なぜ5回も結婚してしまったのか EP3
3. ドイツ在住のピアニスト
ドイツ駐在時代、デュッセルドルフと並んでよく遊びに行っていたケルン。仲の良い同僚(ゲイである)が住んでいたからである。
その同僚の友人にアヤコという日本人女性がおり、3人で朝まで飲み明かしたものだ。
ノンケの男 (私) +ガチのゲイ+ノンケの女 (アヤコ) というのは、安心して朝まで呑める組み合わせなのかもしれない。
アヤコは京都生まれ京都育ち。大学卒業後ドイツに渡り、ケルンに住んで十数年になるそうだ。ピアノの先生をして生計を立てている。姐御肌の酒豪である。
彼女はケルンのまちを愛していたが、実家の事情で日本に帰り、そのまま疎遠になった。海外を転々としていると、短期間の付き合いばかりになるのは仕方ない。
数年後、帰国発令を受けて東京に住む。
「仕事がない会社員」として自由奔放に遊んでいたその頃、ふと京都に行きたくなった。京都は、学生時代を過ごした特別なまちである。
そのとき、ふとアヤコのことを思い出した。
もう何年も音信がなかったが、ダメもとでメールしてみた。
普通に返事が来た。
翌朝、私は手ぶら同然で京都行きの新幹線に乗っていた。
生粋の京都人のガイドでぶらりとする京都は乙なものであった。
数年ぶりの再会も、アヤコはじつに淡々としていた。こういうとこが京都人っぽいと思う。
同じく酒呑みで、話が合う。お互い無言でも平気でいられる。理想的な異性の友人である。絶対に男女の仲になってはいけない大切な人。それがアヤコであった。
しかし、である。
異性を超えた友人関係のはずだったのに。いや、それだからこそ私は思ってしまったのだろう。
(こういう人が一番いいのではないか)
それからというもの、私はアヤコと慎重に接するようになった。
絶対に “男” を見せない。恋人っぽい振る舞いは厳禁。あくまで友人として。しかし唯一無二の友人として。
暗黙のうちに、私たちは結婚を前提とした付き合い方になっていく。
京都の実家に招かれた。
アヤコの実家は、老舗の御菓子司であった。アヤコはそこの一人娘である。
条件が、、、キビシすぎる。
門前払いを喰らう覚悟で訪問したのだが、思いのほか歓待された。
父親が娘に劣らぬ大酒呑みで、同じペースで呑める私は一発合格だったらしい。
そんなことで合格にしていいのだろうか?
頑張った甲斐があったが、その日の帰りは一人でまっすぐ歩けなかった。
男女の関係にならないまま、アヤコは私の3人目の妻となる。
そういう気が起こらなかったわけではない。
ただ、この人とは正式に結婚する前にいたしてはいけない気がしていた。
結婚がほぼ決まりかけていた頃、アヤコがさらりと言った。
「うち童貞やねん」
どーてー・・・?
少し考えて、あ、そういうことか、と理解した。
じつは、薄っすらとそうかもしれないくらいに思っていた。
「童貞」という言葉を使ったのは、若干の恥じらいゆえかもしれないが、それ以上に私はアヤコの揺るぎない意志のようなものを感じた。
アヤコは、情熱的なピアノを弾く芸術の人である。
水のごとく酒を呑み、豪快に笑い、また盃を乾す。
故郷を離れてケルンに15年。ずっと主体的に生きてきたのだろう。
なのに、"最も親密な領域" だけが封印されていた。
すでに私はアヤコを愛していた。人としても、女性としても。
それでいいじゃないか。
夫婦の営みがない結婚生活にふたりとも納得していたように思う。
ある夜、めずらしく酒をのんでいないアヤコが独り言のように言ったものである。
「うちかて男の人と付き合うたことはあるんよ。そやけどいつもこの問題で気まずなって別れてん。そやしいつまでたっても童貞さん(笑) ・・・・・あんた、なんでうちなんかと結婚してくれはったん?」
アヤコのそういうところが愛おしいからだよ、と思ったが言えなかった。
本心だったが、誤魔化しにしか聞こえない気がした。
この問題に真っ正面から向き合うべきか、ずっと目を瞑って開かないでおくべきか。私には判断できなかった。
アヤコは今のままでいいのか。それとも新しい扉を開きたいのか。彼女自身もわからなかったのだと思う。
アヤコとの結婚生活は、何事も起こらないまま時間だけが過ぎていった。
それがよかったとも言えるし、何も解決しないままとも言えた。
アヤコはときどきピアノを聴かせてくれた。
私はそれを肴に飲む。
音楽素人の私だが、アヤコの演奏に情愛がにじんでいるのが伝わってくる。そして時折、哀しみが零れ落ちる瞬間も。
これほど情感ゆたかな人なのに。
アヤコは身体の関係を欲しているわけではない、と私は考えていた。そんなものなくても、女と男は一つになれる。私もそう思うようになっていた。
夫婦、いやそれ以前に男女のかたちとして成立しうるのではないか。
あの頃ケルンで、ゲイの同僚と3人で遊んでいたのを思い出す。お互い性的な関心が微塵もない関係性。それが楽しかったし心地よかった。アヤコとはあの場所から始まったのだ。そして今だって。
「その日」は来るべくして来た。
アヤコがあらたまって話し始めた。
彼女にはめずらしく遠回しな話しぶりだったが、もう終わりにしたい、という意思はわかった。
「このままやと、うち、あんたの “ええ人” で終わってしまうと思うねん」
アヤコも苦しんでいたのだ。私が最後まで触れなかった "最も親密な領域" で。
新しい扉を開きたいわけではない。しかし、今のままもよくない。どこにも答えがなかった。
話し合いは意外なほど短時間で終わった。
涙も出ない。何も悲しくないからだ。むしろ、苦しみから解放される安堵感だったかもしれない。
「あんたはいっこも悪くないんよ」
アヤコは何度も言った。
私は思った。
アヤコもいっこも悪くないで。
“愛” はあった。
しかし、"最も親密な領域" を更新する言葉を持つことができなかった。
「どうしたいか」を語り合える成熟に、ふたりとも届いていなかったのだと思っている。
(つづく)
アヤコも私も、しずかに狂ってました。
何も起きなかったこの時期は、私の “平安時代” でしたが、やっぱり何かがおかしかったのです。それが何だったのか、今でも名づけることができないでいます。
続きです。
