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狼王の嫁④

第四章 訓練生の一日-1

 朝起きて直ぐ、クラウスの日課は水を汲んで水瓶を満たしておくことだった。

「おはようございます、クラウス様!」
「おはよう、ホリー」

 今は、健気なメイドのホリーが責任を持って担当している。手伝おうとするととんでもない勢いで遠慮するので、手出しができない。

「クラウス様、本日も朝は鍛錬でございますよね?」
「ああ。朝食の頃に呼んでくれるか?」
「かしこまりました」

 足取り軽く駆けていくホリーの動きに合わせて、大きな三つ編みが揺れている。

(どうやって、編むんだろうか)

 実はクラウスは手先が大変不器用だ。ホリーが後ろも見ずにチャチャッと三つ編みにしているのを目撃して以来、何て器用なのかと感動しっぱなしである。

『クラウス、私は下働きを見張ってくるわ!』

 堂々と言い放つアーニャが、ホリーの後ろにくっ付いて走って行った。クラウスにすらなかなか懐かなかったのに、ホリーには不思議と惹きつけられているようだ。

 日課の鍛錬を終えて息を付いた頃合いで、

「クラウス様、こちらをお試し下さい!」
「え」
「汗をかいて喉が乾いておりませんか? 水分補給にどうぞ」

 朝食の支度で忙しいだろうに、ホリーは冷たい飲み物を作ってくれていた。

「……美味い」
「お口に合って良かったです! これからも、こうして準備しても宜しいでしょうか」
「ああ、頼む」
「はい!」

 ただの冷たい水かと思って気軽に飲んだが、僅かにレモンの酸味と爽やかなミントの香りがする。わざわざ、こんな手間のかかるものを支度してくれたのか……。

 こうして気にかけて貰って細々と世話を焼いて貰うというのは慣れないが、毎日張り合いが増えたのは確かだ。もう少しだけ頑張ろうと思える。

 気が付けば、ふと振り返った時にホリーが笑顔で立っている生活に、ホッとしている自分がいる。

 ホリーの母親が書いた紹介状には、

『まだ若いですが、一通り私の技術を叩き込んでおります。お役に立ちましたら、幸いです』

 と書かれていた。ホリーの母、リリーの噂ならクラウスも聞いたことがある。

 どこの貴族もこぞって欲しがるほどの、敏腕メイド。リリー本人の働きも素晴らしいのだが、人へ教えることも上手で、リリーが入っただけでたちまちメイドの質が向上するらしい。

(さすがだな……)

 こんな、二人暮らしの家庭で働かせて良いのかと戸惑うほどにホリーは良く働いてくれている。

 申し訳ないような気もするが、もうホリーの手料理がどれも素晴らしすぎて、ずっと家に居て貰いたいと願い始めていた。

「本日はライ麦パンのオープンサンドとマッシュポテト、それにたっぷり野菜のスープにヨーグルトです! ヨーグルトにはベリージャムをお好みでどうぞ!」
「いただきます」
「コーヒーもどうぞ」

