【主夫】主夫は主婦よりイージーで卑怯な構造
はいどうも
嫁さん🐑大好き主夫です
日頃、家事育児の発信をしてる私です
女性と見劣りしない熱量・力量・物量・運動量で現実世界を回している私です
そんな日々の発信をしていると
「はみばっちょさんは凄すぎます!」
「はみばっちょさんは旦那の鑑です!」
みたいな反応があります
その度に違和感を感じる私がいます
主夫とは、評価と比較のハードルが低いんです
比較対象が『家事育児の能力・意識』が高くないとされる男性ですので、自動的に自分が高い位置で評価される仕組みになってるんです
誰も土俵に乗ってない状態で、1人で勝手に無双してるようなもの
稼ぎやフィジカルや頼りがいといった、所謂『男らしさ』では勝負ができないので、そこを放棄して誰も追随できない領域で戦う
それが主夫の私
世の家事育児の主体者である女性と比較したときに、私以上の運動量の方はいくらでもいて、女性の中で比べるならば、別に珍しくもなんともない
そこを男性同士の中で比べることで
「男なのにすごい!」
「うちの旦那に見習って欲しい!」
みたいな評価となる不思議
そこの仕組みが分かっているだけに、評価をもらったとて嬉しいようで素直に喜べない自分がいます
「比べる」
家事育児を回す中で、ウッとくる瞬間を与えてくる概念です
誰だって、比べられるのは嫌ですし、場合によってはギリギリのところで踏ん張ってるものが崩れたりします
中でも特に苦しいのは比べられる対象として
身内を持ち出される場合
最初のちるまみーさん記事は『義母の過去の実績』と比較される苦しみの例として
次の私の記事は『旦那の現在の実績』と比較される嫁さん🐑の苦しみの例として
それぞれサンプルとして記事を掲載しますが
何が苦しいかって
「比べんなし!」と比較を否定することができないこと
何故ならば、否定すると自分が悪者になってしまう構図がそこにあるからです
ちるまみーさんの例の場合
『義母の過去の実績』を拒絶すると、目の前にいる義母にそれが直接届くため否定ができません
場合によっては『私の方が大変アピールをする嫁』という損な立場に繋がりかねません
私の嫁さん🐑の場合
旦那がいろいろしてくれていいね、的な比較や評価の声に異を唱えると
「それだけしてもらってるのに不満あるとか贅沢なんじゃないの!?」
的な論に繋がるため、おいそれと否定や不満の声を出すことができません
そこの点も、主夫ってズルいんですよ
『比べる』が発生する時点で、自分の勝ちがある程度確定されてる図式になってますから
男性家事育児の意識が低かった『過去』
そことの比較なら無双ですし
意識がそれなりに上がってきた『現在』
そこでの比較でも負けることは少ない
今も昔も主体として回している『女性』
女性と比較する土俵に上がった時点で、「男性なのにここまでできるなんてすごい!」と土俵に乗ったという事実に対して賞賛が贈られる
そーいう図式なんです
『評価』というものを切り取った場合
『男性』『若葉マーク』の2つは、それだけで評価に下駄を履かせられる要素だと考えています
男性の家事育児、若葉マークのパパママ
そういった方々は『頑張っているという事実』に対して応援や評価を得られるもので
実際、それがそれらの方の力となり後押しになっています
女性、かつ若葉マークがとれていると
特に現実世界だと『頑張りの質や量』が評価対象となっていて、それが苦しみを与えてきます
私は女性と同等に家事育児を回してる自負はありますが
そんな私でも、もらう評価の多くは『頑張ってる』という事実そのものに対するもの
だから評価の枕詞に「男性なのに」がついてくる
嬉しいんですが、やはり評価に下駄を履かせられている感は否めません
家事育児に関する熱量・力量・物量・運動量にはそもそも性別が関係する要素なんてないハズで
女性の努力には「女性なのに」がつかない
でも男性には「男性なのに」がつく
その時点でフェアじゃないんです
正直なところ、私がやり過ぎなくらい家事育児をするのは、ここら辺の背景があったりします
『男性』じゃなくて、1人の人間としてやってるだけ
『男性』としての評価ではなく、1人の人間としての評価をもらいたい
『男性』という上げ底に甘んじたくない
なのでどこまで褒められても裏側を勘繰って、いつまでも素直に受け止められない自分がいます
だからこそ、私が一番嬉しいのは
先輩ママからの、後輩ママ向けと同じ軸でのアドバイスだったり
ここを貰えて、初めて1人の家事育児主体者としての評価がもらえたなって実感になってます
