狼王の嫁⑤
第四章 訓練生の一日-2
「見ての通り、メインゲートは塞がれた。各隊、チームに分かれて入り口を捜索。見つけたものは狼煙を上げ、そのまま内部の捜索へ移る」
ルークの広げた地図の上に、フェルナンドがもう一枚地図を重ねた。
「幸いにも一年生の野外実習ですので、深い階層まで侵入している者はいません。全員の装備は一昼夜を凌げる程度。怪我もなく、無事だった場合のリミットは明日の朝まで。負傷者がいた場合は速やかに救出を優先してください」
地震により、内部で落盤が起こっている可能性は高い。
最悪の場合、落盤に巻き込まれて大けが、足元が崩れて下の階層に落下している可能性がある。
下級生がいるエリアは、比較的安全な場所だ。だが、万が一にも下に落ちてしまった場合、生き残る術を知らなければ一瞬で命を落とす可能性が高い。
迷宮に潜む生き物は全て、あらゆる面で異常発達している。高い身体能力に、地上ではあり得ないほど巨大化しているもの、危険な毒をもつもの、そういった生き物が独自の生態系を築いている。
そこでの遭難者を救助するということは、それらと戦って勝てるか逃げるための隙を作り、なおかつ要救助者の命を守って生還する体力、精神力、胆力が問われる。
訓練を受け始めて一年ほどの下級生達にできることではない。
「全員、戦う力はありますが、いきなり下層に落ちてしまった場合、冷静でいられてなおかつ戦えるスキルを持つ者は、いません」
ふと、フェルナンドはクラウスを見て笑った。
「どこかの誰かさんと違ってね」
その英雄譚を聞いた者は、誰もが驚愕する。ただし、英雄はクラウスではなく、父・ロルフだ。
狼王と呼ばれる遙か前、父もクラウスと同じく訓練生だった。初めての野外実習で落盤事故に遭遇し、友人を庇った父は、相棒のオールすらも置いて、たった一人で下層に落ちてしまった。
状況からして生存すら絶望的であったのに、オールが居場所を捜し当てた時には、のんびり焚き火してコーヒーを楽しんでいたそうだ。
『よう、オール、遅かったな。お前の見せ場が無くなったぞ』
その背後には、倒された獣の山。父は、群がる獣達をたった一人で撃退し、あまりにも強いものだから獣達が畏れを成して、遠くから見ているだけになったようだ。
この冗談のような英雄譚は、救助隊員はおろかこの町に住む者なら誰でも知っている。
聞き覚えのある英雄譚を思い出し、隊員達も訓練生達も、思わず笑みをこぼしていた。
「アレは規格外だ。計算に入れると、計画が狂う」
ルークが冷静に呟いて、下級生達の採取位置が記された地図に白紙の束を乗せ、紙に手を当てた。何事か呟くと、白紙の束は全て、地図の写しとなった。
地図を片手に、チームに分かれて迷宮に入れる他の入り口を探すため、雪をかき分けながら進む。
フェルナンドとフォルク、ラーシュはそれぞれ相棒の鳥達を空に放った。
鳥達の視力は他の動物と比べても極めて優秀だ。雪に足を取られる心配も無く、探索や索敵、情報収集の強い味方になる。
直ぐに、人の通れそうな入り口を見つけたフォルクの相棒梟のナハトが戻って来た。案内に従って雪に埋もれた小さな入り口に辿り付き、全員で人が通れる隙間を空けるために雪を掘って進む。
小さな穴を見つけると、手分けして掘り進めて確認できる程度の穴を空け、フェルナンドが中を確認した。
「内部に続いているようだ。ラーシュ、他隊員への通信準備」
「はい!」
鳩のポポを相棒に連れているラーシュが最も得意とするのは、通信である。鳩は他の鳥に比べ、強い帰巣本能と優れた空間把握能力を持っており、土の国から他国への通信は世界最速と謳われる。
その前線を支えているのが、訓練に訓練を重ねた、優秀な鳩達だ。真っ白で愛くるしい目をパチパチさせたポポは、ラーシュがメモした紙を渡すと、迷わずに救助隊本部へ向かって飛び立っていった。
フェルナンドが先に中へ入って再度、内部の安全を確認し、
「入ってきて。ひとまず、危険は無い」
