【四国108箇所歩き遍路2(土佐)】#06 29番札所国分寺~32番札所禅師峰寺(2016年2月)
これは2015年12月~2025年11月にかけて、順打ち、全7回の区切り打ちで結願した四国108箇所(八十八ヶ所および別格二十霊場)歩き遍路の記録である。
国分寺通バス停から歩き始める
きょうは昨日までと異なり、高知市周辺の札所がかたまっている場所を歩く。
朝高知駅からJR土讃線で後免駅まで移動すると、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線でのホームに阪神タイガースのラッピング列車が入ってきた。後免駅前からバスで国分寺通まで移動し、そこから歩き始めた。
国分寺通バス停は、国府橋を渡った次の角にあるのだが、そこを左折すると、あろうことか、ごみ置場の陰にひっそりと中務茂兵衛さんの標石があった(苦笑)。
国分寺の辺りはこんもりと緑が生い茂り、手前にロッジ風のカフェ『コットンタイム』があった。四国の遍路道は食事ができるお店やトイレが少ない箇所が多いので、こぎれいなお店につい目がゆく。まだ開店前だった。

土佐三浪士

後免駅にて
29番札所国分寺
じき白い土塀が現れ、それに沿って進むと三叉路の正面に仁王門があり、パッチリかわいい目の仁王像が迎えてくれた。朝いちばんの平地の札所にほかに参拝客はおらず、境内は綺麗に掃き清められ、中庭にある淡い色の梅が彩りを添えていた。とても気持ち良くお参りできた。

阿形像

吽形像

扇屋さんで念願の納め札を入手する
納経を終えると、仁王門を出て直進、門前の小さなお店『扇屋』に入った。このお店は、室戸岬の近くの遍路宿でご一緒した車遍路のご夫婦から教わった。どのお寺の売店でも売っている白い納札以外に、お店オリジナルの納め札というものがあることを、わたしはそのとき初めて知り、薦められてお接待のお礼専用にしようと思ったのである。
店内は畳一枚分くらいの広さで金剛杖などは扱っておらず、声をかけると高齢のご主人が奥から出てきてくださったので、ご夫婦からいただいたものと色違いの白い納め札を一束求めて、後にした。

手前から2軒目

赤や緑は表の地色が赤や緑で文字を書く場所は薄い色になっている
田んぼを通って善楽寺へ
扇屋さんの向こうは再び田んぼで、時折舗装された場所もあるが畦道を進む。曲がり角にはちゃんと木の道標があるので、迷うことなく歩くことができる。笠ノ川を渡るとき、鴨がたくさん泳いでいるのが見えた。
遍路札や矢印シールに従って作業場の脇道や倉庫の間などを抜けて旧街道に入ったときは少しほっとした。高知に入ると途端に遍路札が減ると聞いていたが、この辺りは旧街道が昔のままの姿で残っており、寸断されたところも要所要所に遍路札やシールがあるので、意外と迷わず歩けた。
その後岡豊橋の手前で右に折れて国分川沿いを歩くが、だんだん山の中に入ってゆき、国分寺からちょうど1時間程度歩いたところで綺麗なヘンロ小屋第5号蒲原があったので、しばし休憩した。逢坂峠を越えて山を下ったらもう30番札所が近いことを地図で確認し、ふたたび歩き出した。
その後、広い県道384号線に合流し、逢坂峠を越えた辺りで下るところがわからず車道を進んだためお寺裏手の駐車場からまわりこむ形にはなったが、蒲原のヘンロ小屋から30分かからず30番札所に着いた。

道標は曲がり角の印(手前を右折)

30番札所善楽寺
30番札所善楽寺は、白い長い塀に囲まれており、仁王門はなく石柱門だった。境内は広々しており、手水舎まで広々していた。さきほどの国分寺では誰にも会わなかったのに、ここではたくさんの車遍路さんと一緒になった。納経をお願いしたら、副住職が描かれたというお地蔵様の絵入りのティッシュのお接待をいただいた。納経を終えて次の31番に向かうとき、土佐神社の参道には紅白の梅がきれいに咲いていた。



讃岐うどんを食べて竹林寺へ
31番札所竹林寺へは、黄色い地図によると6.6km。土佐神社の鳥居から先は細い川に沿って南下し、『頭上注意』と書いてある黒っぽい石の鳥居をくぐって県道249号線をまたぎ、JR土讃線の高架をくぐり、今朝国分寺のすぐ手前で渡った国分川をもういちど渡って南下した。
国分川を渡った先には、前回の区切りでご一緒した舞さんお奨めのホテル、サンピアセリーズがあった。この辺り、土地がとにかく広い。だだっ広い。人が歩くことはほとんど想定されていないのだろうが、工事関係者用のトイレがお遍路にも解放されていたりして、温かかった。

