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小説「かたんことんかたん―マドラスの夢と忘れもの」②

前編はこちらから


目を開けた。
電車の中。隣を見た。葉月は消えていた。
かたんことんかたん。

「マドラス?」
かたんことんかたん。
なんだっけ「マドラス」って。
ナオはスマホを出し、GPTを開いた。
マ…ド…ラ…ス。指の動きに唇が動く。貝ボタンを数えるおばあちゃんのしぐさを思い出す。ひい、ふう、み。おばあちゃんが数える。おばあちゃんが手を広げる。しわしわの手の平。白い貝ボタンたち。おばあちゃんが手を握る。見えなくなる貝ボタン。開く。しゃらしゃら。音を立てる貝ボタン。さざ波の音。海の音。

はたと思い出す。
そうだマドラスは、「船乗り」。船乗りは、私の夢。マドラスは、私の夢。
同じタイミングで、GPTが、こたえた。
「マドラスは、ベンガル湾に面した港湾都市です。タミル・ナードゥ州の州都。現在の名はチェンナイ」。
なるほどね。
マドラスは、「私の夢」。「私の夢」は、ベンガル湾に面したタミル・ナードゥ州の州都、現在の名はチェンナイです。
かたんことんかたん。
かたんことんかたん。
かたんことんかたん。
かたんことんかたん。

目が覚めた。
かたんことんかたん。
かたんことんかたん。
もう一度、スマホを出す。GPTを開く。
マ…ド…ラ…ス。今度こそ、出てこい船乗り。
「マドラスは、日本の老舗靴メーカーです」
なるほどね。
かたんことんかたん。「私の夢」は、靴の会社。かたんことんかたん。私の夢は、タミル・ナードゥ州ではなく、靴の会社。
かたんことんかたん。
かたんことんかたん。
かたんことんかたん。

目が覚めた。
AIが、夢にまで出てくる。タミル・ナードゥ州にまで蔓延するAI。かたんことんかたん。かたんことんかたん。
かたんことんかたん。かたんことんかたん。ええもちろん。のんきに暮らしてる。のんきに暮らせてると言っても過言じゃない。生きている。私、まだ死んでない。
ええ、もちろん。「マドラス」は、タミル・ナードゥ州の靴の会社ではない。いいえ。タミル・ナードゥ州に「マドラス」っていう靴の会社はありません。タミル・ナードゥ州には、別の名前の靴の会社があるのでしょう。「港湾都市」だから、靴の会社くらいある。いくらでもある。
つまり。
・タミル・ナードゥ州は、もう「マドラス」ではない。
・「マドラス」は、靴の会社である。
・「私の夢」は、靴の会社ではない。
つまり。
結論。
どこ探しても、ない。
いない。
まごうかたなき結論。
二度と会えない。

かたんことんかたん。
かたんことんかたん。
しかたがない。
死んだら会えない。
手立てがない。私なんにも知らない。タミル・ナードゥ州がどこにあるかすら、知らない。ベンガル湾すらも。
いや、そんな話じゃない。私が言いたいのは、と、ナオは頭をあげた。
どこを探してもないってこと。
どこをさがしてもいないって話です。
おばあちゃんも葉月もいないってこと。
窓の外を、景色が流れていた。

――マンデラ・エフェクトかもしれませんね。マンデラ・エフェクトっていうのは事実と違うことを複数の人が記憶してる状態のことらしいですよ。同じ勘違いが世界中で起こることがある。パラレルワールドがあるんじゃないかって人もいる。どこか別の世界に、もう一人の自分がいる。信じられます? もしそうであれば、挨拶くらいはしておきたいですよね。永遠に会うことのない葉月、元気にしていますか? 
あなたの検索結果には、知りたいことが出てきますか?
会いたい人に、会わせてくれますか?

