「週20時間」起業で、一億円企業になるまでの話
初年度、マイナス150万円。
二年目、1,600万円。
三年目、3,600万円。
四年目、8,600万円。
いずれも売上総利益(粗利)である。
そして四年目、売上は一億円になった。
……すみません、サバを読みました。
正確には9,600万円ぐらいだったのだが、まあタイトル的に「一億円企業」の方が見栄えが良いので、そこはちょっと許してください。
▼この記事は、こんな人が書いています。
借入は最初からゼロ。
社員もいない。一人法人で、仕事を手伝ってくれる人たちは全員業務委託だった。そして私は、この四年間、一つだけかなり頑なに守っていたことがある。
週20時間以上、働かない。
「会社が儲かるようになったので、仕事を人に任せて週20時間になりました」
ではない。
初年度、赤字の頃から「週20時間以上の労働しない」がマイルールだった。
売上目標も特に設定していなかった。私にとって起業とは、そもそも「自分の自由度を高めるための手段」だったからだ。
自分で会社を作った結果、以前より時間も場所も拘束されるようになったら、私にとっては完全に本末転倒である。
だから「週20時間」は、唯一自分に課した縛りのようなものだった。
振り返ってみると、このルールは自分にとっては結構良かったのではなかったと思う。
なぜなら私は、
「仕事が増えたら、自分がもっと働く」という、起業家にとって最も簡単な解決方法を、最初から使えなかったからだ。
とは言え、この記事では
「週20時間にすれば一億円になります!」
などという話をするつもりはないし、ましてや
「こういうマインドを持てば成功する!」
・・・みたいなことが伝えたいわけでもない。
ただ単純に身の上に起きたことを書き、その後から振り返って、
「もしかすると、これは関係していたのかもしれない」
と思う仮説を書いてみようと思う。
これは一人の人間による、ちょっとした実験記録である。
一億円企業への入口は、パイプ椅子並べだった
まず、私が「起業」に思いを馳せたのは、20歳頃だった。
「起業という二文字が格好いい」。
「起業=リスク高そう、でもなんか金持ちっぽい」。
「人生のどこかでは起業してみたいなぁ」。
特に深い考えがあったわけでもなく、純粋にそれ以上でもそれ以下でもなかった。
そして私は33歳になった。
起業に関しての私の心境は特に20歳の頃とは変わっていなかった。
そんな中、当時付き合っていた彼女(今の妻)に「いつか起業したいと思ってるんだ」と言うと、
妻「え?いつかって、なんで『いつか』?今でいいんじゃない?」
私「いや、だってほら収入とかさ」
妻「いざとなったら私が養ってあげるから、起業してみたら?」
という会話があった。
そしてその二週間後、彼女は私に会った時にこう言った。
妻「ちなみに、私今日会社辞めてきたよ」。
おぉ。そんな感じでいいのか??
