【短編ファンタジー】 僕の見える世界 <加筆修正・完全版>
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(本文:9008文字)
第一章 虹色に輝く世界
息を吸うたび、喉の奥がひりついた。
僕は、必死で路地裏を走っていた。
両側に迫る建物の壁。
積まれた木箱を避け、角を曲がる。
後ろから、ガラの悪い男たちの怒鳴り声が追いかけてくる。
「待ちやがれ!」
声が近い。
路地裏を駆け抜けると、
急に視界が開けた。
大通りだ。
行き交う人の肩と肩の隙間に、体を滑り込ませる。
人混みに紛れれば、
男たちを撒ける。
お母さんが言っていた。
悪い言葉は、自分に返ってくるから、
言わないこと。
そういう人には、近づかないことって。
でも、今回は、仕方がなかったんだ。
人と人の間を潜り抜け、大通りの反対側へ渡る。
振り返らず、そのまま細い路地へ飛び込んだ。
怒鳴り声が、人混みの向こうへ遠ざかっていく。
街外れまで走ると、高い外壁が行く手を塞いだ。
その下に空いた小さな穴へ、
身を屈めて潜り抜ける。
すぐに振り返り、両手で大きな石を押した。
壁の向こうに、男たちの姿はない。
それでも足は止めなかった。
木々の間へ飛び込み、そのまま森の奥へ駆ける。
僕の家は、さらに先の小さな集落にあった。
「ただいま」
家の扉を開けると、煮込んだスープの匂いが鼻をくすぐった。
奥の台所から、お母さんと妹の声が揃う。
『おかえり』
お母さんに今日の稼ぎを渡すと、
軋む階段を上がり、二階の部屋へ向かった。
扉を閉める。
ようやく、肩の力が抜けた。
窓を開けて外を見ると、家々の屋根の向こうまで、森が続いている。
葉の一枚一枚から、色とりどりの光がこぼれ、
枝の間を小さな光が飛び交っていた。
今日も、眩しいくらい虹色に輝いた世界が広がっている。
心が踊る。
――僕には秘密がある。
『おかえり~』
耳元で、ミリエルの声がした。
「どこ?」
僕は勢いよく振り返り、天井から床まで見回した。
窓の外から笑い声が聞こえた気がして、
身を乗り出す。
「あっ……うわっ」
足が床から離れた。
『危ない!』
体が淡い光に包まれる。
落ちるはずだった体が、ふわりと浮いた。
次の瞬間、僕は部屋の床に尻餅をついていた。
「いててっ」
お尻をさすっていると、
『あっぶないな~』
怒ったミリエルが、窓辺に降り立った。
ふわふわの茶色い髪に、クリッとした碧の瞳。
背中の透明な羽が、まだ細かく震えている。
大きさは、手の平に収まるくらいに小さい。
その後ろでは、
ほかの妖精たちが窓枠から顔を半分だけ出し、
チラチラと僕の様子をうかがっていた。
「へへ。ごめん」
苦笑いした僕は、ほっぺをぽりぽりと掻いた。
僕は生まれた時から、妖精が見えた。
というよりは、人に見えないものが見えるみたいだ。
この森は、虹色に輝いている。
街には、薄暗い影が蔓延っている。
お隣のおばさんからは、いつも黄色い光が見えるし、
友達は赤い光を放っている。
そして、逆もあった。
寝たきりの爺さんの顔は、
真っ黒で見えない。
村の外れに住む猟師さんの背中には、
いつも黒いモヤがまとわりついていた。
まだ、それが何か分からなかった頃は、
「背中に何か付いているよ」とか、
「今日は元気がないんだね」とか、
見えたものを、そのまま口にしていた。
気味が悪いと言われ、僕を避ける人もいた。
僕に見えているこの世界が、母にも妹にも見えていないと気づくまで、
少し時間が必要だった。
僕が虹色の森や妖精の話をすると、母は困ったように眉を下げた。
やがて、「そうなのね」とだけ言って、
僕の頭を撫でるようになった。
その手は優しいのに、
母が僕から遠く離れてしまったように感じた。
ひとりぼっちみたいだと、思った。
僕は布団に潜り込み、
一人で泣いた。
だから、今はもう、みんなの前でこの話をしない。
何かが見えても、誤魔化して笑うことが癖になった。
僕が笑えば、みんなも安心したように笑う。
その顔を見るたびに胸の奥が痛んだけれど、
それにも気づかないふりをしていた。
ミリエルは、僕が赤ん坊だった頃から仲良くしてくれる妖精だ。
