アートをどう選び、どう飾るか自体が、自分を晒す、ということなのでは? -特にイギリスの風景画家、ターナーに寄せて-
私も複製画ではない絵を買おうと考えたことがあり、作家の経歴とか、既成の評価、ましてや値上がりの可能性とかに関係なく、自分の感性だけで選ぼうとしました。
まだ資金が足りないので、結局は買いませんでしたが、その作家の今後の作品は追いかけて行ってみようかというところまでは決まりました。
それは自分のオフィスに飾るという意図がはっきりとあるのですが、そこで意識しているのは、どういう絵を飾るかによって、私自身の思想、とまでいうと大げさですが、ポリシーのようなものを、言葉にならない次元でお客さんに伝える、「自己アピール」の一環である、という認識です。
もちろん、おいでいただいたお客様に快適な思いをさせる道具立ての一部、という面はあるのですが、単に「癒し効果」がありそうかどうかという観点からチョイスしようとするのは、何か違うな、と。
アートセラピーの世界には、クライエントさん自身には絵を書いてもらわず、準備されていたポストカードなどからチョイスするというやり方もあります。
一枚選び、なぜ自分がそれを選んだのかを虚心に連想してみる、というやり方もありますが、数枚選んで、それをどう「配置する」かを直感的に工夫してもらう、というのも意義深いやり方です。
こうなると「箱庭療法」の平面版みたいな側面が出て来ます。深層心理の解釈上も箱庭療法の解釈が援用できます。
ただ、絵画のただの写真には、油絵の具の盛り上がりや、キャンパスの表面の塗られ方の質感は再現不能であることは、つくづく感じます。
私はターナーも好きなんですが、実物の光と影のコントラストの鮮烈さは、写真集や複製画ではとても再現不能ですね。



















1775年4月23日 - 1851年12月19日
そういう意味で、たとえ作家が無名であろうと、自分の感性にぴったりあった実物を購入してオフィスに飾ることにはこだわりたいですね。
話題を戻せば、ですから、どういう絵を飾るかは、実はその絵をかざる「自分を晒す」こと以外の何物でもないというのが私の認識です。 これが恐らく流すBGMの選曲でも同じですね。
私は関東時代はかなり美術館に通い、古今の名作の実物も観てはきましたが、やはり音楽の方が造詣が深いとは思います。
また、オーディオにもこだわってきましたが、どういう音で鳴らすかも、やはり「己れを晒す」こと以外の何物でもないという認識です。

私にはオーディオの音の違いなんて「わからない」よ、という人に対してもそうだ、と。

この日はオールJBL。
カートリッジやアナログプレイヤーやアンプまでJBL製品があるとは知らなかった。
昔のJBLより透明度優先で、
「ジャズのライヴの生々しさならJBL」という既成イメージから離れて来た。
最近はSAMSNG傘下に入り、ユニバーサル化が進み、
伝統のサウンドから離れて来ているという。
カウンセリングの世界でも、言語的(verbal)なコミュニケ―ションより、音声的(vocal)コミュニケーションの方がベースラインなんですよ。
つまり、言葉の「意味内容」の「理解」のやりとりよりも、「声の調子」の方が決定的。
しかも、見え透いた「演技」以前の、人間以外でも可能な、「生き物」どうしの「鳴き声」コミュニケーションですね。
いくら高級なオーディオ装置を使っていても、その人の音に違和感を覚えたことはあります。
「この人の魂、汚れてない?」と感じてしまい、それから数か月後に袂を分かつ伏線にもなりました。
これはおそらく車選びとかもそうで、どんな車でも買える経済水準の人が、私が同乗してどうもしっくり来ない車に乗っていたら、やはり関係を深めたくなくなることが多いです。
これは会食でも同じ。どういうお酒を勧められるか、もちろんお店の雰囲気も。これはB級グルメの店でもいえます。
結局、アートを媒介とする人と人の交流は、実は、言語以前の、もっとベースラインにある、身体性に基礎を置いたやりとりである、ということを大事にして行こうと思っています。
長文失礼いたしました。
👆️しばらくしたら購入して、新オフィスに設置する予定の製品。

