【原曲小説③・神様は、僕の中で眠っている】
最初に君の声を聞いたのは、
午前二時十七分だった。
僕は布団の中にいて、
スマートフォンを顔の上に落としかけていた。
眠れなかったわけではない。
眠るのが少し惜しかっただけだ。
明日になれば仕事がある。
メールを返して、
人と話して、
昼になれば腹が減って、
夕方には疲れる。
そういう、
いつもの明日が来る。
だから僕は、
どうでもいい動画を見ながら、
今日を少しだけ引き延ばしていた。
その時だった。
頭の奥で、
誰かが言った。
「まだ起きてるの?」
僕はスマートフォンを止めた。
部屋には誰もいない。
窓も閉まっている。
テレビもついていない。
「誰?」
声に出して訊いた。
少し間があった。
「君。」
「僕?」
「うん。」
「僕はここにいるけど」
「知ってる。」
「じゃあ君は?」
また、
少し間があった。
「君が忘れている君。」
僕は、
スマートフォンの画面を消した。
午前二時十八分。
たぶん、
寝た方がいい。
そう思った。
翌朝。
君はいなかった。
僕は普通に起きた。
歯を磨いて、
コーヒーを飲んだ。
昨夜のことは、
半分くらい夢だったと思うことにした。
通勤電車は混んでいた。
前に立っている男の鞄が、
何度も僕の膝に当たった。
会社へ着く。
仕事をする。
昼飯を食う。
午後三時。
眠くなる。
完璧にいつもの日だった。
だから、
午後五時四十二分。
帰りのエレベーターの中で、
君がもう一度言った時。
僕は少し困った。
「今日は、あまり空を見なかったね。」
僕は、
周りを見た。
同僚が二人いる。
僕は黙った。
「聞こえてる?」
聞こえてる。
でも答えられない。
「なるほど。」
君はそれきり黙った。
僕は、
少し腹が立った。
家へ帰ってから、
僕は部屋の電気を消した。
ベッドに座った。
「いる?」
返事はない。
「おい」
沈黙。
「君」
「いるよ。」
「何なんだよ」
「何が?」
「これ」
僕は自分の頭を指した。
「声」
「声に聞こえてるだけ。」
「じゃあ本当は?」
「分からない。」
予想外の答えだった。
もっと、
何でも知っているようなことを言うと思っていた。
「君、自分が何なのか分からないの?」
「君が言葉にするなら、君の魂に近いもの。」
「魂?」
「その言い方が一番近い。」
「幽霊?」
「まだ死んでない。」
「当たり前だろ」
君が少し笑ったような気がした。
そこから、
僕は毎晩、
君と話すようになった。
最初は、
どうでもいい質問ばかりした。
宇宙人はいる?
「いる、という言葉をどこまで広げるかによる。」
幽霊は?
「肉体を持たない意識をそう呼ぶなら。」
死んだらどうなる?
君は少し黙った。
そして言った。
「身体から出る。」
「どこへ?」
「最初は、そんなに遠くない。」
「天国?」
「そう呼んでもいいし、呼ばなくてもいい。」
「魂だけになる?」
「うん。」
僕は少し興奮した。
「じゃあ魂って四次元にいるの?」
「君の言葉に合わせれば、そういう表現もできる。」
「宇宙人?」
「肉体を持つ宇宙人もいるだろうし、肉体を持たない存在もいる。」
「じゃあ死んだ人間は、宇宙人になるの?」
君は笑った。
「ずいぶん乱暴にまとめるね。」
「分かりやすいだろ」
「君らしい。」
ある夜。
君は僕に、
見たことのない景色を見せた。
夢ではなかったと思う。
少なくとも、
僕にはそう感じられた。
暗い森。
火。
湿った土。
人々がいる。
服らしい服をほとんど着ていない。
でも、
粗野には見えなかった。
子どもが笑っている。
女が木の実を砕いている。
男が火を見ている。
そして、
その人たちの少し後ろに、
人間とは違う何かがいる。
輪郭だけ。
光のようにも、
霧のようにも見える。
「誰?」
僕が訊く。
「イヒン。」
「イヒン?」
「そう呼ばれた人たち。」
僕は、
焚き火の向こうを見る。
「縄文人?」
君は答えなかった。
「縄文人だろ?」
少しして、
君が言った。
「後の時代の人間は、いろんな名前をつける。」
「じゃあ違うの?」
「名前より、そこにいたことを見て。」
森。
星。
土。
火。
人間。
そして、
彼らのそばにいる、
肉体を持つものと、
持たないもの。
僕には、
それ以上は分からなかった。
景色は消えた。
それから僕は、
君に何でも訊くようになった。
前世はある?