僕が一人の時を見計らって、いつも会いに来てくれる。
『今日、街で大変だったじゃない』
ミリエルは、机に置かれたクッキーを両手で押し上げながら言った。
クッキーに潰されそうになっている。
「……見てたの?」
『帰ってくるの、いつもより遅かったからさぁ。お母さんも心配してたんだよ』
……そうだったのか。
「変な奴らが、女の子の私物を取り上げてたんだ。取り返してやっただけだよ」
『シンも大概、正義感が強いわよね』
ようやくクッキーの下から抜け出したミリエルは、その端にかぶりついた。
体と同じくらいあるクッキーを抱えている姿は、少しかわいかった。
『でも、あの子が持ってたの、ただの鏡だったじゃない。なんで、あんな男たちが取ろうとしてたのかしら?』
もぐもぐしながら、ミリエルが呟く。
僕の頭に、
昼間の光景が浮かんだ。
第二章 金色の手鏡
「いいもん持ってんじゃねぇか、おねぇちゃん」
「ちょっと、僕らに見せてくれよ」
建物と建物の間に挟まれた、細い路地。
震える少女の手から、男が手鏡を奪い取った。
「すごくね? 後ろの彫刻。これ、ダイヤじゃねぇ?」
大きな、嫌な声が耳に響く。
灰色と薄暗い黒に包まれた三人の男たちが、
淡いピンク色の少女を取り囲んでいた。
少女は細い腕を伸ばし、手鏡を持つ男の腕に掴みかかる。
「返して!」
美しい声だと思った。
男たちの笑い声が、狭い路地に響く。
耳障りだった。
僕は今日の稼ぎを、ポケットの奥へしっかりと押し込んだ。
近くの建物の柱に手をかけ、屋根へよじ登る。
下にいる男たちは、誰も僕に気づいていない。
屋根の端から助走をつけ、三人の頭上へ飛び降りた。
着地と同時に、一人を蹴り倒す。
驚いて振り向いた二人目の顎を、下から蹴り上げた。
そのまま手鏡を掴む。
残った男が腕を伸ばしてきたので、腹に蹴りをお見舞いした。
父さんと鍛えておいて、良かったと心から思う。
口をあんぐりと開けた女の子を見る。
かわいいと思った。
思わず頬が緩んだ。
けれど、路地の奥から男のうめき声が聞こえる。
僕は少女の手を掴み、全力で走り出した。
少女は慌てた声を上げながらも、一生懸命ついてくる。
後ろから罵声が飛んできたが、振り返らずに走った。
角を曲がり、裏路地の入り組んだ道へ入り込む。
ここは、僕の庭だ。
少女の息が上がっている。
できるだけ近道を選び、路地の奥にある小さな物置へ駆け込んだ。
ここなら、見つからない。
扉を閉めると、すぐ外を男たちの足音が通り過ぎていった。
二人で息を潜める。
足音が遠ざかってから、少女は胸を押さえ、何度も息を吸った。
やがて呼吸が落ち着くと、僕を見る。
「ありがとう……」
僕はニッと笑って、手鏡を返した。
女の子の目が潤む。
「おばあちゃんにもらった帰りだったの。本当に、ありがとう」
「次は、ちゃんとしまって帰りなよ。あと、表通りを歩いて」
僕が言うと、少女は「うん」と頷いた。
それから、僕は少女を家まで送った。
どうやら、街の宿屋の娘さんらしい。
宿屋の前で別れようとした時、少女が手鏡をしまった鞄の中から、
金色の光がこぼれた。
「……ん?」
思わず、声が出た。
「どうしたの?」
「あ、いや。金色だなって思ってさ」
少女は僕の言葉に首を傾げる。
鞄へ目を落としても、何も気づいていないようだった。
「……ごめん。なんでもないよ。じゃあ、気をつけてな」
僕は手を振り、背中を向ける。
「あっ、ちょっと待って」
後ろから、手を引かれた。
振り返ると、少女は頬を赤くしていた。
「お礼がしたいから、
また会ってくれる?」
顔がにやける。
気がつくと、ミリエルの蹴りが僕を現実に引き戻した。
『あの娘に惚れたわね』
……そりゃ、あんなにかわいかったら。しかも、顔を赤くして、また会いたいとか……。
今度は、頭に衝撃が走る。
『あんたも、そんなお年頃なのね~』
完全に、馬鹿にされている気がする。
その時だった。
『ミリエル!』
開いた窓から、ジゼルが飛び込んできた。
『どうしたのよ、慌てて』
羽を激しく動かし、ジゼルは僕たちの前で止まった。
肩が大きく上下している。
『大変よ!主様(ぬしさま)の宝が、人間たちに盗まれてしまったの!』
……主様の宝?
