「藤原宮」と「新益京」はなぜ別々に記録されているのか
「藤原宮」と「新益京」はなぜ別々に記録されているのか
——日本書紀が示す未解決の問いと、橿原市比定の根拠を検証する——
論証の方針 確実な事実/有力な推測/推測の三段階を常に区別する。 使用する証拠はすべて一次文献・国立機関の研究成果・公的資料に基づく。 結論を先に持つのではなく、史料と発掘成果が示す問いを素直に読む試みである。
キーワード:邪馬台国論争/藤原京 謎/藤原宮 新益京 違い/日本書紀 藤原宮/ 藤原京 根拠/持統天皇 遷都/大極殿 未完成/藤原京 短命 理由
序章 問いの立て方
日本書紀に、説明されないまま残っている記述がある。
694年、持統天皇は「藤原宮」に遷居した——これは教科書にも載っている事実だ。ところが同じ史料を読み続けると、692年という遷居の2年前に、「藤原宮」と「新益京」という二つの名前が、同じ年に別々の出来事として並行して記録されている。
通説は「藤原宮=新益京=現在の奈良県橿原市の遺跡」と解釈する。しかし同一の場所を指すなら、なぜ日本書紀はこの二つの名前を使い分けているのか。なぜ地鎮祭が別々に行われているのか。
この問いを出発点として、日本書紀の記述と発掘成果の両面から現状を整理する。
なお、「藤原京」という名称自体が古代史料に由来するものではない。奈良国立文化財研究所飛鳥資料館編『藤原宮——半世紀にわたる調査と研究』(飛鳥資料館図録第13冊、1984年。以下「飛鳥資料館図録」)は、この地を「藤原宮」跡と最初に論じたのは江戸時代の学者・賀茂真淵(1697〜1769年)であり、「藤原京」という名称が定着したのは大正から昭和の初めにかけてであると記している(確実)。現在の橿原市の遺跡が「藤原京」と呼ばれるようになったのは、近代以降の学術的命名によるものだ。
第一章 前提——天武天皇の「複数宮」の原則
日本書紀の記述を読む前に、当時の宮に関する制度的前提を確認する。
683年(天武12年)、天武天皇は詔を発した。
「都城宮室は一ヶ所だけということなく、必ず二、三ヶ所あるべきである」 (日本書紀・確実)
複数の宮が同時並行で存在することを、天武天皇は制度として明言していた(確実)。
飛鳥資料館図録はこの背景を詳述している。天武天皇は「新城」と呼ばれた新都候補地の建設を676年・682年・684年と繰り返し計画したが、いずれも完成に至らなかった(確実)。藤原宮の造営が本格化するのはその後の持統朝においてであり、宮の候補地が複数並行して検討・造営されていた状況は、この時代の基本的な性格として記録されている(確実)。
この「複数宮並存」の原則は、次章の日本書紀の記述を読む際の前提として不可欠だ。
第二章 日本書紀が示す並行記録
持統天皇の時代(686〜697年)の日本書紀を年表形式で整理する。

(すべて日本書紀・確実)
注目すべきは692年だ。同じ年に「新益京の路を観察」と「藤原宮の地を鎮祭・観察」という別々の記事が並行して記録されている(確実)。地鎮祭は場所を特定して行う儀礼であり、同一の場所に対して別々の名称で別々に地鎮祭が行われることは通常考えにくい。
通説はこの二つの名称を同一の場所として解釈する。しかし日本書紀の記述を素直に読めば、「藤原宮」と「新益京」が別の場所を指していた可能性は史料上の根拠を持つ(有力)。第一章で確認した天武天皇の「複数宮の詔」は、この読み方を制度的に裏付ける(有力)。
第三章 「始めて藤原宮の地を定む」——解けない記述
694年の遷居から10年後、続日本紀(704年)にこんな記述が現れる。
「始めて藤原宮の地を定む」
694年にすでに遷居しているはずの「藤原宮」の地を、704年に「始めて定めた」とはどういうことか。
飛鳥資料館図録はこの記述を調査研究史の中で取り上げ、**「大宝元年(701年)には正式に藤原宮が廃されたともとれる記事があるが、これも続日本紀にある『始めて藤原宮の地を定む』という記述とともに意味不明として問題が残る」**と明記している(確実)。
国立研究機関の公式図録が「意味不明」と記録したまま解決されていない——この事実は重要だ。この記述が何を意味するかは、後編で検討する。
第四章 橿原市比定の根拠を検証する
現在の橿原市が「藤原京跡」とされる根拠は大きく三点ある。飛鳥資料館図録はこの比定の経緯と発掘成果の両方を詳述しており、各根拠の実態と残された問いを確認できる。
根拠① 万葉集「藤原宮御井の歌」の情景に似ている
万葉集 巻1-52「藤原宮御井の歌」は大和三山(香山・耳成山・畝傍山)を詠んだ歌として有名だ。橿原市の遺跡周辺はたしかに大和三山に近い。
飛鳥資料館図録が示す比定の起源は、江戸時代の国学者・賀茂真淵が「大和三山の真中」として現在の地を比定したことにある(確実)。しかし同図録は歌に詠まれた御井(井戸)が特定されていないことを認めており、「今日でも論争が続いている」状況を記録している(確実)。