指示に従い、順番に中へ潜り込む。迷宮内は適度に暖かいが、光がほぼ届かないため、真っ暗だ。フェルナンドが灯した松明が無ければ、隣に誰がいるのかすら分からない。小さく開いた入り口からの光が、阻害されているように感じられた。
「おそらく、今はこの辺りだろう」
フェルナンドが地図に現在地を記してくれた。最後に残ったラーシュに、
「ラーシュ、狼煙を上げてくれるかい? 私達は周辺の様子を確認してくるから、他の隊員が来るまで待機していてくれ」
「はい!」
ラーシュが狼煙を上げている間、他のメンバーで慎重に周辺を確認する。松明を片手に先頭に立つフェルナンドが息を潜めて照らせる範囲を確認していると、眼鏡を外したフォルクが、真っ暗な先を指差した。
「先生。奥に明かりが見えます」
指差す方向を見ても、のっぺりと重く纏わり付くような闇が続いているだけに見えた。だが、少しずつ針の先のようなオレンジ色が見え、少しずつ大きくなっていった。
「オーイ! 大丈夫かー!」
明かりに向かってフェルナンドが声をかけると、オレンジ色の明かりが揺れ、上下に動いてどんどん大きくなってきた。声に気付いて駆け寄って来たんだろう。
「先生ー!」
すがるような半泣きの声で駆けてくる。どうやら、この辺りで採取をしていた下級生達だ。初めての野外実習でいきなり地震に遭遇したのだから、さぞ恐ろしかっただろうと思ったのだが、それだけではないようだ。
「助けて下さい!」
必死で駆けて来た下級生達は松明も放り投げてフェルナンドにしがみついてきた。
「大変なんです、アルフ達が! みんな、落ちて、あっちで、落ちて!」
軽いパニック状態の下級生達を落ち着かせて話を聞けば、地震の直後、付近の仲間達と合流しようとした際、仲間達が急に地面に吸い込まれるように落ちてしまったらしい。
本当にパニックになるより先に、驚いて腰を抜かした彼等は、助かった。
むやみに動き回っていたら、この子達も落ちていたかも知れない。
下級生達が示す方向へ慎重に歩を進めていくと、
「止まれ。崖になっている」
フォルクの言う通り、もう一歩進めば真っ逆さまに落ちていく崖が、ぽっかりと闇の中で口を開けていた。
クラウスとカティスには見えなかった。梟を相棒としているフォルクは、かなり夜目が利くようだ。
相棒動物達と過ごす内に相棒達と近い能力が人間の方にも発現することがある。
それは、相棒との相性が良ければ良いほど顕著で、フォルクの場合は梟と同じく聴覚が優れており、夜行性の相棒に合わせて夜目が利く、といった具合だ。狼や猟犬も夜行性なので夜目が利く方だが、フォルクほど強く適合していない。
能力が顕著になるほど、昼の光に弱くなったフォルクは、光を調整する特別製の眼鏡を昼間は身に付けている。
反面、オナガを相棒にしているフェルナンドは視力が良いのだが、夜は極端に視力が落ちるらしい。
「向こうに呼びかけてたんですけど、返事がなくて……でも、僕達じゃ、助けに行けなくて……」
「僕達、これから、救助隊員になるのに……」
友人達が心配で、それなのに自分達は何もできずに……それが悔しくて、涙をにじませている。
この状態でパニックを起こさなかっただけでも、立派なものだ。そう言ってやりたいが、慰めにしか聞こえないかも知れない。
どうしたものか、とクラウスが迷っていると、フォルクのため息が思考を遮った。
「ハァア? お前ら、馬鹿じゃねぇのか?」
「フォルク!」
慌てて止めようとするも、遅すぎる。下級生達が傷ついた顔で俯いてしまった。
「お前……」
「何もできないって? 十分役割を果たしただろうが、バァーカ」
「……え。え?」
貶されているのか、褒められているのか、全く分からない。そんな顔で戸惑う下級生達に、フォルクはニカッと笑った。
「まずな、ここを動かなかったのは大正解、百点満点だ。ですよねぇ、先生」
「ああ、そうだね。百点の行動だ」
フェルナンドはニッコリ笑って、後押しした。