この人とだったら、たとえ貧乏でも楽しく生きて行けそうだな。
テント住まい、上等じゃないか。
そうして、私は会社を作った。
「起業」という壮大な響きに反して、手続きはあっさりしていた。
端的に言って、起業したての私の心境は、上記の記事そのまんまだった。
「あれ?「起業」ってすごく怖いもののイメージだったけど、飛び込んでみれば意外とどうってことなかったな。」
「『起業』そのものは、銀行口座を作るのと同じ感覚だ。リスクも負担も自分次第なんだな。」
「っていうかビジネスって何をすれば良いんだ?」
一般的でないことは明言しておくが、ここまでまとめておくと、私の起業スタイルは、下記の通りだ。
・週20時間以上は働かないと決めた(自分でそう決めただけ)。
・借金はしない。生活はミニマム。
・事業内容は特に考えていなかったので、定款は友人のものをコピペ
ちなみに、一般的には起業とは「事業(ビジネス)をするための箱を作る」という意味で興業する。
どんなフルーツを入れるかも決めていないのに、箱だけ買う阿呆はいないだろう。私がその人である。
私は中身が空っぽのフルーツの箱を作って、満足していた。どんなフルーツにするか、どこからフルーツを調達するか、そしてそれをどうやってそれを売るかなど、何も考えていなかった。それが一年目の私だ。
箱を作った私は、その日にオーストラリアに一年間滞在しに行った。
そこで私は、出会った日本人たちに英語を教えていた。一人一時間3,000円とかだ。
結果、初年度の売上は10万円台だった。
「月」10万ではない。「年」10万円だ。当然赤字になる。
それでも週20時間ルールは守っていた。
そして二年目、友人からこんな話が出てきた。
「ちょっと英語の資料を作ってくれへん?」
と頼まれる。
「おっけーい」
と言って、数時間後には10ページぐらいの資料を作って納品する。
ついでに弊社と先方との契約書も作って送る。
今考えると、頼まれたのは「英語の資料」だ。別に契約書まで作れとは言われていない。だが、「会社間の取引なんだから、作っておいた方が会社っぽいよな?」と思ったので作った。
後から考えれば、この辺り(契約書を作ってしっかりと締結する)はかなり重要だった気もする。
その後、同じ友人から、
「東京で講習会あるんやけど、ちょっと手伝ってくれへん?」
と連絡が来た。
「何したらええの?」
と聞くと、
「とりあえずパイプ椅子並べるっていう」
とのことだった。
「OK。集合場所と時間教えて」
と言って向かった。
会場に着いた私はパイプ椅子を並べ、翌日から連続4日間に渡る講習会のサポートをした。と言っても、「トイレはどこですか?」に答えるだけのような仕事だ。
その日の夜、彼が言った。
「ちなみに10日後、沖縄でもこの講習会やるんやけど、来れたりする・・・?往復の交通日程考えたら10日ぐらいは拘束されるんやけど・・・」
私は聞いた。
「交通費と宿泊費は?」
「もちろん出すで。っていうか、お釣りが出るぐらいには」
2秒後に私は「行く!」と即答し、そして私はその10日後、沖縄に降り立っていた。
現地で会場運営を見た私は、別の意味で驚いた。
スタッフが10人ぐらいいる。
人、多くないか??
仕事を見ている限り、ちゃんとマニュアル作ったら2人ぐらいで回せるのでは?と思った。
仮に8人減らせるとして・・・一日10時間、4日間だとすると、
8人×10時間×4日=320時間。
時給1,000円でも32万円。
「これ、かなり減らせるんちゃう?」
と友人に言った。
すると彼は、
「いや~そうやねんけど、なかなかマニュアル作ったりする余裕がなくて。運営も忙しいし……ゆーじ、その辺まるっとやってくれへん?
・・・金ならあるから。」
おぉぉ。人生で一度言われてみたい言葉No.2だ!
「金ならあるから」。
ちなみにNo.1は、
「キャー!ゆーじさん格好いい!」
だ。我ながら浅はかすぎてむしろ清々しい。
いずれにしても、ここからスタッフ採用、マニュアル作成、研修、会場運営、指揮までを丸ごと請け負うようになった。
一会場あたり200万円~500万円程度。
後で知ったが、世の中ではこういうものを「BPO」と呼ぶらしい。Business Process Outsourcingなんだと。
私はその事業を戦略的に展開したわけではない。私自身の体感としては、
英語資料を作っていたら、パイプ椅子を並べることになり、
パイプ椅子を並べていたら沖縄へ行くことになり、
沖縄へ行ったら人が足りず、
「人も揃えよっか?」
と言い、その流れで全国の講習会運営を請け負う会社になっていた。
というものだ。「大きな仕事」を取りに行った記憶があまりない。
目の前にある小さな困りごとを一つ解決すると、その奥にもう少し大きな困りごとがあった。
そしてそこに、
「それもやろっか?」
と入っていった。
そんなわけで、私にとっての一億円企業への入口は「革新的な事業計画」でも「大型商談」でもなかった。
パイプ椅子を並べる仕事だった。
「自分がやる」を禁止すると、会社の形が変わった
当然ながら、仕事を丸ごと請ければ仕事量は増える。
しかし、私には問題があった。
私は週20時間以上働けない。
正確には、働けないのではなく、働かないと決めていたのではあるが。
私には、仕事が増えた時に
「よし、今週は頑張るぞ!」
のような選択肢がなかった。
結果として、
「これ、自分がやらずにどうやって実現する?」
を考えるようになった。
例えばスタッフ。
人を雇うには、募集設計をして、媒体を探して、求人を出して、応募者を選んで、面接して、契約して、研修して、シフトを組んで……。雇ってからは給与管理、雇用契約書、源泉徴収もあるな・・・。
確かにこれは面倒な気もする。
依頼主は「人がいない」と困っていたが、正確には、
人を探す時間がない
のだと思った。
私の発想は単純だった。
「金あるんでしょ?じゃあ簡単に調達できるのでは」
給料や報酬を上げれば人は増えるはずだ。
だが待遇を上げるだけでもうまくいかないらしい、という話はそこで初めて知った。
「時給を上げすぎると、闇バイトじゃないけど、裏があると思われる。あと、変な人が来やすい。」
なるほど、確かに高時給だと裏があると思われるよな・・・?
