
[WAIC2026]ロボットは映画を見ない:世界モデル評価軸が変化
2026年世界人工知能大会(WAIC 2026)では、中国の主要な世界モデル開発企業が一堂に会する「世界モデル“六小龍”サミットフォーラム」が開催された。登壇したのは、螞蟻集団(Ant Group)傘下の螞蟻霊波、極佳視界、無界動力、智元ロボット、自変量ロボット、大暁ロボットの研究開発責任者である。中国国内で世界モデルの開発を進める代表的な企業が集まり、Physical AI(物理世界AI)やEmbodied AI(身体性AI)に必要な世界モデルのあり方について議論した。
各社が採用する技術路線は異なる。物理世界のデータを使って基盤モデルを一から事前学習する企業、動画生成モデルを発展させる企業、潜在空間で強化学習を行う企業、行動方策を生成するPolicyモデルと物理シミュレーターを組み合わせる企業、認識から行動までを一つのモデルに統合しようとする企業などが並ぶ。
しかし今回の議論で最も重要だったのは、どの技術路線が勝つかという予測ではない。
世界モデルを評価する基準を、従来の動画生成モデルに使われてきた「映像がどれだけ自然で美しいか」から、「ロボットの行動をどれだけ正確かつ安定して支えられるか」へ変更する必要があるという問題提起である。
大暁ロボット首席科学者でオーストラリア科学アカデミー会員の陶大程氏は、この違いを次のように表現した。
「画素単位の再現は人間が見るためのものだが、物理的な推演はロボットが使うためのものだ。この二つは別のことである」
生成映像として自然に見えることと、物理世界を正しく理解して行動できることは同じではない。WAICで開かれた今回の議論は、中国の世界モデル産業が、動画生成の延長線上からPhysical AI専用の評価体系へ移ろうとしていることを示した。
世界モデルは「世界を映すモデル」ではない
世界モデルという言葉からは、現実世界を高精細な映像として再現するモデルが想像されやすい。実際、現在の世界モデル開発には、動画生成モデルを基盤としているものが少なくない。
大量の動画を学習し、現在の画像や指示から将来の映像を生成できれば、モデルが世界の変化を理解しているようにも見える。しかし、ロボットや自動運転車が必要とするのは、鑑賞用の映像ではない。
ロボットがある動作を実行した際に、物体がどう動き、どのような力が加わり、次に何が起きるのかを予測し、その結果を行動計画へ反映する能力である。
陶氏は一例として、水の入ったコップを運ぶロボットを挙げた。ロボットの動きが明らかに不安定であるにもかかわらず、生成された映像の水面がまったく揺れていなければ、映像としては美しくても物理的には誤っている。
動画生成モデルの評価では、画質、映像の長さ、フレーム間の一貫性などが重視されてきた。しかし、これらの指標だけでは、ロボットが水をこぼさずに運べるかどうかは判断できない。
映像としては満点でも、物理理解としては0点ということが起こり得る。
智元ロボットAIアルゴリズム責任者の任広輝氏は、現在の動画データそのものに「娯楽化された性質」があると指摘した。映画やインターネット動画では、カメラワークや編集によって、現実には起こりにくい動きが意図的に作られる。
動画生成モデルは、こうした映像を美しく再現する方向へ最適化されている。だが、画面として魅力的な映像が、ロボットの動作生成や物理推論にどれだけ役立つかは分からない。
自変量ロボットCTOの王昊氏は、純粋な動画データだけで物理世界を理解することには大きな問題があるとの見方を示した。その確信度は「90%程度」だという。
映像には物体の外観や動きは含まれるが、力、重量、摩擦、硬さ、接触状態など、行動に必要な物理情報の多くが明示されていない。映像だけを大量に学習させても、モデルが物理世界の因果関係を獲得できるとは限らない。
世界モデルに求められるのは、世界が「どのように見えるか」を生成する能力ではなく、特定の行動を取った時に「何が起きるか」を予測する能力である。