「焦って動いてたら、お前らも同じように落ちてたし、闇雲に動き回ったら遭難してたかも知れない。ここにお前達がいたことで、今、何が起こっているか? どうだ、分かるだろ?」
オドオドと、下級生達はお互いに目を合わせて、
「せ、先生と、先輩方に、合流できました……」
「そうだ。救助で一番大事なのは、早期発見。そのための百点満点の行動だよ。まあ、かの狼王は一人で突破した訳だが? 俺達一般階級は、これで良いんだよ。な!」
それは、訓練生として最初に教わることだ。
まず、自分の命を守れる程度に強くなること。そして、救助の妨げを最大限に減らすこと。遭難した場合は、目の前に即、命を落とす危険が無い限り、動かないこと。
迅速に、要救助者の情報を伝えること。
「……って、クラウス様が褒めてましたぁ~」
「オイ……」
いきなり、フォルクから背中を押されて下級生達にしっかりと顔を見せると、下級生達は色めきだった。
「クラウスさま……」
いきなりフォルクに押し出されただけなので、何を言えば良いのか分からない。クラウスは、何とか頷いて、思うことを告げた。
「俺も、みんなと同じ判断をすると思う。救助がいつ来るか分からない中、頑張ったな」
「は、はい!! あ、あ、ありがとうご、ごじゃ、ございます!」
早速、その場で無事な下級生達は入って来た入り口から救出した。
「ラーシュ、伝達! 下層へ下級生が落下した可能性が高い! 引き続き救助を続ける。以上だ」
「はい!」
フェルナンドが伝達を頼んでいる間に、クラウス達は再度、裂け目から下を覗き込んでみた。フォルクの目でも、見える範囲に下級生達はいない。
「ナハト。お前、見てきてくれ」
「ホー……」
面倒くさそうにフォルクの肩から飛び降りたナハトは、裂け目を覗き込んで羽を広げ、音も無く下へ向かって飛んで行った。
「下級生達の避難は完了したよ。下の様子はどうだい?」
「……かなり、深いです。ここから、落ちた、となると……」
フォルクが言葉を詰まらせた。クラウスとカティスも俯いてしまう。
怪我をしただけならば、上から呼ぶ声に答えるだろう。落下して直ぐ、仲間が呼びかけてくれたのに、答えられない状態なのだ。
大きな声を上げられない状態、または声が聞こえないほど落下した可能性もある。
三人揃って、一番最悪な想定に突き当たってしまった。
「コラ、優等生共!」
ポコポコ、と順番に全然痛くない拳で殴られる。
「最悪の想定も、必要だ。でも、まだ判断するには早い。ナハトが戻って来るまで待とう。ただ……」
フェルナンドは、真っ直ぐにクラウス達を見て言った。
「この先は、君達にはまだ酷かも知れないね。ラーシュの知らせで、隊員も集まるだろうから、交代しようか」
「交代……」
クラウスは見上げてくるオールと目を合わせた。フェルナンドの言うとおり、引くべきなのかも知れない。
ここより下層は、現役の隊員でも危険な場所だ。一瞬の判断ミスで、命を落とすかも知れない。それは、不慣れな自分達を連れて行くことで、フェルナンドにも危険が迫るということだ。
「先生。私達では、力不足でしょうか」
「いや? 十分過ぎるほどの戦力だね。うん、バランスも良い。経験が無い分頼りないけど、戦力としてはかなりあてにしているよ」
「では、このまま一緒に行かせて下さい」
オールが、足にゴツリと頭をぶつけてきた。よく言ったと褒めてくれている。気を引き締めて探索を続けようとした、その時。
『伏せろ、クラウス!』
オールが言うが早いか、クラウスに飛びかかって押し倒し、覆い被さってきた。
『小僧共! 地震がくる! 伏せろ!』
『おうよ!』
カティスの相棒であるカルロスも、相棒を庇って覆い被さり、オールの気迫に押される形でフェルナンドとフォルクも素早く身を伏せた。
次の瞬間、足元が大きく揺れ、低い轟音と共に入って来た入り口が雪で埋もれてしまう。低いうなり声のような音が、頭上を通り過ぎていく……雪崩だ。
先の地震で緩んだところに、追い打ちの余震で崩れてきたのだろう。
「ラーシュ! ラーシュ、大丈夫か!」