それを受けて、私は下記の条件で募集をすることにした。
・時給は、当時としては高めの1,700円
・「厚生労働省の国家資格に関わる講習会」と明記
・「英語ができる、海外対応に興味ある方歓迎」と記載
こうすれば、「英語ができる」能力を買っているように見えて、怪しさが払しょくできる。
そして何より、いわゆる「良い人材」が集まりやすい。
「英語や海外」に興味がある時点で、エネルギーが外を剥いているというか、そんな感じがある。
さらに言えば、良い人がいれば将来うちの英語事業を手伝ってもらえる可能性まである。
結果、本当に質の良い人がかなり集まった。その中には、今でも別の形で事業提携している人もいる。
ちなみに、オンライン業務で採用した人たちは全員業務委託で、勤務時間も自己申告制にした。
例えば一コマ1時間1,700円。オンラインで入れそうな枠に入り、働いた分だけ申告する。
なんなら「ながら作業」でも構わない。その場合は「0.5とか0.2とか、自分でいい感じに減らしてね~」という運用だった。
そんな適当でええんか??
と思わなくもなかったが、結果うまく行った。
ただし、何も見ていなかったわけではない。
スタッフごとに「何時間で何件処理したか」は記録していた。
例えば11.5時間で115件対応したなら、その人の「成果対時間指数」は10。これは社内でみんなが見られる情報として蓄積されていった。
ただし、これはあくまで参考値であり、この数字と報酬は連動させなかった。生産性が明らかに低い状態が続けば面談をする、という建付けの数字だ。
実際に生産性が著しくない状況を見て本人と話してみると、「この作業で詰まっていた」といった原因が見えるので、それを修正する。
つまり「普段は管理しないが、数字だけ見えるようにして、異常が出た時だけ人が介入する」というスタイルだった。
スーパーのセルフレジ的な感覚で、ある程度のロスは許容することで、管理コストを下げる・・・というか、有限の管理コストの中でできる手段はそこに落ち着いた、という感じか。
スタッフ教育も似たようなものだった。
マニュアルをWordやPowerPointで作る会社が多いイメージだが、私には根本的な疑問があった。
100ページのマニュアルを渡されて、お客さんから問い合わせが来るたびに67ページ目を探すのか?