――ええ、私のほうは元気。元の気は保っております。元気は元気なんですけど、そろそろどなたかわかるように説明してくれないかなと思っております。私が宇宙に存在する理由。何もわからないまま40歳になってしまったこと。私そんなつもりなかったんです。こんな40歳になるとは思ってなかった。この前「34歳くらいに見えますね」って言われたけどそれもどうだか。40歳と34歳ってそんなに違う? 時空がゆがんでるのかしらん。くらくらしちゃう。お客様の中にドクターはいらっしゃいませんか? あ、手を挙げてくださったそこのかた。お名前は? ドクター・アインシュタイン? 困ったわねえ。ややこしそうな人が出てきちゃったじゃないの。
誰でもいいからわかるよう説明してくださいます?

かたんことんかたん。かたんことんかたん。そろそろ目を覚まさなくちゃ。駅が近づいてる。駅から出れば現実よ、ナオ。わかる? ここはタミル・ナードゥ州ではないの。ここはニッポンであり現実。
さあ起きて。「マドラス」は靴の会社。「船乗り」なんかじゃない。あなた間違ってたのよ。間違って覚えていたの。
「おとなになったらマドラスになってせかいじゅうをたびしたいです」
作文にも書いちゃったのに。
書いちゃったってことは先生が読んじゃったってことで、担任の東先生は思ったかもしれない。「そうかナオちゃんは靴の会社に入りたいのか。『せかいじゅうをたびする』とはたのもしい。国際営業部かな」
はずれです。でもちょっと近いかな。キャビンアテンダントをやっておりますから国際営業部ではないですけど国際線に乗ったりはしています。そんなつもりなかったのに勤続18年。未必の故意で18年。先生これどう思います?

かっこつけないで素直に日本語で、「船乗り」って書いとけば、先生も勘違いしないで済んだかもしれない。私のフリーダム願望を瞬時に察知してくれたかもしれない。で、みんなの前で作文読ませてくれたりして、それでみんなも感化されてクラス中が「レッツフリーダム!」目を輝かせたりして。そしたら先生にとってもいい日だったかも。「あの日あの瞬間を、忘れない」教師みょうりに尽き定年退職日に涙浮かべ職員室を後にすることが、できたかもしれないのに残念でした先生。
そう。かっこつけたのは私、ナオです。「船乗り」を、「マドラス」って書いたのは私。
でも先生だって、文句言えませんよ。そもそもあの作文に私は「自由になりたい」ってことを書いたのに、ただ花丸だけつけて返すってどういうこと?
あの花丸の意味は何?
その花丸の意味は何?

かたんことんかたん。かたんことんかたん。さあ、今度こそ夢から覚めるのよナオ。
いつのまにか、ナオの目の前のシートに、スーツ姿の男が座っていた。
男は、ナオの脚を見つめていた。年のころは20代後半、手にしたスマホを膝にさて置き、ヒールを履いたナオの脚を、チラチラそれとなくどころじゃなくガン見していた。顔を突き出して、穴のあくほど。
何を見てるの?
私のハイヒールが何か?
かたんことんかたん。
もしかして、「マドラス」の人?

電車が駅にとまった。男が目を上げる。立ち上がる。ナオは警戒し、上目遣いで男を見上げた。
男もナオを見た。スマホを持った手で、ナオの脚を指さした。
「なんかついてますよ」
「え?」
ナオは自分の脚を見下ろした。
ナオの左脛、黒ストッキングを履いた脚に、オレンジ色のしみが、乾いたペンキみたいにべっちょりついて、そこに緑色のガミ―・ベアがちょこんと斜めにくっついてた。
ガミ―・ベア。
ガミ―のベア、グミの熊。
熊の形したグミ。それの緑色バージョンが脛にくっついてた。黒ストッキングの脛が毒々しいオレンジ色に染まって、ベアがオレンジ色の崖を登る途中みたいに見えた。
「あ」
ナオは思い出した。機内での仕事中、飛行機の揺れに酔った子供がいたことを。

現実が、グミの形をして戻ってきた。

男は電車を降りていった。
電車の扉が閉まった。
電車が走りだした。


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