 スモークサーモンとクリームチーズの組み合わせが堪らなく絶品。このところ、二日に一回は添えられているマッシュポテトの優しい甘みが堪らなく美味しい。

「今日も美味しいよ、ホリー。ありがとう」

 父も毎日ご機嫌でホリーを褒め讃えている。

「お褒め頂き、光栄でございます」

 ニコニコとそつなく受け答えしつつ、次に楽しみにしているお弁当を持ってきてくれた。

「クラウス様、本日はベーグルパンのサンドイッチにしてみました。お好みに合うと良いのですが」
「ホリーの弁当は、いつも美味い。級友に羨ましがられているんだ」

 羨まれる度、誇らしく思い、みんなに振る舞ってもっと自慢したい気持ちにもなっていた。すると、それを察したかのように、

「まあ。それでしたら、少し多めに作っておりますので、お友達と分け合って召し上がって下さい」

 と、ホリーが言ってくれた。遠慮なく、存分に自慢してみることにしよう。ホリーが褒められることを想像したら、何だか心が温かくなった。

「いつもありがとう」
「とんでもございません、何かご要望がございましたら、いつでも何なりとお申し付け下さいね。お見送り致します!」

 笑顔で見送られ、いつもよりピシッとシワ一つ無い制服を着て歩いていると自然と背筋が伸びる気がする。

「あ……すみません、ジル先生がいらしたので……」
「ああ、父を優先してくれ。頼む」
「はい! では、玄関までお見送りできず、申し訳ありません。失礼致します」

 ピョコンと頭を下げて戻って行くホリー。最近毎日、玄関まで見送りをしてくれていたので、少しだけ寂しく思ったが「行ってきます」と声をかけて訓練所へ向かった。

 料理だけではなく、ホリーが掃除をしてくれた後を見て驚いた。埃一つ残さず、丁寧に手入れされた家が生き返ったようにイキイキしていた。

 こんなに働いては疲れてしまうだろうと、心配になったが、ホリーは鼻歌交じりで楽しそうに家の事をこなしてくれる。

 むしろ、やることが無くなってしまったからと、ブラシを片手にソーッとオールのご機嫌を伺い、ため息混じりにオールが許すと、嬉々として毛並みを整えてくれたので、ツヤツヤだ。

「オールも、ふっかふかだな」
『小娘め、やり過ぎだ。控えさせねばならん』
「かっこいいと思うけどな、俺は」

 ホリーが来て、まだ数週間。風のように軽やかに、家も、食卓も、人の心も、オールの毛並みまで輝かせてくれる。

 まるで、魔法使いみたいだ。こんな、優しい魔法を使う魔法使いならホリーに似合っていると思った。

『見ろ、クラウス。子供達が首都に向かうようだ』

 オールの言う通り、整然と並ぶ二十名ほどの少年達が、緊張した面持ちで歩いていた。

「ああ。芽吹きの儀式だな。もう、春が来るんだな……」

 列を成して歩いて行くのは、十三歳になったばかりの少年達。十三歳になると、素質のある者は相棒の動物と共に首都へ向かい、公主に目通りした後に訓練所へ通う認定を受ける。

 訓練所へ向かう道すがら、浮き足立つ少年達を見守っていると、

「あ! クラウス様!」
「わ、わあ、本物だ……」

 クラウスに気付いた少年達が足を止め、列を乱してしまった。直ぐに付き添いの教官達から叱られてしまっていた。申し訳無いことをしてしまった。

「クラウス、すまないが彼等に激励を頼めるか」

 引率の先頭に立っていたルークに頼まれ、クラウスは少年達にただ「頑張れ」と伝えた。たったそれだけで、

「はい!」
「頑張ります!」
「僕達も、クラウス様みたいになりたいです!」

 などと大盛り上がり。

「相棒の信頼に恥じないよう、頑張ってくれ」

 あまりにも褒めそやされるのでむず痒くなったクラウスは早々に退散した。

「こういうのは慣れないな」
『ロルフは笑って流せば良いと言っていたぞ。お前にはそちらの鍛錬も必要だな』
「……精進する」

 力一杯手を振る少年達に手を振って見送り、クラウスは訓練所へと足を速めた。

『ルークが引率とは。今日の授業が弛まぬか案じられる』
「フェルナンド先生がおられるから、問題無いだろう」
『うむ……フェルナンドの小僧か。あいつも、立派になったな』

 ルークは、元・国立アカデミーの教授で、現在は訓練所の責任者兼町の治安維持も務める、土の国では希少な魔法使いだ。

 彼が訓練所に就任してからは、訓練所の授業内容が一変し、その年の卒業生がゼロだったという異例の事態を引き起こすほどに厳しい。

 今まで肉体派一直線だった脳筋集団に、いきなり古代史・薬草学・応急処置・人体構造学などの座学を必須科目に入れられたものだから、当時の訓練生達は心底、ルークを呪ったことだろう。