私が作ったのは、Web上のマニュアルだった。
Webマニュアル専用のサイトを立ち上げ、対応方法を一枚ずつカード化して投稿し、分からなければ検索する。
「分からなければググれ。ただし社内サイトで」
という状態だ。
そして新しい問い合わせが出れば、対応したスタッフ自身に解決方法をカード化してもらった。
つまり、仕事をすればするほど会社の検索結果が増え、会社が勝手に賢くなる。
カードには難易度ごとに色をつけ、「新人は緑まで」のように対応範囲を決めた。役割は「新人」「スタッフ」「先輩スタッフ」「隊長」という呼称をにして、勤続年数ではなく「対応可能範囲」で肩書を変えていた。
その結果、実質的な新人教育はほぼ不要で、私は「モチベーション」の部分だけを気をつければ良い状態になっていたように思う。
私自身が調べ物をすることも少なかった。
ツールを選ぶなら、「隊長」に「候補を3つと、それぞれの長所短所、自分ならどれを選ぶか」まで出してもらい、私はその中から「じゃあこれで」と即決していたように思う。
会議もあまりしなかった。情報を伝える時は動画メッセージを送っていた。
こうして考えてみれば、その時の私の仕事は「決めること」に寄せていたのだと思う。
ただ、人間関係は「決める」ことはできない。モチベーションの部分だ。ここに関してはスタッフが働いている時間に私もオンラインになり、
「最近、働きにくいところない?」
と話すことはよくあった。
情報伝達と、人間関係づくりを、同じ「会議」という箱に入れる必要はない。
こういうことを一つずつやっていた。
週20時間というルールは、「自分が頑張る」という最も簡単な逃げ道を、自分から塞ぐルールとして機能していたように思う。
安くする。でも、ケチらない
ここまで書くと、当然こういう疑問が出てくる。
売上9,600万円で、粗利8,600万円ってどういうこと??
粗利率、約90%。
かなり変な数字だ。そうとうあこぎな商売をしているに違いない・・・!
・・・と、なりますよね。
まあ聞いてくださいよ。
私の場合はこうなっていた。
顧客とは、
「何を、どれだけの量で、どの品質で提供するか」
を契約で固定した。
そこまで合意したら、その中をどう料理するかはこちらの裁量だ。10人でやるか、2人でやるか。Webシステムでやるか、人力でやるか。
顧客が買っているのは、こちらの労働時間ではなく、約束した結果だ。
さらに、契約時には30項目ほどの「役割表」を作った。これは弊社で。これは御社で。こちら側の役割ではないものまで弊社がやるなら追加料金。
という線を明確に引いた。
弊社の名前はボーダーフリー株式会社だが、こと「境界線」に関して、私はかなり強く意識しているのだと、書いていて改めて気づかされたように思う。きっと境界線を引くからこそ、それを「越える」楽しみが出てくるのだ・・・って、これは屁理屈か?笑
不要な部分は削っていたが、その分使うところはゆとりをもった予算組をしていたと思う。
例えばスタッフへご馳走する時のご飯は結構豪華だったと思う。普通、スタッフへのお弁当はせいぜい1,000円前後。
だが私はちょっと良いお弁当(2,000円~3,000円)を普通に用意した。しかもおやつと、スタバ等のテイクアウトドリンクつきだ。一人当たりの総額は3,500円程度になる。
なぜか?
安いからだ。
人を一人採用しようと思ったら、
募集設計して、媒体を探して、求人を出して、応募者と連絡して、書類を見て、面接して、契約して、仕事を教えて……。
とんでもない時間と金がかかる。そこまでして出会った良い人が、
「今日楽しかったです。またお願いします」
と言って帰ってくれるなら、3,500円のランチなど激安だ。
というのは、私が時間を使ってする仕事は、モチベーションを維持することだからだ。
無駄な拘束時間には金を払わないし、必要のない固定費も持たない。むしろ、1時間「ながら作業」をしてもらって、340円払う。時給340円の電話番のできあがりだ。笑
結局ケチなんかい、というツッコミを受けそうだが、そこは効率の良いお金の使い方だと思っていただきたい。笑
