あの時、明石家さんまさんがいてくれたら
ここのところ、取り憑かれたように「Tシャツが乾くまで」の感想を書きまくっているチャオです。
考察なんて、そんなだいそれたものではなく、ただただ、思ったことを書いていたら、気がつけばTカワオンリー。
そろそろ他のことも書きたいなぁと思っていたところです。
先日、やっとカットサロンへ行ってきました。美容師さんとの会話が楽しくて、ついつい日々雑感を語ってしまう。
ツッコミを入れたり、オチをつけたり。
まさに大阪のオバチャンです。
そんな話の中で、ふと子どもの頃のことを思い出しました。
私は小学生のとき、大阪から東京へ、そしてまた大阪へ転校しました。
転勤族というほどでもないのですが、父がせっかちだったせいで、転入の時期がちょっとけったいなことになったことは、以前noteにも書きました。
今思えば、東京といっても武蔵野だったので、バリバリの江戸っ子の発音だったというわけではありません。
それでも、私には東京の言葉が、なんともハイカラで、おしゃれで、ステキな発音に聞こえたのです。
そして、すっかり萎縮してしまいました。
「ありがとう」
たったそれだけの言葉なのに、発音がまるで違う。
それを聞いた瞬間「こりゃアカン」と思いました。
そして、私は「ありがとう」さえ言えなくなってしまいました。
そんな私を気づかってくれたのか、担任の先生は、国語の音読になると私を指名しました。
早く慣れさせて、クラスになじませてあげたいという先生なりの配慮だったのでしょう。その気持ちは、子どもながらにわかりました。
「そんなこと、してくれなくていいんだよ!」
「ほっといてくれ!」
もちろん、そんなことは言えません。
おそるおそる席を立ち、おどおどしながら教科書を開く。
緊張で脂汗が出てくる。
読み上げる。
すると、くすくす。
笑い声が聞こえる。
「やっぱりな」
と思いながら、それでも読み続ける。
今度は噛んでしまって自分でも何を言ってるかわからない。
ますます滑舌がおかしくなる。そらおかしいよね。
クスクスから大きくなっていく笑い声。
我慢できなくなって笑ってしまってる。
いじめるつもりなんて、たぶん誰にもなかった。
ただ、私の大阪弁の発音がおもしろかったんだ。
子どもの私には、それがつらかった。穴があったら入りたい、というのはこういう事を言うんだ、と思いながら、ようやく私の音読タイムが終わる。
次の子が立ち上がる。
スラスラと、私とはまったく違う発音で読む。
「ああ、ああいうふうに読めばいいんだ」
そう思いながらも、だんだん話すこと自体が億劫になっていきました。
本当は、めちゃくちゃおしゃべりで、明るくて、人と話すのが大好きな子だったのに。
それでも、救いはありました。
親友と呼べる友だちが二人できたのです。
その子たちと話すときだけは、大阪弁が出ました。
すると、いつの間にか彼女たちにも大阪弁がうつっている。
それが嬉しくて、楽しくて。
中学に入ると卓球クラブに入り、そこでできた友だちとは、今も交流が続いています。
お互いの誕生日には、いまだにプレゼントを贈り合っています。
思えば、あの頃の私は、失語症とまではいかなくても、軽い「言葉の引っ込み」のようなものだったのかもしれません。
でも、当時、私を含めて4人の子どもを育てることに必死だった母には、そんな私の変化に気づく余裕はなかったのでしょう。
それよりも、12歳年下の妹の面倒を私に見てもらうことで、なんとか日々を過ごしていたように思います。
母は45歳での妹を生んだのです。
今の私なら、それがどれほど大変だったのか想像できます。
話すことが億劫になった私の心の拠り所になったのは、読書でした。
本の中なら、私は誰にも笑われない。
本の中では、好きなだけ言葉を使える。
夢中になって読んだのが、ルーシー・モンゴメリの『赤毛のアン』。
そこからアン・シリーズをすべて読みました。
森村桂さんの『美女と醜女』にもハマったなぁ。なぜか武者小路実篤さんにもハマり、ほとんどすべて読みました。
川端康成、芥川龍之介、夏目漱石。
あの頃の私は、本の中にどっぷり浸かっていました。
そして今、こうして文章を書いている。
もしかしたら、あの転校がなかったら、私はこんなに本を読まなかったかもしれない。
ずっとしゃべり続けていたかもしれない。
そう思うことがあります。
ふと思うのです。
あのとき、もし明石家さんまさんがテレビに出ていたら。
私は、あの音読タイムを「お笑いタイム」に変換できていたんじゃないかしら。
「これぞ、大阪弁でっせー」
「こんな発音できまっか?」
笑いに変えてしまえたような気がするのです。
くすくす笑われたときに、誰より私が笑い飛ばせたように思えてなりません。ホンマに変やったもんな。あの発音。
あんなに萎縮して、落ち込んで、悲しい気持ちになりながら大阪弁を隠すこともなかった。
まあ、子どもだった私に、そんな芸当ができたかどうかはわかりませんけど。
そんな話を、美容師さんにとうとうと聞いてもらいました。
「哀しい思い出ですね」と笑って言ってくれました。
「いやいや、今なら全部笑い飛ばせるんです」
と、笑いながら答えました。
笑い飛ばす。
これ、ひとつの技なんだと思います。
今だから笑える。
「あの頃の私、かわいそうだったなぁ」と思いながらも笑える。
あの時期があったからこそ、文章を書くことが好きになれた。
本の世界の素晴らしさを知った。
そう考えると、あの転校も、私の人生にとって宝物だったんだと思えます。
あの時、明石家さんまさんがいてくれたら。
きっと大阪弁を武器にできていたかも。
そんなことを思いながら、私は今日もあの頃の自分を笑い飛ばしています。