 更に、三ヶ月ごとにテストを必修として、クリア出来なければ進級もままならず、落第点が続けば容赦無く退学させられる場合もある。

 そして、救助隊員となるためには、実技と筆記の試験に同時合格する必要があり、作成されたテスト問題はアカデミー生でも真っ青になるレベルにまでたたき上げられた。

 着任当初、ルークに文句を言って噛みついた者がいたらしいが、

「命を賭ける職務に、甘さなど必要無い」

 と、一刀両断。
 その厳しさは理に適ったものだ。

 救助隊員の華やかな活躍に注目されがちなのだが、救助に向かった先で殉職する者もいる。ルークが持ち込んだ学習習慣は、確実に救助隊員の生存率を上げるものだった。

 クラウスの同級生だった級友達も、入学当初は三十名ほどいたが、二年生終了間近の現在は十四名まで振り落とされている。

 今や、正面切ってルークに文句を言う強者は存在しないと言って良いだろう。

 名だたる悪童からは影で「クソ玉ネギ」と呼ばれているが、クラウスは、ルークの厳しさが嫌いではない。正しく、何事にも妥協を許さない姿勢が、父の教えに似ているからだ。

 いつも通りの時間に教室へ着くと、何故か室内は葬式のように静まりかえり、そこかしこで級友達が机に突っ伏し、床に崩れ落ち、縮こまって座って俯いている……。異常事態だ。

「どうした? 気分が悪いのか? 医務室まで歩けるか?」
「どうしたって!?」

 縮こまって座っていたのは、この町一番の情報通を自称しているフィン。ガバッとあげた顔は涙と鼻水でグチャグチャだったので、思わずハンカチを差しだしていた。

「大丈夫か?」
「ウグゥ、心までイケメンとかムカつくなぁ! でもありがどう! そして、これを見ろ!」

 ハンカチを受け取ったフィンはクシャクシャになった紙を突きつけてくる。

「ああ。鷹使いの家系が結婚するらしいな。それで、何か落ちこむことでもあったか?」

 めでたい話だと思うのだが、何故こうも級友達がこの世の終わりの如く虚ろな目になるのか、分からない。

「クラウスお前! ここ、ここ見ろって! 相手は、相手は、え、エヴァ様だぞ!?」
「ああ、そうだな?」

 そこからの繋がりが分からないクラウスが首を傾げると、屍のように転がっていた級友達が次々に立ち上がり、熱弁した。

「エヴァ様と言えば、この国でも……いや、世界でも指折りの美人!」
「まさに、天使! 俺達のオアシス! ヒーリングスポット!」
「お姿を見ただけで、眩しくて目が潰れるほどに、美しい、俺達の女神……」

 クラウスは「自ら発光してくれるなら、暗闇も便利だな」などと思っていた。日照時間が短い冬の季節も、実に便利だろう。

「その反応は、エヴァ様を認知していない?」
「お前、枯れきったじいさんか?」
「どうしてエヴァ様知らないんだよ?」

 そんなに有名人だったのか、とクラウスは焦り、唯一机で通常通りに本を読んでいたカティスに助けを求める視線を送る。

「俺達くらいの年頃なら、この肖像画に夢中になるのが普通……だってさ」

 カティスは、大切に薄手の木の皮で保護した肖像画を見せてくれた。
 なるほど、見覚えのある顔だ。

 先月、公主の生誕祭に合わせて、公主一家の肖像画が国中に貼り出されていた。同時に、名だたる画家達が高貴な身分の娘達の肖像画を一緒に飾っていた。

 その美しさに憧れを抱くのだが、エヴァの肖像画だけはずば抜けていた。

 どこに展示しても、一瞬目を離した隙に無くなってしまい、量産された写しは(カティスが持っているのも、これだ)飛ぶように売れ、国の隅々まで、彼女の輝くばかりの美しさは知れ渡る。