世界モデルの「Codex」はまだ見つかっていない
極佳視界首席科学者の朱政氏は、大規模言語モデルの発展過程を例に、世界モデル産業がまだ決定的な用途を発見できていないと指摘した。
大規模言語モデルは、当初、検索、科学研究、感情的な対話、コンテンツ生成など、さまざまな用途が模索されていた。しかし、プログラムコードを生成するCodexの登場によって、AIプログラミングという明確な利用領域が開かれ、その後の技術開発が急速に収束した。
朱氏は、世界モデルにとっての「Codex」に相当する製品が何になるのかは、まだ分からないとした。
つまり、世界モデルが高い価値を生み、産業全体の技術路線を収束させる決定的な用途は、現時点では確立されていない。
ロボット操作、工場自動化、自動運転、物流、家庭用ロボットなどが候補になるが、どの用途が世界モデルの能力を飛躍的に高めるデータと事業収益を生み出すのかは不透明である。
これは、単なる市場選びの問題ではない。世界モデルは実際の環境と相互作用しながら学習するため、早い段階で大規模な実装に成功した企業ほど、多くの行動データと失敗データを蓄積できる。
王氏は、実際の現場へ早く大規模導入し、データの閉ループを形成した企業ほど、技術進化が速くなると指摘した。
ロボットが現場で行動し、失敗し、その結果を学習へ戻す。この循環が回り始めれば、モデル性能と導入規模が相互に強化される。
反対に、優れたデモを作れても、実際の現場へ導入できなければ、新しいデータは集まらない。世界モデルの競争は、モデル単体の性能競争ではなく、実装、データ収集、再学習を回し続けられるかというシステム競争になる。
不足しているのはデータか、触覚か、閉ループか
登壇者の間では、Physical AI向け世界モデルに不足している要素についても意見が分かれた。
朱氏は、現在の主要な動画生成基盤モデルがデジタルコンテンツ生成向けに作られ、その多くが閉鎖的なモデルになりつつあることを問題視した。
既存の動画生成モデルへ依存し続ければ、将来、Physical AI企業が利用できる基盤モデルそのものがなくなる可能性がある。そのため、物理世界のデータを基に、最初から独自の基盤モデルを訓練する必要があるという。
無界動力共同創業者兼CTOの夏中譜氏は、力覚と触覚データがほとんど蓄積されていない点を挙げた。
ロボットは、物体を見ているだけでは正確に操作できない。物体に触れた時の反力、滑り、硬さ、変形、接触位置などを理解する必要がある。
ところが、インターネット上には画像や映像は大量に存在する一方、力覚や触覚を含む大規模な学習データはほとんど存在しない。センサーの種類や取得方法も統一されておらず、企業ごとにデータ形式が異なる。
螞蟻霊波首席科学者の沈宇軍氏は、将来的な技術の収束点として触覚を挙げた。触覚が本格的にモデルへ組み込まれれば、物理世界モデルは動画生成モデルとは明確に異なるものになる。
一方、任氏は、最大の問題はデータ標準だと指摘した。
世界モデルにどのようなモダリティーが必要なのか。映像、深度、力覚、触覚、関節情報、音声、温度、位置などを、どの時間軸と精度で同期させるのか。業界共通の基準はまだ存在しない。
標準がなければ、複数企業や複数ロボットから集めたデータを統合できず、大規模化も難しい。
各社の意見は異なるが、共通しているのは、インターネット上の動画を増やすだけではPhysical AIに必要な知能へ到達できないという認識である。
「像不像」から「做不做得到」へ
今回のフォーラムでは、Physical AI向け世界モデルを評価する新たな基準について、特に活発な議論が行われた。
各登壇者が挙げた重要指標は異なる。
夏氏は、未知の状況にも対応できる汎化能力、将来状態の予測精度、モデルが出した判断の有効性を挙げた。
任氏は、物理的一貫性と複数視点間の一貫性、学習した表現が実際の行動計画に利用できるか、最終的なPolicyモデルの性能をどれだけ改善できるかを重視した。