「なんだ、それ」
僕はミリエルを見る。
ミリエルは、見たこともないくらい蒼白な顔をした。
「……ミリエル?」
窓辺で騒いでいた妖精たちも、いつの間にか黙り込んでいる。
僕はジゼルを見た。
ジゼルも、まっすぐに僕を見ていた。
『シン。取り戻しに行くの。手伝ってほしい』
第三章 主様の宝
聞けば、主様の宝というのは、
この森を守護している主が、森を守るために使う力の源だそうだ。
この宝石がないと、主の力が森全体に行き渡らず、
森が枯れていってしまうかも知れない。
……この森の美しい色彩は、主様の力のおかげなのかな?
今回の騒動は、森と繋がる鉱山で、
一人の鉱夫が光る石を見つけたと騒いだことから始まったらしい。
見た目は、白く綺麗な宝石だったから、人間たちは鉱石と勘違いして、
掘り返し、持って行ってしまったのだと、ジゼルは言った。
――加工される前に、取り戻さないと。
妖精たちの意思が固まっているのが、感じ取れた。
僕は、夕飯を食べた後、今日は「早く寝る」と言って、早々に部屋へ戻った。
そして、妖精たちと作戦会議をする。
ジゼルの調査によれば、主様の宝は、街の領主のところにあるそうだ。
「宝石って、どんな形をしているの?」
『人間には、普通の透明な宝石に見えると思う。形は石だよ。』
ミリエルが言う。
「ミリエルたちには、違うように見えるの?」
僕が聞くと、ミリエルとジゼルは顔を見合わせた。
『私たちには、翠色の光に見えるわ』
……翠色?
「それって、緑色?」
『ただの緑じゃないわ。白い光が混ざったような、主様の色よ』
僕の頭に、ふと、昼間の光景が浮かぶ。
少女の鞄からこぼれていたのは、金色の光だった。
あれと同じ光を森の中で見たことがあった。
「主様の宝って、一つだけ?」
『どうして?』
ミリエルに返事をしようと口を開きかけた時、
ミリエルとジゼルの後ろから、セーラが顔を出した。
『……昔さ。主様が恋した人間がいるの』
セーラは、ミリエルとジゼルの腕をギュッと胸に抱いた。
『彼女の姿をずっと見ていたかった主様は、力の一部を贈り物にして彼女に渡したんですって。きゃー』
ミリエルとジゼルが、迷惑そうに顔をしかめている。
その姿を眺めながら、僕は思った。
……あの少女に会いに行こう。
妖精たちを連れて、僕は森の中を走った。
昔から、身体を動かすのは得意だった。
なぜかは分からないけど、あっという間に街へ着く。
外壁の石をどかし、裏路地から宿へ向かった。
途中、薄暗い世界で生きる人たちに出くわさないよう、慎重に駆けた。
宿に着くと、僕は柱を登って二階へ上がって窓を覗く。
ここは、宿泊客が泊まる部屋らしい。
その時、屋根裏部屋に目が行った。
ベランダから、上の階のベランダの柵へジャンプする。
懸垂するようによじ登り、もう一度、ベランダへ飛び移った。
……あ。
目の前で、少女が目を丸くして固まっている。
白いパジャマ姿も愛らしい。
「……こんばんは。」
苦笑いして言うと、彼女は咄嗟に手で口を押さえた。
それから、コクコクと頷く。
機転の利く子で良かった。
夜風に当たっていた少女に、僕は手鏡を見せてほしいとお願いした。
夜中に部屋へ現れた怪しい少年に、少女はとても優しかった。
……大丈夫かな。
少し、心配になる。
ベランダに二人で座り込み、手鏡を見つめる。
後ろでは妖精たちが、やいのやいのと言っている。
とりあえず、気にしないことにした。
手鏡の裏には、綺麗な白い宝石が嵌め込まれていた。
……金色に光っている。
男たちは、ダイヤだと言っていたっけ。
少女は手鏡を開き、今度は鏡面を見せてくれた。