固定費は使わないが、人との関係が良くなるところには使う。
スタッフが辞めることにも、それほど抵抗がなかった。
長期でお願いしたい仕事でも、
「まず一週間やってみよう」
から始めて、うまくいけば三か月、さらにうまくいけば半年。
今でも、仕事を誰かに依頼する際は最初から「いつか辞める」イメージがどこかにあり、辞めると言われた時に
「ありがとうございました!めちゃめちゃ助かりました!」
「いえこちらこそ!楽しかったです!」
で終われれば良いな、というイメージで依頼しているように思う。
選考基準も、そんなに難しくなかった。
「話しやすいかどうか」。
そして、
「経歴が面白ければなお良し」。笑
専門的な対応そのものは、仕組みでかなり補える。なので私は一緒に仕事をしていてコミュニケーションしやすい人の方が良かった。
そういえば、一つだけかなり明確に自分が担っていた「労働」がある。
感情労働である。
クレーム対応や、怒っている顧客、理不尽な要求。
こういうものは、
「全部、代表の私に回してください」
と伝えていた。
業務そのものは人に任せてもいい。が、仕事のせいでスタッフが精神的に削られるところまで外注する必要はないと思っていた。
時折、
「私、クレーマー対応得意っすよw」
という変わった人もいて、
「じゃあやってみる?」
と任せたこともあるが、基本的には例外だった。
こうして振り返ると、私は機械的にできるところは徹底して機械的にし、その分、人間にしかできないところに時間とお金を使っていたのだと思う。
情報伝達なら動画、分からないことは検索、労働状況は数値化。それをしたからこそ、
・一緒にご飯を食べる。
・働きにくいことがないか話を聞く。
・嫌な客が来たら、自分が即座に引き継ぐ。
「人間にしかできない仕事」を、私はすることができたのかもしれない。
とはいえ、結局何が一億円につながったのかは分からない
二年目、売上が2,000万円を超えた。
ある日、銀行の振込通知に、
20,170,000円
という文字列があった。
私は、
一、十、百、千、万、十万、百万、千万……
と、七回ぐらい声に出して桁を確認した。
そして愚かにも、
「これでオレも立派な起業家だな。
リッチ。金持ち。成功者。
富裕層、ふぉ~~!」
と思った。
たぶん、この頃が一番「オレは金持ちになった」という自意識が強かった。
だって、一回の振込で2,017万円ですよ。見たことないよ、この桁数の振り込み。そりゃ~浮かれる。
税理士さんからは、
「ここはちゃんと税金を払って、会社にお金を残しておきましょう」
と言われた。私はそのアドバイスに素直に従ったが、これは今になって思えば本当にありがたいアドバイスだった。
その後、日本全国の講習会を同時進行で運営するようになった。
そしてコロナになった。
それまで実地でしかできなかった講習会のオンライン開催が解禁された。
私は例の友人に、
「行けるところまで行こうぜ」
と言った。既に勝ち筋は見えていた。
だから新しいことを発明したというより、うまくいっている仕組みにリソースを足して再現しただけだった。
そして売上が約9,600万円になった。
ところが不思議なもので、2,000万円稼いだ頃より、この頃の方が自分を「成功者」だとは思わなくなっていた。
むしろ、
「いや、私のは・・・たまたまだ」
と思うようになっていた。
だって、本当にそうとしか言えないのだ。友人が声をかけてくれた。友人が仕事をくれた。「金ならあるから」と言ってくれた。
私一人でゼロから市場を開拓して、一億円企業を作り上げました!という話では全然ない。これは謙遜ではなく、単なる事実だ。
ただ一方で、その後もなぜか、
「その仕組み、どうやって作ったんですか?」
という話から数百万円のコンサル案件が決まったり、
「うちのプロジェクトに入ってくれませんか?」
と別の仕事を頼まれたり、
「今の事業忙しいから手伝ってよ」
と声がかかったりした。
そこで、
ひょっとして全部が全部、偶然というわけでもないのか?
