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自分にやさしくするのが苦手な人へ──やさしさの代わりにしてきたこと

「もっと、自分にやさしくしていいんだよ」

そう言われて、
なぜか、ちょっとイラッとした。

その言葉を素直に受け取ろうとすると、
胸のあたりが、すーっと冷たくなる感じがしたから。

「やさしくしたら、ダメになりそう」
「ゆるめたら、もう動けなくなりそう」
「ここまでこられたのは、自分に厳しくしてきたからこそ」

心の奥のほうから、そんな言葉が出てくる。

だから、「自分にやさしく」って言葉は、
なんだか、受け入れがたい。


しんどそうな友達には、ちゃんと言えるのにね。

「無理しないで」
「ちゃんとごはん食べてる?」
「あなたはよくやってるよ」

迷わずに、そう言える。

なのに、自分には、まったく違う言葉をかけている。

「もうちょっとだ、がんばれ」
「このくらいで弱音を吐くな」
「みんなはもっとやってるのに」

同じ "しんどい人" に向けているのに、
使う言葉が、ここまで違う。

これは、たぶん、心の中にある 「守り」 なんだと思う。


自分に厳しい人は、決して冷たい人じゃない。

むしろ、ちゃんと生きてこようとした人。

人に迷惑をかけないように
人に失望されないように
弱いところを、見せないように

そうやって自分に厳しくすることで、
ここまで、なんとかやってきた。

ひょっとしたら、子どものころに、
弱音を吐ける場所が、あまりなかったのかもしれない。

泣いてもいいよ、と言ってくれる人が、
近くにいなかったのかもしれない。

だから、自分で自分を律することを、
早い時期に覚えたんだと思う。

その「厳しさ」は、
もともとは、自分の武器じゃなかった。

外の世界から自分を守るために、
そのときの自分ができた、
ほんの“小さな守り方”だった。


ただ、それを長く続けていると、
だんだん、“そうすること”自体が自分になっていく。

「ちゃんとしている自分」が、
自分らしさになっていく。

「がんばっている自分」が、
自分の中心になっていったんだと思う。

そうやって生きてきたのに、

ふいに「もっと自分にやさしくしていいよ」
と言われたとしたら、

胸の奥で、自分はこう聞こえると思う。

「それを手放したら、私は、私じゃなくなってしまう」


やさしくすることが、怖いんじゃない。

ちゃんとしていない自分は、
自分じゃない気がして、怖い。

がんばっていない自分は、
そこにいる意味がない気がして、怖い。

“小さな守り方”と自分が一体になっているから、
それをやめたら、自分じゃなくなっちゃうみたいに感じそうだから。


仕事で、ちょっと失敗した日。

会社では、何食わぬ顔をしてた。
「すみません、以後、気をつけます」
って、ちゃんと言えた。

帰りの電車で、スマホを開く。
誰かの「がんばったら休んでいいんだよ」みたいな投稿が流れてくる。

「うん、そうだよね」って、ちょっと思う。

でも、
家に着いて、ご飯食べて、お風呂に入って、ベッドに入った瞬間、

頭の中の声は、まったく違う。

「あの言い方、まずかったな」
「もっと早く気づけたはずなのに」
「次は絶対、ミスれない」
「あの人は私のこと、どう思っただろう」



ふと、思い出す。

電車で読んだ「自分にやさしくしていいんだよ」って言葉。

「……それができたら、苦労してないんだよなぁ」

そう、つぶやく。

責めることをやめたら、
明日、もっとミスする気がする。

ゆるめたら、
ここまで積み上げてきたものが、ぐらつく気がする。

だから今夜も、
“小さな守り方”を握りしめたまま、ゆるめないで眠る。



ここから、ちょっと大事な話。

厳しさが「守るための道具」だったのは、本当。
だけど、

今、その厳しさが守ろうとしている相手と、
昔、守ろうとしていた相手は、
たぶん、同じじゃない。

昔は、今ほどの力が自分にはなかった。

怒られないように
嫌われないように
置いていかれないように

でも、今、ふと立ち止まってみると、

子どもの頃ほど、
無防備で投げ出されているわけではない。

それなのに、
そうすることだけが、子どもの頃のまま、
自分のなかに残っている。


心理学では、
こういう自分のなかの厳しい声のことを、
「内的批判」と呼ぶことがある。

この声は、悪意があるわけじゃない。

むしろ、
子どものころの自分を、失敗や恥や孤立から守るための声だった。

ただ、その声は、
子どもの頃のまま、アップデートされていないことが多い。

「ちゃんとしないと愛されない」
「弱音を吐いたら見捨てられる」
「がんばっていないと、ここにいていけない」

そういう、もう古くなったルールで、
今のあなたを、まだ叱り続けている。

声そのものを消す必要はない。

その声が、ちょっと古いままだ、と気づいてあげるだけで、
握りつづける力が、少しだけ変わってくると思うから。


大事なことは、「厳しさを捨てよう」とすることじゃない。
捨てる必要はない。

だって、その厳しさが、
ここまであなたを連れてきてくれたのだもの。

ただ、「もう、そんなに強く握っていなくても大丈夫だよ」
と、自分に伝えてあげること。

しんどい夜に、
その厳しさが顔を出したら、

「ありがとう。今までずっと守ってくれたね」
「でも、今夜はもう、休もうね」

って、声をかけてみてほしい。

厳しさを否定すると、
そうしてきた自分までを、否定しなきゃいけなくなる。

そんなことは、しなくていい。

長いあいだ自分を守ってくれた“厳しさ”を、
ちょっとだけ、横に置く。

捨てるんじゃなくて、置く。

明日また使ってもいい。
ただ、今夜だけ、横に。

それだけ。


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ここまで読んでいただき、ありがとうございます^^

少しでも「これ、私のことかも」と感じてもらえたなら、
私と繋がってくれるととっても嬉しいです🌿
フォロー&コメントも、いつでもお待ちしています。

今夜、もし「自分にやさしく」がうまくできなくても、
それは、長いあいだ自分を支えてきた証だから。

カウンセラーユナ


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注意:この記事に登場するエピソードは、複数の事例をもとに再構成したフィクションです。特定の個人を描いたものではありません。



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