 当然、山のように縁談の申し込みがあったらしいが、その中でエヴァの嫁ぎ先が鷹使いの家系となったらしい。

 狼使いと同じく、鷹使いも血筋によって力が発現されるが、もう十数年、鷹使いの能力を持つ者が生まれていない。

 鷹使いの能力が無かったとしても、現在の当主は有能な文官であると噂されているから、エヴァはかなり良縁に恵まれたと言って良いだろう。

「まあ、綺麗な人だな」

 肖像画を見ても、そのくらいの感想しか出て来ない。何故なら、彼女から人間らしい魅力を感じなかったからだ。

 計算されつくされた完璧な美しさ、洗練された笑み、仕草。彼女は淑女として完璧なのだろう。

 だが、クラウスの心の片隅には、そっと灯る優しい明かりのようにホリーの姿があった。

「まあ、お前の好みじゃないってことだな」

 カティスが笑って言ったので、クラウスも乗っかっておいた。

「そういうことだろう、たぶん」
「ハァ!? じゃあ、どんな子が良いんだよクラウスよ、ええ!?」
「そういうことを、考えたことがないので分からない」

 話にならない、と級友達は肩を組み合って嘆き続けていた。

「そういや、今日は弁当どうしたんだ?」
「え? ……あ」

 何と忘れてしまった。クラウスは思わず、級友達と同じ嘆きのため息をもらす。

 これまでは、食堂のメニューで腹が膨れればそれで十分と思ってきたのだが、ここ二週間でクラウスはすっかりホリーの手料理の虜になっていた。

 しかも今日はベーグルのサンドイッチだと言っていた。楽しみにしていたのに忘れてしまうとは。

 自分好みの味付けにしてくれるのもあるのだが、細やかなホリーの気づかいがおかずの一つ一つに表われる。

 クラウスが少し疲れている時には、優しい味付けの野菜が中心。疲れに効くという軽く酢漬けにされたパリパリのサラダが絶品で、体に染み渡る美味さだった。

 逆に、苦手な科目が集中しているから、頑張りたい日には食べ応えのある大きめのおかずがふんだんに詰め込まれ、必ず、クラウスが一番好きなおかずが入っている。

 初めて朝食を作ってくれた時についていたジャガイモの、あれは何という料理なのかまた聞き忘れてしまったが、とにかく最高に美味いジャガイモのおかずを欠かさずに入れてくれる。

(本当に、全力でサポートして貰っているよな……)

 同じ素材を使っても、クラウスにはどうあがいても同じように作れる自信が無い。ただ料理の技術に優れているだけではない。

 ホリーは、『人』を良く見ている。

 クラウスだけではなく、父のことも。

 大怪我をして何とか生きて帰って来たものの、半死半生で三日三晩生死の境を彷徨い、ようやく枕をあげても、毎日生気の無い青白い顔をしていた父。

 だが、ホリーがやって来てクルクルと働き始めると、父は見違えるように元気になった。

 正に、ホリーは父にとっての救世主であった。さすがは、オールのお眼鏡にかなった実力者だ。

 狼は本能で人を選ぶから、その鼻に間違いは無かった訳だ。

「……ハア。仕方無い、今日は食堂へ行くか」
「そんなにガッカリしてたら、食堂の人が可哀想だろ。まあ、でもその気持ちは分かるなぁ。ホリーさんって、リリーさんの子だもんな?」
「ああ。家事全般、母上から教わったそうだ」

 実は、ホリーの母であるリリーは、カティスの家で少しの間、家事手伝いをしていたことがあるそうだ。

「リリーさんのシチュー、美味かったなぁ~」

 雇われメイドのリリーと言えば、その界隈では有名らしい、とカティスから聞いた。仕事ぶりが素晴らしいことはもちろんだが、家庭の困りごともいつの間にか解決してしまう、超有能メイドと噂されているそうだ。

 カティスの家の場合は、まず、病弱だった母親を一気に元気にしてくれたそうだ。今では病弱だったのが嘘のように、広い屋敷の空き部屋を活かして、近所の女の子を集めて裁縫や礼儀作法を教える先生をやっている。

「母上が元気になって、本当に良かったな」
「うん、ありがとう。それにしても、何の薬草を試しても、効き目が無かったのにな……」

 カティスは病弱な母を案じて、熱心に薬草学に取り組んでおり、医術方面の学問は常にトップの成績を誇っている。

「今でも不思議なんだよ、クラウス。どうして立ち上がる気力も無かったほど病弱な母さんが、あんなに急に元気になったのか……」
「それは、気の持ちようというものでしょうね」

 クラウスとカティスは背後から答えた、穏やかな声に応じて身構えたが、もう遅かった。フワリと綺麗に弧を描いて振り回され、次の瞬間には教室の天井を仰いでいた。

 何とか受け身を取った二人は直ぐに立ち上がれたが、級友達はまだ目を回して伸びている。全員、音も無く忍び寄った教官によって、綺麗にぶん投げられたのだ。

 クラウスが真っ先に立ち上がろうとしたが、直ぐに頭をガシッと捕まれていた。一瞬遅れて立ち上がったカティスも、ガッチリ頭を抑えられている。

「人は人と関わって生きるものです。誰かから必要とされて、初めて生きていると実感する。そういうものですよ。だから、気の持ちようなのです」
「フェルナンド先生……」
「おはようございます」

