私は、相手の気持ちを測っていたつもりだった|凪
布団を干そうとしてシーツをはがしたら、敷布団の下から、四つ折りの紙が一枚出てきた。
二年前の紙だった。
折り目のところが茶色くなっていて、開くときに小さな音がした。
自分の字で、十七行あった。
「返事、二時間」
「短い」
「スタンプだけ」
「電話、なし」
日付と、それだけ。
気持ちは書いていない。
そのころ私は、寝る前にこの紙を書いて、敷布団の下に入れて寝ていた。
これは、その人にまだ脈があるかどうかを、毎晩自分に判定させるための紙だった。
私は相手の気持ちを測っているつもりで、毎晩、自分に点をつけていた。
* * *
書いてあるのは、減ったことだけだった
十七行を、あらためて上から読んだ。
全部、減ったことだった。
返事が遅くなった。
語尾が短くなった。
名前で呼ばれない。
「うん」だけの返事が続いた。
増えたことは、一行もない。
その週、向こうから写真が届いた日があったはずだった。夕方の空だけの写真で、文はなくて、私は「きれい」とだけ返した。その日のことは、紙に書いていない。
私が数えていたのは、その人の気持ちではなくて、去年より減ったものの数だった。
減ったものだけを集めたこの紙のことを、いまは減点表と呼んでいる。
名前をつけたら、少しだけ扱いやすくなった。
* * *
「もう脈ないかも」で、一日が埋まった
減点表をつけていた時期、頭の中はだいたいこれだった。
もう脈ないかも。
朝、起きた瞬間に思う。
昼、休憩に入るとまた思う。
夜、画面を伏せてからもう一度思う。
一日に何回でも、同じ形で戻ってきた。
友達に、一度だけ言ったことがある。
「最近どう」
「うーん、たぶんもう無理やと思う」
「なんかあったん」
「なんもない」
「なんもないんかい」
「なんもないから、そう思う」
友達は少し黙ってから、こう言った。
「なんもないのに分かるって、すごいな」
からかっているのではなくて、本当に不思議そうな言い方だった。
そのときは、意地悪だと思って聞き流した。
いま読み返すと、あれがいちばん正確な指摘だった。
私は起きたことではなく、起きなかったことを根拠にしていた。
* * *
同じ数え方を、私は仕事でもやっていた
これは、恋の話だけではないと思う。
去年、担当が変わって、上司が別の人になった。
前の上司は、出したものにたいてい何か言う人だった。
新しい上司は、何も言わない人だった。
「これ、確認お願いします」
「はい」
「……以上です」
「はい」
それで終わる。
一か月くらいで、私は自分の仕事がだめになったと思い込んでいた。
同僚に言ったら、こう返ってきた。
「あの人、みんなにあれやで」
「え」
「返事一個で終わるだけ。私も最初へこんだ」
私は、上司の口数が減ったことを、自分の評価が下がったことだと読んでいた。読んだ根拠は、前の人との差だけだった。
恋でも仕事でも、私は同じことをしている。
私は相手を見ているのではなく、前との差を見て、それを気持ちだと呼んでいた。
* * *
布団屋の人が、余計なことを言わずに直してくれた
紙が出てきた日、ついでに布団を打ち直しに出した。
長く使って、真ん中がへこんでいた。
「これ、けっこう寝てはりますね」
「分かるんですか」
「へこみ方でだいたい」
「捨てたほうがいいですか」
「いや、中身は生きてます。片寄ってるだけ」
片寄っているだけ、という言い方が耳に残った。
減ったのではなくて、寄っている。
戻ってきた布団は、前より重く感じた。同じ量の綿が、平らに置き直されただけらしい。
その夜、久しぶりによく眠った。
紙のことを、そこでもう一度考えた。
あの十七行も、なくなった気持ちの記録ではなくて、私の見る場所が片寄っていた記録だったのかもしれない。
* * *
手帳には、相手が「した」ことだけ書くことにした
私は手帳に、起きたことだけを書いている。
気持ちは書かない。
八月の頭から、そこに一つ決まりを足した。
相手がしたことだけを書く。
しなかったことは書かない。
「八月二日 夕方 写真が来た」
「八月四日 夜 返事あり」
「八月六日 昼 こちらから送った」
遅かった、短かった、そっけなかった、は書かない。
遅いも短いも、私が前と比べて出した感想で、その人がした行動ではないから。
書くのは十秒で終わる。