王氏は、現在の状態と行動から将来を予測する反実仮想能力、物体が視界から消えても存在を記憶できる恒常性、実際の制御に使える推論速度を挙げた。
王氏によれば、ロボット用世界モデルにおいて長時間先の映像を生成することは必ずしも重要ではない。必要なのは、短時間の将来を高速に何度も予測し、その結果をすぐに行動へ戻すことである。
沈氏は、行動の正確性、物理的な合理性、リアルタイム性を挙げた。
物理法則を厳密な数値として計算する必要はない。例えば、鉄と綿を落とした時にどちらが速く落ちるかを理解できればよく、必ずしも重力加速度を小数点以下まで計算する必要はないという。
朱氏は、少量の学習データしか与えられないFew-shot環境で、複数の作業を実機がどれだけ成功させられるかを評価基準とした。
陶氏は、これらの指標を三つの知能として整理した。
第一は生成知能である。視覚的に連続し、不自然な破綻のない世界を生成できるかを測る。これは世界モデルの入場券に相当する。
第二は認知知能である。物体や因果関係を正しく理解しているかを測る。例えば、視界から一時的に消えた物体が、理由なく別の場所へ現れないかといった一貫性が問われる。
第三は物理知能である。モデルの予測が、実際に信頼できる行動へ変換できるかを測る。
見た目の世界を生成する段階から、世界について正しく考え、その判断を実際の行動として成功させる段階へ進まなければならない。
陶氏はこれを、「像から想へ、正しく想うことから、実際にできることへ」と表現した。
Physical IQは世界モデルの物差しを変えられるか
フォーラム開催に合わせ、大暁ロボットなどは「Physical IQ物智統一評価プラットフォーム」を発表した。
Physical IQの目的は、単に世界モデルの順位表を作ることではない。評価の問いそのものを変えることにある。
従来の動画生成モデルでは、「生成された映像がどれだけ本物らしいか」が主要な評価基準だった。Physical IQでは、それを「モデルが実際の行動を支えられるか」へ変更する。
AI開発では、評価指標として設定したものが最適化される。画質を評価すれば画質は向上するが、物理的な因果関係や行動の成功率が同時に向上するとは限らない。
逆に、真実の物理法則を完全に再現できなくても、実機の行動成功率や安全性を継続的に改善できるなら、産業的には高い価値を持つ。
陶氏は、短期的に世界モデルの技術路線が一つへ収束する可能性は低いとみる。潜在空間による推論、動画生成、統一モデル、Policyとシミュレーターの分離、物理ネイティブモデルなど、複数の方式が並行して発展する。
ただし、評価基準については統一が進む可能性がある。
深層学習の発展においても、特定のモデル構造が一方的に勝利したから競争が収束したのではない。ImageNetのような共通データセットと評価基準が登場し、異なる技術路線を同じ条件で比較できるようになったことが大きかった。
Physical IQが同様の役割を果たせるかは現時点では分からない。しかし、中国企業が世界モデルの標準化競争を、モデル構造だけでなく評価基盤から進めようとしている点は注目に値する。
デモは「最も良い一回」、工場は「最も悪い一回」を見る
世界モデルを評価する際には、研究室や展示会でのデモと、実際の産業導入を区別する必要がある。
デモでは、最も成功した一回が紹介される。工場や物流現場では、最も悪い条件でどこまで安定して動作できるかが問われる。
王氏は、ロボット導入のコストにもScaling Lawが存在すると説明した。
成功率を0%から90%へ高めるコストと、90%から99%へ高めるコストは同程度になる。さらに99%から99.9%へ高めるには、再び同程度か、それ以上の投資が必要になる。
研究成果として優れたアイデアであっても、最後の少数の失敗を抑えるための費用が事業収益を上回れば、商用化は成立しない。
沈氏は、展示会ではスタッフがロボットや物体を毎回決められた位置へ戻していると指摘した。しかし実際の生活では、物体が決められた場所に置かれているとは限らない。