 ニコニコと爽やかにフェルナンドは笑っているが、右手はクラウス、左手はカティスの頭を鷲づかみにしていた。

「私の記憶が確かならば、もうとっくに授業が始まっていますね? それとも、ここだけ時間の流れが違うのでしょうか」

 フェルナンドは現役の隊員で、救助隊警備班の隊長だ。

 穏やかな風貌と紳士的な行動で、町の女性達のハートを年齢問わず鷲づかみにしているが、本人は不真面目な生徒や逃亡しようとする犯罪者の頭を鷲づかみにするのが得意だ。

「すみません……」

 素直に謝ると、フェルナンドはようやくクラウスとカティスの頭を話して、床に落ちた肖像画を拾った。

「全く、人騒がせなお嬢さんですね。それに何ですか、君たちも情けない! 一度や二度の失恋如きでメソメソと」
「そ、そんなの、先生はかっこいいし、モテモテだから、俺達の気持ちなんて分からないですよ!」
「それは分かりますよ。私も、妻と結婚する前に大失恋していますからね」
「えー!?」

 死屍累々と転がっていた級友達が元気一杯に跳ね起きた。

「いつ、誰に、どんな人ですか!? 俺達も知ってます!?」

 囲まれて質問責めのフェルナンドは、丸めた教本で級友達の頭をポンポンと軽く叩いていなしていた。

「無駄話はここまでですよ。さあ、授業を始めます」
「はーい……」

 渋々と全員が席に着くとフェルナンドはにこやかに今日の授業について説明を始めた。

 今日の授業は、実地訓練。遭難者の救助を目的とした、雪山及び迷宮での救助訓練を行う。

「鳥部隊とも合流し、総勢二十八名、四人一組でチームを組みます。チームの内訳はこちらで編制済みです。遭難者役が本当に救助を待っていますから、全員必ず生還して下さいね」

 チーム割りの表を確認すると、猟犬部隊二名、鳥部隊二名、半々構成のチームだ。

 クラウスは同じチームにカティスがいて安堵したが、鳥部隊二名の中に……フォルクがいた。

「あのー、先生。ウチのチームだけパワーバランスがぶっちぎりに高いですよね? クラウスがいて、フォルクまでいるとか。何か意図があるんですか?」

 クラウスがフォルクを苦手としていることを知っているカティスが、さり気なくフォローしてくれた。

 だが、その程度のあがきは、フェルナンドの前でそよ風程度。ニッコリと笑顔で吹き飛ばされていた。

「良いじゃないですか、同行するだけで勉強になりますよ」
「ええと……」
「クラウス相手でも引けを取らないのはフォルクしかいないのですから、バランスは良いはずですよ。誰と組んでも嫌味にしかなりませんよ、期待の新人というやつはね。強い者同士、適当におさまって下さいね」

 ニコニコしているが、直訳すると「文句言わないで従え」だ。

「分かりました。適当に、おさまります」
「クラウス……」
「ありがとう、カティス。大丈夫だ」
「そうそう、その意気です。クラウス、君はあらゆる面で私も尊敬するほどに素晴らしい。一つの欠点を除けばね」
「欠点、ですか」

 フェルナンドは真っ直ぐにクラウスを見て言った。

「人間関係の、食わず嫌いです。君は、初見で物の見方が小さい。せっかくの器が、そのままだと小さいままで終わってしまいますのでね。ルーク教授からの助言を参考にしました」

 ルークのテコ入れとあらば、絶対に覆らない。

「それと、カティス。君は友人思いで優しいけれど、優しさだけで人は育たない。よく覚えておきなさい」
「は、はい……」

 教官には全く、頭が上がらない。カティスと二人揃ってションボリしていると、今度は揃って頭を撫で回されていた。

「よーしよし、良い子だ。うーん、猟犬部隊のクラスにくると、犬がいっぱいいるみたいで、何だかとても楽しいなぁ」
「どういうことですか、それは……」
「いやぁ、率直な感想だよ。鳥部隊はホラ、個性の塊みたいなところがあるし、みんな自由なんですよねぇ。それはそれで楽しいですけどね。叱っても響かないのが多くてねぇ」