「ある、と考えた方が今の僕には近い。」
僕の前世は?
「いくつもある。」
誰だった?
君は、
時々見せた。
名前のない人。
海辺で網を直す男。
山を歩く女。
知らない国の子ども。
戦争らしい場所で、
泥の中に伏せている人。
でも、
君は名前を教えなかった。
「有名人とかいないの?」
「いたら嬉しい?」
「ちょっと」
「どうして?」
「自慢できる」
君は呆れたように黙った。
僕は、
前世を知ることが面白くなった。
人を見るたびに考えた。
この人とは昔も会ったのか。
嫌いな人には、
前世で何かされたのか。
好きになった人には、
前世でも好きだったのか。
仕事がうまくいけば、
これも魂の計画なのか。
失敗すれば、
学びなのか。
偶然があるたび、
意味を探した。
数字が重なる。
夢に誰かが出る。
昔の友人から連絡が来る。
道端で羽根を拾う。
全部、
何かの知らせに見えた。
世界が、
急に巨大な物語になった。
僕は、
少し気分が良かった。
自分の人生が、
ただの一人分ではなくなった気がした。
ある日の昼。
僕は友人と食事をしていた。
友人が、
仕事を辞めようか迷っていると言った。
僕はすぐ言った。
「たぶん、それ辞める流れだと思う」
「何で?」
「何となく分かる」
「何が?」
僕は答えようとして、
君の声を待った。
君は、
何も言わなかった。
「いや」
僕は言った。
「何となく」
友人は笑った。
「何だそれ」
その夜。
僕は君に腹を立てた。
「何で教えなかった?」
「何を?」
「あいつが仕事辞めるべきか」
「知らない。」
「未来分かるんじゃないの?」
「いくつか感じることはある。」
「じゃあ教えろよ」
「どうして?」
「助けられるだろ」
君は、
長く黙った。
そして言った。
「君は最近、答えを欲しがりすぎている。」
「悪い?」
「悪いとは言ってない。」
「じゃあ何」
「君は、分からないことを怖がり始めた。」
僕は、
少しムッとした。
その夜から、
僕の質問はさらに増えた。
宇宙はなぜ始まった?
神とは何?
魂はどこから来た?
死んだらどこへ行く?
僕は何のために生まれた?
君は、
時々答えた。
時々、
答えなかった。
でも、
一つだけ繰り返した。
すべての魂は、
遠いところから来たのではない。
もともと、
大きな一つのものから分かれている。
それを君は、
《大いなる一つ》
と呼んだ。
神。
根源。
エネルギー。
意識。
愛。
どの言葉も、
少しずつ違う。
だから、
一番不正確ではない呼び名として、
君は《大いなる一つ》と言った。
魂は生まれ、
肉体へ入り、
生き、
死に、
また肉体へ入り、
長い旅をする。
そして、
いつか。
分かれていたものが、
また一つへ帰っていく。
僕は興奮した。
「じゃあさ」
「うん。」
「最後は僕も神様になるってこと?」
君は、
すぐ答えた。
「違う。」
「違うの?」
「神になるんじゃない。」
「じゃあ何」
君は、
静かに言った。
「神と君を分けていた境界が、なくなるだけ。」
その言葉を聞いた時。
僕は、
世界の秘密を一つ知ったような気がした。
その夜、
僕は眠れなかった。
神と僕を分ける境界。
魂。
前世。
大いなる一つ。
僕の中に、
巨大な地図ができていく。
そして突然。
一つ、
ものすごく単純な疑問が浮かんだ。
「なあ」
「何?」
「それなら」
僕は起き上がった。
「何で忘れるの?」
君は黙った。
「生まれ変わるんだろ?」
「うん。」
「魂には記憶がある」
「ある。」
「大いなる一つにもつながってる」
「そう考えている。」
「だったら」
僕は少し腹を立てていた。
「最初から全部覚えたまま生まれればいいじゃん」
君は黙る。
「前世も」
沈黙。
「死後の世界も」
沈黙。
「誰と会うかも」
沈黙。
「何のために生まれたかも」
僕は言った。
「全部知ってたら、人生めちゃくちゃ楽じゃん。」
君は、
しばらく何も言わなかった。
僕は続けた。
「わざわざ記憶消して」
「怖がって」
「失敗して」
「傷ついて」
「死ぬの怖がって」
「また戻る?」
「意味分からないだろ」