さらに見落とせない事実がある。「藤原」という地名が奈良に存在しない(確実)。万葉集に「藤原」「藤井ヶ原」とあるのに、奈良のどこにも「藤原」を冠する地名がない。情景の類似性は比定の補強にはなりうるが、決定的な根拠とはいえない。
根拠② 出土瓦が白鳳期の瓦
白鳳期(7世紀後半)の瓦が出土したことは確かだ(確実)。
しかし飛鳥資料館図録は重要な問題を記録している。半世紀にわたる発掘調査で大極殿・朝堂院・南門などの遺構が明らかになってきた一方で、官衙地区(官庁街)と内裏(宮殿中枢)での瓦・礎石建築の出土が乏しく、宮殿の本格的な実態解明が調査の大きな課題として残り続けている(確実)。
この問題は現代になって指摘されたわけではない。歴史学者・喜田貞吉は1942年の著作『藤原京』(鵤故郷舎出版部)の中ですでに「出土の廢瓦中…極めて僅少なりとの事實」を指摘し、「和銅四年に燒亡したといふ藤原宮としては相容れ難き」と明記していた(確実)。1942年から1984年を経て現在まで、同じ問いが解決されていない。
根拠③ 年紀銘木簡の出土
飛鳥資料館図録は、この地の発掘史上最初の木簡発見として「三千代給煮□」木簡を記録している(確実)。続いて「大宝三年」「大君」「大御飯笥」などの文字を含む木簡が出土し、宮殿の時代に相当する造営・活動がこの地で行われていたことは確かだ(確実)。
しかしここで重要な問いが生じる。第二章で示したように、日本書紀は「藤原宮」と「新益京」を別の名称で並行して記録している。橿原市の発掘地で宮殿造営に相当する木簡が出土した事実は確実だが、それが「藤原宮」の造営記録なのか「新益京」の造営記録なのかは、木簡の内容からは判別できない(確実)。造営の事実と、どちらの宮の造営かという問いは、別の問題だ。
比定根拠に重なる二つの謎
比定根拠の検討に関連して、さらに二点を記録する。
大極殿未完成のまま行われた平城京遷都
710年、元明天皇が平城京に遷都した。しかし出土木簡の分析から、遷都時に大極殿(政治の中枢)は未完成であり、落成は遷都から5年後の715年だったことがわかっている(確実)。藤原宮から平城京への移動が極めて短期間の準備で実現した背景は、現時点で十分に説明されていない。
焼亡記録と発掘成果の矛盾
710年の遷都からわずか1年後の711年(和銅4年)、史料は「藤原宮及び大官大寺が焼亡した」と記す(確実)。しかし橿原市の藤原京跡から、火災の痕跡は確認されていない(確実)。喜田貞吉(1942年)はすでにこの矛盾を「発掘跡に於て之を裏付けるべき証は何処にも現れていない」として問題提起していた(確実)。80年以上にわたって答えが出ていない。
終章 二つの問いと残された課題
本稿で示した事実を、二つの問いに整理して提示する。
問いA——日本書紀の読み方の問題
「藤原宮」と「新益京」は同一の場所か、別の場所か。
692年、同年に別名称・別地鎮祭として並行記録されている(確実)
天武天皇の「複数宮の詔」(683年)が制度的背景として存在する(確実)
704年「始めて藤原宮の地を定む」が意味不明として未解決のまま残っている(確実)
現時点での評価:両者が別の場所を指していた可能性は、史料上の根拠を持つ(有力)。ただし確定には至らない。
問いB——橿原市比定の根拠の問題
橿原市の発掘地は「藤原宮」跡か、「新益京」跡か。
「藤原」という地名が奈良に存在しない(確実)
御井が特定されていない(確実)
官衙・内裏での建築痕跡が乏しい(確実)
木簡は造営の事実を示すが、藤原宮か新益京かは判別不能(確実)
焼亡記録と発掘成果の矛盾が未解決(確実)
現時点での評価:造営活動があったことは確実だが、それが「藤原宮」の比定根拠として十分かどうかは、公式の研究書自身が「意味不明」「課題として残る」と記録している(確実)。
留保 本稿は橿原市の藤原京跡説を否定するものではない。 飛鳥資料館が半世紀にわたって積み重ねてきた発掘調査の成果は、 大極殿・朝堂院・南門など宮の基本構造の解明において重要な実績を持つ。 本稿が示したのは「通説の枠組みの中に説明されていない問いが、 公式資料の中にすでに記録されている」という事実のみであり、 代替比定地を主張するものではない。
参照文献
奈良国立文化財研究所飛鳥資料館 編『藤原宮——半世紀にわたる調査と研究』飛鳥資料館図録第13冊、1984年
喜田貞吉『藤原京』鵤故郷舎出版部、1942年 (国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1900928)
日本書紀(持統紀・天武紀)
続日本紀(大宝元年・慶雲元年・和銅元年記事)
後編「では藤原宮はどこにあったのか——諸説の検討と残された課題」へ続く
