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AIが答えを出す時代に、子どもは何を勉強するんだろう。

先日、ふと思いました。

AIが答えを出してくれる時代に、子どもは何を勉強するんだろう。

分からない漢字があれば、検索できる。

英語も翻訳してくれる。

計算もしてくれる。

作文の構成も考えてくれるし、知らないことを質問すれば、かなり分かりやすく説明してくれる。

私が子どもの頃には、「知っていること」そのものに、今よりずっと大きな価値がありました。

分からないことがあれば辞書を引く。

図書館へ行く。

先生に聞く。

覚える。

何度も問題を解く。

知識を自分の頭の中に入れておくことが、「勉強する」ということのかなり大きな部分を占めていた気がします。

でも今は、ポケットの中に答えがあります。

そしてこれから、その答えはもっと早く、もっと自然に返ってくるようになる。

そう考えると、

「勉強しなさい」

という言葉の意味も、少しずつ変わっていくのではないかと思うのです。

もちろん、基礎学力はいらない、という話ではありません。

文字が読めなければ、AIの答えも読めない。

計算の感覚がなければ、出された数字がおかしいことにも気づけない。

歴史を知らなければ、もっともらしく書かれた説明が本当に正しいのか判断できない。

むしろAIがあるからこそ、基礎知識は必要なのかもしれません。

ただ、「全部覚えている人が一番すごい」という世界ではなくなっていく。

では、その先に何が必要になるのだろう。

私は最近、

答えを知っていることより、答えを疑えることなのではないか

と思うようになりました。

「本当にそうなの?」

「どうして?」

「誰が言っているの?」

「ほかの見方はないの?」

そんな小さな引っかかりを持てること。

AIは、とてもそれらしい文章を作ります。

写真のような画像も作ります。

動画だって作れる。

少し前までなら、「見たもの」がそのまま現実でした。

でも、これからの子どもたちは、
見たものが、本当にあったことなのか。

そこから考えなければならない世代になります。

なんだか、とても難しい時代だと思います。

一方で、少し面白い時代でもあります。

答えを覚えることだけが勉強ではないなら、

「何を知りたいか」

「何を不思議だと思うか」

「自分はどう考えるか」

という部分が、今まで以上に大切になるからです。

娘がこの夏、読書感想文に選んだ本は、レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』でした。

自然の中で、

「なぜだろう」

「きれいだな」

「不思議だな」

と感じる心。

AIとは正反対の場所にあるように見えて、私はそこに妙なつながりを感じました。

AIはいくらでも答えを出せる。

でも、
何に心を動かされるかまでは、代わりに決めてもらわなくていい。

子どもが海でカニを見つける。

夜空の流星を見上げる。

楽器を吹いて、音が合わないことに気づく。

スポーツをして、昨日できなかったことが今日は少しできる。

ゲームをしていて、「これ、なんか変じゃない?」と気づく。

そんな一見「勉強とは関係なさそうな時間」の中にも、未来を生きるための力が育っているのかもしれません。

親になると、どうしても数字が気になります。

テストの点数。

偏差値。

順位。

通知表。

もちろん、それも大切です。

高校へ行くにも、大学へ行くにも、今の社会では数字が必要です。

だから私は、勉強しなくてもいいとは思いません。

ただ、もう一つ。

数字では測りにくいものも、ちゃんと見ておきたい。

「これは本当かな」と立ち止まる力。

自分で問いを作る力。

分からないことを面白がる力。

そして、
答えを受け取って終わりにしない力。

AIが答えを出してくれる時代だからこそ、

子どもに必要なのは、「正解をたくさん持っていること」ではなく、

正解らしきものを渡されたあと、自分の頭でもう一度考えること

なのかもしれません。

そんなことを考えていた数日後。

YouTubeとゲームばかり見ていると思っていた小学5年生の息子が、ふいに私に言いました。

その一言を聞いて、

「ああ、もう子どもたちは、私たちとは違う世界を見始めているんだ」

と思いました。

その話は、次の記事に書こうと思います。

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