そして僕は言った。
「忘れる必要なんかない。」
長い沈黙。
君が、
ようやく言った。
「全部知っていたら、君は今日を選べない。」
「どういう意味?」
「例えば。」
君が言う。
「君が、これから誰を愛するか全部知っていたとする。」
「うん」
「会った瞬間から、十年後に別れることも知っている。」
「……うん」
「それでも、同じように恋をするかな。」
僕は答えなかった。
「その人と過ごした時間が、最後に何を意味するかまで知っている。」
「……」
「それは、君が今知っている恋と同じかな。」
君は続ける。
「失敗する前から、その失敗のおかげで十年後に成功すると知っていたら。」
「……」
「それは、本当に失敗かな。」
「でも」
僕は言う。
「楽じゃん」
「そうだね。」
「ならいいじゃん」
「じゃあ。」
君は言った。
「死んでも終わらないことを、絶対に知っていたら?」
僕は黙った。
「明日もある。」
「次の人生もある。」
「いつかまた会える。」
「失敗にも意味がある。」
「全部、最初から分かっている。」
少し間。
「今日という一日は、今と同じ重さになるかな。」
僕は、
何も答えられなかった。
君が言った。
「知らないから、怖い。」
「うん」
「知らないから、迷う。」
「うん」
「知らないから、選ぶ。」
そして。
「選んだものが、君の人生になる。」
僕は、
なぜか悔しくなった。
「じゃあさ」
「うん。」
「覚醒なんて、しない方がいいじゃん」
君は、
少し笑った。
「そうかもしれない。」
「え?」
「そういう人生もある。」
僕は、
完全に肩透かしを食らった。
「お前、覚醒した僕なんだろ?」
「たぶん。」
「たぶんって」
「君がそう呼んでいるだけだから。」
「じゃあ覚醒って何なんだよ」
君は、
少し考えた。
「肉体の中にぴったり収まっていた魂が、少しだけ外へ滲むこと。」
僕は黙った。
「今まで自分だと思っていた範囲より、君が少し大きかったと気づく。」
「それで前世とか分かる?」
「時々。」
「アカシックレコードとか?」
「そう呼びたければ。」
「神にもつながる?」
「そう感じることもある。」
「じゃあやっぱすごいじゃん」
「でも。」
君が言った。
「それで、今日を生きられるわけじゃない。」
「何それ」
「僕には、コーヒーの味が分からない。」
「は?」
「君が今飲んでいるやつ。」
僕は、
机の上のカップを見る。
冷めたコーヒー。
「苦いよ」
「知識としては分かる。」
「じゃあ分かってるじゃん」
「違う。」
君は言った。
「僕には舌がない。」
僕は、
少し黙った。
「寒いも分からない。」
「魂だから?」
「そう。」
「転んで膝を擦りむいた痛さも。」
「好きな人の手を初めて握った温度も。」
「腹が減って、やっと食べたラーメンがおいしい感じも。」
「大切な人が死んで、胸の奥が本当に痛くなる感じも。」
僕は、
何も言わなかった。
君が言う。
「僕は、知っていることが増えた。」
そして。
「代わりに、できないことも増えた。」
「じゃあ」
僕は訊いた。
「全部分かるって、どんな感じ?」
君は、
初めて答えるのに時間がかかった。
「少し寂しい。」
「何で?」
「驚けないから。」
その言葉は、
思ったより僕の中へ深く入った。
君は続けなかった。
僕も、
訊かなかった。
次の日。
雨が降った。
僕は傘を忘れた。
駅から家まで、
濡れて歩いた。
靴の中まで水が入った。
最悪だった。
でも、
途中で小学生が、
水たまりへ思い切り飛び込んだ。
母親に怒られていた。
僕は笑った。
「君」
返事はない。
「見えた?」
「見えた。」
「楽しい?」
少し間。
「君が笑ったことは分かる。」
「それだけ?」
「それだけ。」
僕は、
もう一度笑った。
僕は少しずつ、
君への質問を減らした。
何か起きても、
すぐ意味を訊かなくなった。
偶然があっても、
「何のサイン?」
とは聞かなかった。
夢を見ても、
前世かどうか確かめなかった。
未来についても、
以前ほど聞かなくなった。
不思議なことに、
君はその方がよく話した。
