インターン日記・ここにあるをする vol.1 小川蒼樹
株式会社ここにあるのインターン生が、活動を通して学んだことや気づいたことを紹介する「インターン日記・ここにあるをする」。隔週土曜日に、インターン生が週替わりでお届けするリレーコンテンツです。
今回は、小川蒼樹(おがわ・そうき)が担当します!
そろそろ梅雨明けかなと思うと若干雨が降っているこの頃ですね。雨自体は好きではないのですが、雨音や雨上がりの空気や空はけっこう好きなので個人的に嫌いじゃない季節です。(寒さに弱いので冬が苦手です笑)
そして、今年の七夕も残念ながら天の川を見ることはできませんでしたね。ここ数年、七夕は曇りか雨という印象がありますが、旧暦で七夕の日だった8/19には綺麗に見れるといいなあとちょっぴりわくわくしています。
さて、そんな季節とともに、前回のインターン日記で自己紹介をして1か月がもう過ぎてしまいました。
現在、ここにあるでは主に3つのプロジェクトに関わっています。
・インターン採用:インターンの採用までのスケジュールや集客戦略、説明会の運営を行いました。
・オトナテラコヤⅡ:「あまがさき市民、みんなが先生」をキーワードに、プロの先生だけでないさまざまなゲストにお話をしてもらい、ディスカッションをします。
・つながりをつくる部:さまざまな人、団体、企業とのつながりをつくるための部です。SNS運用などをしています。
今回はインターン説明会での一幕から、ここにあるでの活動と社会とのつながりについて考えてみようと思います。
「抽象的な価値や社会と、目の前の価値はどうつながっていると思う?」
この言葉はインターン説明会のトークセッションで、時間が押しているにもかかわらず投げかけられた問い。
トークセッションの形式はスライドに写されたお題についてインターン生2人が答えるもの。そのタイミングのお題は「プロジェクトを通して、得たもの・学びは?」でした。僕は「抽象的な価値も大切な一方で、目の前の価値も大切にしたいなという気付きを得ることができた」と回答しました。見出しの質問が飛んできたのはその後です。
もともと、説明会でここにあるの雰囲気を感じてもらうために一問一答のようにせずに深ぼれそうなところは深ぼろうという話はしていたのですが、思いの外、芯を食った問いにすぐに答えることができませんでした。
そのときの僕の回答は「最近は目の前の価値をキャッチすることを大切にしていてあまり考えられていませんでした」というもの。それに対して「そうきっちはそういう抽象的なことや社会について考えるのが得意だと思うからぜひ考えてみてほしい」と言われました。
たしかに、所属する学生NPOでは普段から意識していることをここにあるではしていなかったと感じます。前置きが長くなってしまいましたが、僕の課題意識とここにあるのつながりを考えてみます。
「戦争」と「共生」への意識
僕がなぜこの2つを意識するようになったのかについて少しだけ書いてみます。
まずは、戦争。
小学校・中学校と平和に関する授業は熱心に聞いている方でしたが、今も覚えているくらいに印象的なのは、村上龍さんの『五分後の世界』という小説です。ポツダム宣言を受け入れず、戦争を継続している日本に主人公が飛ばされてしまう話です。
この小説を読んでいたのは小学校高学年の冬休み、福岡の祖父母の家を訪れるために京都からの新幹線に乗っていたときでした。新幹線の微弱な揺れや閉鎖的な空気のよどみも影響したのかもしれませんが、戦争のシーンでの詳細かつグロティスクな描写に吐き気を感じました。そこからでしょうか、「戦争=多くの人の命を奪う残虐なもの」として、戦争への課題感が形成されるようになったように思います。
そして時は流れて、高校時代。1つ上の代のちょうど国公立2次試験のタイミングで起こったのがロシアによるウクライナ侵攻です。そのニュースに衝撃を受けながらも、心のどこかで「どうせすぐに終わるやろ」とも思っていました。それでも、ウクライナ侵攻は今でも続いています。ウクライナ侵攻に関わるニュースが日常に変わるのを感じながら、平和な日本で受験勉強に集中できる自分を対比させ、上からかもしれませんが「かわいそう」と思ったし、自分が安全な環境からそう思うことが傲慢に思えました。