地震がおさまって直ぐに、フォルクは入り口を素手で掘り進めようとした。完全に埋もれて、向こう側を知る術が無い。
「フォルク。大丈夫だ。上の方が、先に雪崩に気付くし、下級生達を避難誘導するために、一旦ここから離れていた。側には、隊員もいる。無事に避難しているよ」
フェルナンドの落ち着いた声に、フォルクも落ち着きを取り戻したようだ。
「……すみません」
「良いんだよ。君は、いつだって友達思いだからね。さあ、ナハトの帰りを待って、これからの行動を決めようじゃないか。良いかい?」
「はい」
今は待つしか無いとなると、体力を温存する方が良い。クラウスが剣を抱えて座り込むと、隣にカティスも座り、二人を囲むようにオールとカルロスが包み込んでくれた。
「なあ、クラウス。あいつ、思ってたより良いヤツっぽくないか?」
「まあ、うん、そうだな」
苦手であることに、変わりは無い。だが、後輩を励ます姿や、仲間を案ずる姿を見れば、悪いヤツでは無いと思う。ただ、苦手なだけだ。
当のフォルクは、ラーシュが心配で座る気にもならないらしい。雪に埋もれた入り口付近の壁に寄りかかって、目を閉じている。
ぼんやりとした松明の明かりだけを頼りに待ち続けること、一時間。ようやく、穴の中からナハトが戻って来たが、何故かフォルクの元へ戻ろうとしない。
離れた場所でしきりに翼を震わせて、何かキラキラ輝く粉のようなものを振り落としている。
「なんだ、あれは……」
『嫌な匂いがするぜ、吸い込まない方が良い』
カルロスの助言に従って、全員口と鼻を布きれで覆った。
「オイ、クソジジイ大丈夫なんだろうな? さっさとこっち来い、一気に払ってやるから!」
「ホッホー!」
やかましい、小僧、とでも言いたげにナハトは相棒であるフォルクにまで大きく体を膨らませて威嚇してくる。
「テメェ、年寄りなんだから俺達より抵抗力弱いだろが! 無理するんじゃねぇ!」
「グギャアア!」
「このやろ、たまには言うこと聞け、クソジジイが!」
無理矢理近づこうとするフォルクを、フェルナンドが襟首を掴んで引きずり戻した。
「落ち着いて、フォルク。ナハトは賢い梟だ、あの毒は吸い込まない限り無害だと知っている。羽からふるい落とせば、ナハトは問題無い」
「……本当ですか」
「この非常事態で嘘なんてつかないよ。ナハトは、大丈夫だ」
安心したのか、フォルクもナハトへの接近をやめて座り込んだ。
「そうか。クリスタルモルフォだ」
「その通り。さすがは、カティスだね」
美しい名を裏切らない、クリスタルのように輝く羽を持つ蝶の名だ。本来は暖かい場所に生息する、五センチくらいの無害で美しい蝶だが……。
迷宮で進化したクリスタルモルフォは、食物連鎖の頂点を争う、獰猛な捕食者だ。
羽を広げた全長は二メートルを越える個体もおり、羽には毒を持っている。だが、その美しさと希少性で、好事家が多く、迷宮のクリスタルモルフォの標本は、目玉が飛び出るほどの高値で取引きされている。
中級程度の腕前を持つ探索家や冒険者が、高額取引きを目当てに狩りを試みるが、大半が失敗に終わる。
巣に近づいただけで集団で襲いかかってきて、羽の毒で身動きを封じ、強靱な粘度を誇る巣に絡められて、身動き出来ても脱出は不可能になる。小動物の場合だと、そのまま捕食される。
対策は単純で、とにかく毒を吸い込まないこと。
体に付着しても無害だが、吸い込んだが最後、全身がマヒを起こして動けなくなり、捕まってしまう。人間は捕食対象ではないが、捕まえて巣に縛り付けられるので、捜索が遅れれば、そのまま朽ち果てることになる。
「ナハト殿、まさか……全員、巣の中に落ちたのか?」
「ホッホーゥ」
クラウスの問いに、ナハトは頷いた。
全員、一瞬肩の力が抜けた。それは、良い方向に取ると、全員怪我を避けられたということだ。クリスタルモルフォの巣は、弾力性の高い丈夫な糸で作られる。
とんでもなく高い場所から落とした卵でも割れることはないほど頑丈な作りだ。