そのだだっ広い土地の中を歩いていると、セルフうどんの看板が見えてきた。時刻は11時半過ぎ。迷わず入った。インターに近く、大きな駐車場を併設。明らかに車の人をターゲットにしているお店なのに、入口脇に傘立てのように御杖立てがあるのがお四国だった。昨日買ったばかりの金剛杖を置かせていただいた。
うどんは迷わずぶっかけ。お肉と春菊の天麩羅と温泉卵もつけた。最高に美味しかった。
食後は再び金剛杖を手にして歩き出す。広い県道を外れて畑の中を進み、高須橋を渡って住宅街を抜けると突然電車通りに出たので驚いた。路面電車の線路を越えてなおも進むと大きな川のように見える絶海池。大島橋を渡るとき、黒い鴨が気持ちよさそうに泳いでいるのが見えた。電柱の脇の古い標石の前を過ぎ、田んぼや古い土塀の間を縫うようにして進むと民家の軒下の上り坂へと続き、気づいたら牧野植物園の敷地に入っていた。
植物園の手前の上り坂は、白衣に菅笠を被っていなければ不審者と間違われそうだったので、大きな音が鳴らないよう金剛杖の鈴を掌で包むようにして歩いた。


31番札所竹林寺と柑橘類のお接待
植物園の敷地を通り抜けると、31番札所竹林寺の仁王門。こちらの仁王像はさきほどの国分寺とは異なり、表情がよくわからないところに威圧感を感じた。参拝客以外にも観光客がたくさんいて、境内は賑わっていた。
納経の際、前々から気になっていたお接待について相談した。というのも、(ほんとうにありがたいことなのだが、)今の時季お接待でいただく柑橘類が、歩き遍路には重過ぎるうえに食べきれなかった。しかし、お接待を断ってはいけないと聞いていたので今まですべていただいてきた。一日に八朔2つとぽんかんを3ついただいたときは、いつ食べようかと少し胸がざわついた。「お接待は必ず受けなくてはいけないのでしょうか?」
すると納経所の僧侶のかたは、「わたしも背負いきれないほどの文旦をいただいたことがあります」「歩きなので、とお断りして2つ3つだけいただくのでもよいと思いますよ」と仰った。それを伺って安心した。次回からは歩きなのでとお断りして、わたしは1つだけいただくことにしよう。




禅師峰寺へ
晴れ晴れとした気分で仁王門を出ると、五台山の緑のトンネルのなか、石畳を下った。次の札所禅師峰寺までは5.7km程度のはずだった。今回は脚のすねの筋肉痛が収まらず、かれこれ4日間毎日貼替え貼替え湿布を貼っていたが、それがいよいよ痒くなってきていた。
下りきると、遍路シールに導かれて下田川の土手に上がり、高速のすぐ横のもものき橋を渡って左折し、しばらく川沿いを歩いた。そして、 『禅師峰寺まで3.8km』という案内表示とともに川沿いを離れ、民家が点在する畑の間を延々歩く道中には見事な白梅が咲いており、小高い丘の中腹には幕末の志士武市半平太の旧宅があった。
竹林寺を出てから1時間半程度で、禅師峰寺に着いた。
(なお、黄色い地図では、もものき橋ではなく950m先の下田川遍路橋を渡るのが遍路道とされている。2026年現在、2030年末まで、下田川遍路橋は架け替え工事中につき車両通行止めだが、自転車と歩行者は通行できる)




禅師峰寺まで0.6km
32番札所禅師峰寺
本日最後の札所となる32番札所禅師峰寺は、大きな石土池の向こうのこれまた小高い丘の上にあった。遍路道への石段の下には中学生くらいだろうか、子ども用の自転車が仲良く3台停まっていた。石段につぐ石段を昇り、山門からさらに石段を昇ったところが境内で、土佐湾がよく見えた。

時計があるのは初めて見た

お宿へ
納経を終えると時計は15時半をまわっていたので、次の札所の雪渓寺に向かって桂浜の方角へ5kmちょっと歩き、フェリー乗り場のひとつ手前の種崎浜通バス停からバスに乗った。はりまや橋で乗り換えて高知駅前に着いたときには日がとっぷり暮れ、西の空には白く細い下弦の月が見えた。

お宿に着いてすぐに両脚のすねに貼っていた湿布をそろりと剥がしてみたら、かわいそうにかぶれて赤くなっていた。痒かったはずだ。百均の氷嚢袋を持ってきていたので、フロントで氷をいただけないか尋ねると、枕のように大きなアイスノンを貸してもらえたので、晩、アイスノンを載せて両脚同時に冷やしながら翌日の行程を確認した。
しばらく湿布お預け必至だが、幸いなことに、今回の区切りは明日が最終日だ。寂しい。
【コースタイム(実際、一部時刻不明)】

