抜擢の代償 ―23歳、私は管理職になった―第1話「安心しろ」と言われて、絶望した
内示
「直井さん、来月から店長をお願いしたい」
エリアマネージャーの言葉を、私は最初、頭のどこか遠いところで聞いていた気がする。新卒でこの会社に入って二年目。同期の中で、自分が一番早い。
「はい、頑張ります」
声は思いのほかしっかりと出た。けれど、部屋を出てエレベーターの前に立った瞬間、指先が微かに冷たくなっているのに気づいた。
嬉しかった。それは嘘じゃない。その夜、実家に電話をかけて報告した。母親が電話の向こうで声を弾ませるのを聞きながら、私は誇らしさで胸がいっぱいになった。
けれど電話を切った後、一人になった部屋で、その誇らしさの底に何かがひたひたと溜まっていくのを感じていた。
自分に、務まるのだろうか。
「安心しろ」
着任する店舗の名前を聞いた時、私は一瞬、息が止まった。
社歴の長いベテランスタッフが何人も在籍する、会社の中でも古参の店舗だった。安定した運営で知られ、実際、前任の店長はその実績を評価されて、さらに大きな売上規模の店舗へ栄転していくという。
つまり私は、「成功した人間の後」に座ることになる。
エリアマネージャーはこう言った。
「あの店は長年やってきたベテランが揃ってるから、そう簡単には崩れない。だから安心しろ」
励ましのつもりだったのだろう。だが私の中では、その言葉が別の形に変換された。
――お前がいなくても、この店は回る。お前の存在は、なくても崩れない程度のものだ。
安心しろと言われるほど、私は安心できなかった。何もしなくても崩れない店を任されるということは、逆に言えば、自分が「いてもいなくても変わらない存在」だと言われているのと同じだった。
前任店長の名前は、着任してからも何度となく耳にすることになった。「前の店長はこうしてた」「前の店長ならこう判断した」。悪気のない一言一言が、私の中で静かに積み重なっていった。
私の目標は、いつの間にか「良い店長になること」ではなく、「前任のレベルを落とさないこと」にすり替わっていた。守るべきものがあるという重さは、ゼロから何かを作る重さとはまるで種類の違うものだった。
わからないと言えない
着任初日の朝礼。三十代、四十代のスタッフが並ぶ中に立った時、私は二十三歳の自分がひどく小さく感じられた。
その日の午後、副店長を任されている年上のスタッフから声をかけられた。
「店長、来週の発注なんですけど、この数量で大丈夫ですか?季節の変わり目なんで、例年より少し絞った方がいいかもとは思うんですが」
差し出された発注書を見ながら、私の頭の中は真っ白だった。研修で習った発注の考え方はあるはずなのに、目の前の具体的な数字とうまく結びつかない。この店の客数、客層、過去の実績、そのどれもまだ肌感覚で分かっていなかった。
「……ああ、うん、それで大丈夫です」
咄嗟に出た言葉だった。本当は「少し考える時間をください」「なぜ絞った方がいいと思うのか、詳しく教えてください」と言うべきだった。けれど、着任初日から「分かりません」と口にすることが、たまらなく怖かった。前任者ならきっと即答できたはずだ、という思い込みが、喉元まで出かかった正直な言葉を押し戻した。
その夜、家に帰ってから、私はこっそり過去の発注データを引っ張り出して答え合わせをした。幸い、大きく外れてはいなかった。だが、それは実力で正しかったのではなく、運が良かっただけだと、私自身が一番よく分かっていた。
わかったふりは、一度うまくいくと、麻薬のようなものだった。
次に発注の相談をされた時も、私はまた「大丈夫です」と言った。そのたびに、後でこっそりデータを調べる。誰にも聞かれないように。
自分の中で、静かにルールができていった。
――弱さを見せてはいけない。二十三歳の店長が務まると、証明し続けなければいけない。
その夜、布団に入ってから、私はしばらく天井を見つめていた。誇らしいはずの昇進の記憶が、なぜかもう随分と遠いものに感じられた。