反面、全員が毒を食らって身動きが取れない状態である可能性が高い。全員を無事に救出するためには、三人だけでは人手が足りない。
『最悪だな。俺は、アレを好かん』
グルル、と低く唸る声と共に鼻にシワを寄せたオールは渋い顔だ。
「誰だって好きにならないと思うけどな……」
そんなものを喜んで標本にする好事家とやらの気持ちは、たぶん一生理解できないだろう。
「まあ、見つかったのだからヨシとしよう! じゃあ、早速作戦を立てるよ」
フェルナンドが立てた作戦を元に、クラウス達はナハトが捜し当てた最短の道で、巣に落ちた下級生達の救出へ向かった。
深い深い、闇の中。もうどのくらい縮こまっているか、分からない。肩を寄せ合う仲間の温もりだけが、これが現実であると告げる。
願わくば、全てが悪い夢であって欲しい。
「なぁ、アルフ……皆、大丈夫かな」
「だ、大丈夫だ」
そんなの、分からない。
分からないけど、大丈夫だと思いたい。それに、白い糸に絡め取られて繭に包まれてしまった仲間達は、意識は無いが脈が触れるし、温かい。
何とか仲間を助けて脱出したいのだが、あの蝶達相手にどうすれば良いのか、分からない。
(もっと、真面目に勉強しておくんだった)
狼王に憧れて訓練所に入ったアルフは、自分が好きな剣術の稽古ばかりに力を入れていた。
いつか、狼王・ロルフのように強くて格好いい男になるために。
それなのに、訓練所に入ったら半分は勉強の時間。歴史なんて興味が無いし、危ない動物だの植物だの、そんなもの知ることよりも上回る程に強ければ良いのだと……馬鹿にしていた。
馬鹿にしていた知識が無いから、何も出来ずに息を潜めるだけになっている。
あの地震が起きて直ぐ、アルフ達は側に採取していたコラード達と合流するべく、慎重に歩いていた。幸いにも、直ぐに姿を見つけることができて駆け寄ろうとしたら……。
フワッと足元が一瞬浮かんだような感覚があり、気付いたら真っ逆さまに落下していた。もう完全に死んでしまうと思って、相棒を抱きしめたが、柔らかく弾む物の上に落ちて、無事だった。
だが、直ぐに次の恐怖が目の前に迫る。
「クリスタルモルフォだ!」
と、誰かが叫び、鳥を相棒としていた仲間達は、直ぐに相棒を逃がした。猟犬や人間は捕食対象ではないが、鳥達は捕まったら食べられてしまうと、その恐ろしさを知っている仲間の忠告を聞き、全員がそれに従った。
突然のことに驚いて固まっていた猟犬クラスのアルフと仲間の二名は無事だったが、巨大な蝶の前で動いていた鳥クラスの面々は全員、蝶に取り囲まれて白い糸でグルグル巻きにされて……。
アルフ達にできた精一杯のことは、白いマントを被って繭の中に紛れ、攻撃を免れることしかできなかった。
「とにかく、ここで、助けを待つしか……」
「でも、み、見つけて貰えなかったら、僕達……」
人が食べられることは無いらしいが、繭と共に糸で釣られた動物の白骨死体がある。もしかしたら、探せば人の骨も……。身動き取れずに衰弱死してしまう可能性がある。
「ま、まずは、みんなを、助けて……」
「でも、どうやって? ナイフでも、切れなかったし……」
蝶達の攻撃が治まるのを待ち、直ぐに仲間を助けて逃げようと試みてみた。だが、頑丈な繭も、か細く見える糸すらも、ナイフで断ち切ることはできなかった。
派手に動きすぎれば、自分達も餌食になってしまう。何とか、友達を助けたい……。アルフは、不安そうにしている仲間達を励まそうと、懸命に言葉を紡いだ。
「大丈夫。俺達が落ちた時、コラード達が俺達を認識してた。きっと今頃、救助されて、俺達の状態を伝えてくれるはずだ」
「そ、そうだよね? だ、大丈夫だ、きっと……」
アルフは、心細そうに鼻を鳴らす相棒のジェイドの首筋を撫でてやった。
(ロルフ様は、一人で落ちても平気で戦ったんだ。それなのに……)
自分が、情けなかった。皆で小さく固まって、震えていることしか出来ないなんて。
「さっき迷い込んだ梟は、大丈夫だったかな?」
「あいつが、僕達のこと伝えてくれたら、良いんだけど……」