最初の三日は、手が勝手に「でも短い」と書き足しそうになった。書きかけて、線で消した日が二日ある。
しなかったことを書かないと決めた日から、書く量は半分になった。
半分になった分が、私の想像だった。
* * *
一か月ためて数えたら、思っていたのと形が違った
八月の一か月分をためて、数えた。
向こうからの連絡は、十四回あった。
そのうち、返事ではなく向こうが先に送ってきたものが五回。
写真だけが二回。
用事のない、ただの一行が三回。
減点表をつけていたころの感覚では、この人からの連絡は月に二、三回のはずだった。
実際は十四回だった。
数える前と、数えたあとで、相手は何も変えていない。
変わったのは、私が何を数えていたかだけだった。
もちろん、数えて減っていることが分かる場合もある。そのときは、たぶんそれが本当に減っている。
私が言いたいのは、減っていると分かることが悪いのではなくて、確かめずに一日ぶん思い続けるのが長い、ということだ。
* * *
出てきた紙を、その日のうちに捨てられなかった
正直に書くと、あの十七行の紙は、すぐには捨てられなかった。
読み終えてから、もう一度四つに折って、机の上に置いた。
そのまま三日あった。
捨てようとして手に持って、また置く。
それを二回やった。
捨てられない理由が、自分でも分からなかった。
四日目の朝、ごみ袋の口を縛るときに、やっと一緒に入れた。入れてから、写真を撮っていないことに気づいて、少しだけ惜しいと思った。
あんなに苦しかった紙を、惜しいと思う。
そういうところが、たぶん私にはまだある。
紙を捨てても、書き方の癖は残る。
残っているから、いまも夜になると、頭の中に同じ表が出てくる。
* * *
夜の散歩の途中で、コンビニの前に立っていた
紙を捨てた日の夜、いつもの道を歩いた。
家から駅の反対側へ、二十分くらいの道。
途中のコンビニの前で、知らない二人が話していた。
「もう帰る」
「え、まだええやん」
「明日、早いから」
「ふーん」
女の人が先に自転車に乗って、男の人は少し立っていた。
それだけの場面だった。
前の私なら、あの「ふーん」を持って帰っていたと思う。
どちらの側にも、家に帰ってから読み直す人がいる。
温かいお茶を一本買って、蓋を開けながら残りを歩いた。
月が細かった。
その夜は、何も数えなかった。
数えないでいられた日が一日ある、というのも、あとで書けば一行になる。
* * *
それでも、点をつけそうになる夜はある
これで直ったわけではない。
先週も、既読だけついた夜があった。
画面を伏せて、また開いて、また伏せた。頭の中では、もう減点表の一行目が書き始まっていた。
そこで手帳を出して、こう書いた。
「九月三日 二十三時十分 既読」
それ以上は書かなかった。
書かなかったというより、書くことがなかった。
翌朝、返事が来ていた。
来たから正しかった、という話ではないと思う。来ない朝もある。
その朝も、書くことは同じ一行しかない。
一行しか書けないと分かっていると、夜が少し短くなる。
前は、名前のない重さのまま朝まで持っていた。
いまは、一行だけ置いて、布団に入れる。
* * *
今夜のひとつ
もし今夜、「もう脈ないかも」で頭がいっぱいになっているなら、確かめる文章を打つ前に、一つだけ書いてみてください。
この一週間で、相手が実際にしたこと。
「送ってきた」
「返した」
「写真が来た」
それだけを、日付と一緒に並べる。
遅かった、短かった、は入れない。
それは相手がしたことではなく、こちらの採点だから。
七日分たまってから読み返すと、思っていたより行があるか、思っていたとおり少ないかの、どちらかが見える。
どちらでも、決めるための材料にはなる。
私はいまも、紙の代わりに手帳を開く。開いてから、何も書かずに閉じる夜もある。
私は今も、減ったものだけを数えないでいる練習の途中だ。
前に書いた、平気な日が続いたことを治ったと思っていた話も、同じ場所から書いています。
https://note.com/brave_borage544/n/n8f553914273d
次は、確かめる文章を打ってから消すまでの、あの十分のことを書きます。
同じ棚に、続きがあります
凪が書いた話は、この棚にまとめてあります。
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