ある夜。
僕は君に訊いた。
「神様はどこにいる?」
君は、
しばらく黙った。
空でも、
宇宙の外でも、
アカシックレコードでも、
大いなる一つでもない答えが来る気がした。
やがて君が言った。
「眠ってる。」
「どこで?」
「君の中。」
僕は笑った。
「起こした方がいい?」
「全部は起こさなくていい。」
「何で?」
「君が君でいられなくなるから。」
「神様なのに?」
「神様だから。」
よく分からなかった。
でも。
前ほど、
分からないことが嫌ではなくなっていた。
「なあ」
「何?」
「僕は、何のために生まれた?」
昔から、
訊きたかった質問だった。
たぶん。
君なら答えられると思っていた。
君は、
静かに言った。
「知らない。」
僕は笑った。
「お前でも?」
「うん。」
「大いなる一つにつながってるんじゃないの?」
「つながっている。」
「前世も見える」
「少し。」
「それでも分からない?」
「分からない。」
少し間。
君が続けた。
「でも、それでいいんじゃないかな。」
「何で?」
「君が決められるから。」
翌朝。
僕は目を覚ました。
君の声は、
聞こえなかった。
何度か呼んだ。
返事はない。
少し寂しかった。
でも、
探さなかった。
カーテンを開けた。
朝の光。
眩しい。
コーヒーを淹れる。
苦い。
外へ出る。
寒い。
僕は今日、
会いたい人がいた。
会えば、
何か変わるかもしれない。
何も変わらないかもしれない。
もしかすると、
会わない方がいいのかもしれない。
前世からの約束なのかも、
分からない。
魂の計画なのかも、
分からない。
未来で重要な人なのかも、
分からない。
神様が用意した出会いなのかも、
分からない。
だから。
僕は、
自分で決めた。
会いに行く。
玄関を出る。
その瞬間。
胸の奥で、
君がほんの少し笑ったような気がした。
でも、
僕は確かめなかった。
神様は、
僕の中で眠っている。
いつか、
全部思い出す日が来るのかもしれない。
僕が僕ではなくなり、
君も君ではなくなり、
すべての境界が消えて、
大いなる一つへ帰る日が。
本当にそんな日が来るのかは、
僕には分からない。
だから今は。
僕は僕でいる。
腹が減って。
迷って。
失敗して。
誰かを好きになって。
怖くなって。
それでも選ぶ。
全部を知っている神様には、
たぶんできないことをする。
知らないまま、生きる。
僕が目を覚ましていられるように。
今日も、
神様は僕の中で、
静かに眠っている。
SONG SEED|歌詞原型
【僕】
僕は何にも知らないまま
朝の光で目を覚ます
どこから来たのか
どこへ行くのか
何度生きたのかも知らない
失くした意味を探すたび
君の声だけ聞こえてくる
全部教えてよ
答えがあるなら
もう迷わなくていいように
【君】
君が忘れたものを
僕は少し覚えている
遠い森も
知らない名前も
肉体を脱いだ夜のことも
だけど僕には分からない
今日のコーヒーの苦さが
手を握る温度も
別れの痛みも
君の身体だけが知っている
【掛け合い】
僕
最後は神になれるの?
君
違うよ
僕
じゃあ何になる?
君
境界がなくなるだけ
僕
全部分かるなら
なぜ忘れる?
君
忘れなければ
選べないから
僕
怖いのは嫌だ
君
怖いから選べる
僕
迷いたくない
君
迷うから君になる
僕
じゃあ覚醒なんて
いらないじゃないか
君
そうかもしれないね
【二人/ラスサビ原型】
神様は僕の中で眠っている
全部起こさなくていい
すべてを知ってしまう前に
僕は今日を選びたい
忘れたから君に会えた
知らないから君を愛せた
終わりが見えないこの道を
怖がりながら歩いていく
君は僕が忘れた僕
僕は君が失くした身体
一つになれば消えてしまう
二つの声で今を歌おう
いつか大いなる一つへ帰る
そんな日が本当に来るとしても
今はまだ答えはいらない
今日の僕には今日しかない
全部知っている神様を眠らせて
何も知らない僕が、生きていく。

いいなと思ったら応援しよう!
再び空を飛ぶ為の訓練費用に使わせていただきますm(_ _)m