蝶達が静かになった後、そっと仲間を助けようとナイフで繭をギコギコ切る試みをしていた頃、また蝶が騒ぎだしたので、アルフ達は慌てて地面に伏せて身を固くしていた。
「ホッホー」
「梟?」
音も無く飛びながら、梟は蝶を振り切りつつ、こっちをチラリと見ていた気がする。
「無理だよ。梟の言葉が分かるのは、一人だけだし……」
アルフは、挑発するように意地悪く笑う、梟使いを心底嫌っていた。
「クラウス様の敵だし! あんな奴に助けて貰うなんて、絶対嫌だ!」
「俺もそう思う!」
「偉そうにしてて、僕も嫌いだ」
アルフ達猟犬使いの憧れ、狼王ロルフ。その一人息子、クラウスは強くて格好良くて、試合形式の模擬訓練を見学しては、彼の動きを真似して剣を振るってきた。
その尊敬するクラウスの前に、生意気にも立ちはだかる……名前は忘れたが、とにかく嫌味な笑い方をする、あの卑怯そうな男は気に食わないのだ。
何度も目に焼き付けてきたクラウスの勇姿を、その頼もしい背中を思い浮かべると、それだけで何だか勇気がわいてきた。
「俺達は、クラウス様の後輩なんだから、大丈夫だ、何とかここから脱出するんだ」
「うん、そうだよな!」
「頑張ろう!」
クラウスだったらどうするか? そんなの決まっている、絶対に諦めない。絶望もしない。活路を見出すために、考え、仲間を必ず守りきるだろう。
「よし、見つからないように身を潜めながら、思いつくことを一つずつ試そう」
「うん!」
マントの下、小声で話し合っていると、
『アルフ。何か、音がする』
ジェイドが教えてくれたので耳を澄ませてみる。静かだった迷宮内に、真っ直ぐ風を切る音が聞こえて、三人が隠れているマントの側ギリギリを鳥……黒い頭に、美しいブルーグレーの翼、そして長い尾を持つ、オナガだ。
「い、今の、クロだ! フェルナンド先生が側にいるんだ!」
間違い無く、フェルナンドの相棒・オナガのクロだった。思わず直ぐに立ち上がりたい衝動に駆られたが、グッと堪えた。
クロだって捕食対象の大きさなのに、わざわざ巣の中へ飛び込んで姿を見せたのは、危険な蝶をここから誘導して巣を空にする気なのだ。
その思惑は見事にはまり、手頃な獲物に目をつけた蝶が一斉に羽ばたいた。
「アルフ、蝶が全部クロに向かって行った! 今の内だよ!」
「うん!」
小柄で可愛い外見だが、オナガの飛行能力は高い。蝶の大群相手に怖れもせず、クルクルと翻弄するように飛び回っている。
おそらく、フェルナンドの所へ誘導しているのだろう。少し離れた場所に、弓矢の一撃で倒された蝶がドサリと落下した。
「よし! 今の内だ、みんなを助けよう!」
改めて、しっかりと口と鼻を布で覆い、アルフ達は繭の切り取りを再度試みた。
「くそ、やっぱり切れないな」
「火で炙ってみるのはどうかな」
さっきまでは怖くて身動きも取れず、松明すら無かった。たいがいの動物は火が苦手だし、試してみる価値はありそうだ。アルフが火打ち石を取り出すと、
『アルフ! 囲まれているぞ!』
ジェイドが足元で警告してきた。みんなを助けることに夢中になっていたが、よく見ると暗がりに光る赤い目が、幾つもこちらへ迫っていた。
アルフはとっさに剣を抜き、遅れて二人も剣を抜き放つ。
「いつの間に、こんなに……」
おそらく、蝶の巣に絡まった身動き出来ない獲物を狙う者達だろう。近づくにつれ、それは小柄な狼のような獣だと分かった。
「ハイエナだ……」
狩りが物凄く上手く、一度牙を剥いたら食いちぎるまで離さない。格好の獲物である繭の中の友人達と、まだ未熟なアルフ達では、勝負は目に見えていた。
それでも、足元で威嚇の唸りを上げる相棒達に励まされながら、必死で剣を振って牽制する。足が震える。心臓の音が早く大きくて、汗がどんどんふきだした。手が滑る。剣を落としそうだ。
もう、剣を放り投げて逃げ出したい。これはただの悪夢だったと思いたい。だが、アルフは必死で大地を踏みしめた。
(ロルフ様は、クラウス様は、絶対に逃げない!)