 小さくぼやきつつ、フェルナンドはタイムスケジュールを説明してくれた。

 これから昼までは、通常通りの長距離高速ランニングの往復、それにロープ一本で高所へ登るロープ登はんなどを行う基礎訓練。早めに昼を澄ませたら、残りの時間はびっちり実地の救助訓練だ。

 聞けば聞くほど、弁当を忘れてしまったことが悔やまれる。

 いつもの基礎訓練を終えたクラウスは、小さくため息をつきつつ、カティスと一緒に食堂へ向かおうとしていた。

『クラウス!』
「アーニャ?」

 トテテ、と背中に可愛い包みをくくりつけたアーニャがクラウスの元へ駆け寄って来た。

『もう、バカね! わすれものよ!』

 可愛いピンク色の包みの中身は、弁当だった。

「弁当を届けてくれたのか? ありがとう、アーニャ」
『そうよ。ほ……ろ、ろ、ロルフにたのまれたから、しかたなくね! べ、別に、あの子が困ってたって、ぜんぜん気にしてないしいい気味なんだけどね!』

 ホリーに頼まれて来たのだろう。まだ、素直に言うのが恥ずかしいらしい。照れ隠しに父の名を出して、弁当を確かに届けてくれた。

『じゃ、かえるわ。がんばってね、クラウス』
「ああ。父上とホリーに礼を伝えてくれ」
『しかたないわね! いいわよ!』

 ツン、と顔を背けて強がり、戻って行く。だが、ちょっと走った先で立ち止まり、ソワソワと振り返った。

『と、とうさんも、ケガ、しないでね……』
『案ずるな。俺ならば、大丈夫だ。留守を頼むぞ、アーニャ』
『うん。大丈夫よ!』

 直ぐに前へ向き直ったアーニャは、今度こそ全力で走って帰ってしまった。

「アーニャは相変わらず可愛いな。さっき、振り返って何て言ってたんだ?」
「オールに、怪我をしないでね、と」
「へえ。いつもは素直じゃないのにな。可愛いなぁ」

 アーニャの温もりで、弁当がほのかに温かい。食堂で弁当を広げると、今日は珍しく手紙が入っていた。

 カティスがパンを買いに行っている間に、席取りをしながら手紙を開くと、綺麗な筆跡でホリーの優しさが綴られていた。

『差し出がましいかと思いましたが、アーニャ様にお弁当を届けて頂きました。お怪我をなさらぬよう、くれぐれも気をつけて、頑張ってください』

 思わず顔を綻ばせていると、直ぐにカティスが戻って来た。

「今日はやけに食堂が空いてると思ったら、一年生は全員、迷宮に採取訓練に出てるらしい」
「ああ……アレか」

 通称、地獄の迷宮合宿。食料は現地調達、教官は各エリアに配備されているが、あくまで死なない程度に手を貸すだけの、一番最初の試練的な授業だ。

「アレは地獄だったなー。サバイバル特化過ぎて」
「寝る場所の確保も大変だったな」

 和やかに話ながら昼食を食べていると、テーブルに乗っているカップが細かく震え始めた。

『クラウス。安全体勢を取れ』
『カティス! 地震だ!』

 オールと、カティスの相棒であるカルロスが助言すると同時にドンッと足元から突き上げるような揺れを感じた。直ぐにテーブルの下に潜って揺れが収まるのを待つ。

 地震災害の多い土の国では建築技術も優れていて、ちょっとやそっとの地震で倒壊する建物はない。まずは揺れが収まるのを待ち、安全を確保する。

 それは全ての国民が身に付けている、身を守る術であるし、定期的に訓練も実施されている。

 訓練生だけでなく、食堂の職員に至るまで冷静に対応できるのは、日頃の訓練の賜物だろう。入り口付近にいた生徒は扉を開放しておいてくれ、逃げ道の確保も完璧だった。

 揺れが収まると、全員素早く荷物をまとめて敷地内の避難スペースへ向かう。食堂で働く人々も火の元を断ち、一緒に避難を開始した。

「結構大きかったな。雪崩が起きそうだ」
「そうだな……」

 地震と雪崩はいつも起こりうることだ。特に、今は時期が悪い。短い春の訪れで、雪山はいっそう崩れやすくなっている。

 揺れの規模によっては、大規模な雪崩が発生し、特に雪山の麓に住んでいる漁師達の集落は危険だろう。その集落には、クラウスの母方の祖父母も住んでいる。最近、足を悪くしたという祖母が安全に避難出来ていれば良いのだが。