と思うようになった。
一つ、関係あるのかもしれないと思っている性質がある。
私はたぶん、「困っている人」に手を出すことがデフォルトになっている。
妻からはこの性質を正直疎まれている。笑
自分としては、
「え?そこ、なぜ疎むの??どっちかと言えば胸キュンポイントやろ?」
と思っているのだが、まあこればかりは仕方がない。
なぜなら現実の「困っている人」は、必ずしもマッチ売りの少女のような可憐な姿で立っているわけではないからだ。
どちらかと言えば、本当に困っている人は
酔っぱらって人に殴りかかり、
自分の拳を痛めたことを逆恨みしているような人。
「いや、それかなり自業自得では?」
と思わずにはいられない厄介な人。
話も通じない、助けても感謝されない、
・・・そして場合によっては臭い。
だから普通は関わりたくない、というか近寄りたくすらない。
そして、おそらくそうやって人が離れていく性質を持っているからこそ、その人はさらに困っている。
私はなぜか、そういう場面でも、「どうすれば解決できるか?」と近寄ってしまうところがある。
聖人君主というわけではなく、私は恐らく単純に、
未解決の問題を見ると「これどうすれば解けるんだろう」と近寄ってしまう
という性質の持ち主なのだ。
「英語資料作って」「いいよ」
「椅子並べて」「いいよ」
「沖縄、人がいない」「行くよ」
「人も足りない」「じゃあ人も揃えよっか?」
ここは勘違いしていただきたくないのだが、
「困っている人を助ければ儲かります」
などと言うつもりは毛頭ない。そういう話ではない。
だが、目の前の小さな問題を、
「それ、私の仕事(問題)ではないので」
と切らずに見ていたら、その奥にもっと大きな問題が隠れていたことは確かだった。
そしてもう一つ。
私は昔から「検証」が好きなのだと思う。
「人は管理しないとサボる」→本当に?
「新人にはまず分厚いマニュアルを読ませる」→本当に?
「仕事が増えたら社員を増やす」→本当に?
「会社の社長は忙しくて当然」→本当に?
「自分にできない仕事は受けられない」→本当に?
別に世の中の常識に反抗したかったわけではない。
ただ、
「それ、本当に必要?」
と思ったら、まずは一回試してみたくなる。
そして問題がなければ、そのままやらなかった。
逆に必要だと思えば普通以上にやった。例えばスタッフとの食事には金を使った。クレーム対応には自分の時間を使った。
・・・問い合わせ窓口にクレームを入れたら、突然会社の代表から折り返しで電話がかかってくる。
今思えば、電話越しの彼らも「え、社長出てきたんだけど」と、多少面食らっていたことだろう。笑
つまり、私は「普通と違うことをする」というルールで経営していたわけではなく、
目的に必要なものだけ残していた。
・・・ということなのだと思う。
結果、普通とは少し違う会社が出来上がった。
冒頭にも述べた通り、この話は「これをしたら稼げる」という話ではない。ましてや、「こういうマインドを持てば稼げる」という話でもない。
ただ私の身の上に起きた事実と、
「もしかすると、これは関係していたのかもしれない」
という仮説を述べているにすぎない。
では、読者のみなさまは一体、私の文章から何を得られるのだろうか。
たぶん、答えではない。
「あれ?自分が当たり前だと思っているこれ、本当に必要なんだっけ?」
という問いなのだと思う。
自分でやる必要はある?
人は管理しないと働かない?
新人は教育しないと仕事ができない?
マニュアルは「読むもの」でなければならない?
固定費は必要?
経験者でなければ高品質な仕事はできない?
社長が忙しいことは、本当に良いこと?
自分にできない仕事は、断らなければならない?
小さな仕事は、本当に小さな仕事なのか?
私は週20時間以上働かなかった。
結果、社員を抱えず人を細かく管理せず、必要なものを調達した。
分からないことは検索できるようにして、二度起こることは仕組みにした。
そして目の前で誰かが困っていたら、自分の専門領域かどうかをあまり気にせず、
「それ、やろっか」
と言った。
この中の何が、どれだけ結果に寄与したのか、正直私には分からない。
ただ少なくとも、
「会社とはこういうものだ」
「経営者とはこうするものだ」
「仕事とはこうやって増やすものだ」
という"正解"を私が最初から知っていたら、たぶんこの会社は全く違う形になっていた。
この話は、「読んだ方が良い本」にも通ずるところがある。
今回の記事の中で、一つでも
「あ、それなら自分も一回試してみようかな」
と思えるものがあれば、それでこの記事を書いた意味は十分にあると思っている。
ちなみに、5年目以降の歩みはこちらから。
もしご興味あればぜひ!
▼私の今までの歩み。読んでいただけると泣いて喜びます。