そう、自分は狼王のようになるのだ。
強くて格好良い、憧れのロルフのように戦うのだ。そう思うと、震えが止まった。戦える。弱虫なんかじゃない、戦える。
アルフは剣を強く握りしめて、ハイエナに向かって斬りかかった。
「たぁあああ!」
『アルフ!』
だが、ヒラリとかわされた上に、ハイエナ群れの真っ只中に突っ込んでしまった。一緒について来てくれたジェイドが必死で牽制してくれているが、もう、格好の獲物は自分だ。
ゴクリ、と飲み込む唾の音がやけに大きく聞こえ、爆発音のように心臓が脈打っている。もう駄目だ、ここで死んでしまう。
ハイエナ達は、ゆっくりと包囲の輪を狭めてくる。油断なくアルフとジェイドの様子を伺い、ピタリと動きを止めて……ゆっくりと身を深く沈めた。アルフは固く目を閉じて叫んでいた。
「ごめん、ジェイド! ジェイドは死なないでくれ、逃げろ!」
真っ直ぐに首筋へ噛みつかれる覚悟で身を固くしていたが……どこも、痛くない。
「ギャン!」
「グガァア!」
「ヒッ……」
ハイエナ達の鳴き声に悲鳴がもれたが、何も感じない。あまりの恐怖に、体の感覚がおかしくなったのだろうか。全身がガクガク震えていたが、手の甲に温かくて柔らかいものが触れた。
「ジェイド?」
おそるおそる目を開くと、手の甲にジェイドがじっと額を当てていた。ハイエナの方を見ると、ひるがえるコートに、視界が遮られた。
切り払う一閃、すかさず、戻る刃でなぎ払う。流れるように素早く繰り出される蹴りで、ハイエナの群れが吹き飛んだ。嵐のように激しく、一瞬で敵を制圧する……。
何度も何度も真似してきた、クラウスの背中だ。
クラウスが切り捨てた一頭は、ハイエナ達のボスであったようだ。群れは完全に戦意を失い、統率に欠けた。
ズバッと剣を打ち払うと、地面に赤い波紋が弧を描いた。
「失せろ」
背中を見上げていた猟犬達すらも、一斉に尻尾を後ろ足の間に巻き込んで降伏してしまった。上手く息ができない。アルフも、その場にへたりこんでいた。
ハイエナ達も恐れをなして、一斉に逃げて行く。ホーッと息をついた途端、ジェイドが軽く手を噛んできた。
「いって!」
『先に逃げろってなんだ! 今度言ったら、絶好だぞ!』
「ご、ごめん……」
剣を収め、振り返った人影は……本当に、クラウスだった。
「大丈夫か」
「は、はひ! だ、だいじょぶでしゅ!」
緊張のあまり、声は完全に裏返る。ポン、と肩に手を置かれて、気絶しそうだった。
「よく頑張ったな。だが、まだ気を抜くな」
「は、はい!」
今度は何とか、ちゃんと返事ができた。そこで初めて、クラウスが左腕に怪我をしていることに気付いた。
「クラウス様、怪我を!」
「ああ。ちょっと深く切りすぎたな」
たいしたことはない、と呟きながら自力で手際良く止血している。
「あ、て、手伝います!」
「こ、これ、消毒できる薬草です!」
「包帯、巻きます!」
慌てて三人がかりでクラウスの腕に包帯を巻く。あまり上手ではなかったが、何とか様になった。
「ありがとう。逆に助けられてしまったな」
「ひぇ!」
「とんでもない!」
「このくらい!」
遅れて、クラウスといつも一緒にいる猟犬使いのカティス先輩と……何故か、あの忌々しい梟使いの小生意気なアイツが走ってきて合流した。
「オイ、この馬鹿野郎が!」
なんと、カティスが駆けつけた勢いのままに、クラウスの頭を叩いていた。側でニヤニヤ笑っているアイツは、
「良い作戦だったと思うぜ、俺は」
などと言って、更にカティスの怒りを買っている。
「黙れ、最低の作戦だ! 作戦とも呼べない! 後で手当てし直すぞ、とびきりしみる薬をたっぷり塗ってやるからな!」
いつも穏やかなカティスがこんなに怖い先輩だとは思わず、アルフ達は縮み上がっていた。だが、アルフ達に向ける笑顔は、いつもの穏やかで優しそうなカティスだった。
「全員、今の体調は? 吐き気やめまいはない?」
「だ、大丈夫です」
「うん、良かった。ええと、クラウスに憧れるのは分かるけど、今回のは絶対に真似したらいけないヤツだから、真似しないようにな」
「は、はい……」
「わかりました……」
訳も分からず、アルフ達は一先ず、頷いた。
アルフ達は、知らない。確実にアルフの命が散る間際、駆けつけたクラウスは、とっさの判断で自分の腕を切りつけた。
ハイエナは、弱った獲物から仕留める習性があり、血の匂いに敏感だ。アルフに集中していたハイエナ達の注意が、血の匂いで一瞬、クラウスの側に向いた。
その隙にクラウスの前にいたハイエナ達をフォルクが撃ち倒し、素早くアルフの前へ飛び込んだクラウスは彼を助けた……その流れを、カティスは無謀と叱っていたのだ。