鏡は、普通。
そう思ったのは、勘違いだった。
鏡の中には、見知らぬ場所に置かれた主様の宝が映っていた。
透明なケースの中に、閉じ込められているように見える。
「……見える?」
僕は、おそるおそる聞いてみる。
少女は首を傾げた後、
「うん。ちゃんと映ってるよ」
と笑った。
自分の顔が、映っているという意味だろう。
僕は手鏡を借りて、覗き込んだ。
映るのは僕の顔ではなく、領主の屋敷だった。
……ここに行けってことだな。
僕は手鏡をそっと返し、申し訳なさそうに少女を見た。
少女は、僕の眉尻が下がったのを見て、不思議そうな顔をしている。
「申し訳ないんだけど、手鏡、貸してくれないか」
少女は少し驚いた顔をした。
「必ず、返しに来るから」
僕の言葉に少女は、にっこり笑って「いいよ」と言った。
僕は苦笑いして、「ありがとう」と言って立ち上がる。
少女は、「あっ」と呟いて、僕の服の裾を引っ張った。
振り返ると、彼女が言った。
「私、サーシャ」
僕は目を丸くしてから、言った。
「僕はシン」
第四章 鏡が映す場所
屋根づたいに、領主の屋敷へ向かう。
途中、夜空にオーロラのような光が見え隠れした。
妖精たちだ。
『ちょっと、シン~』
『サーシャちゃん、可愛すぎじゃない?』
『シンにはもったいなくない?』
三人は言いたい放題だ。
こっちは、慣れない屋根を静かに渡らなきゃいけないっていうのに。
外からの声は無視して、足元に集中する。
そして、屋敷の手前にある木の影で足を止めた。
屋敷の前には、憲兵が何人も立っている。
ミリエルが僕の頭に乗り、小さな手をかざした。
僕の体が淡く光る。
……目立つんじゃない?
『逆よ。人間には、今のシンが見えないから。行きなさい』
妖精は、心の声が読めるのか?
不利じゃないかと思いながらも、木から外壁の屋根へ飛び移る。
本当に、憲兵たちは誰一人として動かなかった。
屋敷の中に入るのは、驚くほど簡単だった。
僕は手鏡を覗き込む。
映ったのは、階段の下にある地下室だった。
けれど、辺りを見回しても地下へ続く階段はない。
『隠し扉とかあるんじゃない?』
セーラが呟く。
僕はもう一度、手鏡を覗き込む。
今度映ったのは、本棚の並ぶ図書室だった。
「図書室って、どこだ……」
そう漏らした瞬間、
「誰だ!」
見張りの男の声が飛んだ。
『ばか!』
ミリエルが、僕の頭をぺしっと叩く。
『姿は見えないんだから、行って!』
僕は男から離れた場所へ移動した。
「……気のせいか?」
――焦った。
心臓がどくどくと跳ねる。
胸を押さえたまま、壁づたいに歩いた。
そして、手鏡で見た扉と同じ形の扉を見つける。
……あった。
今度は、
心の中で呟く。
そっと扉を開くと、見張りは椅子に腰掛けたまま、居眠りしていた。
横をすり抜け、図書室の奥へ入る。
すると、本棚の陰に不自然な小さな扉があった。
僕は屈み、扉を開ける。
下へ続く階段。
妖精たちを見る。
三人が頷いた。
僕も頷き、中へ入った。
階段の下は湿っぽい匂いがして、じっとりとした空気が肌に張り付く。
暗がりの中、手鏡の金色の光が、さっきよりも眩しく光った。
階段を下り切ると、扉の向こうから、手鏡と同じ色の光が漏れ出ている。
僕は扉を押そうとして、手を止めた。
見張りが二人いる。
中は見えない。
けれど、灰色の影が壁を透けて見えた。
僕はそっと、妖精たちを見る。
ジゼルが前に出ると、壁をすり抜けて中へ入っていった。
しばらくすると、灰色の影がゆっくりと薄くなる。
……どうなったんだ。
『行くのよ。ジゼルが眠らせたわ』