そして話は今所属する学生NPOにつながります。その学生NPOは「平和で人々の可能性が最大限発揮された社会」を掲げています。そのビジョンに惹かれて入会し、ことあるごとに考えているところです。
続いて、共生。
実は「多文化共生」という言葉を使うのはあまり好きではありません。現実との乖離からどうしてもお題目のように聞こえてしまったり、多義的な言葉であり人とうまくイメージを共有できていないのではないかと感じたりしてしまいます。
少し前の僕は、共生という言葉を、戦争と関連する政治的な決定に影響するものとして捉えていました。政治家や官僚、民主主義国家における有権者に共生する意識があれば、戦争はなくなるのではないかと。
そんな抽象的な共生という概念が日本の地域レベルに変わったのは大学3年生の夏のスリランカで教育ボランティアをした6週間が発端です。

スリランカの学校で子どもたちと寝食をともにしながら、授業をする6週間の中盤、いつもより厳しめに子どもに注意をしたことがありました。そこから数日、子どもたちが口をきいてくれなくなりました。話しかけても首を振られるのに、食事中に僕の名前が現地の言葉混じって聞こえてくる環境に、ご飯の味がせず、強い孤立感を感じました。
そのとき、ふと、「日本にいる外国人も同じ思いをしているのかもしれない」と思いました。これが共生という抽象的な概念が、実感とともに具体的な地域で起こっているものに落ちてきた瞬間です。
これは現在執筆中の卒業論文につながります。テーマは「異文化コミュニケーションと個人の異文化への肯定的感情の形成」です。在留外国人が増える日本で共生していくためには価値観や認知をアップデートしていく必要がありますが、それはどのようなプロセスで起こるのか、どのような異文化コミュニケーションがあれば可能なのかを研究しています。
ここにあるとのつながり
そんな課題意識とここにあるはどのようにつながっているのでしょうか。
ここにあるにはさまざまなプロジェクトがありますが、そのすべてが、そのときそこにあるものを大切にするためのプロジェクトのように感じています。
たとえば「おつかいチャレンジ」では、
手をつないでいる子どもがこけないかとハラハラしているボランティア
泣いちゃった子をどう笑顔にしようか、前を向いてもらおうかと悩むボランティア
子どもを心配そうに見る保護者さん
などなど、いろいろな人の感情を垣間見ることができます。
このような一瞬に、そのときそこにあるものを精一杯大切にしようとすることの尊さを感じます。そこにあるものを大切にすることは、その場にいる・ある存在への思いやりにつながります。そんな姿勢を持つ人が増えれば、少しだけ過ごしやすい社会になるのかもしれません。
そして、ここにあるのプロジェクトは人と人をつなげるものであるとも思っています。
それまで知らなかった業界や世界を知るオトナテラコヤ
本来会うはずなかったお兄さんやお姉さんと子どもが出会うおつかいチャレンジ
そんなプロジェクトを通して、「ここ」の範囲を広げていけるといいのかもしれません。

ここにあるを英訳すると、”be here now”になるのですが、その”here”は目の前の空間のことだけでなく、「目の前には見えていないけれども確かに存在すると感じられるもの」を指しているのだと思います。
それらを通して、「今目の前にはないけれどたしかに存在するものを大切にする姿勢」は平和や共生において必要不可欠な要素だと思います。
まだまだブラッシュアップする必要はありますが、いったんはこれを暫定解に、これからまたここにあるをしていこうと思います。
読んでいただきありがとうございました!みなさんの考えもぜひ聞いてみたいです!
次回の担当は田中柚羽(たなか・ゆずは)さんです。
それではまた次回、お会いしましょう~