「今の内に、全員繭から救助しよう」
カティスは、巣に絡められた友人達の繭をアッサリとナイフで切り離した。
「え!?」
「ど、どうやったんですか!?」
「ん? 迷宮基礎学でまだ出て来ないか。クリスタルモルフォの糸は、熱に弱いんだ。ただし、火をつけると一瞬で燃え広がるから、要注意な。温めたナイフで切り離せば、救助できるよ」
アルフ達は、自分達がやろうとしたことが大惨事を招くところだったと、真っ青になった。身勝手な判断で、友達を死なせてしまうところだった……。
「あ、あの、全然動かないんです。脈はあるんですけど……」
「大丈夫だよ。クリスタルモルフォの毒は、獲物を殺すほど強くない。動きを封じるだけだ」
その毒で捕らえた獲物の鮮度を保つためだと言われている、とカティスが教えてくれた。
「きちんと毒を抜く治療をして、三日も養生すれば元通りだよ」
「そ、そうなんですか」
「よかった……」
アルフ達はホッと胸を撫で下ろす。仲間達は全員無事に、帰ることができそうだ。
「よし、こんなところに長居は無用だな。クラウス、一人背負えるか?」
「ああ、問題無い」
身動きの取れない友人達を背負おうとするクラウス達に、アルフは仲間と共に慌てて進言した。
「俺達が運びます!」
これ以上、何も出来ないままでは悔しくて。全員で一人ずつ友人を背負った。
「戻りはキツいぜ? 途中でメソメソ泣き言言うんじゃねぇぞ」
「む……ちゃんと、鍛えてるんで!」
「へいへい。じゃ、頼むわ~」
優しいカティスやクラウスと比べて、アイツだけ意地悪だ。アルフは名前を覚える気にもなれない梟使いを睨んでおいた。
蝶を引きつけてくれていたフェルナンド先生とも合流して、黙々と危険なエリアを抜け、野営できるポイントまで辿り着く。
そこで、ようやく毒で麻痺したままの仲間達の手当てが開始された。
「フォルク、薬草は?」
主にカティスが手当てをしてくれるようで、キビキビと白い手袋を身に付けてリュックからすり鉢や薬草を取り出していた。
「そろそろ集まる頃だな。……お、戻って来た」
そう言えば、フォルクとか言うアイツが指差す先には、一羽の梟、それに仲間達が空に逃がした鳥達が戻って来た。
「ヨシヨシ。お前さん達、ちゃんと頼んだのが揃ったぞ。ご苦労さん、ありがとうな」
全部違う種類の鳥なのに、フォルクには全ての鳥達の言葉が分かるらしい。別に凄いとは思わないが、便利な能力だ。
カティスは集めた薬草を確認すると、小さな鍋で煮立て始めた。アルフ達も言われた通りにリュックにある綺麗な布を温かいお湯に浸し、仲間の体にへばりついた繭の残骸を拭った。
「あのぉ、それ、飲んだら治るんですか?」
「いや、応急処置だよ。飲んでおけば、毒の抜ける効率が良い程度かな。でも、早く治るに越したことは無いだろ?」
「そ、そうですね……」
この世の物とは思え無い、壮絶にして絶望的な黒っぽい緑色、悲壮感がただよう強烈な匂い。
『アルフ、は、鼻が曲がりそうだ……』
「こ、これ、被っとけ」
猟犬達は揃って鼻を抑えて隅っこで一塊になっている。ちゃっかり、クラウスの相棒・オールが一番奥で鼻を押さえていた。
「クラウス、抑えてくれ」
「ああ」
クラウスの手で半身を起こされた友人。意識のない口に注ぎ込まれる、謎の液体……。カッと目を見開いた級友が「グギョアグアゲアァアア!」と、まるで地獄の死者のような絶叫を上げると、再度白目を剥いてぶっ倒れた。
「ヒィ……」
アルフ達は縮み上がったが、カティスは平然と、続けた。
「次」
「ああ」
次々に、謎の液体を食らって強制的に目覚めたが即失神する仲間達。もしかして、カティスから仲間達を守るべきだったか? などとアルフは思っていた。
だが、匂いが治まった頃に様子を見に行くと、みんなの顔色が良い。スウスウと平和な寝息を立てている。
「アルフ、もう心配いらないよ。カティスは、薬草学でトップの成績を取っているし、自分でも新しい薬草を発見したことがある実力者なんだ。お医者様に診て頂いたようなものさ」
「そ、そうなんですね……」
「見張りは私達がするから、休んでおきなさい。明日は、更に歩くことになるだろうから。おやすみ」
「で、でも、俺達も、見張りを……」
「君の一番大事な任務は、身動きできない仲間を無事に運び、地上へ届けることだよ。そのためには、体力が必要だ。しっかり休みなさい」
「は、はい」
安心して座り込んだ途端、アルフはもう眠気に勝てなかった。ジェイドに寄りかかってウトウトしていると、フェルナンドがマントをかけてくれた。
「ありがと、ござ、ま……」
「お休み。頑張ったね」
フェルナンドの優しい声を最後に、アルフは眠りに落ちていった。