 避難スペースでは教官達が手分けして点呼して全員の無事を確認していた。

「よし、全員いるな。今日の訓練は中止だ。だが、人手が足りない。全員、救助隊の補佐を頼む」
「はい!」

 今朝早くから、迷宮に潜っている下級生達の安否が一部、分からない状態だとフェルナンドが告げた。

「採取訓練だから、広範囲に広がっていて、全員の無事を確認し安全を確保するためには、人手はあればあるだけ欲しい。午前中に伝えたチームに分かれて、それぞれ担当隊員の指示に従い、下級生達を救助する」
「はい!」
「迷宮内の状況は、定かではない。落盤、雪崩が発生する可能性が極めて高い。十分に注意して、隊員の指示には必ず従うこと。良いね?」
「はい!」
「クラウス、カティス、フォルク、ラーシュ、君達のチームは私が先導する。ついて来なさい」
「はい!」

 フェルナンドに続いて、迷宮へと向かう中、クラウスは一度だけ町を振り返った。

 町の南にある避難所へと逃れていく人々の群れが見える。あの中に、おそらくホリーもいるのだろう。父とアーニャがついているのだから、心配ないだろうが……。

『あの娘ならば、大丈夫だ。ロルフがいるのだぞ』

 誰を思って振り返ったのか、オールには筒抜けだったようだ。慌てて前に向き直ったせいで、少しだけ足を滑らせ、隣を走っていたフォルクの肩に少し触れてしまった。

「すまん」
「オイオイ、大丈夫か? 優等生サマよ」
「問題無い。足が滑っただけだ」

 よりによってフォルクにこの醜態を見られたのは失態だ。皮肉めいた笑みを浮かべ、冷やかしの言葉が返ってくる。忌々しい。腹立たしい。

 自分もフォルクが苦手だが、彼の方もこちらに良い感情は無いのだろう。

 それでも、今は個人の感情など気にしている場合ではない。

 南へ逃げる人の群れの間を縫うように、クラウス達は迷宮へと駆けつけた。避難完了した猟師達の集落を抜けた先、迷宮の入り口に辿り付いた途端、全員血の気が引いたと思う。

「入り口が……」

 迷宮のメインゲートとなる分厚い扉が、完全に雪に埋もれてしまっていた。どんな極寒の地でも凍らない特別な神樹製の扉で閉ざされたゲートは、魔法でロックされ、ロックを解除しても十人がかりの力でやっと開くことができる。

 それは、迷宮の脅威から町を守る為の措置だったが、内部に取り残された人を救助するには、逆に仇となる。その扉を更に、大量の雪が固く閉ざしてしまった。

 現場では、首都へ向かって出立したはずのルークが急遽戻って指揮を執っていた。

「ルーク教授!」

 先頭のフェルナンドが駆け寄ると、ルークは背後に続く訓練生達の姿に一つ頷く。

 隊員だけでは手が足りず、二、三年生の訓練生に応援要請をしたのは彼だったのだろう。ルークがこちらに視線を送ってきただけで、全員の背筋が伸びた。

「君達はまだ、正規の隊員ではない。内部は未確認で、如何なる事態に巻き込まれるか、予想出来ない。これは、訓練ではない。自信が無いものは、避難誘導を手伝いなさい」

 雪山から吹き下りる凍てつく空気よりも、ビシリと厳しい声に、全員が姿勢を正したが、誰も「自信が無い」とは言わなかった。

「傲慢な若者ばかりだな」
「勇気があると言って下さい。私と、貴方が鍛えた生徒ですよ」

 フェルナンドが微笑むと、ルークは眉間の皺をますます深くして迷宮の地図を広げた。


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