小説「かたんことんかたん―マドラスの夢と忘れもの」①
成田空港から都心へ向かう電車のなか。ゆっくりと過ぎる時間の中で、ひとりの女性が過去と夢を思い巡らせます。
※この小説は、
こちらの物語と同じ世界を舞台にしています。
もしよければ、読んでいただけたら嬉しいです。
かたんことんかたん。
仕事帰りの昼間の電車。
かたんことんかたん。かたんことんかたん。
9月。成田空港駅発アクセス特急。
かたんことんかたん。
空港から離れると、特急は、気を抜く。かたんことんかたん。都内までの一時間、急がず気楽にいきましょう。どこかから、嗅いだことのない香りが漂う。大きなスーツケース。外国人の家族、長い足を延ばす少女、お父さんお母さん、時差にぼんやり。かたんことんかたん。眠らせてあげましょう。
かたんことんかたん。
冷房の効いた車内。窓の外は日本の夏。9月なのにまだ夏。冬来たりなば春遠からじ。夏来たりなば、しばらくは夏。
ナオは背筋を伸ばして座る。家に帰ったら使う入浴剤と、お風呂の中で観る動画を、頭の中で選んでいる。入浴剤はサンダルウッド。動画は心霊YouTubeがいいかな。
お風呂から出て、髪を乾かしたら、遮光カーテンをきっちり閉める。すかさず寝る。とにかく寝る。
寝る。
かたんことんかたん。かたんことんかたん。電車が走る。
かたんことんかたん。運べ運べ私を。かたんことんかたん。かたんことんなものさこんなもの。かたんことんかたん。かたんことんかたん。人生なんてことんなもの。かたんことんかたん。人生なんてかたんことんかたん。
「いつ来れる?」
耳元で、葉月のささやきが聞こえた。
ナオが隣を見ると、葉月のすがた。小さな体をぴったり身を寄せて、ナオの肩に、尖った顎を乗せていた。
「葉月?」
かたんことんかたん。
葉月がささやいた。
「いつ来るの?」
「え?」
「いつこっち来るの?」
ナオは窓に目を向けた。
「まだですよ。まだ死にませんよ」
かたんことんかたん。
「まだやってるの?」
「やってますよ。ノーディレイ。JFK to NRT。2泊4日の勤務明けです」
「いつ死ぬの?」
かたんことんかたん。
ナオは葉月に向き、答えた。
「寿命の限りですよ。健康診断も受けてます。全然問題ありません。マンモグラフィー検査も毎年。あれすごく痛い。何度やっても痛い。信じられないよ。板でおっぱい挟んでぺったんこにするやつ。私、葉月と違って小さいからさ、挟まらない。係の人が背中から、私のお肉ぎゅってたくし寄せて、指で板の間、ねじ込むの。でも挟まらない。恥ずかしい。それに痛い」
「あと寿命、どのくらい?」
ナオは窓に向いた。
「わかりません。普通は誰にもわかりません。葉月だってほら、お医者の余命宣告より少し、ほんの少し長く生きたじゃないですか。ワンチャンあるかなって思ったよ。急に元気になって、筆談も、できたから」
「おかめ」
「そう、おかめ。退院したらどこ行きたい? って聞いたら、メモ帳に、書いたよね」
「おかめ」
「おかめ。 有楽町の『おかめ』? って聞いたらうなずいた。『甘いもの食べたいの?』うん。『おかめ』の蔵王あんみつ? って聞いたら」
そう、ってうなずいて。目で笑って。
かたんことんかたん。
かたんことんかたん。
「おかめ」
「まだ食べたいの?」
「おかめ」
かたんことんかたん。
かたんことんかたん。
葉月はむかしのままだった。20代までしか着れない水色のキャミワンピ。キャンプのテントの骨組みみたいな鎖骨、まっすぐな首、そして、大きな目。
うるんだ目。
「生きてるの?」
うるんだ目が尋ね、ナオは答える。
「生きてますよ」
「なぜ?」
「わからない。生きているから。40歳になりました。」
「おばさん」
「はい、おばさん。私おばさん。自分がいちばんわかってます」
かたんことんかたん。
葉月がうっすらと、目を細めた。
ナオは首を傾げ、葉月を下から覗き込んだ。
「ちなみにね、葉月、『おばさん』なんて言葉、私にならいいけど、ほかではだめよ。無防備に、出してはだめ」
「どして」
「ここはそういう世界なの。なにが起こるかわからない。なにも起こらないことがほとんどだけど、びっくらたまげるようなことが、時折起こるから」
「どして」
「わからない。黙ってた方が身のため、ってことば、たくさんあるの」
「どして」
「というか、なんだろね、『身のため』って。そのわりに、無防備こそ最強。おばさん、もうわかんない」
かたんことんかたん。
かたんことんかたん。
かたんことんかたん。
かたんことんかたん。
「生きてて楽しい?」
かたんことんかたん。
「そういう言葉を口にすべきではありません」
「楽しい?」
かたんことんかたん。
「ねえ、楽しい? 何が楽しい?」
かたんことんかたん。
「生きてて楽しい?」
あのね。
ナオは口を尖らす。
「楽しいことばかりじゃないですよ。あたりまえ。そういうことじゃない。楽しむために生きるんじゃ、ないんです」
かたんことんかたん。
「だってね、こちらの扉を閉めるとすると、あちらの扉が開くわけ。あちらの扉にダッシュすると、別の扉がぱかんと開くの。あっちを閉めればこっちが開く。こっちを閉じればあっちが開く。こっちへおろおろあっちへてくてく……」
「なぜ生きるの?」
かたんことんかたん。かたんことんかたん。
「どうして生きるの?」
かたんことんかたん。かたんことんかたん。
「いつ死ぬの?」
かたんことんかたん。かたんことんかたん。
かたんことんかたん。
「あのですね」
「ナオ」
「なんでしょう」
「みんないつか死ぬ。いつかは必ず死ぬ」
かたんことんかたん。
「……でしょうね」
「マドラスは」
え?
「マドラスは、どうしたの?」
かたんことんかたん。
→②につづく
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