見出し画像

西洋人が驚いた江戸・明治時代の人々の集まり方・楽しみ方

江戸・明治時代の人口の大多数を占めた村人たちにとって、「集まること」は楽しみの出発点でした。近所で集まる(交通手段は徒歩ですから)、おしゃべりをする、歌い踊る、手軽な楽しみ方ですね。

日本人の集まり方・楽しみ方の大きな特徴は、ピクニック子どもが加わること。酒を飲み過ぎるとした西洋人もいます。いずれも当時の人々にとっては当たり前すぎて書き残されなかったことです。しかし、西洋人は書き残してくれました。
ただ、日本に来たのは裕福な人たち。それを頭において彼らの記録を読む必要がありますね。ヘッダーは飛鳥山花見の図(古登久爾婦里、国会図書館)



1.ピクニック(野遊び)

幕末に来日したプロイセン使節団のベルクは、次のように書いています。

日本市民の最大の楽しみは、天気の良い祭日に妻子や親友と一緒に自然の中でのびのび過ごすことである。墓地や神社の境内(注:当時は公園がなかったのです)や、美しい自然の中にある茶店にも行く。老人たちは愉快に談笑し、若い者は仲間同士で遊んだり、釣りをしたり、小さな弓で的を射たりする。釣りや弓は若い女性にも好まれている遊びである。

渡辺京二[2005]『逝きし世の面影』、平凡社ライブラリー

田園で過ごすのは、西洋では貴族の趣味であり庶民の楽しみではなかったのです。西洋人は日本人のピクニックを記録しました。

当時のピクニック用具が残ってます。

江戸の花見弁当。右下は『料理早指南』(1801)に書かれた上中下の下の弁当の再現品ですが、
これで十分ですね。私のブログで上と中の弁当も紹介しています。⇩
https://fun-old-japan.blogspot.com/2023/03/kita-city-asukayama-museum.html
屋外へ出かけるときに酒器を運ぶ道具。粋ですね。
左下は、屋外で湯を沸かしたり、酒を燗する道具。信州の山中の人たちも楽しんでいました。
芸者さんを呼んで花見。江戸時代の名残りでしょうか。
釣りは人気で、女性も釣り船に乗りました。釣り堀もあり、百文(2000円相当)ほど払って鯉や鮒を釣ったそうです。上のような釣り竿を着物に入れて出かけたら粋ですね。江戸っぽいです。


青空の下でお弁当を広げるのが好きで、キャンプ飯が好きなのは遺伝的なものかもしれません。外で食べると美味しい!

⇩ 昔のピクニック



2.子どもと遊ぶ

日本人の集まり方の2つ目の特徴は、子どもが集まりに加わることです。

凧揚げやコマ回しなど、大人が子どもと一緒に遊ぶのが西洋人の目を惹きました。また、多くの幼児がおんぶされていることは「カンガルーのようだ」と西洋人を驚かせました。

1908年 https://www.loc.gov/pictures/collection/agc/item/2018719669/resource/

子どもと過ごす楽しみは世界共通だと思っていたのですが、どうもそうではなかったようです

1878(明治11)年に横浜に着き、人力車で東北・北海道、伊勢などを旅したイギリス人女性旅行家・イザベラバード(来日時46歳)は、子どもと過ごす日本人の様子を具体的に書き、日本では「子ども崇拝(child-worship)」が当たり前だとしました。

彼女の旅行記から、子どもと遊ぶ日本人の集まり方をピックアップしました(彼女の旅行記は、妹への手紙の形で書かれています)。ご興味があれば読んでくださいね。

LETTER 10、入町(日光市)、6月23日
子ども抱き上げたり、一緒にゲームをしたり、祭りに連れて行ったり。よその子にも愛情をもって接する。
(我々には当たり前のことですが、彼女は違和感をもちました。彼女は中流家庭に生まれたそうですが、メイドを使う家庭だったのかもしれません)

LETTER 25、つるがた、7月27日
土崎港曳山まつり(秋田市)の見物に出かける。大勢の人々が盛り上がっていたが、踊りがゆっくりで退屈だった。興味をもてたのは、人々の子どもへの対応。お面や人形、砂糖菓子などなど子どもたちが買いたい放題だった。
(彼女は甘やかし過ぎだと呆れました)