セーラが言った。
……なるほど。
僕は扉を押した。
溢れるばかりの光に、思わず目をつぶる。
目が慣れてくると、透明なケースに入った主様の宝石が見えた。
白く透き通った宝石。
けれど僕には、金色の光を放っているように見える。
近づき、透明なケースを持ち上げると、簡単に取れた。
何の仕掛けもなかったらしい。
肩の力を抜き、主様の宝石を取り出す。
すると、
「おい!」
後ろから怒号が響いた。
僕はビクッと体を震わせた。
姿は見えないはずだ。
自分にそう言い聞かせる。
主様の宝石を掴み、透明のケースを元に戻した。
「ほ、宝石が浮いてる……」
どうやら、そのように見えるらしい。
振り返ると、居眠りしていた見張りが腰を抜かしている。
僕はその横を、全速力で駆け抜けた。
……あっぶね。
正面の扉を開け、外へ飛び出す。
木をつたって外壁へ登り、そのまま屋敷を後にした。
空を見上げると、満月が優しい金色に光っているように見えた。
もうすぐ、夜が明ける。
僕はサーシャの宿屋の、屋根裏部屋のベランダに降りた。
中を覗くと、カーテンの隙間からサーシャの寝顔が見えた。
そっと窓を押すと、鍵はかかっていなかった。
……不用心だな。
僕はこっそり、枕元に手鏡を置いた。
そのまま妖精たちと宿屋を後にする。
行きと同じように、外壁の穴から森へ入った。
家の窓辺から自室に戻ると、僕は倒れるようにベッドへ横になった。
次の日、僕は珍しく寝坊した。
第五章 僕の見える世界
「体調でも悪いの? 昨日、早く寝たし」
母がそう言って、心配してくれた。
「眠かっただけだよ」
僕は誤魔化して笑った。
朝の支度をすると、街へ出掛けた。
サーシャに顔を見せに行こう。
そう思った。
宿屋へ向かう途中、街中でサーシャとばったり会った。
今度はちゃんと、大通りを歩いている。
僕はニッと笑う。
サーシャも、嬉しそうに笑った。
手鏡を受け取ったことを確認すると、
これからおばあちゃんの家へ遊びに行くから、
一緒に行かないかと誘われた。
僕はもちろん、ついて行った。
サーシャのおばあちゃんは、街外れの森の横にある小屋に住んでいた。
こっちの方へ来るのは初めてで、僕は周りをキョロキョロと見渡した。
不思議な気配がする。
淡くて、きらきらとした緑色の光が、
小屋を優しく包んでいるように僕には見えた。
木々の隙間から、知らない妖精たちがこちらを見ている。
「こっちよ」
気がつくと、サーシャは小屋の扉のところで待っていた。
僕は走って追いかける。
「おばあちゃん。サーシャよ」
サーシャが扉をノックして開けた。
中には、ロッキングチェアに寄りかかり、
ゆったりと腰掛けているおばあさんがいた。
「おや。こんにちは」
微笑むおばあさんの瞳は、サーシャとよく似ていた。
サーシャは、おばあさん似なのかな。
「おばあちゃん、友達のシンよ」
「こんにちは」
僕は深々と頭を下げた。
ふふふっと、笑う声がする。
「こんにちは。よく来たね」
おばあさんはゆっくり立ち上がると、僕たちにお茶を淹れてくれた。
甘い匂いのするお茶だった。
サーシャは、手鏡を取られそうになったのを、
僕が取り返してくれたのだと、楽しそうに話している。
……ちょっと、照れるな。
僕は目を逸らすように、部屋の中を見渡した。
やっぱりここは、何かに守られている気がする。
「シンくん」
ふと、話題が僕に振られていた。
驚いて、おばあさんを見る。
「はい」
「シンくんは、あの人に似ているね」
「……あの人?」
おばあさんの視線の先には、サーシャの手鏡があった。
「この手鏡をくれた人よ」
――え?