スーパーマーケットでは、ある商品が別の客によって本来とは異なる棚へ置かれていることもある。人間にとっては日常的な出来事でも、固定された環境だけを学習したロボットにとっては重大な例外になる。
朱氏は、開発者を工場へ派遣し、現場の需要を詳しく調査したものの、最終的に導入できなかった経験を紹介した。原因は、現場理解の不足ではなく、基礎となるモデル能力そのものが不足していたことだった。
その結果、同社は対象分野を絞り、再びモデルの能力上限を引き上げる開発へ戻ったという。
任氏は、工場でロボットを7日間連続稼働させた経験を挙げた。生産ラインはアルゴリズムの都合で停止できない。新しい部品や工程へ短時間で適応し、一つの工場で成功したシステムを別の工場へ繰り返し展開できる必要がある。
一回限りの成功ではなく、複製可能な安定性が求められる。
クラウドの大脳より、端末で動く「本能」
世界モデルの産業利用では、精度だけでなく、処理コストと遅延も重要になる。
工場で動くロボットが判断に使える時間は、数百ミリ秒、場合によっては数十ミリ秒しかない。毎回、大規模な世界モデルをクラウド上で動かし、その結果を通信で受け取っていては間に合わない。
通信環境が常に安定している保証もない。
陶氏は、特定の作業へ最適化され、ロボット本体の端末側で直接動作する小型世界モデルの方が、クラウド上の巨大モデルより高い産業価値を持つ可能性があると指摘した。
これは、大規模モデルをロボットの「大脳」として搭載するだけでは不十分であることを意味する。
瞬間的な反応や安全に関わる判断は、端末側でほぼ反射的に処理する必要がある。Physical AIには、複雑な計画を行う大脳だけでなく、低遅延で行動する「本能」が必要になる。
陶氏は、世界モデルが産業システムの中で担う役割を四つに整理した。
学習時には新たなデータを作るデータエンジンとなり、評価時にはモデルやPolicyを検証する試験官となる。計画時には複数の行動を事前に試すシミュレーション環境となり、実際の導入時には端末上で即座に判断する本能となる。
この四つの役割のどれかが欠ければ、Physical AIの学習と実装の循環は途中で止まる。
産業が支払うのは「賢さ」ではなく「安定した賢さ」
今回の議論では、世界モデルの技術路線について完全な合意は生まれなかった。
統一された潜在表現を重視する企業、触覚を決定的なモダリティーとみる企業、実機データの閉ループを優先する企業、標準化された評価基盤を重視する企業など、各社の主張は異なる。
しかし、「映像として自然に見える世界」と「ロボットが行動できる世界」は別物であるという点では一致している。
動画生成モデルが目指すのは、人間にとって自然で魅力的な映像を生成することである。Physical AI向け世界モデルが目指すのは、行動の結果を予測し、失敗を避け、実際の環境で安定してタスクを完了させることである。
陶氏は、今回の議論を次の言葉で締めくくった。
「最も難しいのは、モデルを賢くすることではない。賢さを安く、効率的に、信頼できるものにすることだ。産業は賢さには金を払わない。安定した賢さに金を払う」
これはロボットだけでなく、自動運転にもそのまま当てはまる。
自動運転技術も、特定条件で成功した走行動画だけでは評価できない。雨、逆光、工事、飛び出し、通信障害、センサー汚れなど、最も条件の悪い場面でどこまで失敗を抑えられるかが問われる。
Physical AIの世界モデルも同様に、最も美しい未来映像を生成した企業が勝つのではない。
最悪条件でも、低遅延かつ低コストで、行動の失敗を予測し、回避できる企業が産業導入を獲得する。
WAIC 2026で中国の世界モデル企業が示したのは、技術競争の新しい出発点である。競争軸は、生成された世界が「本物らしく見えるか」から、予測された世界を使って「実際に行動できるか」へ移り始めている。
そして今後、モデルの規模や生成映像の美しさ以上に、誰がPhysical AIの評価基準を定義し、その基準を産業標準として定着させるかが、世界モデル競争の重要な焦点になる。