地ガイドさんが「嘘デス。見えません。がっかりスポットだからアイス食べてサヨナラ。」と言ったように、本当に何もなかった。

私の行った場所では、川というよりは池だし、赤というより緑であった。緑の池では、近所にも腐るほどある。何より、水鳥の匂いが強烈で、動物園のフラミンゴコーナーに迷い込んだ気分であった。「天は赤い川のほとりで」がアニメ化されるらしいが、くれぐれも観光に行こうという方は気をつけて場所を選んだほうがいい。その証拠に、一つも写真が残ってなかった

アンカラでは久しぶりにホテルが街の真ん中にあり、またそこそこ時間があったため散策をしてみた。

ホテル近く。"トルコ感"が強い
地下鉄。治安も良い。
どこ行っても溢れているスイカ。
流石に買わなかった。
何故かあるおにぎり。
一昔前の趣がある味。
パフォーマンスなしのアイス屋。
平凡だが、それがいい。
撮ろうとした瞬間に、イッヌに襲われる。
噛みはしないがアグレッシブ。
一通り遊んで解放されたが、焦りゆえか写真はない。
ホテル飯。すごくうまい。
甘ったるいケーキも良いが、ブドウがすごく良かった。

極めてどうでもいい話だが、ちょうどこのアンカラにて、⚪︎んこちゃんこと某有名配信社が謝罪生配信をしていた。はるか日本の時事ネタをアンカラで見るというのは不思議な感覚であったが、その不思議な感覚というのがその薄ぼんやりとした高揚とはかけ離れて本質的には薄汚い類であるというカタルシスを楽しめた。言い訳をしておくと、自分から調べてといより、親切にも遠い地の私にヘルメスの如く情報をもたらしてくれた友人がいたからである。

海外でストーリー出すとみんな返信をくれる
そうすると海を超えたこんな情報収集も可能だ。


あと、歩行者信号を守らない人もかなり多かった。まあ、これはイタリアでも同じだったが、日本人には衝撃的だ。ちなみにイタリアの警察は、下手に止まらねえ方がいいよ(これはフィレンツェのかなり治安が悪いところでの話)と言ったのに対して、トルコの警察はパトカーからメガホンでブチギレていた。

では次回からいよいよイスタンブールになります。では、ごきげんよう!

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集