僕は驚いた。
そう言われて、サーシャを見る。
この辺りを包んでいる緑の光は、主様の守りなのだろうか。
森の主は、このおばあさんを大切にしているんだ。
「おばあちゃん、この手鏡。大切なものなんでしょう?本当に、私がもらっていいの?」
おばあさんはにっこり笑うと、
「あぁ。構わないよ」
そう言って、窓から森の奥を見つめた。
「もう、必要がなくなるからね」
おばあさんの瞳は、遠くを見ているようだった。
……僕は、何と言っていいか分からなかった。
おばあさんの背中から、深く青い影が見えたから。
でも、おばあさんは幸せそうに笑っている。
僕にはまだ、分からない感情だった。
おばあさんに、「また来るね」とサーシャが挨拶をする。
そして、二人で小屋を後にした。
振り返ると、葉が風で不自然に揺れた気がした。
小さく笑い声が聞こえる。
低くて、
温かい声だった。
帰り道、僕はドキドキしながら考えた。
サーシャに言うか。
もう何年も、誰にも話していない。
ただ嘲笑われてきた、誰にも信じてもらえない僕の世界。
父にも、妹にも。
……母にも。
信じてもらえなかったら、きっとまた傷つく。
それが、すごく怖い。
でもなぜか、サーシャには話したくなった。
……すごく。
「サーシャ」
僕が足を止めると、サーシャが振り向く。
なんとなく、サーシャの顔が見られない。
「僕さ、……妖精が見えるんだ。人の色っていうか、その人の状態も分かるっていうか。世界に色がついて……」
突然喋り出した僕を見て、サーシャはきょとんとしている。
……あ。
体温が急激に下がる。
……やってしまった。
涙が出そうになる。
「すごい!」
……え?
「妖精が見えるの?妖精っているの?シンの世界には、色がついてるの?」
顔を上げると、目を輝かせたサーシャがいた。
両手を握りしめ、高揚した顔で僕を見ている。
……初めてだ。
こんな反応は。
サーシャはグッと身を乗り出し、
僕に近づいた。
ドキッとして、僕は後ろに一歩引いてしまう。
サーシャは気にした様子もなく、嬉しそうにしている。
「私にも見える?私も色がついてるの?」
純粋な好奇心で聞かれ、今度は違う意味で涙が出そうになる。
――あぁ。
君は信じてくれるんだね。
たった一人、信じてくれる人がいるというのは、
こんなにも嬉しいことだったんだ。
ずっと誤魔化し続けてきた自分に、やっとさよならできた気がする。
サーシャに正直になれて、よかった。
「ピンク」
サーシャは、きょとんとする。
「……ピンク?」
「うん。かわいいよ」
僕が言うと、サーシャは今度は赤くなる。
その時、ミリエルが降りてきて、僕の耳に囁いた。
『サーシャにも、見せてあげなさいよ』
僕は小さく頷く。
「サーシャ。手鏡を貸してくれる?」
「えっ……あ、うん」
サーシャはポケットから手鏡を取り出し、僕に差し出す。
僕はサーシャの手を、両手でそっと包み込んだ。
空から妖精たちが、体を光らせながら降りてくる。
森の木々からも、妖精たちが姿を現した。
手鏡から、翠色の光が溢れる。
「……う、わぁ」
サーシャの瞳が、潤んで揺れた。
浮かんだ笑顔が、きらきらと輝いている。
「見える! 見えるよ、シン」
妖精たちが、サーシャに挨拶をする。
サーシャも、嬉しそうに答えた。
虹色の光が、まるで雪のように降り注ぐ。
僕の世界には、妖精が住んでいる。
そして、
その日から、サーシャも加わった。
僕たちはすぐに、一番の親友になった。
翌朝。
「シンー!」
窓を開けて外を見ると、妖精たちと一緒にサーシャが、森を駆けてくる。
思わず口元を綻ばせ、大きく手を振った。
「サーシャ!」
僕は階段を駆け下り、母さんに「行ってきます」を告げる。
扉を開けると、今日も眩しいくらい、
——虹色に輝いた世界が広がった。
(了)
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