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時代の器|つながる寓話「笑いの調べ」第43話

​これは、メソヒュレー文明研究の第一人者として知られる、コノ・G・オモロー博士の著作『時代の器』の冒頭である。

『時代の器』

私は、人類の歴史を「人間が自由に使える時間が増えてきた歴史」として見ることができるのではないかと考えている。

ここでいう自由とは、政治的な自由や権利だけではない。生きるため、働くために必要な時間から離れ、自分の好きなことに使える時間のことである。遊び、祭り、趣味、誰かとの会話、ゆっくり食事を楽しむこと。そうした時間を、私は「自由時間」と呼ぶ。

もちろん、人類の歴史を一人あたりの自由時間だけで見ると、単純に増えてきたとは言えない。

農耕が始まれば働く時間は増え、産業革命の時代には長時間労働も生まれた。
しかし、人類全体で考えれば話は変わる。

人口が増え、寿命が延び、一人ひとりの自由時間も再び増えてきた現在、人類全体が持つ自由時間は、過去とは比べものにならないほど大きくなっている。

では、その自由時間を人類は何によって支えてきたのか。私は、そこに「時代の器」があると考える。

時代の器とは、その時代の人々が「作ることのできたもの」の総体である。たとえば土器なら、どんな材料を使えたのか、どれほど高い温度で焼けたのか、どれくらい大きく、丈夫で、複雑なものを作れたのか。さらに、土器だけではなく、石器、金属器、住居、城、道路、橋など、人間や物を「囲う・運ぶ・支える」ための建築物も含める。

縄文土器と須恵器を比べれば、そこには明らかな技術の違いがある。鉄を加工できる時代には、さらに大きな器が生まれる。

大量生産が可能になれば、器は一つ二つではなく、社会全体に行き渡る。そして現代では、建築物だけでなく、コンピュータや通信網、さらにはAIまで、人間の活動を受け止める巨大な器を作れるようになった。

つまり、人類は自由時間を増やしてきただけではない。

増えた自由時間を受け止める「器」そのものを、大きく、強く、複雑にしてきたのではないか。

この「時代の器」という考え方が正しいなら、土器や建築物を調べることは、単に昔の人が何を作ったかを知るだけではない。

その時代の人々が、どれだけのものを作ることができ、どれだけの自由を受け止めることができたのか。

そこから、私たちは「その時代の大きさ」を測れるのかもしれない。


小さな問い
・私たちの自由は、歴史の流れとともに変化してきたと思いますか?
・自由な時間は増えたかもしれない。では、自由の質はどうでしょう?
・完全な自由社会は存在するのでしょうか?

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