LETTER 27、白沢(秋田県大館市)、7月29日
男たちは仕事から家に帰ると、飯を食って、たばこを吸って、子どもを抱っこしたり、子どもがゲームするのを見たりして時を過ごす。藁仕事もする。酒屋に集らなくても、安上がりの方法と工夫で時を過ごす。貧しいが、楽しんでいる。
(これが、彼女にとっては記録すべきこと・珍しいことだったのです。“the children are an attraction at any rate”、子どもはとにかく魅力的、と書きました)

Letter 28、碇が関(青森県平川市)、8月2日
豪雨のため碇が関で四日間足止めになる。(彼女のために催されたのかもしれませんが、凧揚げ大会あり、彼女は興奮気味に書き残しました)

少年たちは強い紙と竹の枠で作った凧を揚げる。すべて長方形で、いくつかは1.5m四方である。ほぼ全てに歴史上の英雄の顔が描かれている。いくつかの凧は鯨の骨を使って音が出るようにしている。

住民みんなが集まる、とても面白いの大凧の試合があった。凧の糸は10m以上で、粉にしたガラスをくっつけている。凧合戦は、相手の糸を切りあうもので、2時間続いた。ついに、決着し勝った方は負けた方の凧をとりあげた。勝った方も負けた方も、3度お辞儀をする。村人は、このエキサイティングな合戦を静かに見守った。(通常はやんやの歓声なのでしょうが、彼女が見ていたから静かにしていたのでしょう)

夜は宿屋でカードゲームを見る。子どもたちは円座でゲームをし、大人たちは周りで見ている。貧しかったろうが、幸せがある。(子どもを大切にする日本人を「子ども崇拝(child-worship)だ」と書きました)

LETTER 41、函館、9月12日
宿の主人がアイヌ人を招いた。彼女は、アイヌ人の子どもへの愛は特筆すべきだ、子どもを優しく撫でるなどと書く。(微笑ましいですが、当時のイギリスでは子どもを撫でなかったのかと思ってしまいます)

11月10日、伊勢国、山田にて
西洋人の女友達と奈良を経由し伊勢神宮へ行く。
奈良南部の三輪の宿で、3人の車夫たちに伊勢を回って京都に戻る10日間の旅に自分たちを雇って欲しいと頼まれる。その理由は、伊勢にお参りに行きたいということだった。車夫たちは農夫で、農閑期には農地の世話を妻に任せて、人力車を引く仕事をしている。行く先々で子どもたちのために玩具を買うので、人力車の隙間は玩具であふれていた。

また、彼らは『お伊勢参り』をし、知り合いにたくさんのお札を買えたら、喜び勇んで家路につくように見えた。彼らが言うには、その日の距離によって違うが、40~60銭の稼ぎのうち20銭を玩具やお札に使うとのことだった。(子どもや近所へお土産をあげることが楽しみだったのですね)

参考:イザベラ・バード[2013]『新訳 日本奥地紀行』平凡社
イザベラ・バードの31年後(明治41年)に来日したアメリカ人が撮った写真https://www.loc.gov/pictures/collection/agc/item/2018719895/resource/



まとめ

日本人の集まり方の特徴は、屋外で集まること、子どもも加わること。お金をかけずに、時を楽しめる方法でもあります。幸福感も高まります。これからも大切にしていきたいスタイルですね。

出典:『定年後を豊かにするシンプルライフ』ごきげんビジネス出版

■次の記事 (随想)地元の集まりの大切さ
■前の記事 江戸・明治に学ぶ、集まる楽しみ(集まるための下ごしらえ、女性のネットワーク)
■最初の記事 江戸・明治に学ぶ、心豊かなシンプルライフ

■私の書籍 2025年出版。本記事は「第4章 集まる楽しみ」の一部です。

電子書籍(Kindle版)https://amzn.to/3VysaEU  ペーパーバック版 https://amzn.to/49zagrm

Amazon(Kindle版)のサイトでは「はじめに」が、下の出版社のnoteでは「第1章 どうする定年後、あなたは何してる?」が公開されています。

■私のブログ (つたない英語に日本語を併記しています)



いいなと思ったら応援しよう!