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【四国108箇所歩き遍路1(阿波)】#01 1番札所霊山寺~6番札所安楽寺(2015年12月)

これは2015年12月~2025年11月にかけて、順打ち、全7回の区切り打ちで結願した四国108箇所歩き遍路の記録である。


2015年の年末、はじめてお四国に呼ばれたわたしは、ネットで探した先達さんを頼りに鳴門の渦で有名な徳島県鳴門市にあるJR高徳線板東駅に降り立った。

持ち物は、山谷バッグのなかの経本、納経帳、お線香等に加え、背中のザックに「四国遍路ひとり歩き同行二人【地図編】」(俗に「黄色い地図」)と雨具、着替え、日用品など。

白衣と輪袈裟は事前にネットで購入したが、金剛杖は持たず、代わりに伸縮式のT 型グリップを1本、ザックの外ポケットに挿していた。
先達さんからは、毎日スクワットとランジをしておくことと、靴を慣らしておくこと、その靴で10km程度通しで歩いておくことといった宿題をいくつか事前にもらっており、最低限未満をこなしてのスタートだった。


朝7時20分に先達さんに迎えにきてもらい、紐をつけかえてもらった菅笠を受取る。お宿の玄関前でストレッチをしてからだを暖めた後、さっそく菅笠を被ってザックを背負う。そのうえから山谷バッグを肩にかけようとしたら菅笠がつっかえてかけられなかった。
ザック、山谷バッグ、菅笠の順で着けることと、山谷バッグは画板のように首からさげ、さらに両腕を下から通すと軽くなると教えてもらって、1番札所霊山寺の奥之院大麻比古神社の松並木の参道を歩いて1番札所に向かった。

1番札所霊山寺の前に着き、一礼してお遍路姿のマネキンが出迎える仁王門をくぐると、未だ8時前だというのに既にたくさんの参拝客で賑わっていた。道中ほとんど人を見かけなかったので、突然どこかから湧いて出たように感じた。
境内の三鈷の松の足もとに、2つではなく3つに分れた松葉がたくさん落ちていた。御守になるとのこと。さっそくひとつ拾うと、まだ新品の山谷バッグのすきまに入れた。
手水舎、鐘楼に続いて、本堂、大師堂の順に参拝する作法を教わり、経本を開き、見よう見まねで般若心経を唱えた。

読経を終えたところで後ろから声を掛けられた。振り返ると、先達さんのお知り合いの新田さん(仮名)だった。何年か前にはじめてひとりで四国を歩いて結願し、徳島まで戻ってきたところで先達さんに会い、道を教えてもらって以来の再会とのことだった。すでに三巡目の、すっかり『お四国病』の歩き遍路さんだった。

1番札所霊山寺の境内
最初のお遍路シール
霊山寺を出てすぐの県道沿いにあり、この県道を右へ進んだ

霊山寺参拝後、道端の遍路札を確認しながら再び歩き始めるが、正直、2番札所極楽寺3番札所金泉寺まで、ほとんど何も覚えていない。
覚えているのは、霊山寺のマネキンと三鈷の松、本堂ではじめて経本を読んだこと(とてもじゃないが読経したとは言えない)、新田さんに会ったこと、はじめて見た遍路シール、そして、金泉寺で井戸を覗いたことくらいだ。

2番札所極楽寺の仁王門
3番札所金泉寺の仁王門

金泉寺を出ると、古い街道のような道を経由、短い山道を抜けると小さなお寺の大師堂の横に出た。

3番札所金泉寺の奥之院愛染院の境内
山門ではなくいきなりここに出た
愛染院の山門

3番札所金泉寺の奥之院、愛染院だった。
小さな境内は綺麗に掃き清められており、縁側のようなところにお湯のポットとティーバッグ、紙コップが山積みされていた。お接待なので好きなものを好きなだけ飲んでよいのだと言われ、ザックを降ろして縁側に腰掛け、お茶をいただいた。まめができないよう靴を脱いで足も乾かした。

愛染院は納経が筆ではなく刷毛なのが珍しいということだったが、あいにくご住職は不在だったので、刷毛納経をいただくことはできなかった。

愛染院を参拝した後は、正面の山門を出て4番札所大日寺へ向かう途中のおうどんやさんに入った。わかめうどんを食べ終った頃、お店のかたがお接待と称して焼いたお餅を出してくださった。愛染院のお茶に続いて、人生で二度目のお接待。まだ落ち着かない。

食事を終えると、さらに4番札所大日寺へと向かう。畑のなかの畦道や、道端にひっそりと建つ石の道標といった景色が非日常的で夢のよう。

4番札所大日寺の鐘楼門

次の5番札所へは、奥之院の五百羅漢の敷地を経由して裏から入った。五百羅漢は窓口のようなものがあり拝観料が書いてあったが、目があったお寺のかたに会釈だけして通り過ぎた。5番札所地蔵寺の境内には樹齢800年の見事な大銀杏があった。参拝を終えて出るときは、正面の二天門から出た。

5番札所地蔵寺の二天門

札所では先達さんがつどいろいろ説明してくださり、そのひとつひとつに、ほぉ~と感心はするのだが、完全にキャパオーバー。ここでも、多聞天と持国天の説明を伺ったはずだが、申し訳ないことにまったく覚えていない。

地蔵寺を出て1時間も歩いた頃、先達さんが古い古い標石の前で立ち止まった。明治から大正にかけて四国を巡った中務茂兵衛さんが建てられたという道標だった。

中務茂兵衛さんは、今の山口県周防大島の裕福な家の三男坊で、22歳の頃家を出てひとり四国でお遍路を始められたらしい。何度か巡っているうちにすっかり有名になり、生き仏として行く先々で人々から歓待され、お接待を受け、泊るところに困ることもなく、280回目を巡っている途中で亡くなったらしい。亡くなったとき、通帳には多額の貯金があったという。途中から建て始めた標石は、現存するものだけでも200基以上にのぼるという。
歩きで279回結願という記録は、この先破られることはないだろう。

中務茂兵衛さんが183回目の巡礼で建てた道標
10年経った今でもよく覚えている
6番札所安楽寺の山門
一部加工済

15時、本日最後の札所、6番札所安楽寺に到着した。山門の形が今まで見たものと全く異なっており、仁王像を両側に、真ん中は竜宮城の門のかたち、さらに鐘楼があった。さらに、その上には無料で宿泊できる通夜堂があるとのことだった。
本堂と並んで納経所があり、小銭が束にして置いてあった。お賽銭用に両替をしていただけるお寺というのは、ここまでで初めてだった。
綺麗な境内には明るく綺麗な宿坊もあり、それが今夜のお宿だった。お寺なのに天然温泉があるらしく、それも弘法大師ゆかりの温泉とのことだった。

チェックイン後、性霊殿や大師堂などで、運慶の流れを汲むという松本明慶による弘法大師像などたくさんの仏像や曼荼羅などをお参りさせていただいた。薄暗いお堂の中で阿弥陀如来像のまわりを南無阿弥陀仏を唱えて三回まわりながら、今晩夢に出てきそうだと思った。

宿坊の夕食は、宿泊客全員が食堂で一斉に食べるようになっており、各テーブルの席には名札が置いてあった。今朝1番札所で会った新田さんが我々よりあとに到着し、同じテーブルに座られた。
新田さんは、八十八ヶ所に加えて別格もお参りしているそうで、我々が札所6ヶ所と愛染院をお参りしている間に、加えて標高450mのところにある別格1番大山寺にも参拝してきたとのことだった。別格なるお寺の存在を、わたしはこのときはじめて知った。

さらに、宿坊は精進料理でお酒は飲めないものだとばかり思っていたので、安楽寺の宿坊でお酒が飲めることにも驚いた。
食事をしながら先達さんと新田さんがしてくださる別格3番慈眼寺の穴禅定や45番札所岩屋寺の逼割禅定、73番札所出釈迦寺の捨身ヶ嶽禅定など、四国遍路にまつわるさまざまな話に引き込まれた。

ちなみに、この日は夕方の勤行とくす供養がなかった。通常は、弘法大師像などはその後でお参りさせていただくらしい。
盛りだくさんの初日、こうして日常生活はいっきに遠くなり、わたしはお四国にどっぷりはまっていったのである。


【コースタイム(実際)】


安楽寺宿坊(宿坊、予約は電話・HPのほか楽天等でも可)

宿泊:2食付8,500円(2025年11月現在、夕食6:00~、朝食7:00~、食堂で一斉)
洗濯: 200円(2台)
乾燥: 100円/30分(同上)
その他:
57室(施錠可、現金またはクレジットカード払い)
新館和室は各部屋の入口脇に洗面台とタオル干し(スタンド)がついており、廊下を挟んで広い部屋と狭い部屋がある
トイレは男女別の共同
男女別の温泉があり、ドライヤーが1つある
部屋のフェイスタオル1枚で洗面から入浴まで済ませるが、200円でバスタオルをレンタルすることも可能
1階に1台だけある自販機のメニューはノンアル数種とアルコールと辛ラーメン
夕食の後、運が良ければ本堂での勤行とくす供養を体験することができ、その後、松本明慶作の弘法大師像等をたっぷりお参りできる。靴下着用の暖かい服装で、白衣、輪袈裟、お数珠等着用で参加されることをお奨めする
人気の宿坊なので、早めの予約が安心

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